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曾慶紅、リー・クアンユーによる習近平の評価

2011-11-28 | 日記
茅沢勤 『習近平の正体』 ( p.30 )

「習近平は各方面から受け入れられるだろう」
 これは幼少時代から一貫して近平を支持した曾慶紅・前国家副首席の言葉だ。短い言葉だが、共産党幹部がどのようにして選ばれるのか、そのために何が必要なのかを端的に示していると言えよう。
 180cm、100kgを超える堂々とした体躯を持ちながら、人を圧迫することのない、茫洋とした屈託のない表情と温和で穏やかな性格。時折見せる人を安心させる無邪気な笑顔が、曾慶紅の言葉をよく表現しているようだ。大幹部の子弟という育ちのよさが表に出たものかもしれない。
 しかし、裏を返せば、それは絶対に自分の感情を表わさず、相手に手の内を明かさぬ狡猾な思慮深さでもある。
 シンガポール建国の父、リー・クアンユー顧問相(元首相)は、
「彼は思想のある人だ。人生に刻まれた経歴に多くの思想と経験と練磨が内在されている。彼は感情を抑制する強大な力があり、個人の不幸や苦難によって、その思想が影響される人物ではない。それは彼の8年間に及ぶ地方での下放(地方に送り出すこと)生活や、福建省での18年間の勤務と、浙江省や上海での幹部生活があるからだ」
 と評して、近平の波乱の青年時代がその性格を形作ったと分析している。
 近平の性格は特に、リー・クアンユーが指摘した「不幸や苦難」が凝縮された少年時代から青年期までに形成されたと言ってよいだろう。
 近平は1953年6月、北京で生まれた。「北京に近い」ところで生まれたから「近平」と名付けられたという。北京はかつて「北平」と呼ばれた。
 名付け親である父、習仲勲は近平が生まれた時、党中央宣伝部長を務める大幹部だった。その後、国務院(政府)秘書長、副首相と昇進し、当時の周恩来・首相の腹心として活躍した。
 近平は父母と、2歳年下の弟・遠平、それに2人の姉の6人で、党や政府の重要機関や幹部の居住地が集中する中南海に住んでいた。実は、父の仲勲にとって母の斉心との結婚は2度目。父と前妻の間にできた連れ子が3人いた。近平からみれば兄と2人の姉に当たるが、この3人は同居しておらず、親戚に預けられていたらしい。大幹部とはいえ個人的な家庭の事情なので、前妻との間にできた子供たちがどのような青年時代を送ったかは、中国の文献でも明らかにされていない。
 仲勲と斉心の間にできた近平ら4人の兄弟姉妹は、中南海に住む幹部子弟が集まる名門の寄宿制の小中学校で学んだ。小学校は「八・一小学」で、清朝時代には大庭園「大観園」だった場所にある。今も北京大学や清華大学などが集中している学園地区で、北京の北西に位置する海淀区の一角にある。敷地は20万㎡で、校舎の延床面積は3万5000㎡という広大なもの。庭園や果樹園、さらに動物園や、給食用のミルクを供給するための牛舎まであった。さらにシャワー室やプールなども完備しており、当時としては世界有数の近代的な学校だった。
 校名の「八・一」は8月1日を意味する。27年8月1日の中国人民解放軍創設記念日を指し、その名の通り、解放軍が幹部子弟のために建設したものだ。近平の2人の姉が通った中学校は「一〇一中学校」で、10月1日の建国記念日からとっている。これも軍が創設した。


 習近平に対する、曾慶紅・前国家副首席とリー・クアンユー顧問相(元首相=シンガポール建国の父)の評価が紹介されています。



 まず、曾慶紅・前国家副首席の言葉ですが、

 曾慶紅と習近平とは深く長い付き合いがあります。したがってこれには、2通りの解釈があり得ます。その2つとは、
  1. 曾は習と特別な関係にあるために、習に好意的な評価をしたという可能性と、
  2. 曾は習を深く知っているがゆえに、適切な評価をしたという可能性、
です。上記のうち、どちらが「より適切か」といえば、曾が自分を犠牲にして習の昇進を勝ち取ったことからみて、おそらく後者です。

 つまり、曾の言葉「習近平は各方面から受け入れられるだろう」は、習近平の人格を的確に表現している、と考えられます。

 したがって曾の言葉からは、習が人格者であり、誰ともうまくやっていける人間であることが推察されます。



 次に、リー・クアンユー顧問相(元首相=シンガポール建国の父)の言葉ですが、

 「彼は感情を抑制する強大な力があ」るという評価は、習が国家指導者としての資質を備えていることを意味します。リー・クアンユーによれば、習のこの性格は「彼の8年間に及ぶ地方での下放(地方に送り出すこと)生活」によって形作られ、かつ、「福建省での18年間の勤務と、浙江省や上海での幹部生活」によって磨かれたということになります。

 ここまではよいのですが、「個人の不幸や苦難によって、その思想が影響される人物ではない」という部分は、どう評価してよいのか(私には)わかりません。これはおそらく、彼(習近平)は信念のある人物だ、と言っているのでしょうが、通常、人の信念は個人の経験・体験によって形成されます。つまり、普通は「個人の不幸や苦難によって、その思想が形成される」のであり、「個人の不幸や苦難によって、その思想が影響される人物ではない」という評価は「やや」奇異に感じられます。

 とすれば、この言葉は、習が「思想に凝り固まった人間」あるいは「頑固者」である、と言っているのでしょうか? このような解釈も成り立たないこともないとは思いますが、このように解釈したのでは、曾慶紅の言葉「習近平は各方面から受け入れられるだろう」との整合性がとれなくなります。

 したがってここは、深く考えず、最初に提示したとおり、たんに「彼(習近平)は信念のある人物だ」というぐらいの意味合いで捉えておけばよいと思います。



 人格者であり、誰ともうまくやっていける人間で、かつ、信念をもっている。――このことは、習近平が「すばらしい指導者」であることを示唆しています。

 しかしこれは、日本にとって「好ましい」ということをかならずしも意味しません。それどころか、一歩対応を間違えれば、日本にとって「大変なことになる」ということを意味しています。



 最後に、上記引用部に出てきた家族関係を整理しておきます。
  1. 習近平の父は仲勲、母は斉心。仲勲にとって斉心との結婚は2度目である。
  2. 仲勲と前妻の間にできた子供は3人。近平からみて、兄1人と姉2人である。
  3. 仲勲と斉心の間にできた子供は、近平を含めて4人。2男2女である。近平の兄弟姉妹は、中南海に住む幹部子弟が集まる名門の寄宿制の小中学校で学んだ。この「八・一小学校」「一〇一中学校」はともに、人民解放軍が幹部子弟のために創設したエリート校である。敷地は20万㎡で、校舎の延床面積は3万5000㎡という広大なもので、庭園や果樹園、さらに動物園や、給食用のミルクを供給するための牛舎、シャワー室やプールなども完備している。




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