言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

「弁護士の質」は増員反対の「口実」ではないか

2010-10-26 | 日記
la_causette」の「旧来の業務と執務態勢に固執することなく、その職域を拡大し、執務態勢を改め、新しいキャリアモデルを構築していただきたい。

 法科大学院協会理事長である青山善充先生が、法科大学院協会のウェブサイトで、「修習生の給費制維持は司法制度改革に逆行(理事長所感)」と題する文章を発表されています。

 ただ、青山先生の本職は民事訴訟法であって司法制度論ではないためでしょうか、説得力を欠くものであるように思われます。
具体的には、第1に、貸与制への移行は、多くの優れた法曹を育てるための法科大学院の創設や、司法試験合格者を年間3000人程度に増加させるとの閣議決定と三位一体として決定されたものである。逆にいえば、厳しい財政状況下で給費制を維持すれば、予算上の制約から法曹人口の増加にブレーキがかかることになりかねない。いま必要なことは、給費制の維持ではなく、合格者3000人の早期の実現である。

と青山先生はおっしゃいます。

 ただ、一度閣議決定がなされた事項であっても、そもそも需要予測が間違っていたことがわかったとか、閣議決定後事情が変わったなどの原因で、その全部または一部が不要になった場合に、これを見直すことは正義に合致しているといえます。そして、現在の実際の需給状況に合わせて計画を見直すことを総じて国民が支持していることは、「仕分け」で腕を振るった蓮舫議員が先の参議院選挙で最高得票を得たことからも明らかです。

 従って、厳しい財政状況下にある現在、合格者3000人の早期実現が果たして必要なのかを問い直す必要があろうかと思います。


 法科大学院協会のウェブサイトで、青山善充先生は「いま必要なことは、給費制の維持ではなく、合格者3000人の早期の実現である」と主張されている。しかし、「一度閣議決定がなされた事項であっても、そもそも需要予測が間違っていたことがわかったとか、閣議決定後事情が変わったなどの原因で、その全部または一部が不要になった場合に、これを見直すことは正義に合致している」、と書かれています。



 要は、法曹 (弁護士) の需要予測が間違っていた。したがって、増員は見直すべきである、ということなのですが、この主張には、説得力があります。しかし同時に、ひっかかるものがあることも、たしかです。なぜなら、

   増員反対派の弁護士さん達は、増員反対の根拠 (…のひとつ) として、
     「増員すれば (弁護士の) 質が落ちる。質が落ちれば市民に不利益が及ぶ」
     と主張されている

からです。

 つまり、「需要予測が間違っていたから増員は見直すべきである」というのであれば、「需要予測通りであったなら増員は見直さなくてよい」ということを、当然、内包しているとみられるところ、

   需要予測が適切であろうが、需要予測が外れようが、
     増員ペースが同じであれば、「(新人) 弁護士の質」は変わらないはず

ですから、

   増員反対の根拠として、
      「需要予測が間違っていた」ことと、
      「法曹 (とくに弁護士) の質が落ちる」こととは、
     両立しないはず

です。

 したがって、弁護士さん達が増員反対の根拠として、「需要」と「質」を「ともに」挙げているのは、論理が破綻していると考えなければなりません。



 ここで、「需要」と「質」、どちらの要素の比重が大きいか、が問題になりますが、

 「弁護士増員に反対する弁護士の本音」で引用した記述によれば、すなわち、弁護士が増員に反対している本当の理由は「俺達弁護士は食えるのか」という心配、すなわち、「(一人あたりの) 収入が減る恐怖」であると考えられますから、

   最初、
      (全体のパイが大きくなるなら)
       増員しても収入は減らない、
      ★増員すれば「弁護士の質」は落ちるが構わない
         (というか、増員すれば競争によって「質が向上」する)
    と考えて (弁護士会=弁護士さん達は) 増員に賛成したが、

   途中で、
      (全体のパイが大きくなりそうもないので)
       増員すれば収入が減る、
      ★増員すれば「弁護士の質」が落ちて市民が困る、
    と増員に反対し始めた、

ということではないかと思われます。つまり、

   弁護士さん達の主張、
      「増員すれば質が落ちるので市民が困る」というのは、
      「増員に反対するための口実にすぎない」

と考えられます。

 この考えかたは、「弁護士増員の 「受け皿」 はあるらしい」および「弁護士増員論の再検討」で引用した仙台の坂野智憲弁護士の推測、「質」は「口実」にすぎないのではないか、と重なるものがあります。

 また、以前記述した「弁護士増員と、弁護士の質の関係」からも、「弁護士の質」が増員反対の「口実」にすぎないのではないか、と考えられます (引用元記事は裁判官の意見ですが、この裁判官の意見を引用して増員に反対されている弁護士さん達がおられますので、弁護士によって「口実」に利用されている、と言ってよいと思います) 。



 とすれば、法曹 (とくに弁護士) 増員反対の根拠として、「弁護士の質」が落ちて市民が困る、などと主張されてはいますが、「口実」である以上、

   法曹 (弁護士) 増員の是非を考えるにあたって、
      「法曹、とくに弁護士の質」は考慮する必要がない、
      すくなくとも、重視する必要はない、

と考えてよいことになります。おそらく、「(それほど) 重視する必要はない」と考えるのが、現実的ではないかと思います。

6 コメント

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増員すれば質が落ちる (ささ)
2012-12-13 13:09:57
間違っていないと思います。ただし、増えた部分による質の低下より、昔からいた既存の弁護士の質が落ちると言う意味で。

弁護士は他人の不幸、人の争いが多いほうが儲かるわけでして、そもそも弁護士と言う職業が成り立たない世の中の方が幸福な世の中です。

どんどん増やして、連中を失業状態に追い込むことが急務です。
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Unknown (memo26)
2012-12-18 07:23:36
 増員によって弁護士の質が落ちると言われていますが、実際には、増員後の弁護士の評判はよいらしいです。とすれば、やはり「質は口実」なのではないかと思います。

 ところで懲戒処分を受けている弁護士は、ほとんどすべて、増員前の弁護士だといわれています。質を問題とすべきなのは、既存の弁護士のほうではないでしょうか?

 増員後の、「質の高い」弁護士が増えてほしいですね。
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Unknown (とおりすがり)
2012-12-18 11:11:43
「質」の概念が違うように感じます。

既存弁護士の質の問題が論じられる場合には、「質」=倫理面や依頼者に対する姿勢、というような場面であると思います。
他方、増員後の弁護士の質の問題が論じられる場合には、「質」=法的処理能力に関する知識水準、というような場面であると思います。

前者の面については、コメントされているように増員後の弁護士のほうが優れているように感じる場面は多々あります。
しかし、(詳しくはかけませんが)職業柄、依頼者として弁護士に接する機会の多い身からすると、法科大学院卒の弁護士の法的処理能力のレベルは、残念ながら十分ではありません。

私は態度の悪い有能な弁護士と、懇切丁寧な無能な弁護士であれば、前者を取りたいと思うところです。
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Unknown (memo26)
2013-01-07 16:01:24
 あなたの考えかたはわかります。しかし、下記記事のコメント欄で「やまもと」さんがコメントされているように、多くの国民にとって関わりがあると思われる事件については、弁護士に特段高度な能力は必要とされないと思います。

 企業法務等、弁護士の仕事の一部の領域では高度な能力が問われるとは思いますが、企業等の場合、弁護士を「選ぶ」能力があります。

 弁護士の増員によって問題が生じる、という意見は、要するに (企業等とは異なり) 一般の国民には弁護士を「選ぶ」能力がないので、増員すれば国民に不利益が及ぶ、したがって増員は認められないというものだと理解しています。

 弁護士に高度な能力を要求する顧客には弁護士を選ぶ能力があり、特段高度な能力を要求しない顧客には弁護士を選ぶ必要性がないとすれば、増員に問題はないことになると思います。

「司法修習生は研修医にはあたらない」
http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/a7af1610cfb376ba63b810b97cc122b1
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Unknown (とおりすがり)
2013-01-08 11:02:29
コメントありがとうございます。
また、「やまもと」さんのコメントも拝見しました。

おそらく、弁護士の能力についての誤解があるやに思います。
特に、「やまもと」さんのコメントにある、

> 弁護士は、とくにオーソドックスな刑事裁判や、交通事故、離婚、債務整理などは、眠っててもできるというほど、業務の中ではほとんど高度のスキルを求められない。

については、明らかに誤認されているように思います。
ブログ氏も同調されているように思いますので、上記認識であれば、不味いように思います。

弁護士に最もスキルが必要となるのは、法律や判例の調査、当てはめの問題ではなく、如何にして必要な事実を拾い集めるか、という点にあります。

依頼人は法律の知識がない(もしくは誤っている)ため、法的意味を持つ事実を弁護士に適切に伝えることができないケースがままあります。
また、一方的な思い込みから、自己に一方的な解釈をそえて伝えることがあります。
それらを適切に拾い集めて、有利なものも不利なものも集めて、法的主張を如何にしていくか、が弁護士のスキルです。

債務整理は法的整理事案以外は比較的スキルが不要なのは確かです。(金銭債務については遅延に不可抗力の抗弁が出来ないので、単純な交渉に終始することが多いため。)
しかし、離婚であったり、交通事故、刑事裁判については、事実を拾い集め、その事実を法的に評価して、依頼人の主張に組み立てることに高度なスキルを要します。

法律上の枠組みが固まっているので、スキルは不要と思いがちですが、実際には難しい点が多々ありますし、適時に主張しなければ、遅れた主張は裁判で排斥されるリスクがあるので、タイミングも重要な判断が必要です。

過払金訴訟のような、ベルトコンベア案件は、極めて例外的な事案と思ったほうが正しいです。
(ちなみに私は弁護士ではなく、企業法務に関わるものです。)
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Unknown (memo26)
2013-01-10 19:10:18
 コメントありがとうございます。

 弁護士の能力がそのような内容(スキル)であるとすると、試験の合格点はあまり重要ではないということにはならないでしょうか?

 つまり問題は、何点なら合格させるかではなく、合格前(法科大学院)や合格後(司法研修所)、資格取得後(イソ弁時代等)において、いかに効果的な指導を受けるかにあるように思います。
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