N・グレゴリー・マンキュー 『マンキュー入門経済学』 ( p.207 )
外部性の問題に対処するには二通りの方法がある。一つは規制(指導・監督政策)、一つは市場重視政策である、と書かれています。
規制については「あきらか」なので、市場重視政策についての部分を引用します。
同 ( p.208 )
市場を重視して外部性に対応する方法として、ピグー税がある。ピグー税とは、課税によって負の外部性を内部化する税である、と書かれています。
著者によれば、ピグー税の利点は
こんな素晴らしい方法があるなら、採用しない手はありません。
同 ( p.211 )
市場を重視して外部性に対応する方法としては、ほかにも汚染許可証がある。環境を汚染する権利(汚染権)を認め、その許可証(汚染許可証)の売買を認めることで、ピグー税と同様の効果が得られる、と書かれています。
「環境を汚染する権利」という概念は、なんとなくしっくりきませんが、主張の趣旨はわかります。
ピグー税も汚染許可証も、規制よりは「よい方法」だと思いますが、
ピグー税と汚染許可証とでは、どちらの方法が優れているのでしょうか。これについては、次回にまわします。
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「外部性と市場の非効率性」
「当事者間による外部性の解決法と、コースの定理」
外部性のために市場で非効率的な資源配分が生じるときに、政府が対応できる方法は二つある。指導・監督政策は行動を直接規制する。市場重視政策は、民間の意思決定者が自分で問題を解決するインセンティブを与える。
外部性の問題に対処するには二通りの方法がある。一つは規制(指導・監督政策)、一つは市場重視政策である、と書かれています。
規制については「あきらか」なので、市場重視政策についての部分を引用します。
同 ( p.208 )
政府は外部への対応として、行動を規制するのではなく市場重視政策を用いて、私的インセンティブと社会的効率性を整合的にすることもできる。たとえば、すでにみたように、政府は負の外部性をもつ活動に課税し、正の外部性をもつ活動に補助を与えることによって、外部性を内部化することができる。負の外部性の影響を矯正するための課税は、早くからそれを提唱していた経済学者アーサー・ピグー(1877~1959年)の名前をとって、ピグー税と呼ばれる。
ピグー税は規制よりも小さい社会的費用で汚染を減少させることができるため、経済学者は汚染に対処する方法として規制よりもピグー税がよいと考えている。その理由を理解するために、一つの例を考えてみよう。
製紙工場と製鉄工場の二つの工場が毎年500トンの汚水を川に垂れ流しているとしよう。環境保護庁は汚水の量を減少させる方針を定め、二つの解決法を検討する。
- 規制:環境保護庁は、二つの工場に汚水の排出量を年間300トンまで減少するように命じることができる。
- ピグー税:環境保護庁は、二つの工場に汚水の排出1トンにつき5万ドルの税を課すことができる。
規制は汚水の量の水準を指示するのに対し、ピグー税は工場所有者に汚染を減少させる経済的インセンティブを与える。どちらの解決法がよいだろうか。
ほとんどの経済学者はピグー税がよいと考える。まず指摘できるのは、汚染の全般的水準を減少させる方法として、ピグー税は規制とほぼ同じくらい有効だということである。環境保護庁は税率を適切な水準に設定することにより、汚染をどのような水準にでもすることができる。税率が高いほど汚染は減少する。実際、もし税率が非常に高ければ、工場は完全に閉鎖され、汚染はゼロになるだろう。
ピグー税がよいと経済学者が考えるのは、汚染をより効率的に減らせるからである。規制は各工場に汚染を同じ量だけ減らすことを要求するが、一律に減らすこと
は必ずしも水をきれいにするための最も安価な方法ではない。製紙工場のほうが製鉄工場よりも汚染を減らす費用が小さい可能性もある。もしそうであれば、製紙工場はピグー税への対応として、税を避けるために汚染を相当減少させるだろう。それに対して、製鉄工場は汚染をあまり減らさず、税金を支払う形で対応するだろう。
本質的に、ピグー税とは汚染する権利に価格をつけることである。ちょうど市場がある財を最も高く評価する買い手にその財を配分するように、ピグー税は汚染を減少させる費用が最も高い工場に汚染を配分する。環境保護庁がどのように汚染の水準を設定しても、ピグー税を用いると最も小さい総費用で目標に到達できるのである。
経済学者はまた、ピグー税が環境にもよいと主張する。規制の指導・監督政策では、工場が300トンという汚水の目標に到達してしまうと、それ以上汚染の排出を減らそうとする理由がなくなる。これに対して、課税では、工場は汚染の排出をさらに減らす技術を開発するインセンティブをもつ。汚染をあまり排出しない技術があれば、工場が支払わなければならない税額が減少するからである。
ピグー税は他の税とはあまり似ていない。ほとんどの税はインセンティブを歪め、資源配分を社会的に最適な状態から乖離させる。経済的福祉の減少、すなわち消費者余剰と生産者余剰の減少は、政府が得る収入を上回り、死荷重を発生させる。対照的に、外部性が存在する場合、社会はその影響を受ける周囲の人々の厚生にも配慮する。ピグー税は、外部性が存在しても当事者のインセンティブを修正し、資源配分を社会的に最適な状態に近づける。このように、ピグー税は政府に収入をもたらしながら、経済効率を高めるのである(課税の影響および死荷重については、ミクロ編第8章を参照のこと)。
市場を重視して外部性に対応する方法として、ピグー税がある。ピグー税とは、課税によって負の外部性を内部化する税である、と書かれています。
著者によれば、ピグー税の利点は
- 汚染を効率的に減らせる(汚染を減らす費用が小さい分野ほど汚染が減る)
- どこまでも汚染を減らそうとするインセンティブが生じる
- 政府に税収をもたらしつつ、効率効率を高める効果をもつ
こんな素晴らしい方法があるなら、採用しない手はありません。
同 ( p.211 )
製紙工場と製鉄工場の例に戻ろう。経済学者のアドバイスにもかかわらず、環境保護庁が規制を採用し、各企業に汚水を毎年300トンまで減少させるように命じたとしよう。規制が実施され、二つの企業が規制に従った後のある日、両社がある提案をもって環境保護庁を訪れた。製鉄工場は汚水の排出を100トン増やすことを望んでいる。製紙工場は、もし製鉄工場が5万ドルを支払ってくれるならば、汚水の排出をさらに100トン減らすことに同意している。環境保護庁は二つの工場がこのような取引をすることを許可するべきだろうか。
経済の効率性の観点からは、この取引を認めることはよい政策である。それぞれの工場の所有者は自発的にその取引に合意しているので、取引は両者の厚生を改善するはずである。そのうえ、汚染の総量は同じなので、その取引による新たな外部効果は生まれない。したがって、製紙工場が製鉄工場に汚染する権利を販売するのを認めることは社会的厚生を高める。
同じ論理は、汚染する権利をある企業から他の企業へと自発的に移転させるすべての場合に当てはまる。もし環境保護庁がこうした取引を企業に認めるならば、それは本質的に、汚染許可証という一つの新しい希少な資源を創出したことになる。汚染許可証を取引する市場がいつかは発達し、その市場は需要と供給の作用に統治されるだろう。見えざる手は、この新しい市場が汚染権を効率的に配分することを保証するだろう。高い費用をかけないと汚染を減少できない企業は、汚染許可証に大金を支払ってもよいと考えるだろう。低い費用で汚染を減少できる企業は、手元にあるだけの許可証を販売したいと思うだろう。
汚染許可証の市場を認める一つの利点は、汚染許可証が最初にどの企業に配分されていても、経済効率性の観点からは問題にならないことである。この結論の背後にある論理は、コースの定理の背後にある論理とよく似ている。汚染を最も容易に減少できる企業は、手に入る許可証をすべて販売しようとするだろうし、高い費用をかけないと汚染を減少できない企業は、必要なだけの許可証を購入しようとするだろう。汚染権の自由な市場がある限り、許可証が最初にどのように配分されていても、最終的な配分は効率的になるだろう。
市場を重視して外部性に対応する方法としては、ほかにも汚染許可証がある。環境を汚染する権利(汚染権)を認め、その許可証(汚染許可証)の売買を認めることで、ピグー税と同様の効果が得られる、と書かれています。
「環境を汚染する権利」という概念は、なんとなくしっくりきませんが、主張の趣旨はわかります。
ピグー税も汚染許可証も、規制よりは「よい方法」だと思いますが、
ピグー税と汚染許可証とでは、どちらの方法が優れているのでしょうか。これについては、次回にまわします。
■関連記事
「外部性と市場の非効率性」
「当事者間による外部性の解決法と、コースの定理」