めけめけ様の日々雑感

胴体力関係は、「N氏式胴体力」カテゴリ。

できる人 少しできる人 できてない人の対話

2006年05月11日 | N氏ブログ「超初心者~」復刻版
本日は、胴体力についてお三方に集まっていただき、胴体のレベルによって
どのように観る風景が違ってしまうのか
『理解』が違っているのか を 話し合っていただきたいと思っております

申し遅れました、

本日司会を勤めさせていただきます 円楽です、

い、イヤ間違えました、N氏と申します、どうぞ、よろしく。



A まず、以て僕が言いたいのは、『やってから時間をおいて考えよう』ってことですね
  
  まだ、始めてから
  月日が経っていないにもかかわらず、『~するとどうなるんですか?』
  『~と、××って、言っている事が同じだと思いますけど、Aさんはどう御考えですか?』
  とか、そういう事を質問することが、本人にとって何の意味があるんでしょうか?
  
  そういう答えは、他人に聞く事じゃなく、自分の身体を自分で動かして
  認識していくものでしょう?
  そもそも、そういう疑問を解くために、胴体力を始めているはずなのに、それじゃ、何のために
  わざわざやってるの?と、言いたくなるんですね
  
  そして、そういう理論的な事は、既に2冊の本に書いてあるんだから、理論的な事は、
  『本を読めば』いいのですよ。
  
  たとえ、私が答えても、
  それは結局本に書いてある事と同じ事を言っているだけなんだから
  自分で何十回と読んでみれば好いんですよ。
  
  安易に人に頼って、イージーな答えで満足しようという薄汚い依存心を感じますね


B いや、Aさん、それはやっぱり言い過ぎです。あなたの論理は『胴体エリート』が 
  下々のものに対して『答えてやってるんだ』というような匂いがプンプンします。
  
  それに、本を読んで、実践してやっていくうちに分かる人って、実際はそういるもんじゃ
  ないですよ!
  
  あなたの論理からすると、『できない人は真面目にやっていないからだ』という事にしか
  ならないじゃないですか。

A だって、実際そうでしょう? やっていないからできていないし、自分がどれくらい
  『できていない』かを認識する事さえ できていないんだから。

  だいたい、できている人だって、最初から高度に胴体が動いていたわけじゃなく、
  きちんと段階を踏んで、今のところにいるんですよ。
  
  そういう努力を積んできている人に向かって
  『どうやったら、そういう風に身体を高度に動かせるようになるんですか?』
  と、イージーに質問する事が、どれくらいその人に対して失礼な事なのか
  わからないんですね。
  
  答えは決まってるでしょう?
  『体操を続けてきたからです』って


C う~ん、それじゃ やっぱりおかしいですよ。
  
  なるほど、Aさんが『体操を続ける』ことによって胴体がより進歩し続けている
  ことは、素晴らしいし、それは認めます
  
  でも、そもそも、この胴体力、『股関節の捉え』抜きでは成立しないものでしょう?
  私を含めて できてない人は、『それが分からない』というのだから、
  それを分かるにはどうしたらいいかの答えがないと、どうにもならないじゃないですか?

  それを『体操しなさい』とだけ答えるのは、、、、、


B なるほどね。AさんはCさんに対して『それは努力不足だよ』と言い、
        
        CさんはAさんに対して『努力の仕方がわからないんです』と
   
  言っているわけだ。

  変な話ですけど、私は、AさんCさん共に正しいし、共に間違っていると思うよ

AC どーいうこと? 

B 確かに、Cさんの言う通り、『股関節の捉え』がないと、胴体は動かないし
  胴体力は成立しない。
  
  その意味では『体操だけでは努力の方法が分からない』というCさんの意見は正しい
  

  でも、それは『誰でもできる股関節で捉えた立ち方』からスタートすれば、
  Cさんの言う『努力そのものの方法』は、解決するんだよね。
  
  この状態ならば、胴体が固い人でも『捉えている』状態なんだから  
  

  そして、ここからがCさんの間違ってるところなんだけど
  
  『誰でもできる股関節で捉えた立ち方』は、写真を参考にして、ある程度の時間をかけて
  自分の身体を使って、体操をやってみる などを行い
  会得していかないといけない
  
  んですよ。

  ひとそれぞれ身体の癖や形が違うから、だいたいの形は言えても、
  それをオーダーメイドで合わせるには、本人の努力が 一定の期間 必要です。
  
  九九を覚える場合、ひたすら繰り替えして試行錯誤した時期があったでしょう?
  それと同じですよ
  
  九九を覚えて 初めて、ふた桁のかけ算、割算など、段階が進んでいくわけだから。 



  九九を強制的に覚えなきゃいけない段階においてまで、
  安易に他人に頼ろうとしてるから、
  『依存心云々』という話が出てきてしまうし、無用な感情的摩擦を生むんですよ


C なるほど、分かりました。

B Aさんの言いたい事はよ~くわかります。
  
  確かに、へんてこな○○○な人や
  自分が何質問してるのか分かってないような人の質問を受けるのは、苦痛でしょう。
  そういう人に向かって『あなたが努力していないからです』とは、言いづらい、、、

  でも、あなたの方にも、歩み寄らなければいけない部分があると思いますよ

A え~!

B それは、あなたの『内部感覚を表現する言葉』と、動いていない人の『内部感覚』が、
  まるで違っているんだと言う事を、あんまり考えていない 点です

  Aさんだって、全く動いていなかった時期があったわけでしょう?


A そりゃ、そうですよ


B それじゃあ、動いていなかった時の内部感覚がどうだったか、思い出せますか?

A う~ん 肩が怒ってて、腰が少し痛かったかな、、、あんまり思い出せない、、、

B そうでしょう? あなたは、もう、動いていない人の内部感覚があんまり分からないんですよ
  
  だから、自分の内部感覚だけで、動いていない他人に同じ言葉を使って教えるのは
  外国語で話し掛けているのと一緒なんです。

A 外国語?そりゃ言い過ぎだ。だって内部感覚については、『スーパーボディを読む』に載っている
  とおりで、、、

B まさに そこがいけないんですよ。その内部感覚言語は、あくまでも『胴体が動くようになった後』
  出てくるもので、『動く前』ではないんです。
  
  だから、動いていない人に合わせて、翻訳した言葉を使っていかないと、誤解を招くだけではなく
  混乱を招くだけなんです、、、、

A わかりました。 私も少々傲慢だったようですね、、、、
  物事を伝える事がこんなにも難しい事だとは、、、、

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