めけめけ様の日々雑感

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第5話「刹那的な悩みの相対化法」

2008年02月03日 | 劣位個体が生きる為に
悩みを消す方法なのだけれども、消すってのは言いすぎなので、
相対化と言い換えてみました。

結論:まさに今、困ってないなら悩まないでよい。

僕はいろいろと悩みます。
ああ、明日職場に行って上司に怒られたら嫌だなあ。
解雇になったらいやだなあ。
結局、結婚どころか好きになってくれる人がいないまま死ぬのいやだなあ
とか…

そんな悩みを消して、元気よく生きていきたいものです。

寅さんが
「お前の気持ちなんか分かるわけないよ。俺が芋食って、お前の尻からプゥと屁が出るか?」
と言っていますが、まあ、他人の悩みや苦しみは結局共有できません。
例えば今、遠く離れた大陸で、少女が飢えや寒さや苦しみに満ちた生活をしていても
メディアの力を借りたりしなければ、知覚すらできません。
想像して、こんな風に辛かろうか、と思ってみても、それが本当に相手の感じていることか確認するすべはありません。

ところで
10年前の自分を思い返してみると、今よりも未熟だったり、
同じ所もあったりだけど、「今の自分」と同一人物か?
と自問すると、違うと思う。
考え方もちょっと違ってきているはずです。
じゃあ1年前は?半年前は?1ヶ月前は?1週間前は?昨日は?1時間前は?

今の自分と完全に同一の思考、感情を持ち合わせているわけではないと思う。

僕は朝起きた時、足の小指をぶつけて痛かったけど、今はぜんぜん平気です。

そう考えると、10年後、1年後、半年後、1ヵ月後、1週間後、明日、1時間後

の僕も、「今の自分ではない=他人」ということになります。

となると、未来の不幸を考えて今苦しむというのは、他人のことを考えて苦しむのに似ています。価値がないとまでは言いませんが、そも同一の苦しみかどうかも怪しいわけです。

で、今を考えてみると、僕は今PCの前でのんびりとブログの記事を打っているわけで、極めて平和です。
とりたてて、どこがすごく痛いというわけでもなく、だれかにおこられているわけでもないです。

「明日のことで思い煩うな、明日のことは明日自身が思い煩うであろう。」
「粥を食べたら、お椀を洗え。(趙州洗鉢)」
「橋に着くまで、橋を渡るな。」
「杞憂」

起こってもいないことで悩むな、今やれることだけやれという古人の教えです。

結局、エポケーですな。
それは真理(善)なのか。その基準はない。
では偽(悪)なのか。その確証はない。
判断を停止せざるを得ない。

「語りえぬものについては沈黙せざるを得ない」なんて言葉もありましたな。

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