白堊スポーツ - since 2004.09.18

母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

2005年04月29日 13時33分31秒

2018年10月26日 | '04/9~'05/10チームの球跡
「’05.4.29 盛岡一高・雫石高 定期戦 (雫石球場)」

盛岡一 100000014=6 谷地・藤原-小野寺
雫石高 00000016X=7

・本塁打 袖林
・二塁打 袖林、藤原、橋本
・安打7(1番袖林:5の5大当たり!!、4番藤原:1、5番橋本:1)

【試合経過】
1回盛岡一高は先頭打者袖林の本塁打で先制。
先発の谷地は雫石打線を6回まで3安打5奪三振無得点に抑える好投。
コーナーをつく丁寧な投球でカーブ、シュートの配球もよかった。今後に期待!
8回盛岡一高は雫石の適時失策を誘い追加点をあげ、7回から登板のエース藤原に託すも8回裏思わぬ5失策で6点を奪われ逆転をゆるす。
しかし、9回表盛岡一高猛反撃開始!
8番内藤四球で出塁、一死後1番袖林の二塁打で二三塁。2番渡部の時パスボールで1点返し渡部四球で一死一三塁(7-3)。3番小野寺の遊ゴロの間に1点(7-4)。4番藤原、5番橋本の連続二塁打で2点(7-6)。二死二塁で一打同点の場面だったが6番宮レフトフライに倒れ試合終了。

先日の久慈戦と同様強風下の試合で選手も集中力の維持が難しかったかもしれない。。。

【先発メンバー】
①6袖林(3:雫石) ②8渡部(3:北陵) ③2小野寺(3:厨川)
④3藤原(3:雫石) ⑤7橋本(3:城東) ⑥9宮(3:見前南)
⑦4小上(2:黒石野)⑧5佐川(3:下小路)⑨1谷地(3:雫石)

2005年04月17日 16時45分54秒

2018年10月25日 | '04/9~'05/10チームの球跡
「’05.4.17 練習試合 久慈戦・花巻北戦(花巻北グランド)」

盛岡一 010010003=5
久慈高 000010000=1

【試合経過】
一高の先発は藤原。4回まで内野安打1本、三振4と安定した投球。伸びのあるストレートが低めに決まり、変化球とのコンビネーションも良かった。
2回表、一高5番橋本の左翼への本塁打で先制。
5回表には犠飛で加点、9回には満塁の好機に6番の走者一掃三塁打で3点追加し突き放す。
藤原の後を継いだ右投手もナックルと思われる癖球を効果的に配し好投。
守備陣も7回に一塁走者をサインプレイでアウトにするなど随所に好プレイを見せた。

藤原の好投に安心した。攻守ともにチームの柱だけに、今後の活躍に期待!

※ なお、花北戦は 盛岡一高6-7花巻北高 だったとのことです。
  両チーム失策続出との情報です。。。

盛岡一 200200002=6
花巻北 00100213×=7

2005年03月15日 07時42分47秒

2018年10月23日 | '04/9~'05/10チームの球跡
「川村祥平先生 不来方校長に!」

本日の岩手日報によりますと、S61決勝進出時監督、現岩泉高校校長の川村祥平先生が不来方高校に赴任とのことです。

遠野高校監督時代、岩泉高校時代とも母校との対戦で見事な戦いを挑んできた川村先生のこと、スポーツ強豪校に赴任したからには、ハンドボール、バレーボールともども野球でも我盛岡一高を益々苦しめる存在になるのではないでしょうか。

困ったもんですが(笑)、高校スポーツ発展のためにも益々尽力していただきたいと思います。

2005年03月11日 18時51分28秒

2018年10月22日 | '04/9~'05/10チームの球跡
「H10卒佐藤崇史選手、社会人野球で活躍!」

今日「岩手の高校野球」掲示板で紹介されていました。

明治大学から七十七銀行に入社した佐藤崇史外野手は昨年の都市対抗野球ベスト4進出に貢献し、大会優秀選手にも選出された。

高校時代は左のスラッガーとして個人的に注目していた選手だった。
3番佐藤、4番我妻だったように記憶している。
ホームランも目撃している!

昔だったら、東北社会人の雄、岩手の会社に就職してバリバリ頑張っている姿を県営球場あたりで目の当たりにすることが出来たのだろうが、現在の情勢では、宮城の企業に持って行かれたのも納得せざるを得ない。。。

しかし、久し振りに「白堊野球」出身選手の全国区の活躍を知り、うれしいことこの上ない!
がんばれ!佐藤!お近く(仙台)のみなさん、応援よろしくお願いします!

久し振りの「白堊野球」記事となりましたが、春遅い岩手への球春到来も間もなくです。今年も盛岡一高野球を応援しましょう~~!

あさま山荘の本を読んだ後、何故か、この歌詞が身に染みました。

2018年10月21日 | 家族・自分
父は今年二月で 六十五
顔のシワはふえて ゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりが出来た
父の湯飲み茶碗は 欠けている
それにお茶を入れて 飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔を じっと見ている
人生が二度あれば
この人生が二度あれば

母は今年九月で 六十四
子供だけの為に 年とった
母の細い手
つけもの石を 持ち上げている
そんな母を見てると 人生が
だれの為にあるのか わからない
子供を育て
家族の為に 年老いた母
人生が二度あれば
この人生が二度あれば

父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃の事を 話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
この人生が

連合赤軍「あさま山荘」事件ー佐々淳行

2018年10月21日 | 読書

評価5

先月の信州旅行、私の「今でもあるのかな?」の一言で立ち寄ったあさま山荘。今から46年前の2月のテレビ画面を思い出して重い気持ちになって軽井沢の地を後にしたのだった。

そんなことも忘れつつあった今月10日、佐々淳行さんの訃報が伝わった。佐々さんと言えば、知る人ぞ知るあさま山荘事件を陣頭指揮した元警察官僚。このタイミングに心が動かないわけがない。あさま山荘、連合赤軍に関する動画、ホームページを漁るように捜した。そして、今回、佐々さんの追悼の意味で手に取ったのがこの一冊である。

陣頭指揮を執ることになった経緯。警察内部の縄張り争い、テレビ中継画面の裏側にある真実、機動隊突入の生々しい状況、マスコミの動向、笑えないような笑える話、現場にいた者にしか書けないドキュメントに驚くとともに、「こんなこと書いて大丈夫?」と心配になるほど警察内部のやりとりが克明に記されていることに驚く。一級の事件記録である。連合赤軍、あさま山荘事件にまつわる書物はたくさんあるので、これからもいろいろと調べて行きたいと思います。佐々淳行さん、お疲れ様でした。

【追伸】
大学生の頃、高木彬光がこの事件を取り上げた「新曲地獄篇」を読みました。

2004年12月17日 04時39分00秒

2018年10月21日 | '04/9~'05/10チームの球跡
「2005盛岡一高野球部へ」

今年ほど母校の試合を見たことがない。
1番センター荒道謙二君のお父さんが同級生なので練習試合情報が入手できたからである。
その後わかったことだが、強肩ライト国保君のお母さんも同学年だった。
白堊ジュニアが二人もレギュラー選手にいるのに応援に力が入らないわけがない!
昨年から4番の川口君には注目していたが、サードへのコンバートにまず驚いた。
後日少年野球関係者に聞いたところ、もともとサードだったらしい。
そして、投手もこなす藤原君のパンチ力抜群のバッティングと相手バッターの背中にぶつける死球の多さに度肝を抜かれた(笑)。
昨夏から国保君の強肩は有名だったが、今年は強肩振りを目の当たりにする機会に恵まれず、雫石球場での招待試合で1度ライトからホームへの矢のような送球を見ただけだった。
その時いっしょに観戦していた職場の同僚が「おっ!」と唸ったのは言うまでもない。
荒道君は切り込み隊長として走・攻・守に抜群の働きを見せていたが、夏の大会を前に体調を崩し打順を下げ、本来の実力を発揮できなかったのが悔やまれる。
こんなに身近に野球部の諸君と接したのは初めてだった。
みんな勉強もあり試合の結果も求められ大変な中良くやったと思う。
ボロボロだった守備も整備され、抜群の長打力を秘めた夏のチームは実力的にはかなり高いレベルにあったと思う。
球運なく水沢工にはサヨナラ負けだったが胸を張れる成績ではなかっただろうか!
今までの歴史が物語っているようにこの敗戦が来年に生かされることだろう。
2005も盛岡一高野球部を愛し応援する!
がんばれ!一高!!