白堊スポーツ - since 2004.09.18

母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

昭和50年白堊野球物語7 作:佐藤泰久(S42)

2016年10月08日 | 白堊野球物語
時はくだって平成11年、この年、盛岡一高野球部は創部100周年を迎えた。一高野球部の歴史はすなわち岩手野球の歴史でもある。記念試合として一高OBVS盛商OBが企画され、5月2日、岩手県営球場に往年の名選手が集った。監督は一高が杉田清彦、盛商が佐々木宏、まさにあの昭和50年夏の再現である。森雄一(S24,25甲子園出場)、小笠原敬二(S43甲子園出場)、駒木進(同)、森常記(S53甲子園出場)、、、その中に混じって金野健の姿もあった。解説者としてアナウンサー席についたのは、一高から金野、盛商からは「44イニング無失点」の滝村正彦だった。アナウンサーの「あの夏以来ですが、その後会うのは初めてですか」との呼び水に

滝村:「はいそうです、24年ぶりです」
金野:「そうです、あまり会いたくない相手です(笑)」

金野のいつわらざる心境だったのだろう。そして再度の対決の時がやってきたのである。

昭和50年白堊野球物語6 作:佐藤泰久(S42)

2016年10月07日 | 白堊野球物語
センバツでも夏でもあと一歩のところで甲子園への夢を断たれたエース林とキャプテン金野は、各々東京六大学の立教、明治に進学する。すなわち林は城南小→下橋中→盛岡一→立教、金野は大船渡小→大船渡中→盛岡一→明治の球歴となる。

林は野手に転向、一年秋から代打で出場し活躍、江川とも対決した。金野は当時東京六大学最強の明治・島岡監督のもとで3年春の早明戦から出場、初打席初ホームランという快挙をやってのけた。そして昭和54年秋のシーズが終わると、各々、立教大学野球部主将、明治大学野球部主将に推挙された。

そして昭和55年10月26日、両教え子が対決する秋のリーグ戦立明2回戦に小山野球部長はバックネット裏観戦に駆けつけたという。春のリーグ戦優勝校・明治への立教の挑戦、延長にもつれこんだ熱戦は10回裏二死、立教キャプテン・林のサヨナラホーマーで決着する。これによって明治の3シーズ連続優勝は断たれた。両チームナイン整列して最後の挨拶、両チームの先頭にはキャプテンとしての林、金野の姿があった。

昭和50年白堊野球物語5 作:佐藤泰久(S42)

2016年10月06日 | 白堊野球物語
決勝は一高・林、盛商・滝村の投げ合いとなった。一関商工にコールド勝ちした一高打線もこの日は沈黙、終盤8回2点を許し、「44イニング無失点」の滝村の前に一高は敗れ去った。

 盛岡商  000000020 2
 盛岡一  000000000 0

私はこのとき会社(東京)にいて仕事の合間を見つけて盛岡の友人の職場に電話をした。替わりに出た女子事務員の「2対0で負げました」という盛岡イントネーションが今も耳を離れない。「そんなはずは...」、多くの白堊同窓生も信じられない敗戦に呆然としただろう。負けるはずの無い戦い、しかしこれが野球なのだ。7年ぶりの甲子園は掌中から逃げていったのである。

その日、林、金野ら3年生は、小山卓也野球部長宅に集い、3年間の思い出と将来の夢を語り夜を明かした。そして早朝、前日決勝の熱気さめやらぬ岩手県営球場で校歌を斉唱し散っていったとのことである。

だがこの昭和50年物語は終わらない。東京六大学・神宮球場へと、そして一高野球部創部100周年記念試合、一高OBVS盛商OBへと連なっていく。(続く)

昭和50年白堊野球物語4 作:佐藤泰久(S42)

2016年10月04日 | 白堊野球物語
夏は「大本命」らしく、2回戦○盛岡一10-0一関一(5回コールド)とコールド勝ちで好発進した。3回戦○盛岡一6-4花北商(現花北青雲)。そして準々決勝で専大北上とあい間見えた。スコアを見ていこう。

 専大北上 100000100 2
 盛岡一  00000023x 5

専大北上村上投手の好投の前に一高は6回まで外野飛球わずか1本に押さえられていた。この日母校の応援に駆けつけた平館氏は、7回表でもはやこれまでとスタンドを後にした。しかし、ここから一高の大反撃が始まった。7回裏からセーフティバント、盗塁で揺さぶりをかける攻撃で一気に逆転、一高バンカラ大応援団の「ピッチャーお代わり来い」の大コールがスタンドを揺さぶった。

そして準決勝は前年優勝の一関商工(現一関学院)を10-0(6回コールド)で撃破し決勝に駒を進めた。決勝は宿敵・強敵の盛商とは言え、公式戦秋春と連覇、練習試合を含めると3勝1分、もはや一高の7年ぶり甲子園出場を疑うものは誰一人いなかった。
杜の都の早慶戦、甲子園をかけた伝統の一戦、一高 VS 盛商。盛岡市民を二分する大決戦の火蓋は切って落とされた。

昭和50年白堊野球物語3 作:佐藤泰久(S42)

2016年10月03日 | 白堊野球物語
こうしてセンバツまであと一歩の実力を持った一高の前に、春の盛岡に敵は無かった。

春の盛岡市大会:○16-0盛岡北、○4-3龍澤、○9-4盛岡商、○7-1盛岡四

またしても準決勝では盛商と激突したが、文句なく打ち破った。唯一の接戦が龍澤(現盛岡中央)であるところが現在の岩手県の球勢を暗示している。

しかしさしもの我が一高、春の県大会では一関一を四番金野のホームランで4-1と下したが、宿敵黒沢尻工の前に1-4で敗れ2回戦敗退となった。(平舘氏は、秋の大会決勝・対高田戦で金野がホームランを打ったのでは、とのことだったが、高田戦でホームランを打ったのは林のほうで、金野は一関一戦でホームランを打ったというのが私の手元の記録である)

かくして前哨戦は終了した。春の県大会で惜しくも敗れはしたものの、夏に強い我が一高、自他ともに許す「大本命」で夏の大会に臨んだ。そこには熱い熱い夏のドラマが待っていた。 パァンハ゜ハ゜ンパンパァーン。

昭和50年白堊野球物語2 作:佐藤泰久(S42)

2016年10月02日 | 白堊野球物語
秋季大会の優勝は8年ぶり2度目であった。夏の甲子園出場8回(当時)を誇る一高が秋の優勝が2度目というのが意外であるが、これが「夏の一高」と言われる所以(ゆえん)でもあるのだろう。東北大会では

  1回戦  ○4-1山形電波
  準決勝  ●1-6日大山形

惜しくもあと一歩のところでで日大山形にセンバツ出場を阻まれたが、東北大会ベスト4、当時21世紀枠があれば選考対象になったであろう活躍だった。さて秋季大会では県大会の一高vs盛商を詳しく見ていこう。

 盛岡商業 001000010 2
 盛岡一高 00110001x 3

スコアから見ても抜きつ抜かれつの白熱ゲームであることがわかる。8回の決勝打は一死二塁に走者を置いて大黒柱・金野の三塁ベース上をぬく二塁打であった。宿敵・盛商との死闘はこれを皮切りに昭和50年春の大会、夏の大会へと引き継がれるのである。

昭和50年白堊野球物語1 作:佐藤泰久(S42)

2016年09月28日 | 白堊野球物語
では物語風にいきます。まずは昭和50年から、パンハ゜ハ゜ンパーン。

昭和50年の盛岡一高野球部、それは白堊野球史上5本の指に入る強チームだった。私は盛岡一高野球部の戦後第1期黄金時代は昭和24年、25年甲子園連続出場の時代、第2期黄金時代は昭和31年、32年の県大会連続優勝の時代、第3期黄金時代は昭和43年~53年、2度の甲子園出場、県大会準優勝1回、ベスト4が1回、ベスト8が2回のこの時代と考えている。その後は県大会準優勝2回、ベスト8が4回はあるものの黄金時代とは呼べないだろう。

昭和50年のチームのピッチャー林、キャッチャー金野の黄金コンビは後にそれぞれ東京六大学の立教、明治のキャプテンとなるが、盛岡一高時代はそのようなことになろうとは本人も含め誰一人知る由もない。このチームの強さの片鱗は昭和49年秋季新人大会に伺える。

盛岡市大会   ○7-2平舘、○3-1盛岡三
岩手県大会   ○7-3一関二、○6-2一戸、○3-2盛岡商、○9-2高田

と、県大会を制覇、東北大会に駒を進めた。

【注】文章は2005年6月時点のものです。

白堊・市営球場物語終-作:根子吉人(S56)

2016年09月27日 | 白堊野球物語
歴史を刻んだ市営球場よ、永遠なれ!

小生の応援、観戦した中で10の試合を取り上げてまいりました。いずれもほとんどの内容を記憶だけで記してまいりました。今は夏の県大会の試合が行われないのは諸事情あるかと思いますが、盛中時代から平成の今日に至るまで本校の試合のみならず、数々の名勝負の舞台となったのはまぎれもなくこの市営球場であります。
昭和43年の甲子園出場を決めたのもここ、それぞれの時代での忘れられない試合は選手はもちろん野球部関係者の皆さま、在学していた生徒、多くの先輩方、一高野球のファンの方々の記憶の中にいつまでも岩手の中等高等学校の野球の聖地として存在することでしょう。
そして再び、甲子園にて勝利の校歌を皆で歌うことを願って結びといたします。

【注】文章は2005年6月時点のものです。

白堊・市営球場物語10-作:根子吉人(S56)

2016年09月26日 | 白堊野球物語
平成6年夏 県大会2回戦  (小生 社会人10)
   本校 15-9 一戸

前年夏準優勝の本校は沼崎兄弟等昨年の主力選手が最上級生となり、今年こそはという周囲の期待も大きかった中、1回戦水沢工に辛勝のあとこの試合となりました。

盛一 009011220  15
一戸 020003310   9

大量リードでこのままいけるかというところ、相手校の反撃にあいましたが、打線好調な本校は着々と加点し逃げ切りました。なお一戸高校は自身を「イチコウ」と応援されてますが、エール交換では本校から「サンキュー イチノヘ」でお返ししています。

これが小生の応援、観戦した市営球場での夏の大会最後の試合(最新の試合)となったままです。

【注】文章は2005年6月時点のものです。

白堊・市営球場物語9-作:根子吉人(S56)

2016年09月25日 | 白堊野球物語
昭和58年夏 県大会4回戦
  本校 15-13 久慈 (延長12回)

川村(公)、佐々木(智)の強力投手陣を擁する本校は3試合の失点は葛巻戦の初回に与えたわずか1。初回の先制パンチで4点を奪い楽勝かと思いきや、その裏相手校も4点で同点。これが死闘の始まりで追いつ追われつの展開のまま試合は9回表11-13で敗色濃厚の状況から連打で同点にし、延長へ突入、最終的には突き放して逃げ切ったのでした。延長を含む両校安打数最多の試合となっていましました。試合はやってみなければわからないことをまたまた痛感しました。

【注】文章は2005年6月時点のものです。