白堊スポーツ - since 2004.09.18

母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

昭和50年白堊野球物語1 作:佐藤泰久(S42)

2016年09月28日 | 白堊野球物語
では物語風にいきます。まずは昭和50年から、パンハ゜ハ゜ンパーン。

昭和50年の盛岡一高野球部、それは白堊野球史上5本の指に入る強チームだった。私は盛岡一高野球部の戦後第1期黄金時代は昭和24年、25年甲子園連続出場の時代、第2期黄金時代は昭和31年、32年の県大会連続優勝の時代、第3期黄金時代は昭和43年~53年、2度の甲子園出場、県大会準優勝1回、ベスト4が1回、ベスト8が2回のこの時代と考えている。その後は県大会準優勝2回、ベスト8が4回はあるものの黄金時代とは呼べないだろう。

昭和50年のチームのピッチャー林、キャッチャー金野の黄金コンビは後にそれぞれ東京六大学の立教、明治のキャプテンとなるが、盛岡一高時代はそのようなことになろうとは本人も含め誰一人知る由もない。このチームの強さの片鱗は昭和49年秋季新人大会に伺える。

盛岡市大会   ○7-2平舘、○3-1盛岡三
岩手県大会   ○7-3一関二、○6-2一戸、○3-2盛岡商、○9-2高田

と、県大会を制覇、東北大会に駒を進めた。

【注】文章は2005年6月時点のものです。

白堊・市営球場物語終-作:根子吉人(S56)

2016年09月27日 | 白堊野球物語
歴史を刻んだ市営球場よ、永遠なれ!

小生の応援、観戦した中で10の試合を取り上げてまいりました。いずれもほとんどの内容を記憶だけで記してまいりました。今は夏の県大会の試合が行われないのは諸事情あるかと思いますが、盛中時代から平成の今日に至るまで本校の試合のみならず、数々の名勝負の舞台となったのはまぎれもなくこの市営球場であります。
昭和43年の甲子園出場を決めたのもここ、それぞれの時代での忘れられない試合は選手はもちろん野球部関係者の皆さま、在学していた生徒、多くの先輩方、一高野球のファンの方々の記憶の中にいつまでも岩手の中等高等学校の野球の聖地として存在することでしょう。
そして再び、甲子園にて勝利の校歌を皆で歌うことを願って結びといたします。

【注】文章は2005年6月時点のものです。

白堊・市営球場物語10-作:根子吉人(S56)

2016年09月26日 | 白堊野球物語
平成6年夏 県大会2回戦  (小生 社会人10)
   本校 15-9 一戸

前年夏準優勝の本校は沼崎兄弟等昨年の主力選手が最上級生となり、今年こそはという周囲の期待も大きかった中、1回戦水沢工に辛勝のあとこの試合となりました。

盛一 009011220  15
一戸 020003310   9

大量リードでこのままいけるかというところ、相手校の反撃にあいましたが、打線好調な本校は着々と加点し逃げ切りました。なお一戸高校は自身を「イチコウ」と応援されてますが、エール交換では本校から「サンキュー イチノヘ」でお返ししています。

これが小生の応援、観戦した市営球場での夏の大会最後の試合(最新の試合)となったままです。

【注】文章は2005年6月時点のものです。

白堊・市営球場物語9-作:根子吉人(S56)

2016年09月25日 | 白堊野球物語
昭和58年夏 県大会4回戦
  本校 15-13 久慈 (延長12回)

川村(公)、佐々木(智)の強力投手陣を擁する本校は3試合の失点は葛巻戦の初回に与えたわずか1。初回の先制パンチで4点を奪い楽勝かと思いきや、その裏相手校も4点で同点。これが死闘の始まりで追いつ追われつの展開のまま試合は9回表11-13で敗色濃厚の状況から連打で同点にし、延長へ突入、最終的には突き放して逃げ切ったのでした。延長を含む両校安打数最多の試合となっていましました。試合はやってみなければわからないことをまたまた痛感しました。

【注】文章は2005年6月時点のものです。

白堊・市営球場物語8-作:根子吉人(S56)

2016年09月24日 | 白堊野球物語
昭和58年夏 県大会2回戦  (小生 大3)
 本校 1-0 高田

春の県大会優勝かつ東北大会ベスト4の宿敵高田高校との7年ぶり、同じこの市営球場での対戦となりましました。試合は予想通り本校川村(公)相手校鈴木両投手の好投で緊迫した展開でしたが、5回裏に犠牲フライであげた1点を守り勝利。7年前の借りを返し春の覇者を破り「夏に強い」本校の本領発揮した会心の試合でした。

【注】文章は2005年6月時点のものです。

白堊・市営球場物語7-作:根子吉人(S56)

2016年09月23日 | 白堊野球物語
昭和57年夏 県大会1回戦  (小生 大2)
  本校 3-4 福岡 (延長11回)

県営球場が改装のため、市営球場をメイン会場とした最後の大会になりました。宿敵福岡高校との対戦は、地区予選でやはり宿敵盛商に快勝した本校有利の思い込みと異なり、またも接戦。3-1のリードから勝利目前の9回裏同点に追いつかれ延長戦へ。11回裏相手校の攻撃は走者を得点圏に置いたところで打球は無情にも左翼・照井君(兄は小生と同級)の前にころがり、万事休す。福高に5年前の借りも返せず、自分達が3年時の1年生達の最後の試合となってしまい、悔しさ倍増。甲子園出場の願いはさらに後輩達へ受け継がれるのでした。

【注】文章は2005年6月時点のものです。