白堊スポーツ - since 2004.09.18

母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

あさま山荘の本を読んだ後、何故か、この歌詞が身に染みました。

2018年10月21日 | 家族・自分
父は今年二月で 六十五
顔のシワはふえて ゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりが出来た
父の湯飲み茶碗は 欠けている
それにお茶を入れて 飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔を じっと見ている
人生が二度あれば
この人生が二度あれば

母は今年九月で 六十四
子供だけの為に 年とった
母の細い手
つけもの石を 持ち上げている
そんな母を見てると 人生が
だれの為にあるのか わからない
子供を育て
家族の為に 年老いた母
人生が二度あれば
この人生が二度あれば

父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃の事を 話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
この人生が

連合赤軍「あさま山荘」事件ー佐々淳行

2018年10月21日 | 読書

評価5

先月の信州旅行、私の「今でもあるのかな?」の一言で立ち寄ったあさま山荘。今から46年前の2月のテレビ画面を思い出して重い気持ちになって軽井沢の地を後にしたのだった。

そんなことも忘れつつあった今月10日、佐々淳行さんの訃報が伝わった。佐々さんと言えば、知る人ぞ知るあさま山荘事件を陣頭指揮した元警察官僚。このタイミングに心が動かないわけがない。あさま山荘、連合赤軍に関する動画、ホームページを漁るように捜した。そして、今回、佐々さんの追悼の意味で手に取ったのがこの一冊である。

陣頭指揮を執ることになった経緯。警察内部の縄張り争い、テレビ中継画面の裏側にある真実、機動隊突入の生々しい状況、マスコミの動向、笑えないような笑える話、現場にいた者にしか書けないドキュメントに驚くとともに、「こんなこと書いて大丈夫?」と心配になるほど警察内部のやりとりが克明に記されていることに驚く。一級の事件記録である。連合赤軍、あさま山荘事件にまつわる書物はたくさんあるので、これからもいろいろと調べて行きたいと思います。佐々淳行さん、お疲れ様でした。

【追伸】
大学生の頃、高木彬光がこの事件を取り上げた「新曲地獄篇」を読みました。

2004年12月17日 04時39分00秒

2018年10月21日 | '04/9~'05/10チームの球跡
「2005盛岡一高野球部へ」

今年ほど母校の試合を見たことがない。
1番センター荒道謙二君のお父さんが同級生なので練習試合情報が入手できたからである。
その後わかったことだが、強肩ライト国保君のお母さんも同学年だった。
白堊ジュニアが二人もレギュラー選手にいるのに応援に力が入らないわけがない!
昨年から4番の川口君には注目していたが、サードへのコンバートにまず驚いた。
後日少年野球関係者に聞いたところ、もともとサードだったらしい。
そして、投手もこなす藤原君のパンチ力抜群のバッティングと相手バッターの背中にぶつける死球の多さに度肝を抜かれた(笑)。
昨夏から国保君の強肩は有名だったが、今年は強肩振りを目の当たりにする機会に恵まれず、雫石球場での招待試合で1度ライトからホームへの矢のような送球を見ただけだった。
その時いっしょに観戦していた職場の同僚が「おっ!」と唸ったのは言うまでもない。
荒道君は切り込み隊長として走・攻・守に抜群の働きを見せていたが、夏の大会を前に体調を崩し打順を下げ、本来の実力を発揮できなかったのが悔やまれる。
こんなに身近に野球部の諸君と接したのは初めてだった。
みんな勉強もあり試合の結果も求められ大変な中良くやったと思う。
ボロボロだった守備も整備され、抜群の長打力を秘めた夏のチームは実力的にはかなり高いレベルにあったと思う。
球運なく水沢工にはサヨナラ負けだったが胸を張れる成績ではなかっただろうか!
今までの歴史が物語っているようにこの敗戦が来年に生かされることだろう。
2005も盛岡一高野球部を愛し応援する!
がんばれ!一高!!