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キリストの勝利(中)-塩野七生

2020年09月22日 | 読書

評価5

正帝コンスタンティウスの嫌がらせに苦慮していたユリアヌスは360年29歳の時、軍団兵に推された形で正帝を宣言、翌年コンスタンティウスが病死すると反キリスト教政策を断行する。それは、信仰の完全な自由を認め、キリスト教優遇策の廃止、ギリシア・ローマの神々の神殿の再建を促すものであった。

この政策により、異教徒のキリスト教徒への反撃、キリスト教徒の皇帝への敵意とキリスト教内部の教理対決が表立ち中近東には不穏な空気が渦巻き始める。そんな中、363年に始まったペルシア戦役の陣頭指揮にメソポタミアへ出向いたユリアヌスは撤退行軍の途中で戦死してしまう、31歳の若き皇帝の死であった。

後継に選ばれたヨヴィアヌスはわずか7ヵ月で病死、その後をゲルマン民族出身のヴァレンティニアヌスが継ぐことになる。