
評価

コンスタンティヌス帝亡き後は実子3人と甥の2人での統治が決まっていたのだが、甥の2人が粛清事件に巻き込まれ実子3人での統治が始まる。その後、長男と三男の対立、三男への軍内部の反抗があり生き残ったのは次男コンスタンティウスただ一人となった。337年~361年まで帝位にあったコンスタンティウスは父に引き続きキリスト教会支援を忘れなかった。その優遇策は①人頭税、地租税の免除②聖職者の私有財産の許可③偶像崇拝の禁止④神殿の閉鎖命令などであった。
そんな中、東方対応に追われていた皇帝は西方対応の必要性から、337年に粛清されていた甥の二男・ユリアヌスを副帝としてガリアへ派遣する。このユリアヌス、幼き頃からほとんどの歳月を小アジアで過ごしていて兵役も行政も経験したことのない哲学の一学徒にすぎない20歳の青年だった。しかし、このユリアヌス、356年の北方蛮族との戦いに勝利をおさめると、無駄な出費の解消、徴税の公正化、減税の政策をことごとく成功させ、150年ぶりにガリアに平和と安定をもたらしたのだった。
ユリアヌスの登場で、俄然、面白くなって来た帝国末期のローマ!宦官の偽情報に踊らされ出来の良いユリアヌスへの軍事支援も渋る超性格が悪い(笑)正帝コンスタンティウスがどう出るか?次巻が楽しみ!