真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

手塚先生 誕生日記念トークショー

2006年11月03日 15時07分56秒 | アニメーション
杉並アニメーションミュージアムで開かれた、手塚先生の誕生日記念トークショー
「僕の手塚治虫」~上海の手塚治虫-1988年・秋~ へ行って来た。これは<手塚治虫先生が病をおして出かけられた最後の海外旅行の地、上海での知られざるエピソードをアニメーション界の豪華メンバーが語る。二度とない貴重な証言から、不世出のクリエーター手塚治虫の素顔に迫る!> とうたっていて、どうにも興味が会った。
出席者は 川本喜八郎(人形アニメーション作家 人形美術家 日本アニメーション協会会長)
鈴木伸一 (杉並アニメーションミュージアム館長 日本アニメーション協会副会長)
松谷孝征 ((株)手塚プロダクション代表取締役 日本動画協会理事長)
南 正時 (鉄道写真家 日本アニメーション協会会員)
 司会進行役 片山雅博 (多摩美術大学教授 日本アニメーション協会常任理事・事務局長)で13時30分から開始であった。50ccバイクで昼には家を出た、気温がずいぶんと涼しくなったなど感じながらゆっくり行ったが、早めについてしまった、そこで、なにか本でも呼んでいようかと、視聴覚室で本を探し、前から読もうとしていた本、手塚先生の奥様、手塚悦子さんの「夫・手塚治虫とともに」が目に付き、それを読み始めた、新婚旅行で手塚先生が、下痢をしたという、くだりを呼んでいるころ、トークショーの受付開始アナウンサーがあり、この次にはゆっくり読もうと会場へ入った。1時から受け付けて1時半からの開始、ふと、後ろを見ると、今読んでいた本の作者、奥様がいらしていた。虫プロの同窓会以来のご無沙汰であったので、ご挨拶を申し上げた。今読んでいた本を書いたご本人と、久しぶりに会えるとはまったく想像できないことで、なにか縁ということばが浮かんだ。
会の中では、松谷社長が1回だけ「後ろに先生の奥様も見えています」と言ったきりで紹介もなかった。終わって、すぐに奥様の横へ行き見守ったが、ゲストの人が、簡単に挨拶しただけで、松谷社長が言葉を交わしていたが、ゲストのドアから控え室へさがられてしまった、奥様一人取り残されていたのでお話を伺うと、「手塚先生のお墓参りに行った帰りで、この会のことを知ったので、寄ってみました」とのことで、見守っていると、一般の人のドアから会場を出てエレベーターを待っていた、お帰りになるのですかと尋ねると「そうです」と答えられた、受付の人たちとは顔なじみらしく、言葉をかけられたりしていたので、私は帰るため、階段で下へ降り、バイクのそばで帰り支度をしていた。すると手塚先生の奥様が一人で玄関を出てきた、まさかお一人では、お見送りの人はと、建物の中を見たが、誰もお見送りしていなかった。また挨拶をしてわかれたが、てっきり車でおいでで、誰かがついているのかと思ったら、まったくのお一人であるいて行かれた。交差点でまさかのバス停で待っている奥様を見かけた。
 帰り道、次第に怒りがこみ上げてきた、なんと言う失礼な人たちなんだろうか、わざわざ立ち寄られたのに、お茶の一杯も差し上げないのであろうか、そのうえお見送りもしないとは、私の想定の範囲をはるかに超えた、礼儀を知らない行為ではないか。手塚先生の講演をしておきながら、わざわざお寄りになってくださった、先生の奥様に対する、これが態度であろうか。不義理をしている私が、「そんなことを言う資格は無い」、と言われるかもしれないが、とても許せる態度ではない。帰宅してから、ますます腹がたって来て、杉並アニメーションミュージアムへ抗議のメールを出した 。

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