真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

台風一過

2009年10月08日 23時24分19秒 | Weblog
昨日の歩数:2005歩
起床時間:7時20分
血圧  :119  65
脈拍  :64
体温  :35.5℃
体重  :64.8kg
---------------------------のち
時々台風が気になり情報を見る
強い台風第18号が、8日3時現在、尾鷲市の東南東約40キロにあって、北東へ進んでいた。
長野県を北上している

7時過ぎまた南太平洋で地震があったようだM8

妻に電話が入り台風でお休みになる。
8時うっすらと晴れ間が覘く
9時25分太陽が照らす。

9時半風が強いし道には枝などが落ち何が飛んでくるか分からない、都心のほうにはまだ黒くもがある。長男を送っていく事にする。
青梅街道新宿方面上空真っ黒な雲が覆い流れているが上空は晴れている。
道路は樹木の枝がたくさん落ちているが通行の妨げにはなっていないようだ通行は空いていて9時50分には長男の会社へ着いてしまう。
蝉丸はまだ閉まっているので素通り
大きな枝など落ちているのが心配で裏道は使わず、大通りで帰路に着く。
青梅街道では行くときには雲に覆われていた山並みがうっすらと見えていた。
上空はすっかり晴れている。
ニュースで台風の進路が東よりになり群馬へとの事、日本海へ抜けず太平洋に抜けるかの知れない。

台風は強い台風から大型の台風に変わったと言う。

強い台風・大型の台風 この言い方判り辛いね。
私的には、強さと、大きさを
レベル1,2,3,4、みたいよんでくれた方が分かりやすいとおもう。

9時50分家に戻る。
10時台風は前橋付近を時速50Kmくらいで東北にとのニュース。
風は強いがすっかり晴れた、一安心。
パソコン
11時風が強いが晴れたので六仙公園へ様子を見に行く。



東の空にまだ雲が残っていて、南風が強く吹いている。

運動広場の法に行って見る。



 長雨で、また池になっていた。強風にあおられて細波が立っている。
 近所の家の花梨の実が落ちていた。

              

11時20分家に戻る。
パソコン
13時半昼食

14時風も収まってきたので様子を見がてらビデオを持ってウォーキングに出かける、
北の空も遠くに雲があるだけですっかり青空。台風一過だ。


落合川に出て地蔵橋のほうへ。行く
水かさはすっかり引いていて少し多いかなぐらいだ。
水が赤土色に濁っている。脇から出ている湧き水は既に清くなっている。上流に行って見る。

地蔵橋からカワセミブロックその広場。やはり水は濁っている。


中央緑色したコンクリがカワセミブロック。今もカワセミが巣作りしている。
 この先御成橋で東久留米駅から来るマロニエ通りを小金井街道まで通す橋をかける工事をしている。そのせいで濁っているのか。

          

 濁ってはいるがもっと上流から赤土色の水が流れていた。
小金井街道の橋の拡張工事のためであった。

          

そのため濁っていた。
濁りを少しでも薄くしようと水を止めていた。



米津寺(べいしんじ)へ向かう。
 あの雨と風では参道の砂利道、さぞ、折れた枝や吹き飛ばされた葉で参道が世どれ手居るだろうと思った。

 しかし綺麗であった。落ち葉一つ落ちていない。それどころか箒で掃いた跡さえない。

              

 掃除奉仕の婦人たちが落葉処理の場所に居た。挨拶をされる。
そういえば前にエンジンつきのブロアーで落葉を吹き飛ばし、集めていたのを見ている。
 そのようにしたので箒の後が無かったのだろう。

まだお参りしていない墓所がある。
江戸時代大名 米津(ろねきつ)氏の墓所である。お参りすることに。
お墓の奥へ行く。思っていたよりは広くない。北端に竹垣で囲まれた一角がありそこに入るとほかとは違う少し大きめな六角した墓が4基ある。そこが米津氏歴代の墓所。
お参りする。

 落馬橋を渡り手塚邸に行く。
落葉などで散らかっていると思ったが綺麗に掃き清められていた。
既に奥様が掃かれていたのであろう
お参りして、黒目川に出る。歩いていて気が着いたが散歩道が馬鹿に綺麗なのである。
まるで掃除したように。嵐の後そんなたくさんの人が出て捧持したとは思えない。

 

 

曲橋手前に来て木々が道に覆いかぶさっている場所に来た。
 そこには枝や葉っぱが散らかっていた。
あの雨が上がった後の強風ではこうなっていなければいけないと、ヘンな安心をした。










コメント
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