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津々浦々 漂泊の旅

「古絵はがき」 に見える船や港。 そして今、バイクで訪ねた船や港のことなど。       by ななまる

清津港の小型客船

2012-02-06 | 日記
30年近く前になると思うが、刊行直後に手にした『凍土の共和国』から受けた衝撃は、今も忘れられない。
故郷訪問団に加わった著者の金元祚氏は、「ドボルスク」「クリリオン」が投入されていた頃に帰国した親族の
追体験をするかのように、「MANG GYONG BONG」でチョンジン港に上陸する。神戸港の賑わいを知る著者は、
山腹に掲げられたスローガンの目立つ、うら淋しい港としてチョンジン港を描いている。著者の故郷訪問は、副
題にあるように「幻滅紀行」となってしまう。
インターネットの普及で、地球上どの地域も見ることが出来るようになろうとは、思いもよらぬことだった。
グーグルアースで見ると「MANG GYONG BONG 92」は、ウォンサンとナムポに船影が確認できる。チョンジンには3つの
港が見える。市街西側のキムチェク製鉄所に隣接する港と、中央部の軍港(?)は掘込みだ。東側にある港が
戦前からある商港である。





1925年前後に発行されたと思われる絵葉書と、1930年発行「地理風俗大系17」に掲載の清津港。1930
には、内港に作業船の姿があり、防波堤建設が進んでいる最中と思われる。埋立は未着手である。



1935.06発行「朝鮮郵船パンフレット」に掲載の港湾地図を見ると、防波堤は完成し、大型船は埋立地の
岩壁(赤印)に接岸する。第一次帰還船として1959.12.16チョンジン港に入港した「ドボルスク」「クリリオン」
や、1971就役の「MANG GYONG BONG」は、残された画像を見ると、ここに接岸したようだ。





大型船接岸岩壁完成後の清津港で、2隻の小型客船が記録されている。手前に見える国際運輸「新興丸」
は清津~羅津~雄基航路に活躍した。2隻はほぼ同じ大きさに見える。『造船55年(名村造船所)』には、
1933北鮮運輸100G/T型鋼製旅客船「新興丸」を建造したとある。
船名録S9~16版(S12除く)によると船主は田宮善三。S12版、17、18版では佐藤良三となる。佐藤良三
は「第一國運丸」も所有する。S17、18版は関東州籍としての記載もあり、ダブル記載になってる。こちらは
国際運輸所有となっている。佐藤良三の「國運丸」は国際運輸の略と見られ、いずれにせよ、二者は国際
運輸関係者と思われる。





羅津港仮桟橋に着桟した「新興丸」。操舵室前面には行先が表示されている。社紋はこのとおり。1934.07
のスケジュールは清津10:00発~羅津13:30着発~雄基15::00着/15:30発~羅津17:00着発~清津20:30着。
「毎月3日定期休航」となっている。
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