マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

敦煌出土ぺリオ・チベット文章の謎

2009-02-19 09:44:16 | 古代史

森安孝夫氏の「シルクロードと唐帝国」の中に、極めて興味深い記事があった。そのチベット文章という資料は、フランスの探検家ぺリオが敦煌で発掘し、現在は英国図書館に所蔵されているという。細かい事はともかくとして、五人のホル人(恐らくはソグド人)がホル王の命令で敦煌を出発し、チベットの北方にどのような国があり、どんな王がいるのかを調査したものと言われている。中身について細かく述べるスペースはないので、今日は添付した地図に、Ⅳと書かれた使者が残した情報をお伝えしよう。

①その(ウイグル国、つまり自分の国)の北方にはバスミル語部族がいて、ウイグルとかカルルクとの三者が共謀し、突厥の王を打ち破り、バスミルの族長が可汗になった。それからウイグルとカルルクによりバスミルの可汗が殺され、バスミルは分裂する。そのバスミルのなかのゲスドウム族とバヤルク族は強い国で、カルルク族は支配下に出来なかった。

②これより(バスミル国)北方にいるゴコク族は誰とも争わない。その西には10ほどの部族がいる。あるものは国が強く、あるものは大きな谷、あるものは国がよくて大きい牧草地。

③これらの北方には砂漠性大山脈地帯。

⑤その向こう側には天の帝王の二部族がいて、突厥の王である射摩可汗が国が安定していたころ、軍隊をその方向へ導いたが、軍隊は通り抜ける事が出来ず、二人りの人が迷子になり、さまよい行くと、雌ラクダの足跡と出くわし、ついて行くと、雌ラクダの一群がいる近くに婦人がいるのと出会い、トルコ語で話し合い、案内してもらいついていった。

野生草食動物を狩りに行っていた犬の一群が戻ってくると、犬たちは二人の存在を鼻で嗅ぎつけた。そこで婦人は二人に犬たちに敬服させた。それから犬たちは、10頭の雌ラクダと必需品全部と無人の砂漠性山脈を越えるための水を積んでやって二人を出発させ、無事にトルコ国へ帰着した。

最初の犬は天から降りてきた。赤い犬と黒い犬との二匹が峠に下りて、妻には牡狼を見つけて与えたが、子供には恵まれなかった。そこでトルコ人の家庭から一人の娘を強奪し、その娘と暮らしていると、息子として犬が生れた。女の子供は本当の人間に生れた。赤い犬の一族はキジルクチュといった。(トルコ語で「赤い子犬」の意味)黒い犬の一族はカラクチュ(黒い子犬)といった。犬と女はトルコ語で会話し、家畜などや財産・食糧は女が調達して使った。その向こうに人がいると言う話は聞かなかったHorujinntizu。(P321) 地図はクリックしてもらえば大きくなります。

長い引用で申し訳ないが、Ⅳの道のりを説明するには全文を書く必要がある。

まず、⑤がすべてであるが、おおむね760年ごろの事と思われる。地図を見てもらうと、上のほうに「赤犬・黒犬伝説の国」とあり、もちろん確定は出来ないが、そのあたりに犬をトーテムとする部族がいて、トルコ語を話す天の帝王の二部族がいたことになる。

この伝説の国から真東に向かえば、そこは樺太に近い、アムール川河口に到着する。日本は昔、狗族が支配したと言われるが、まさにその源流を見る気がする。アムール川からやってくることを天降る、つまり、アムールという。この道こそが、栗本氏の主張する草原のシルクロードではないのか。

まさか、犬が草食動物を狩りに出かけるわけはないから、これはいうまでもなく狗族がそこにいたのだ。彼等のところへ突厥が軍を送っても近づくことすらできなかったと書いてある。

現在のロシアの地図で確認すると、エニセイ川の始まり、クラスノヤルスクという都市に行き当たる。ご承知の通り、ロシアは鉄のカーテンが下りて以来、なかなか内部を伺う事は出来ないし、ましてや寒い地域であるから、訪れる人も少ないであろう。しかし、地政学上、このあたりはハートランドと呼ばれ、最重要な地域ではないか。

あくまでも仮説の域をでないが、私の探しているものがここにあるのかもしれない。非常に大きなロマンを感じる地図であり、資料ではないか。

また、地図の右上、ダスレと書かれている国がある。朝鮮史にも、中国史にも登場しないが、じつは高句麗の奥にそれらを動かしている国があったのかもしれない。習わなかったからそこに国がないわけではない。あったのかもしれないではないか。

仮説ついでに言ってしまおう。まず、世界の支配者をこの「赤犬・黒犬国」としよう。そして、その召使、が地図にある「巨人国」、即ちアルタイ部族である。これが支配人である。支配人は南に広がる広大な中央アジアをソグド人を使って支配した。これが当時の世界支配構造だった。どうでしょうか?わかってもらえるでしょうか。

ちょっと暇だったので、そのクラスノヤルスクを調べてみると、やはり、シベリア縦断にはここを通る必要があり、大変に重要な地域のようだ。そしてグーグルで眺めてみると白くぼかした軍事上の秘密基地?あるいは、ミサイル基地があるようだ。現在でも市民が近寄れない何かがあるみたい。http://homepage2.nifty.com/enisei2580/centersib1.html

には、「クラスノヤルスク26市、クラスノヤルスク45市という地図にも載っていない軍事秘密都市もできました。核弾頭用ウランやプルトニウム工場を作り、同時にそこで働くための技術者や労働者のための住宅を作り、その人たちが生活するための店、学校、病院、コルホーズなどを作り、周りを鉄条網で囲み、出入り口を一つだけつけて閉鎖都市としたものです。

 ソ連時代は、誰もその町のことは知らないことになっているどころか、そもそも存在しない町で、外国人はもちろん、ロシア人でも許可がなければ入れませんでした。

 26市や45市だけではなく、1991年のソ連崩壊までは、クラスノヤルスク地方全体が、軍事的重要産業が集中しているため、外国人は入れないことになっていました。アルミも機械も電力も軍事利用が優先されていたわけです。

 戦後強制抑留者達のお墓もたくさんあるのですが、91年までは、墓参団も普通の旅行者も入れなかったのです。今では、もちろん、自由に訪れることはできますが、ジェレズノゴルスク市(元の暗号名のような26市が、まともな固有名詞に改名した)と、ゼレノゴルスク市(元の45市、実は、私はここにペレストロイカ後の『混乱』期1992年から94年まで住んでいた)は、今でも閉鎖都市で、出入りには、モスクワの関係省庁の許可がいります。」

とあります。たまたまかもしれませんが、何かと秘密の多い都市のようです。あやしい・・・・。