マヨの備忘録・・・マヨのぼやきから

いろいろあったな・・・真実を知りたい!この一心で始めたブログだったが、知れば知るほど世の中の闇は深くなるばかり・・・。

陰謀史観について

2009-02-25 09:39:19 | 陰謀論

正統派右翼の雑誌、「月刊日本」が着いた。左翼を自認する私めが何故?とお思いでしょうが、なぜか、それほど違和感なく読めるからおもしろい。今月号(3月)は植草教授の竹中批判がメインかな?彼にはそれを言う権利があるし、当時から一貫していたので、今ごろ小泉批判をするようになった評論家とは迫力が違う。彼の主張が正しかった事が今証明される。

「政府貨幣発行特権」についても丹羽春喜氏が、「これぞ打出の小槌」と評価している、残念ながら実現する事はないだろう。しかし、政府紙幣発行に反対する人たちの名前だけは、どこかに書いて保存しておくべきだろう。

さて、私の楽しみは落合莞爾氏の連載、「偽史」で、今月号は特におもしろい。

ひとつは陰謀史観について、かつて、大手出版社の編集長と協議した時、「そんな陰謀史観は、今時の読者がいやがるのでねえ」と言われ、それっきりにした事がある、と述べているが、「一般読者は性単純で権力仰合的なため、世の謀略を認めたがらず、殊に権力者の謀略の存在を否定したがる。出版社は陰謀史観は大衆向きの売文商品として不適当なので、出版社はいきおい陰謀史観を排除せざるをえない。結局書肆に溢れるのは、通俗の売文書で、御用学者がこさえた教科書史観に所縁の史料を当てはめたものばかりになる・・・・・」、つまり、彼は自分は陰謀史観であると認め、大手出版社を批判している。陰謀があったことを証拠立てる文献がないからと言って、陰謀がなかったことを意味するのではない。落合さんを好きなのは、あえて陰謀史観と自分を位置づけることで大衆を排除し、本当の真実に近寄りたい人だけを相手にする孤高の作家であるところだ。

さて、今月号のハイライト(言い方が古いね)は、東洋のマタハリと呼ばれた川島芳子が処刑されていなかったと言う話題である。彼は以前、吉薗周平のメモから、「藤山愛一郎が周恩来と会うにあたり、吉薗に「周に会うが、何か聞いて欲しい事はあるか?」と問われ、「川島芳子が生きていると聞いたが、その真否を聞いて欲しい」と答えたと言う。そして、藤山が周にそれをたずねると、「そんなことは答えられるわけがない。」と言いながらも、指で空中に丸を描いたという・・・・・」

この記事に対し、ようやく事実が明らかになりつつあるのだ。新聞にも載ったが、川島芳子は吉林省、長春で昭和五十三年まで生きていたようだ。(ここから引用)

北京15日時事】満州国建国にかかわった旧日本軍のスパイで、1948年に北京で処刑されたはずの「東洋のマタ・ハリ」こと川島芳子が、処刑を逃れ、中国東北地方の吉林省長春(旧新京)市で1978年まで生きていたとする証言が飛び出した。同省の日刊紙・新文化報が15日までに報じた。芳子をめぐっては処刑直後から替え玉を使った逃亡説がささやかれてきたが、その後30年間も生存していたという証言は初めて。

証言したのは長春市の女性画家、張※(※=金ヘンに玉)さん(41)。張さんの母(64)は残留日本人孤児で、引き取って育てた男性が2004年末、 86歳で亡くなる直前、義理の孫の張さんを枕元に呼び「お前が小さいころ世話をしてくれた『方おばさん』は実は川島芳子だ」と明かし、「方おばさん」の形見の品を託したという。 

11月15日14時35分配信 時事通信・・・・引用終わり。元記事は削除されていますので、よそのブログからコピーさせていただきました。

歴史にはこのように裏があるのだ。何があっても驚かない日頃からの洞察が必要なのだ。

ヒットラーは本当に自殺したのか、イラクのフセインは本当に処刑されたのか、オサマ・ビン・ラディンはまだ生きているのか?などは、もっと真剣に疑うべきなのだ。

私はこのブログでいろいろ過激だと言われる発言をしてきたが、いつの日かきっとわかってもらえる時が来るだろう。落合さんの諸説が真実であると証明されることは、実にさわやかで、痛快極まりない事だ。