今日の言葉
群れたり、慣れたり、頼ったりすると、迎合しなくてはなりません。力を抜いて心を空っぽにすることができなくなります。
堀文子「99歳、ひとりを生きる、ケタ外れの好奇心で」より
9月11日(土) 晴 休日
今日は
「警察相談の日」(警視庁)
全国の警察署で相談窓口を設置
歴史上の出来事
1862年(寛政12年)
幕府派遣の留学生が長崎を出帆
1930年(明治33年)
公衆電話が初登場
東京の新橋駅と上野駅構内に初の公衆電話が設けられた。当時の名称は「自動電話」。交換手を呼び出し、お金を入れて相手につないでもらうもので、1通話5分以内で料金は15銭だった。そばが2銭、手紙4匁(15g)までが3銭の時代だけに、相当に高い電話代だった。
1925年にダイヤル式電話の登場後公衆電話と呼ばれるようになった
1937年(昭和12年)
後楽園球場開場
1949年(昭和24年)
岩宿遺跡の発掘
岩宿遺跡 │みどり市岩宿博物館 https://www.city.midori.gunma.jp/www/contents/1000000000589/index.html
1985年(昭和60年)
ロス疑惑の三浦和義容疑者逮捕
2001年(平成13年)
同時多発テロで、110階建て世界貿易センター崩壊
デフレーションの原因
①金も首も回りません
「カネは天下の回りもの」とよく言われますが、お金は流通してこそ価値が出てきます。守銭奴と言われた人は、金に執着、手元に置いて眺めています。原資は増えないけれど、それを元手に投資、高額商品の購入など眼中にありません。アベノミクス用語「トクトルダウン」”上が貯まりそれが落ちてきて下にいる人も潤う”というものでした。しかし、なかなか落ちてこないのが現状です。原因は企業の内部留保と裕福な高齢者のタンス預金です。
働くひとにとって暗黒時代の令和です。サントリー新浪社長「45歳定年を提言」、経営者は、会社の利益と株主の配当を柱に据え、社員の待遇は二の次にするのが現代風です。企業の捨て駒としての価値しかない”派遣社員”を作り出し、利益の調整弁にしました。そこには、「搾取の思想」、それはいつの時代にもありました。庶民が蜂起しない程度に富みを与え、残りは自分のフトコロに入れるのが支配する側のやり方でした。今も同じです。下級国民は余裕ある暮らしは夢物語になりました。とくに、コロナ禍になり、より”貧しさ”が当たり前になり、抜け出すのにもがいています。
「生産性が上がらず、売上が上がらず、給料が上がらず」
三つを解決すればこの「ず」、笑顔が戻ります。
②日本は物品とサービスが安すぎます
インバウンド景気を懐かしく思い出しています。”爆買い”というフレーズがはやりました。コロナが襲来する前は、”世界の国からこんにちは”状態でした。通勤コースの新宿では、旅行カバンの車のガラガラの音と外国語の音でとても賑やかでした。
インバウンドを振り返ると果たして日本と日本人は利益を得たのだろうかという疑問がわいてきました。わかりやすい例がディズニーランドの入場料です。比較すると、日本は8200円、フロリダは14.500円、パリ13.800円、上海13.200円になります。この数字をみて愕然としました。8200円という金額は私のコンビニのランチ代と同じです。現在の日本人は少し高すぎないか、これが実感だと思います。
タイの女性が話していた内容を紹介します。
上海より東京のディズニーランドにくる理由がありました。治安、清潔、親切、それ以上に魅力を感じたのは物価の安さだそうです。
それは、低賃金、長時間労働でこき使われる従業員が支えているからこそできるサービスです。それなりの給料が支給されれば気持ちよく働けます。しかし、最低賃金でもめている国ではそれも無理な話しです。従業員の給料を労働の対価として払えるような、値段設定も必要な時代が到来しました。ちなみに、ニューヨークのラーメンは2千円日本の倍いじょうの値段です。げんちで食べるとしたら”ハーフ”にします。
カネの流通と賃上げ、この二つがデフレ脱脚の第一歩になります。
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