相方と出会ってから、かなり変わった私の人生。
感謝祭・クリスマスなどのホリディに限らず、
何かとファミリーの時間があり 、
そのファミリーの輪の中に、こんな異端児の私を
温かく受け入れてくれている相方ファミリーたち。
うちの両親は、私がまだ小さかった頃に離婚した為、
父の記憶は・・・私にはほとんど無い。
ゆえに、私にとって『父』という家族は、
物心がついた時点でもう無いものだった。
唯一、何枚か残っていた父の写真も、
私がこっそりと見ていたコトに気づいた母が、
まとめて庭で燃やし、灰と化した・・・。
小学生の頃、『父の日』に書く作文が嫌だった。
『うちにはお父さんが居ないので書けません』
と先生に言うと、
『じゃ、お母さんの事でいいよ。』
・・・って、母のコトは
母の日に作文書いたじゃん?みたいな。
これ以上、母の何を書けと言うのか・・・。(笑
困っている私を見て先生は、
『お祖父さんか、お祖母さんのコトでもいいよ?』
お祖母ちゃん子だった私は、
間違いなく、母のコトではなく、
祖母の作文を書いたと記憶している。
その後、若い頃の過ちで結婚したりして、
お義父さんという存在が私には出来たりもし、
息子2人しか居なかった義父は、
初めての娘に大感激で、
それはそれは可愛がってもらったのだが、
男親というものに慣れていなかった私は、
そんな義父の態度には躊躇するばかりであった。
2度目の結婚(またしたんかい・笑)でも、
義父との関わりはあまりなく、
家族の強い絆~みたいなものとは無縁だった。
相方と出会う前までのホリディというものは、
ひとりぼっちで過ごす日だった。
・・とは言え、有難いコトに友達が、
ひとりぼっちの私を気遣って
感謝祭に、クリスマスにと招いてくれてはいたけれど、
それでも私の心の中はからっぽだった。
ってか、正直なとこど~でも良かった。
当時、前夫との離婚調停の手続きや、
アメリカに残るために、
移民局との付き合いも色々とあった。
私が取ったグリーンカードは、
婚姻ベースのグリーンカードだったため、
新しいカードへの切り替え時期に
別居・離婚が絡んだお陰で、かなり難航した。
移民弁護士を雇うような余裕はなく、
辞書をひきながら、移民局のウェブサイトに目を通し、
とにかく1人で全部やった。必死だった。
小さな歩みながら・・・まともにご飯が食べられる
そんな小さな幸せが見え始めていた。
でも、やはりホリディがやって来ると
私は何処へ帰れというんだろう・・・
私のHOMEは何処にあるんだろう・・・
同じ言葉が、同じ疑問が
頭の中で何度も何度も繰り返す・・・
Home (清水翔太)
そんな頃に、縁あって
相方に出逢った・・・
凍りついた心が、少しづつ溶け出して行く・・・
心優しい相方と同じように、
私を本当の家族のように受け入れてくれる人達・・・
相方と、そして相方の家族と出逢えてから、
ホリディは、自分も含めた家族の日になった。
そして私は今、
相方の側にいる事が
相方のいる此処が
This is my home
可愛いリリィも側に居て
このずっしりとした重みも、
青い空も、流れる空気も・・・
生活の中の、小さな小さなちょっとした出来事が、
全てが私を幸福にしてくれている。
お母さん、私はやっとHOMEを見つけたよ。
あなたの娘は元気です・・・。