神戸、さんちかの様子とのこと。
大阪・神戸はもとより、東京でも人があつまる場所ではこんな感じらしい。
国会では議場に入る際の手の消毒とマスク着用が義務付けられたという話も聞いた。
なんか、おかしくないだろうか。
花粉症であるとか、ノドが弱いとかでマスクをするのは理解できる。
が、インフルエンザウィルス感染予防で、街を行く人のほとんどがマスクしているって・・・・・。
元来、マスクは「罹患してしまった人がするもの」なんじゃないのだろうか。
先に感染が広がったアメリカ。
マンハッタンの風景には、マスクマンはいないように見える。
・・・・・マス情報が脅威をあおりまくったインフルエンザ・・・
そんな気がしてならない。
医学のことも、細菌のこともろくに知らない私がこういうことを書くのも
不遜なような気はするが、それでも街の写真は、私の目には異常というより
不気味に見える。
運悪く罹患してしまわれた方には心よりお見舞いを申し上げたいし、
今、多数の感染者が出ている地域の方にすればひとつでも多くの予防策を
求める気持ちも充分に理解できる。
私の住むところはまだ感染例は発表されていないが、普通に考えればそんなものは
時間の問題だ。
人の動きがある以上、シャットアウトなどできようはずもない。
人口密度の差による「早いか遅いか」だけの違いだろう。
ドラッグストアには開店前からマスクを求める人が列をなし、
我先にと売り場へ走る。
この光景は、オイルショックのときにトイレットペーパーを買うための
行列ができたことに酷似していないか。
「不安」を持った人間は弱い。
タイミングよく(悪く?)その不安を情報に煽られると、人は簡単に不安解消の
ための行動を取る。
行動が集団化すると、さらに「乗り遅れてはいけない」という別の不安が
動きに拍車をかける。
マスコミが悪いとは言わない。
だが、こういう時こそ「安心」を発信することが重要なのではないのか。
ただでさえ未曾有の不況で、生活自体に不安が蔓延している今だからこそ。
もちろん、気休めのいいかげんな情報ではダメだが、
不安を煽らない表現方法はいくらもあるのではないだろうか。
どうも、情報の質がネガティブに感じられてしようがない。
マスコミ自体が「しっかり危機感を発信しておかないと、
ことが重大化したときに責任を問われる」
というような不安を抱えているようにも見える。
あるいは、危機感を煽らないと視聴率が落ちる、という不安なのか。
・・・いつごろから、日本人はこんなにネガティブな情報が好きになったんだろうか。
※本記事は、あくまで私個人の思いであり、特定の媒体・行政・企業・個人および団体を
批判する意思は一切ありません。