経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

夫婦別姓提唱への不安と危惧

2021-01-07 14:48:32 | Weblog
夫婦別姓提唱への不安と危惧

 上記の主題についてまず標語風に随意に羅列して述べる。理論の詳細はいずれ後日に。
1 何を今さら別姓か?
2 共産主義の近道
   エンゲルス、「国家、私有財産、家族」
3 帰属意識の否定
   治安と平和、親子も別姓、孤立した群衆
4 生産単位の弛緩
   気楽にコミュニケイトでいる集団の必要性
5 帰属意識とは年月をかけて作るもの。過去からの由来。
6 異質な者の合同 だから向上する
7 ネ-ミングの意味 類と個
   概念がなければ個別はありえない 個人意識の消滅、差異がなければ同一はない
   むしろ個の消滅、全体の中の位置づけが欠如
8 資本蓄積の否定 次世代への配慮の欠如
9 単婚だから一系
10 凝集性の欠如は独裁へ至近距離
11 婚姻儀礼の否定 儀礼全般の衰退 帰属意識の低下
    儀礼は集団維持の根幹
12 (不)合理にくっついている部分があるから関係は持つ

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行



日本史入門(17)元禄時代

2021-01-07 14:48:32 | Weblog
日本史入門(17) 元禄時代

1 好景気で華やかな元禄時代。町人が富み力をつけ文化が咲き誇る大きな転換期。室町戦国時代は経済の活発な時代、海外貿易も盛況、明国で銅貨が枯渇するほど日本の貨幣需要は膨大。16世紀日本国内で金銀を大量に産出。日本、新大陸、そして他地域で銀生産量を三分。決済通貨は銀、主要交易国は中国、輸出品は金銀銅鉄蒔絵螺鈿等細工物、輸入品は高級生糸と陶磁器。余談、銀生産地新大陸は白人に征服され原住民は虐殺され奴隷に、日本に武士階層がいなければ日本はどうなっていたか。
幕府が正式通貨を作る、金銀銅の三貨体制。金1に対し銀が7から8の比価、銀は重量換算、金一両(金含有量16gr)は銀50-60匁(1匁3.75gr)、銅4貫(一貫千匁)。大阪西国は銀通貨圏、江戸東国は金通貨圏。幕府は全国の主要鉱山を押さえ金銀銅の貨幣を大量に発行。幕府の通貨は中国の貨幣を駆逐。小判一分金寛永通宝などの貨幣、和同開珎皇朝十二銭以後始めて日本で正式に作られた貨幣。正式通貨の発行、日本経済の自立。中国との交易では銀と生糸の交換。日本では生糸絹織物生産技術が発達し、中国は日本銀の流通により経済を活性化。交易で共に栄える。
2 大量の通貨発行、通貨流通量は増大。インフレ気味、作れば売れる経済。農民は金になる商品作物を栽培。木綿、菜種、煙草、茶、酒米、藍、紅花、櫨、麻、桑、塩、砂糖。付加価値を付けやすく、米より高く売れる。商品作物の栽培、農村加工業の発展。幕府の大名窮乏化政策が加わる。参勤交代、武士の都市集住、需要増大。大名は経費捻出に苦労。武士層から農民町人層への富の移転、社会の大衆化。
商品作物の加工販売、庶民は豊かに。幕初には七公三民の年貢率、元禄期には三公七民。米の収穫は把握できる、商品作物の栽培加工過程は複雑。農民は堂々と脱税。当時の日本海側では鰯や鰊が大量に取れた。鰯鰊の大部分は肥料に、金肥。商品作物は肥料を食う、金肥で大量の作物栽培が可能に。藩内で一揆を起こされては統治能力なしとして取り潰される。大名は農民に過酷な要求はできない。大名も農民の経済行動に同調、商品作物の栽培加工による利益に関心。江戸時代前半で人口は1・5倍以上増大。農業革命、イギリスに先行すること100年。
3 農民の階層分化。好景気、有力百姓に従属する農民が自立。核家族単位で農業経営が可能に。新興自作農の出現。農村の繫栄は町人の富裕化と併行。加工製品は都市で消費され、農村の購買力は上がる、加工業の更なる発展。特権商人に代り、新興商人が台頭。富裕になった町人農民相手の商売。代表が三井財閥の家祖三井高利、1673年江戸で呉服店越後屋を開く、店頭販売、切売可能、現金決済、掛け値なし、庶民相手の商売。
 農民町人は富裕になり武士は相対的に貧困に。武士の俸給は米払い。庶民は米以外の商品(諸色)を作り売買、諸色の値が上がっても支障なし。俸給を米で規定される武士の生活はついてゆけない。経済の繁栄、富裕な生活とは、主食以外の商品である諸色の生産流通消費が増えること。農民町人は裕福に、武士は貧困化。
4 元禄時代、徳川綱吉の治世は大きな転換期。幕府や諸藩は財政危機。幕府の金蔵は四代家綱の時空っぽ、五代綱吉の治世の実態は財政問題への対応。彼は財政を最重要課題と明言。財政専管の勝手方老中を置き、この職を老中筆頭首相にあてる。勘定奉行の下に勘定吟味役4-5名を置く。彼らの役目は徴税の厳格化。代官は土地の有力者の請負で徴税規律は緩く代官が着服。綱吉政権は代官の不正に厳しく対処、代官を直接任命。財政問題が重視され勘定吟味役が置かれる、勘定方は低い地位の武士の昇進経路に。
5 幕府財政問題改善のためのもう一つの手。金銀貨の中に含まれる金銀の実量を減らし、金銀貨の数を増やす。勘定奉行荻原重秀の発案。幕府財政は改善、好景気インフレ。農村の発展。経済拡張は流通貨幣量の増大を要請、でないと商品は売れない作れない。荻原の政策は平凡な儒教道徳からみると一種の詐欺。次代の家宣の政治顧問新井白石は荻原を非難、貨幣の金銀含有量を元にもどす。猛烈なデフレ、武士庶民は困窮。
荻原と白石の貨幣をめぐる論争、政治とは何かという論争。白石は貨幣の価値は含まれる貴金属の量で決まると、自然価値説を主張。荻原は貨幣の価値は国民の経済力が決めるものと、一種の法定価値説に立つ、この言説は社会の富裕化大衆化を前提としてのみ可能。荻原の説は革新的、政府は積極的に財政や経済に関与できる。八代吉宗以後の幕府当局者は試行錯誤を繰り返しつつ経済に介入。荻生徂徠も荻原の考えを肯定。綱吉の治世以後財政危機に直面した武士は経済と真剣に取り組み始める。
6 綱吉の時代はもう一つの転機。開幕以来100年後、経済を支える技術、灌漑開墾や商品作物の栽培技術が一つの頂点に。技術上の隘路との格闘は幕末まで続く。対処の一つが蘭学の解禁。八代吉宗は蘭学解禁に着手、医学農学等自然科学関係のオランダ語書籍を解禁。成果の一つが青木昆陽によるサツマイモ栽培の提唱。ドイツのジャガイモ同様、飢饉に際し多くの命を救う。生産技術の隘路克服では田沼意次がずばぬけて熱心。
7 湯島聖堂の設置。綱吉は武士に学問を普及すべく努める。綱吉は僧形を強いられた儒者に束髪を許可。儒者は武士と同質同等の身分に、儒学を武士一般に開放。徹底した文治政治。経済財政を重視する政策は武士を商人化させ武士の吟持を失わせかねない。それに歯止めをかけ武士が治者としての自覚を深めるために綱吉は学問を奨励。学問を普及させないと官僚は養成できない。学問愛好の風潮は農民町人の間にも急速に広がる。伊藤仁斎、石田梅岩、山片バン桃、中江藤樹、本居宣長、二宮尊徳そして大阪の懐徳堂。湯島聖堂は松平定信の時昌平坂学問所として幕府官吏の養成機関となり、維新後は東京大学に。
8 綱吉は社会福祉政策の開始者。捨て子保護。牛馬の斃死を見るにしのびず動物保護、生類憐れみの令、路上で喧嘩し食い合いする犬の野蛮な光景、特に捨て子を犬が食う光景を彼が嫌悪して定めた法令。家格で俸給を決めず、高位に就いた分の給料を足し上げる足高制は綱吉に始まり吉宗に受け継がれる。農地の質入を禁止、農民の耕作権を保護。勘定吟味役の職務の一つは、村の有力者から農民を護り自作農を育て税収を確保する事だった。国絵図を作り貞享暦を採用。綱吉は文治主義の名の下に幕府政治機構の中央集権化を推進。綱吉の時代は幕府政治の危機転換期。彼はこの危機を克服すべく幕府権力でもって財政経済や土地制度に介入し福祉政策を推し進める。
9 江戸時代初期商品作物の栽培加工が盛んになり富は武士層から庶民層に移転。庶民は裕福になり武士は相対的に貧困化。幕府は経済に介入。貨幣改鋳、中小農民の耕作権の保護、教育の重視、福祉政策など政府の中央集権化、大きな政府へ。

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行


日本史入門(16)武士道、男道

2021-01-07 14:48:32 | Weblog
日本史入門(16)武士道、男道

1 封建制度の情緒的側面。主題は四つ、かぶき者、念者、殉死、切腹。
2 武士は戦士戦闘技能者。将兵ともに死を共有するのが戦士。死ぬかもしれない、死もやむをえないという志しの共有。でないと戦闘できない。弓矢とる身の定め、もののふの道。戦国時代が終り戦士の役割が後退、武士の官僚化。反動的に武士が戦士であることが強調され、かぶき者が出現。戦士の姿を強調した異装、集団で団結、戦士である事の誇示演出、主君よりも集団の掟を重視、喧嘩大好き、戦をしたくてたまらない。官僚化、戦士の役割が減る、自己に疎外感を抱く武士達の自己主張。前田慶次郎、大島逸兵衛、水野十郎左衛門。捕えられても仲間の名前や掟は口外せず、死は覚悟の上。幕府は手を焼き弾圧。戦士意識は封建制度の根幹をなす精神、が治安維持も重要。かぶき者はやがて退場、代って町奴が出現、任侠道。徹底的に男を演じて団結するかぶき者のあり方は同性愛的。武士を歌舞伎者という存在を通して見てみる。武士は主君に服従、一方戦士としての同志には徹底的に平等な態度。主君も家臣も原則的には平等。この動向は幕末維新に爆発、処士横議。
3 念者(ねんじゃ)は、念う(おもう)者。念うとは同性を恋い慕う事、念者は同性愛者。同性愛が盛んになるのは武士台頭以後。保元の乱には鳥羽上皇と藤原頼長の恋人が絡んでいた。織田信長には森蘭丸他の恋人、徳川家光は同性を好んで女を近づけず、幕府主脳は後継の存続にひやひや。忠臣蔵の浅野長矩、磯貝十郎左衛門という恋人を持つ、長矩死後磯貝は敵討ちの急先鋒。江戸時代前半、前髪だちの小姓といえばまず殿様の念い者。井原西鶴「男色大鑑」、男色とは同性愛。
念者関係では年下の者は前髪を垂らした髪型、武士の幼童時代の姿をとる。前髪は年上の恋人の了解なしには切れない。前髪を切る事は念者関係の解消宣言、殺されても仕方ない。荒木又右衛門の伊賀鍵屋辻の決闘、大名旗本の同性愛関係がこじれた挙句の果て。念者が相手を変える、凄まじいことに、決闘切りあい殺し合い、血の雨が降る。友情と嫉妬は紙一重。武士は戦場で死を共有、死という一点で結ばれる、団結心と忠誠心。死の共有を基点とする同朋意識の基盤が同性愛。愛する事において皆平等、だから死ねる。同性愛が盛んなのは日本の江戸初期と古代ギリシャ。テ-ベの神聖部隊、同性愛者を一対に組ませる、勇猛果敢。
4 殉死、主君が死去、臣下が続く、武士の時代に盛行。北条高時が鎌倉幕府滅亡に際して切腹、500名の武士が続く。楠正成が湊川で自刃、70名の武士が死を共に。殉死は戦国期も盛ん、江戸時代も当然の事。徳川家光死去に際し幕府主脳が殉死、人材が払底し政策の継続性が保証されない。殉死は禁止。奥平貞昌死去に際し重臣数名が殉死、幕府は2万石を減封。家代々の重臣は殉死しない。低い地位から主君に取り立てられた者が殉死、主君に寵愛され取立てられたから恩に報いて腹を切る。寵愛とは多くの場合同性愛関係、殉死は念者関係と重なる。同性愛関係になくとも主君に引き立てられた場合には殉死するはめにも。幕府が殉死を禁止して混乱が生じた。森鴎外「阿部一族」参照。
5 切腹は武士の死の作法。多分蝦夷追討のおりに彼らから学んだのだろう。蝦夷から習った最大の文化は優秀な鉄剣と騎射戦闘。蝦夷には敵を倒すと敵の首を掻きとり高く掲げて凱歌を唱する習慣があった。蝦夷征討従軍の兵士はこの習慣を持ち帰る。首級を提示する事は自己の勇気の誇示賞賛、同時に敵への礼節。切腹も同様。切腹する機会は二つ。敗死する時と、主君から命じられる時。敗北時降伏を拒んで切腹、敵との対等性を主張。主君からの切腹命令は刑死ではない、自己の意志で死を選ぶ、主君と対等という意志表明。切腹は馳走、与えること、自分の命を主君同輩敵に与え馳走する。北条氏滅亡の時切腹の馳走が行なわれた。主だった将士が腹を切る、命のある間に大杯の酒を飲み、次の者に盃を回す。盃を受け取った者も同様に腹を切り酒を飲んで盃をまわす。切腹は供与、生命の供与。切腹に際し苦痛を和らげるために介錯。腹を切る、同時に首を刎ねる。肝要な事、首の皮一枚は残す。完全に首を切断すれば刑死、切腹する者を侮辱、介錯人自身が切腹するはめにも。殉死も切腹。切腹には三つの意味。生命の供与、死を与える敵や主君に対等である事の明示、同朋意識の表示。切腹は同性愛感情を濃厚に含む行為。
6 かぶき者、念者、殉死、切腹を一括して語った。闘争、平等な個人、連帯と誓訳、集団形成、肉体による媒介、などの社会形成のための重要な要因が含まれる。これらの要因を統括する事項が死、死の共有。死の共有により連帯感情が育つ。死を共有、連帯感情を肉化、同性愛。肉体の共有により死は容認される。武士道の深層。戦士無くして共同体形成はあり得ない。
7 武士道は戦闘技術者としての職能意識、死を共有する者同志の対等性と連帯感情、土地経済財を媒介とする契約による人格の独立などの要因からなる。

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行