経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

民主党への忠告

2015-10-28 17:44:55 | Weblog
  民主党への忠告
 松本元外務大臣が民主党を離党した。岡田代表による党運営に賛成できないからだ。ここで民主党に率直に忠告する。中立非戦方針をやめよ。8・9月の国会での民主党の対応を見ているとこの党は結局「反戦中立」であるとしか言いようがない。日本が自国を護るために米国と同盟するのは国家として当然の営為である。世界中を見渡して軍事同盟を結成していない国はまずない。米国との同盟を否定することは結局のところ、自国の防衛を否定するに等しい。民主党は「反戦中立」を党是としていることになる。反戦中立、どこの国とも同盟せず偏らず戦争はしない、これは理想である、同時に麗しき幻想だ。神話とも言っていい。
この幻想の淵源はマルキシズムにある。マルクスは、革命が成功すれば働かなくても食える理想社会が出現するといった。(能力に応じて働き欲望に任せて食う)この空虚な理想の末裔が民主党のいう「反戦中立」だ。
 「反戦中立」を掲げる限り現実的な政策は打ち出せない。常に理想が優先され現実的な政策処方は、理想でないとして否定されるからだ。結果として、なんでも反対、決められない、ことになる。あるのは喧々諤々の空疎で無責任な議論演説だけだ。
 政策とは何か。政策とは現実の一部を動かしてゆくことだ。念のために言えば全面的に動かすのではない。全面的なら革命だ。政策、現実的政策とは、限りある財貨を用いて生産消費分配において何とかすることだ。これは経済政策。また外交では現実的利害の対立を踏まえて主張し妥協し合意することだ。理想は持ってもいいが実現可能などと過信しないことだ。でないと繰り返すが、なんでも反対、決められない、集団になってしまう。かっての社会党のように。
 民主党の岡田氏は共産党との共闘に乗り気なようだ。松本氏が離党した理由の一つにはこの件がある。共産党との共闘の弊害に関してはすでに述べた。共産党はマルクスレ-ニン主義をいまだに捨てていない政党だ。こんな政党と組むといよいよ現実離れした「なんでも反対政党」になってしまう。共産党が掲げる理想の結末は既に25年前ベルリンの壁崩壊と天安門事件で立証されている。
 繰り返す。民主党は「反戦中立」をやめよ。
(付1)民主党の政策の空虚さは6年前鳩山氏が提唱した、日米中正三角形関係に見事に示されている。60年同盟してきた国と60年間敵視しあってきた国を同等に論じる事自体が非現実的というものだ。同じことは沖縄米軍基地の辺野古移転に関しても言える。
(付2)理想をもって現実に換えるという姿勢は慰安婦問題にもあてはまる。この問題は朝日新聞がねつ造を認めたことで理論的には決着がついているはずだが、中韓などの国ではいまだに悪宣伝の材料にされている。その背後には売春の存在を絶対悪として否定し売春のない理想社会をといういたって非現実的な考えがある。売春の存在と強制連行は全くの別事項である。ここのところを都合よく混同して、売春、戦争、強制と論理を飛躍させているのがこの問題の本質だ。過去の歴史において戦争と売春の無かった世界はない。
(付3)民主党は「慰安婦強制連行説」「北方領土問題」「北朝鮮による日本人拉致」「尖閣諸島問題」「韓国におる竹島の不法占拠」などで中韓ロシアに一度でも抗議したことがあるのか。日本の利害と名誉にかかわる問題に対して民主党は無関心であるとしか思えない。現実から眼をそむけている。

消費税をもとの5%に引き下げよう

2015-10-21 21:43:15 | Weblog
 消費税率をもとの5%に引き下げよう
 8月の景気指標はマイナスになりデフレ傾向を示しだした。アベノミクスは危機に遭遇している。原因の主たるものはシナ経済の不振にある。シナ経済は発表では6・9%のGDP成長率だというが実態はマイナス成長だと言われる。シナ経済の詳細に入ることは避ける。ただ一つ言えることはシナ経済は先進諸国の成長率が低迷したときの代理需要であったということである。しかしシナ経済が持つ本来の脆弱性ゆえに代理需要の役割は果たせなくなりつつある。欧州経済も危ない。イスラム圏は無政府状態になりつつあり、需要は見込めない。TPPなどはかかる状況で各国が如何に自国の輸出という需要を確保するかというためのあがきにすぎない。シナが提唱しているAIIDも同様である。こういう事態に日本(世界ではない)はどう対処するべきなのか?簡明に答えを言えば内需増大だ。より具体的に言えば消費税をもとの5%に戻すことだ。来来年春の10%引き上げは無期延期し、逆に現行の8%を5%に引き下げることだ。危機を回避するにはこの方法しかない。消費税引き下げ、購買力増強、雇用促進という良い連鎖状態にもって行くべきだ。
 日本のGDPにおいて輸出と内需が占める比は、輸出1に対して内需4になる。輸出が低迷しそうな今日内需を上げるべく消費税を下げるのは常識的思考だ。そうすれば異次元緩和という貨幣流通量増大政策も生きてくる。需要を亢進させよう。新しい需要を創造しよう。新しい需要は創造できるか。できる。
 先に言っておくが消費増税賛成派は社会福祉(特に介護など老人福祉)のためには増税が必要だと説く。増税は内需を減らし結果として収税額を減らす。そして景気悪化。若者(働くもの一般)の賃金は下がる。若者を犠牲にして老人が栄えるのは問題だ。社会は衰退する。私はこの方向の考えには反対だ。
 需要の構造は変わる。福祉特に介護に関して考えてみよう。介護作業をより体系化し機械化(ロボットの使用など)すればその分省力化でき、福祉士の作業は楽になり、福祉士の労働は他の分野に廻せる。つまりよりきめ細かで配慮の行き届いた作業が可能になる。ここで考えてみよう。福祉の体系化や機械化は膨大な器具機械の需要を生み出す。需要の構造は大きく変わる。そして需要は増える。
 交通体系は今大きく変わろうとしている。すでに自動運転が可能になりつつある。車と道路の間をITで連絡できるようにしておけば車は望み通りのところに運んでくれる。車も道路も大きく変わる。これも新しい需要だ。船も飛行機もそうなるだろう。古いものは廃棄してどんどん新しい物を作ってゆけばいいのだ。
 こうして内需を増大しよう。そのためには購買力を増強せねばならない。買ってくれれば売れる。そうなれば好景気になり収入は増え収税額も増える。そのためには購買力低下の元凶である消費税を減らさなければならない。消費税を元の5%に引き下げよう。
 安倍総理には、消費税を元の5%に引き下げる、と宣言する勇気はおありか。周囲は大反対だろう。しかし「消費税%5%」と総理が宣言しただけで景気は上向くよ。こういう宣言は宣言するだけで世界が明るくなる。だって誰だって税金を取られるのは嫌だろう。その嫌さ不快さが少なくなるのだから。お祝いにビ-ルでも飲みたくなる。ついでにいささかのご馳走もだ。そして実際消費税減税分収入は増えるのだ。新しい内需が開発されれば輸出も増える。一石二鳥だ。
(付)私は介護作業には機械化体系化ともう一つ集団化が必要だと思っている。老人特に寝たきりの老人は地方(はっきり言えば田舎)へ移して集団で介護すべきだと思う。この事は地方創生にも連なってくる。

素敵な江戸時代

2015-10-18 19:12:44 | Weblog
素敵な江戸時代
我々の世代は、江戸時代とは封建制度で侍が威張り百姓町人が搾取されている暗い時代のように習いました。確かにそういう傾向もありますが、他国の歴史と比較しつつ考察しますと非常に素晴らしい時代であり、現在の日本の土台が形成された時代であることが解ります。
 まず戦争がありません。外戦はもちろん内戦もありません。1600年から1870年までの270年間全く戦争はありませんでした。(注)非常に平和な時代でした。欧州ではしょっちゅう戦争をしていました。17世紀のイギリスやフランスは内乱状態でした。30年戦争、清教徒革命、フロンドの乱、ルイ14世の侵略戦争、スペイン王位継承戦争、北方戦争、オ-ストリア王位継承戦争、アメリカの独立戦争そしてフランス革命とナポレオン戦争など戦争の繰り返しです。ロシアは南方のクリミヤ汗国とその背後のトルコ帝国と食うか食われるかの戦争をしていました。お隣のシナでは清王朝が北方のモンゴルのジュンガル部と長い間戦争し、ジュンガル部を降したら回教徒や白蓮教の反乱、そしてアヘン戦争と太平天国の乱と騒乱続きでした。このような外国に比べて約300年間全く戦争のない平和な時代であった江戸時代は世界史でも例外中の例外です。よくローマの平和に例えられて徳川の平和といわれます。しかしロ-マ帝国では結構戦争をしていたのです。日本の江戸時代は奇跡ともいえる例外です。
 もともと日本の国土は温暖で多雨ですから地味(土地の生産性)は高く他国に対して豊かでした。そこへ金銀の大量生産という事態が訪れます。特に銀は世界の総生産額の1/3を占めていました。マルコポ-ロが黄金の国ジパングと言ったのもあながち誇張ではないのです。大体コロンブスの航海の一つの動機はこの黄金の国を発見しようということでした。(全く別の土地に彼は到着し黄金の国をみつけます)金銀が大量に出回るということはまず海外の製品(特にシナの陶器と絹布生糸)を購入できます。こうして技術が輸入されます。さらに金銀貨幣の発行は国内での貨幣流通量を飛躍的に増大させますから民間の需要を牽引します。こうして農業革命が起こりました。日本独自の農法の開発です。それまでの木灰などの肥料に変えて(加えて)日本海岸で大量に捕れるイワシやニシンを乾燥させて粉末にして施肥する農法です。贅沢な農法ですがこれで土地生産性は飛躍的に上がりました。金で買う肥料なので金肥と言いました。そうなると農民は米より他の商品作物を作ります。金になりますから。木綿、酒米、菜種、藍、紅花、塩などです。こうして生活は豊かなものになりました。比較するとイギリスでは18世紀中頃に農業革命が起こっています。クロ-バなどを植えて空気中の窒素を固定させる方法ですが、日本の金肥の方が効率的です。この日本の農業革命は17世紀の中ごろからですからイギリスに比べて1世紀先行しているわけです。産業革命の基盤は農業生産性の上昇にありますから日本は産業革命に飛躍する条件を早くから持っていたことになります。
 農業生産性が上昇すると当然人口は増えます。人口が増え生活程度が上がると相対的に物が不足します。そこで行われたのが幕政藩政改革です。上杉鷹山、細川重賢、村田清風、調所博郷、そして徳川吉宗、田沼意次くらいの名をあげて置きましょう。私は一部の有名人のみを挙げましたが江戸時代中期以降ほとんどの藩が経済制度改革に取り組みました。私は日本人だから当然日本の歴史の方に詳しく外国の情報には相対的に疎くなります。それを差し引いても日本の藩政幕政改革は群を抜いて熱心であり緻密です。欧州を例にとりますとイギリスでは経済は民間に投げっぱなし、フランスでは大雑把な重商主義というところです。彼らは内政改革をするより他国の領土を奪って豊かになる方を選びます。政治が良かったのでしょう、飢饉はありましたが他国のような大量餓死はほとんどありません。加えて島国ですので疫病の流行も限られていました。
 内政改革の展開に伴って経済制度も整い発展してゆきます。紙幣は藩札といって各藩内で発行されていました。大都市間の決済は事実上ほとんが手形で行われます。藩によっては自藩の特産品を抵当にして各種の切符(手形)が発行されていました。手形は一種の貨幣です。吉宗政権や田沼政権での試行錯誤を経て貨幣流通量の増大の必要性は認識されていました。上杉鷹山や二宮尊徳はすでに有効需要が経済に与える意義を認識しておりケインズの先を言っていました。銀は元来重量で切り売りする不定量貨幣でしたが。田沼政権の時金と銀を一定比価に固定する試みが行われます。金本位制への試行です。この際銀安にしますので金の価値が増大します。江戸は金つかい大阪は銀つかいですので、江戸の経済が有利になります。経済の中央集権化が計られました。
 幸か不幸か日本は周囲を海に囲まれ相対的に安全です。逆に言えば外延的に領土を広げて富を収奪するには不適当な地勢にあります。だから人口が増え生活程度が上がって競争が激しくなると内政改革に勤めなくてはならなくなります。江戸時代の270年間為政者は必死になって経済改革をしてきたことは日本人の心性に大きな影響をあたえております。
 なぜ日本が外部から侵攻されず安全であったのか考えてみましょう。最初に日本へ来たスペイン人やポルトガル人は日本を一目見て征服は無理と悟りました。武士団がいたからです。鉄砲の製法をマスタ-した日本の武士団の武力は多分世界でも最高であったでしょう。そのうち欧州は仲間内で戦闘にあけくれます。英仏両国が欧州の大国となり植民地獲得のために日本にやってきたころはすでに日本も産業革命に離陸できる状態にありました。
 日本の政治制度の特徴は衆議性にあります。古くは聖徳太子の憲法、さらに貞永式目評定衆などに起源をもとめることができます。私はあえて衆議性と言いましたがこれは民主制と言い換えてもいいのです。外観が違うので別の用語をつかっただけです。江戸時代本当に将軍親政をしたのは初代の家康のみです。この家康でも徳川の家風として常に部下の意見を聴き取り入れていました。あとの14代の将軍の政治はすべて老中と若年寄総計7-8名による衆議で決められます。時代が下ると諸種の専門官僚がこの衆議に加わりました。三奉行、勘定吟味役、目付大目付などです。彼らが評定会議を開いて決めました。総計で30人を超える数でした。一種の議会に相当します。幕末に黒船が来たとき時の老中阿部正弘は全国の武士たちに(郷士も含む)に意見を求めましたがこれは衆議の典型です。念のために言いますと江戸時代全期を通じて老中若年寄という政権幹部で刑死した人はいません。将軍の代替わりも平穏に行われています。衆議を前提にするからこういう平和な政権移行が可能になるのです。
 上が上なら下も同様です。農民は村単位郡単位にまとまりました。何のためにまとまるかと言えば生活防衛、特に年貢の額の交渉のためです。大名や幕府の代官と農民代表が年貢の額を巡って交渉しました。農民代表も農民に監視され交渉過程はすべて公開され文書として保管されました。最初は村単位のまとまりが、群そして国の規模のまとまりになります。この状況を見誤ると一揆になりますから為政者はその事態を恐れ真剣に交渉しました。この典型的な例が明治初年の地租改正にともなう一揆と税率の引き下げです。こういう村の群の農民の為政者との交渉を村方騒動という泥臭い名称で呼びます。これは農民の側、被支配者の側での衆議性つまり民主主義です。都市住民も同様です。農民と武士層における衆議性、これは実質的な民主主義ではないでしょうか。
 学術も発展します。家康は学問尊重の人でした。林羅山を幕府の学頭に任命して儒学の発展を図ります。しかし日本の儒学は江戸時代に入るや否やどんどん自由に展開してゆきます。この点では科挙制度に縛られて訓詁注釈と模倣祖述に明け暮れたシナの儒学とは異なった展開を見せてゆきます。中江藤樹や熊沢蕃山の陽明学、実証史学を展開させた新井白石、幕藩体制を根本から変えかねない意見を開陳する荻生徂徠の学説。徂徠は国家体制は基本的に変更可能であると言い、身分制度を否定し、衆議を重んじ、政治を経済行為から捉えなおし、民事法制定の要を説き、耕地の自由売買を主張しました。経済という用語は徂徠の弟子である太宰春タイによりつくられました。石田梅岩の思想には一種の人民主権説が含まれています。二宮尊徳は有効需要と経済における貨幣量の意義を説いています。農本主義に徹し農民主権説を説いた安藤昌益。海保青陵は重商主義を説いて藩政改革を促進するべく世論を領導しました。他に三浦梅園、本多利明、貝原益軒など多士済々です。
 ここまでは儒学系統の学問の展開です。違った系譜としては国学と蘭学があります。国学は漢意を廃して日本人の素直な心を重んじその所説を展開します。国学は主として上層農民の間に広がり日本人の知性を高めると同時に農民の政治意識をも鼓舞しました。蘭学は田沼政権の時発展します。その成果の代表が「解体新書」です。日本人は珍しいもの好きで多くの人が蘭学を学びました。このことは幕末維新における新国家建設の基盤になります。
 江戸時代の文化の特徴は大衆文化が栄えたことです。代表が歌舞伎と浮世絵です。勧進帳は圧巻ですし、私はモナリザより歌麿の美人画の方が好きです。他に合本や黄表紙などの大衆文学が発展します。加えて狂歌川柳落語などなどそして茶道華道などの習い事。民衆はそういう芸事を積極的に摂取しました。
 幕末の日本人の識字率はどのくらいであったでしょうか。私は男女そろって100%だったと思っています。根拠をあげます。まず前述した村方騒動。農民は年貢や村方費用などをすべてチェックしていました。女性も同様でした。また江戸時代後半には農村で歌舞伎が盛んに催されました。そして都市住民の大衆文化。こういう事は文字を知らなくてはできません。幕末における一人当たり平均栄養値は、1700カロリ-、たんぱく質70グラムという報告があります。十分に生命を維持できる数値です。玄米と大豆とイワシを食っていればこの数値は維持できます。
 トマ・ピケッティ氏は近著で日米英仏独の五か国を富裕先進国としています。この五か国の生活水準はほぼ等しいのですが日本と他の四か国では発展に基本的な違いがあります。日本以外の国はすべて発展の原資を奴隷労働からの収奪に依存しています。奴隷制度によらず原資を蓄ええたのは日本だけです。この基礎は江戸時代に築かれました。

国連に幻想を持つな

2015-10-16 16:39:22 | Weblog
 国連に幻想を持つな
 先日国連の付属機関ユネスコでシナが提出している「南京事件」の記憶遺産が承認された。シナの宣伝によれば30万人が日本軍によって虐殺されたことになっている。この件に関してはすでに別のブログで詳細に述べた。ここで問題にするのは国連の態度とその存在意義である。シナの申請とはいえ内容は日本の歴史に関するものであり、同時に日本の名誉にかかわるものでもある。にもかかわらずユネスコはシナの言い分のみを聴いて一方の当事者である日本の意見は一切聴かなかった。その態度は不公平であり一方的であり非科学的である。
 ここでユネスコの上部組織である国際連合に関して若干の考察をしてみよう。かって日本は外交の中心を国連おき国連中心外交を唱えていた。そこには平和の保護者としての国連のイメ-ジがあり日本のいわゆる「平和憲法」との平行性が観取された。しかし今回の「南京事件」の遺産登録を機に考えてみれば、いったい国連とは何物なのであろうかと問わざるをえない。大きな国際的事件で国連が実効ある行動をとったことはない。もしそのための実力があれば現在世界を騒がせているイスラム国などの中近東の騒乱に関与できるはずだ。難民にしても国連が何かしたということを聴かない。フィリピンやヴェトナムを悩ませているシナによる南シナ海での侵略行為に対しても寝たふりを決め込んでいる。せいぜい南スーダンという小国でのトラブルにPKOを派遣しているくらいである。結論から言えば国連は世界の情勢に対してほとんど影響力を持たない。世界情勢は大国の実力でもってのみ左右されている。国連は各国の宣伝機関でしかないのだ。
 国連の事務総長は大国の影響を排除するために歴代中小諸国から選抜されている。そのためか国連職員には中小国出身者が多いと聴く。国連は後進国のインテリの失業救済機関だという人もいる。今回の記憶遺産申請に関してはここのところが問題になる。「南京事件」記憶遺産の責任者はブルガリア人であるという。ブルガリアは最貧国の一つだ。国連には相当程度後進国出身の職員がいると想定される。後進国では汚職腐敗が多い。その典型的例がアフリカだ。買収は容易だ。またシナの汚職腐敗のひどさは有名だ。後進国とシナ、まさしく渡りに船の関係だ。ここのところはよく留意しておこう。我々日本人は平和ボケしていた過去があり国連を過大視する傾向にある。国連は中立、正義の味方、実力があるなどと錯覚してきた。この種の幻想は取り除こう。ユネスコの「南京事件」記憶遺産申請を機にこの種の幻想から脱却しよう。
 そもそも後進国出身者が多数を占める烏合の衆の集まりで他国の歴史の詳細に関してどの程度の議論ができるというものなのか。より根本的につっこんで論じれば歴史には決定的というものはない。一定の証拠に基づいてある仮説通説が現れる。新たな証拠が発見され通説は変化する。この繰り返しが歴史(学)というものだ。集団で議論して決定できるというものではない。ユネスコの事務員が勝手に決められるものではない。
 国連と言えば日本には嫌な記憶がある。戦前国際連盟というものがあった。偽善者ともいえるウィルソンというアメリカの大統領が提唱してできた機関だ。日本が満州国を作ったときこの国連は調査団を派遣してきて、満州国を違法と決めつけた。当時の国際連盟にいかなる決定権があったのか極めて疑問である。この時もシナにやられた。シナという国はこういう時極めて狡猾に動く。裏交渉と謀略はシナ人の得意技であり天性ともいえる。金を欲しがる国連職員を操作するのはシナにとっては簡単なことだろう。
 ユネスコは「南京事件」記憶遺産登録に関して議論の経緯、参加人員の名前と国籍を発表すべきだ。責任者はブルガリア人だ。ブルガリア人に日本やシナの歴史の詳細がわかるのか。さいわい自民党が、ユネスコへの抗議、機構改革を申し入れ状況によってはユネスコへの寄付金を停止すべきだと言っている。正論だ。ユネスコの態度次第ではユネスコ脱退も考慮していい。
(付)今回のユネスコの判断に関しては自民党のみならず公明党そして民主党でさえ疑問を呈している。
(付)20年位前スリランカのクマラスワミという女性弁護士が「日本軍による慰安婦の強制連行」を発表している。この人物も国連職員だった。「強制連行」は元凶の朝日新聞がゲロを吐いてねつ造であることが解った。しかしねつ造された記事に基づくクマラスワミ報告は撤回されていない。

南京事件のユネスコ記憶遺産登録に思う

2015-10-11 19:02:28 | Weblog
南京事件のユネスコ記憶遺産登録に思う
  昨日の新聞報道によれば国連のユネスコがシナが申請した「南京事件(シナでは南京大虐殺事件と言っている)を正式に登録したと伝えられる。日本人の名誉に関することなので以下に反論する。私が理解し記憶した範囲で整理し叙述しておく。
 まず確実に解っていることは二点だ。南京事件に関して証拠は一切ない。伝聞によるだけだ。もう一つは過去日本政府はシナ政府に南京事件に関しての調査を申し入れている。客観的な証拠があるかないか調べようということだ。簡単にいえば南京市の土地を掘り返せば、もしシナ政府の言う通りなら白骨が10万か20万は出てくるはずだ。DNA鑑定を使えばシナ人の骨かどうかは解る。この申し入れはシナ政府により妄言としてしりぞけられた。つまりシナ政府は客観的な証拠発見を拒否したわけだ。
 シナ政府が調査を拒否する以上南京事件に事実性はない。死者数(とやらの)の数値も曖昧である。30万と言ったり20万といったり時には100万とも言う。南京に果たして30万人住んでいたのかも解らない。だいたい当時のシナ政府には正確な人口統計は存在しなかった。現在でもそうらしい。南京に虐殺記念会館とかいう施設がある。そこに展示されている事物には偽造が多い。写真などは簡単に偽造できる。シナ政府の言い分には透明性がないのだ。曖昧でいい加減なのだ。20年前に報道された蘇州100万人殺害という記事もある。さすがにあからさまに客観性を欠くので立ち消えになったが。
 南京攻略作戦には多くの作家が宣伝のために従軍した。彼らの口から虐殺が語られたことは戦前戦後を通じて一切ない。従軍記者からも当事者である従軍兵士からも語られていない。もし虐殺が事実なら一人や二人は語っているはずだ。それが昭和50年代半ばごろから話題になってきた。当時朝日新聞の本多勝一記者が「中国の旅」という旅行記事で万人孔千人孔ということを述べていた。万人孔とは日本軍が当時の住民を一万人殺して埋めた穴という意味だ。その種の穴が数百数千もあったと本多氏は書いている。その話が事実なら日本軍は数千万人のシナ人を殺したことになる。この種の穴はいっさい発見されていない。疑問に思った読者が朝日新聞に問いただしたら答えは、当社は知らない本多氏に聞いてくれということだった。本多氏からの返答はない。南京事件が話題にされだしたことはアサヒの記事と関連する。アサヒの罪は大きい。
 まぎらしい事実がある。シナの軍隊の兵士は戦況が不利になると民間人に変装する。便衣兵という。この便衣兵が攻撃してくる。当然日本兵は反撃する。民間人のかっこうをしているので民間人も巻き込まれることもある。こういう事情なので日本兵が民間人を殺した可能性はある。また便衣兵を民間人としてカウントされている可能性もある。また南京には指揮官がいなかった。蒋介石はさっさと首都である南京をすてて重慶に逃げていた。蒋介石から指揮権を移譲された南京防軍総衛司令官も戦況不利と見るや南京を捨てて逃げた。あとは烏合の衆だ。シナ兵は降伏する。ところで南京作戦では攻めた日本軍より守るシナ軍の方が多かった。降伏した捕虜は逃亡したり反撃したりする。少数の日本兵が極めて多数のシナの捕虜を監視する。日本兵としても不安でしかたがない。こういうことでの死者もあっただろう。
指揮官不在、烏合の衆、大量の捕虜、捕虜の逃亡反撃、多数の便衣兵の存在などを考慮すれば2万人くらいの死者は想定される。しかしそれは虐殺ではない。ひとえにシナ軍の無責任のせいだ。ちなみに当時の戦争法規では逃亡したり反撃する捕虜は殺してもよかった。制服を着用しないで戦闘行為する者はスパイとして処刑してもよかった。それはそうだろう。捕虜に反撃されると肝心の戦闘が遂行できないし兵士の命が危ない。仮に私が従軍していれば民間人で危ないと思えば射殺していただろう。私も生きて帰りたいのだから。
 戦争にも文化的伝統は反映される。シナの文化は虐殺文化だ。例証しよう。シナの戦国時代末期秦の将軍白起は趙の降参兵士40万人を穴埋めで殺している。同時期楚の項羽は秦の降兵20万人を同じく穴埋めにしている。項羽は秦の首都咸陽を攻略したとき略奪し焼き払っている。当然殺害と強姦は伴う。シナの軍隊は勝てば略奪しなければすまなかった。指揮官がそれを拒めば不平たらたらで戦意に影響した。このことは西欧の傭兵軍にもアメリカの騎兵隊にもあてはまる。例外は日本くらいだろう。続けよう。六世紀シナの南朝に梁という王朝があった。梁の首都南京が(当時は別名)が反乱軍に攻囲され陥落する。この時大虐殺が起こっている。この虐殺で南朝の貴族階級は全滅する。下って近代、太平天国の乱が起きる。太平天国の軍が南京を攻略する。大略奪と大殺害が起きる。逆に太平天国の軍が清政府軍に攻略されたときにも同様の現象が起きている。人間は自国の文化の伝統と習慣に従って行動する。だから自国の民に対するように他国も対応するだろうと思う。シナ人は自分たちならそうふるまうだろう(虐殺略奪するだろう)と憶測して、だから日本軍はそうしたはずだと、嘘八百をでっちあげた。南京事件に事実性は全くない。事態はむしろ逆だ。通州事件というのがある。1930年代蒋介石が北伐で行軍途中通州という町を通った。その時在留していた日本人数百名が虐殺されている。むごたらしい極みの光景だった。女性は強姦され性器に棒を差し込まれ口には石をつめこまれ四肢は切り取られていた。これは事実だ。旧内務省の資料にちゃんと載っている。日本には虐殺文明はない。城を落としても周囲の住民を虐殺するなんてことは一切なかった。というより日本の都市には城壁がない。城壁で囲まれた防衛都市はない。住民が直接攻撃の対象にならないから住民を守る必要がなかったからだ。ちなみに城壁をもつ都市がないのは世界中日本くらいだろう。自国民を虐殺しない日本人が他国民を虐殺するはずがない。人は国内でやるようなことを他国でもやるのだ。
 三光作戦とかいう言葉がある。奪い尽くし犯し尽くし殺し尽くすのだそうだ。シナ人は日本軍がそういうことをやったと悪宣伝している。「三光」の「光」という字だが日本人は単に「ひかり」としか意味をとらない。しかしシナ語ではまったく違う意味になる。「光」は「ぐあん、guang」と読み意味は「尽くす」ことだ。日本人にはこの意味は全く解らない。解らない意味を使って言葉ができるはずがない。三光作戦という言葉はシナ人の造語だ。自分達ならそうするだろうから日本人もしたはずだという憶測から出た悪意に満ちた言葉だ。
 世界の歴史に会って日本にないものの一つが奴隷制度だ。シナには奴隷制度があった。歴史の始まりからシナでは征服戦争が繰り返されていた。捕虜は奴隷になる。奴隷は時として生け贄にされ神にささげられ殺された(特に殷王朝)。捕虜が食われることもあった。9世紀末黄巣の乱では捕虜は肉団子にされて食料となった。奴隷は殺害自由だった。シナの虐殺文化の持つ根は深い。
 嘘つきシナの例証となる二つの案件を挙げよう。まず天安門事件。1989年自由を求める学生数百名が天安門広場で戦車と機関銃により殺害された。この事件はシナ以外の国では周知の事実であるが、シナ政府はこの事実を否認している。孔子学院というシナ政府の在外学術機関(実態は宣伝)は外人講師に、天安門事件には触れてくれるなと言明している。嘘の典型だ。もう一つネットによるサイバ-攻撃がある。サイバ-攻撃のほとんどがシナ発だ。多くは政府機関が関与しているという。目的は他国の情報特に技術情報の盗奪だ。シナとは頭の頂点から足のつま先に至るまで嘘で重ねた国だ。嘘つきの言うことは信じられない。
 シナ経済は低迷している。20年前に切り上げた元の対外レ-ト30%の重みに耐えられず元切り下げに動いている。ちなみに日本円は過去対ドルレイトで300%以上の切り上げをしている。低迷する経済にあえぐシナは何をしてくるかもしれない。
 ユネスコに問う。いかなる根拠に立って南京事件を事実と判断するのか。誰がどの国の人間がそうと判断したのか。資料を公開し、判断したメンバ-といきさつをはっきりさせ、判断の透明性を知らしてもらいたい。歴史をある程度丹念に読めば解ることだが、およそ他国の歴史ほど解らない、逆に言えば深甚なものはない。日本とシナの関係を果たしてアフリカや中東の歴史家に解るだろうか。ユネスコが明白な回答をよこさない限り日本政府はユネスコへの寄付金を停止すべきだ。
 最後に世界記憶遺産そのものに疑問を抱く。記憶遺産とは多くの場合歴史資料ということになるが、何が真実であるかは判定しにくく立場によって異なる判断がなされる。記憶遺産など廃止した方がいい。諸国間の疑念と闘争を煽るだけだ。ユネスコなどの公的機関に何が真実かを判断する権利を与えるべきではない。この種の好意は結局歴史認識の統御そして最終的には一種の独裁制に繋がる。真実は民間で自由に討議討論させておけばいいのだ。
(付論)解らないことが一つ。日本軍は南京以外の地、徐州、武漢、上海などでも戦っているがシナはこれらの地で虐殺云々は言わない。なぜなのか。当時南京が首都でありその首都をあっさり落とされたからなのか。体裁をつくろいたいのか。

時事五題

2015-10-09 16:13:57 | Weblog
 時事五題
①  二〇二〇年の東京オリンピックの種目野球の会場が東北地方(福島か仙台)に決まった。非常にいいことだ。私は以前ブログでオリンピックを東北地方のどこかの都市、多分仙台になるだろう、で開催することを提案した。開催規模を小ぶりにして東北を徹底的に再開発する気になれば不可能ではないと思う。結局東京に決まったが野球だけでも東北地方で行うのはいいことだ。だいたい東京で二度も開催するのは不合理だ。既存施設を利用する意味でもゲ-ムの開催を東京以外の都市でどんどんやってもらいたい。地方創生のためにもなる。野球は日本で極めて人気の高い競技だ。人は集まるだろう。フェンシングとか卓球柔道とか屋内競技も東北地方で行えないものか。そう提案する。もう一つ提案。新種目に決まった空手は沖縄で競技を催したらどうだろうか。
② インドネシアでの新幹線受注で日本はシナに負けた。前後の動きを見ていて大体の模様は読めた。一〇年前の調査ではシナとインドネシアは汚職腐敗のランキングで最高とされていた。多分今回の受注にはこの種の金が絡んでいるだろう。シナでは軍隊のトップが汚職(彼らの言葉では重大な規律違反)をする。嘘とも思えないが、シナの国境を越えて動く投機用の外資の1/3は政府高官が腐敗で稼いだ金とかいう。インドネシアでは警官に道を尋ねてもなにがしかのチップがいるという。七-八年前インド洋で地震が起き津波で周辺諸国が大災害をこうむった。日本からインドネシアに援助物資が(金銭も含む)送られたが、日本政府(?要は当事者)はインドネシアの官吏に手渡さず(たっての要請にもかかわらず)現地で住民に直接手渡した。途中で大部分が抜き取られるのを恐れてのことだ。そういう国同志の交渉だ。日本政府の油断もあっただろうが、今回のことはしかたがないとしよう。インドネシアの担当者のコメントが振るっている。いわく、技術の問題は一切考慮せず支払い条件のみを考慮したと。安かろう悪かろうの見本を自ら公開しているようなものだ。こういう事は事実であってもそういうべきでではない。国のお里がしれる。しかし後進国との交渉には注意が必要だ。どこも汚れており民意が反映されにくく不透明だ。インドネシアにできる予定の高速鉄道が無事平穏に運転されることを望む。なにしろ安いだけで受注したのだから、本音を言えば怖くて乗れない。インドネシア政府はバカではないかと思う。建設に必要な労働者はシナから連れてゆくそうだ。これではシナの雇用は増えてもインドネシアの雇用は増えない。現地で騒乱が起きなければいいがね。
③ 兵庫県の西宮市でちょっとした騒ぎが起きている。20年前の地震で家を失った人たちのために市がマンションを借りて仮設住宅として入ってもらった。20年が過ぎ協定により他の住宅に移ってほしいと市が言い出したら住民は慣れ親しんできた住環境は変えられないと移住を拒否し始めた。おかしい。市にも予算という事情がある。市営住宅へ移ってもらった方が安く上がる。それに契約は契約だ。別に追い払って勝手に家を探せというわけではない。20年の間に自分の家をなんらかの形で見つけるべきであっただろう。この件関しては私は住民のわがままエゴだと思う。住民サ-ヴィスにも限度がある。
④ 大阪市長の橋本氏が大阪副首都構想を言い出した。大阪首都構想の焼き直しだ。私は「副」という字は好かないがこの構想には原則的に賛成だ。大阪は東京に対抗するポジションを持たなければならない。東京一極集中では日本は衰微する。大阪のみでなく神戸と京都を含む京阪神(仲がわるい)が結束して関西を盛り立て上げねばならない。学術と文化に関する限り関西は東京に負けない。特に奈良県は文化開発の未開の宝庫だ。ただわけが解らないのは自民党大阪府連の態度だ。橋本氏と確執があるのだろうが、今回の構想に反対してあろうことか共産党と組むそうだ。自分たちのやっていることが解っているのだろうか。共産党と組めば必ず共産党のオルグ(水面下での組織切り崩しシンパ獲得行動)が入り共産党支持者が増える。共産党の狙いはそこにある。大阪維新と自民党は同じ保守だ。提携可能性はあるはずだ。わざわざ獅子身中の虫である共産党と組むことない。そもそも大阪を衰退させてきたのは議会第一党であった自民党の無為のせいだろう。ともかく大阪再興には思い切った方法が必要だ。橋本氏は逸材だ。このまま朽ち果てさすのは惜しい。
⑤ 安倍総理に提言。内閣改造も結構だが、思い切って消費税2%アップを取り下げたらどうだろうか。できれば昨年に実施された3%も取り消したらどうだろうか。失礼ながら財務官僚に騙されての増税だ。総理がもし3%アップをしなければ景気は上向いているはずだ。現在の状況はまさしく踊り場だ。良くもないし悪くもない。そのどちらへでも転べる。シナ経済欧州経済とも頼りない。世界同時不況の可能性もある。内需を高めておくべきだ。

紙幣の発明、簡単な経済学

2015-10-05 02:20:55 | Weblog
      紙幣の発明、簡単な経済学
 昔々貨幣は金銀銅などの金属でできていた。金属貨幣の発明は人間の歴史にとって画期的事件だが、なぜ貨幣が発明されたのかは太古の神秘に隠されて詳細は解らない。ここでは紙の貨幣つまり紙幣の発明に関して考察する。
 商取引は初め物々交換、そして次には物の代理である金属貨幣による媒介でもって行われた。近距離の小規模な取引ならともかく遠距離で大規模な取引となると金属貨幣の持ち運びは面倒で費用がかかり加えて危険(注1)だ。そこで人類は手形というものを考案した。信用経済の始まりだ。いくらいくらの貨幣を一定の時期に支払いますという債務証書だ。これなら商売ごとに貨幣を支払わなくて済む。金属貨幣をまとめて大量に護衛をつけて運搬すれば済むのだから。
 次なる発展は手形の交換だ。手形交換所ができる。商人たちは売買する。手形を切る、手形をもらう。一個人ならともかく商人の集団になれば当然債務と債権は混在する。これを交換所で清算すれば多くの場合プラマイゼロに近くなる。実際の貨幣は動かさずに売買が成立する。手形交換所は同時に手形に伴う利子取得を目的として手形を割り引きする業務をも兼ね出す。手形は債務(裏面から見れば債権)だから利子が付く。早く貨幣がほしい商人は手形を交換所で買ってもらう。利子の一部は割り引かれる期間に応じて交換所の取り分となる。こうして銀行の原型ができた。
 ここで金融機構はもう一回転する。手形交換所は自ら債務証書を発行するようになる。いくらいくらの貨幣を貸してください、一定の時期に支払いますからと銀行が利用者に頼む。銀行の信用を背景として依頼する。信用が確立すればこの債務証書はいつでも換金可能なのだから、無限期間通用流通することになる。無限期間通用するということは危険率(支払い不能率)ゼロということだから利子はいらない。これが紙幣(注2)だ。銀行紙幣は債務証書であることに注目してほしい。借金が価値になるのだ。蒸気機関の発明に等しい偉大な発見だ。この発見がなければ蒸気機関発明の意義は皆無であったろう。というより蒸気機関の発明自体がなかっただろう。
 銀行の起源は手形交換所だけではない。金銀は装飾品の材料にもなる。金銀細工の専門家を金匠という。金匠は顧客から金銀を預かる。長年の経験からある事実に気づく。預かった金銀の一定量は常に金匠の金庫にあることに気づく。この滞留する金銀を放置するいわれはない。貸し出して利子をとる。こういう銀行の原型を金匠銀行という。金匠銀行は現在ないが彼らの経験から金融機構において非常に重要な事実が浮上する。初期の紙幣はすべて金本位制(あるいは銀本位制)だから銀行はいつでも紙幣を金銀に換える義務がある。しかし金匠銀行の経験を参考にすれば、銀行は必ずしも発行した紙幣と同額の金銀を保管しておく必要はない。その一部、数%を保管しておけば間に合う。こうして貨幣流通量は金属貨幣時代の数十倍あるいは数百倍に膨れ上がる。流通貨幣量の増大は投資と需要を刺激する。こういう機構が整備されだしたのは英国(厳密にはイングランド)を範にとれば18世紀だ。相関関係は多分あると思うが、英国ではこの時期農業革命そして産業革命が起こっている。
 更なる転機が不換紙幣の発行だ。第一次大戦が勃発する。参戦各国、英独仏露伊さらに比較的傍観者の立場にいた日米もそろって金本位制(注3)を停止し同時に紙幣の発行量を激増させる。理由は簡単。戦争には膨大な資金が要る。金準備量などではおっつかないからだ。戦争は終わる。各国は金本位制に帰ろうとするこの企図はすべて失敗(注4)している。この理由も簡単だ。戦争は大量破壊行為だが同時に大量生産設備の設定でもある。戦後には経済規模が膨大に膨れ上がっていた。金準備量に応じて紙幣を発行するというやり方では経済が要求する貨幣量は供給できない。
 この事態に直面した各国は悪戦苦闘した末に不換紙幣を積極的に発行し経済規模を不断に拡大する政策をとるようになった。紙幣を発行し投資と需要を刺激する。物価は上がるが賃金もあがる。こういう調子で万事うまくゆくわけではないが、基本的には拡張型積極的経済政策を選択肢の重要な一環として採用されるようになった。このような政策を悪戦苦闘(注5)して理論づけしたのがケインズだ。ここで重要な転換が起こる。不換紙幣の発行は、経済の信用は金銀という多分に神秘化された希少資源によるのではなく、経済機構というかなり不安定な存在に負っているということだ。紙幣さらに不換紙幣の発行により我々の生活はより豊かになったことは事実だ。もし金銀貨幣に依存したままでいたら我々の生活は主穀(米麦)とわずかなたんぱく質を食ってその日を過ごすのがやっとであろう。
 現在は第二次大戦後のブレトンウッズ体制で金ドル本位制になった。アメリカが責任をもってドルを金に換えるという仕組み。この仕組みに耐えきれず1970年代初頭金とドルの交換停止。以後金本位制は存在しない。
(注1)シナには金銀が乏しかった。だから貨幣は原則として銅貨だった。銅貨で米100キログラム買えば総統に重い重量になる。紙幣が最初に発行されたのは元朝(モンゴル)の時代だった。金銀の重量も結構思い。江戸時代千両で15キログラムになる。この重量を担いで東海道をのこのこ歩くわけにはいかない。江戸大阪間の商取引はほとんど手形で行われた。
(注2)紙幣の歴史は複雑だが、その原型の一例をあげればイングランド銀行が英国政府と共催で発行した国債だろう。名誉革命が終わって英国の政治的基盤が確立する。7年戦争が起こる。戦費がほしい。そこで英国政府は国債を発行しそれをイングランド銀行が保証した。保証する根拠はない。英国は戦争に勝つ。以後英国の産業は発展する。税収は増える。この税収で国債の利子を支払った。ちなみにこの国債は永久公債で元本の支払いはなし。ただし永久に利子は支払われる。利率は3%(3・5%?)だった。物価上昇が無ければ(事実なかったらしいが)良いそして安全な投資だ。だからこの公債は売買された。貨幣の原型だ。
 他にアメリカ独立戦争に際しての戦費獲得のために発行された大陸紙幣やフランス革命当時発行されたアッシニア紙幣がある。ともに戦争革命という非常時に発行される不換紙幣で物価は急上昇し貨幣価値は激減した。戦争革命は貨幣価値下落というトリックで遂行されている。
(注3)金本位制に従えばある国で輸入が増大すれば金貨は流出する。物価は下がる。輸入は増える。金貨がふえる。そうなれば物価は上昇し云々の繰り返しが経済行為となる。こうなると金貨をはじめから多く持っていた国が永遠に強いリッチだということになり、後発国は永久に追いつけないという道理になる。一国内でも同じ。イノヴェ-ションが起き新奇な製品が発売される。その分貨幣はそちらの需要に流れる。他の分野の製品の物価は下がり生産量も下がる。あるいわどこかの分野の産業が衰退する。この繰り返し。生産量の増大は見込めずイノヴェ-ションは起こりにくくなる。金貨をあまり持っていない人が商売を増大しようとすれば全体の貨幣量が決まっているので利子率はあがる。結局先に金貨を占有した方が永久に勝ち続ける。低成長。こうなると利子で食う方が賢明となる。ケインズは金本位制は金という十字架に経済機構を縛り付ける制度だと論じた。
(注4)英国は戦後早々金本位制に復帰した。結果は不況そして労働運動の激化。ドイツは賠償支払いで金本位制どころではなかった。大不況の影響から逃れたのはヒットラ-政権になって国債発行を増大させてから。アメリカには戦後金は豊富にあった。1929年の大不況。ル-ズベルトの登場とニュ-ディ-ル政策。経済を好景気にするためには貨幣が大量に必要。金本位制廃止。日本はアメリカの不況にもかかわらず金本位制に復帰。国の底がぬけるほどの大不況。高橋是清が登場し金本位制即廃止、同時に国債の大量発行。一番遅れたのがフランス。あくまでも金貨重視で。1930年代は慢性不況。レオンブルムの人民戦線内閣になってやっと金本位制廃止。その時は第二次世界大戦勃発の直前だった。
(注5)ケインズの貨幣論や一般理論を読めば彼がそれまで信奉していた古典派経済学からいかに脱出するかという過程がわかる。数式を経済成長に結びつけるのだから非常に難解というより論理の矛盾が多い。達した結論は、供給と需要は相関しつつ展開する、まず需要から、需要の増大が出発点、だ。

岡田民主党代表の識見を問う

2015-10-03 18:33:56 | Weblog
岡田民主党代表の識見を問う
 過日、二週間ほど前だったかな共産党の志位委員長が、共産党を含む反集団安保政策での野党連合を提唱した。これに岡田民主党代表は前向きに対処すると言っていた。私は与党の支持者だが、この提案に野党が乗ることは野党の自滅行為だと思うので以下に解説しつつ忠告する。
 共産党がこのような提案をすることには共産党自身の事情がある。共産党は昭和20年代に議席数を30に伸ばした以外ずっと低迷している。現在でもたかだか20議席であり、今後大きく増える状況は考えられない。そこで野党連合戦線を組むことで他党の支持者を取り込もうというのが真の意図だろう。9月19日に成立した集団安保法案に対して、一見派手でヒステリックな反対運動が展開されたが、この運動の一番熱心な遂行者は共産党だった。その勢いに乗って野党連合を推進しようというのだろう。労働組合連合は反対している。当然だ。連合指揮下の組合員を盗られるからだ。こういう陰湿で秘密の地下運動にかけては共産党は、国を問わず上手い。
 歴史を回顧してみよう。共産党が単独で政権を取った例は皆無である。ロシア革命は共産党の力で奪取したとか言われている。この二度の革命で真に力をもって頑張ったのはエスエルというナロ-ドニキの系譜を踏む政党だった。共産党(ボルシェビキ)は少数でロシアの圧倒的多数を占める農民には支持されていなかった。帝政そしてそれに続く短い共和制が打倒されてから共産党は陰謀を駆使してエスエルを追い落とし、政権を握り強引に一党独裁体制を作り上げて70年間君臨した。
 シナではどうだろう。ここでは共産党が主軸として戦い共産政権を確立したかのように言われる。それも嘘だ。毛沢東の共産党はアメリカに支援された蒋介石と日本軍を戦わせ日本軍敗退に乗じて満州(当時のシナの工業資本の90%が集中していた)を奪取し蒋介石軍を退けた。
 第二次大戦後の五年間で東欧諸国はすべて共産化した。チェコスロバキアしかり、東独しかり、ハンガリ-しかり、ポ-ランドしかりだ。共産化の手口は決まっている。他党と連合政権を組む。ソ連の軍事力を背景に他党の合法性を奪い、共産党一党独裁にもってゆく。この手口が横行し欧州全土が共産化されかねないと危惧したアメリカによってNATOができた。庇を借りて母屋を乗っ取るやり方だ。
 逆に共産化しなかった国では他党は一切共産党と連合政権は組んでいない。1937年のレオンブルムの人民戦線結成の時ですら共産党は除外された。あるいわ共産党自らが連合政権に入らなかった。戦後イタリアやフランスに左翼政権ができたが共産党はせいぜい閣外協力に留まった。
 こういう歴史的事情を考えても共産党とは一党独裁でしかありない存在なのだ。ヒットラ-のナチ政権が出現したのにも共産党に大きな責任がある。ドイツの共産党はどういうわけか主敵を社会主義政党である社民党(SPD)とした。社民党の改良政策が、本来なら絶対窮乏化そして革命に至る行程を邪魔しているから、というのがその理由だ。マルクスが予言した絶対的真理の実現を邪魔しているというわけだ。そういうわけで戦後西独は共産党をナチスとともに非合法化した。現在はしらない。
 以上解説したように共産党とは無視するか無視されるかの存在でしかない。連合政権を組み共産党の思うように行けば他党は追い出されて一党独裁になる。共産党はマルクスの「絶対的窮乏化そして暴力革命」論を放棄していない。この神話を信じる限り共産党は唯一歴史の真実を知る者として唯我独尊になる。
 岡田民主党代表は共産党が共同戦線を提案した直後に前向きに対処するとした。これは民主党の自滅行為になる。民主党は四分五裂し崩壊する。健全な野党は育たない。これは日本にとっては不幸なことだ。
 最近の報道では岡田代表は意見を変えて共産党との連合戦線は組まないと明言した。大いに結構なことだ。