経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

戦後七十年首相談話に対しての意見

2015-02-24 15:30:19 | Weblog
 戦後70年首相談話に対しての意見

 2015年8月15日の時点で我々は戦後70年を迎える。それに際して安倍首相は談話を発表する予定である。この談話の内容に対して私は安倍首相に意見、いや注文をつけたい。前大戦大東亜戦争に関して一切の反省や謝罪は無用である。この点を精確に言えば、戦争に負けた事を国民に謝罪するのはいいが、戦争そのものへの反省は無用であるということだ。従って20年前に出された村山談話、そこでは痛烈な反省云々が述べられているが、この村山談話の内容を踏襲する必要は全くない。
 反省云々は日本が一方的に侵略戦争を起こしたという倒錯した意見を基盤にしている。これは完全な事実誤認だ、あるいは欺瞞だ。戦争とは当事者の利害が衝突した時に解決するための最終手段である。戦争はあくまでも利害の対立解消の手段でしかない。従って正義の戦争もなければ邪悪な戦争もありえない。戦争は利害衝突の最終的解決手段であるという冷厳な事実を承認しよう。負ければ領土割譲か賠償金支払いでけりがつく。ただそれだけだ。もっとも利用価値が無ければタスマニア人やアメリカインディアンのように絶滅されてしまう。
 大東亜戦争の淵源は満州問題に遡る。満州(シナでは東北地区とか言っている)で日本はロシアと衝突し、日露戦争が起こった。結果として日本は満州に膨大な投資をすることになり、利権が生じた。この満州における特殊権益を保持しようとする日本と、それを奪おうとするシナ(当時は蒋介石政権)との間に衝突が起こり、満州事変日華事変へと発展し、戦線がずるずるとシナ大陸に及ぶに到り、日本の進出に不安を抱いていた米国との対立が激化し、ABCD包囲陣や石油禁輸、ハルノ-トによる挑発を介して日米戦争が起こったというのが、荒筋の経緯だ。ここで留意すべきは満州は決してシナ人の領土ではない、むしろ無主の地であるということだ。満州は女真族の清王朝の領有する土地だった。日露戦争時清国は満州の地で日露両軍が戦闘を行なうのを傍観していた。これは清国が満州の地での主権を放棄したことを意味する。当時満州における権益(投下資本)は日露ともに自力で護らなければならない状況だった。辛亥革命で清王朝は倒れる。後にできた諸々のシナ人の国家(現在の中共政権も含む)には女親族固有の土地である満州を漢民族シナ人の地と主張する権利はない。中共政権、台湾政権ともにそんな事を言っているが、それは歴史の事実に反する。大東亜戦争は満州における日本の権益を護る行為が米国の利害と衝突して起こったということは銘記しておこう。あくまで利害の対立が原点であり、この結果起こった戦争を侵略戦争だというのなら、あらゆる戦争は侵略戦争になる。前大戦への反省謝罪云々の過誤はこのような侵略戦争史観からきている。
 戦争で日本は負けた。戦勝国特にアメリカは日本に懲罰を加えた。この戦争において日本は決して許されない事をした。端的に言えば植民地解放だ。東南アジアは事実上植民地ではなくなった。余波はインド、イスラム諸国、アフリカに及び戦後10年にして世界から植民地はなくなった。アメリカの植民地であり過酷な支配を受けていたフィリピンも解放された。このような事実と結果はそれまで支配民族であった欧米の白色人種には悪夢であり許されざる行為だった。だから戦後日本の思想的自由と誇りと能力を貶める試みがいろいろ行なわれた。その典型が平和憲法なるものだ。自国を護ってはいけない、敵の侵入に反攻してはいけない、日本以外の国はすべて善意に満ちた平和的存在だという唖然として考えられないような教条が押しつけられた。
 戦争裁判が行なわれ勝者の一方的主導のもとに何千人もの日本人が処刑された。戦争犯罪の名で。また多くの指導者は追放された。戦争を行なう以上戦争遂行に協力するのは当然だが、彼らは追放された。一例だけ挙げておこう、松下幸之助だ。戦争は日本の一方的な侵略戦争だとされた。民主主義特にアメリカ流の民主主義が押し付けられ、民主主義国家の戦争は常に正義であるという欺瞞がまかり通った。南京事件での30万人虐殺(物的証拠を一切欠く)とか慰安婦の強制連行(アサヒがゲロを吐いた)とかという虚偽がまことしやかに流され、日本人悪玉論がはびこった。米国が行なった蛮行民族抹殺の企て、広島長崎への原爆投下、東京大阪名古屋への無差別爆撃の事実は覆い隠されまともな報道はできなかった。このような蛮行で殺された日本人の数は100万人を超える。ちなみに戦死傷者数は略300万人。
 前の戦争、大東亜戦争の背景はこのようなものだ。戦争遂行そのものに対して一切反省や謝罪をする必要はない。安倍首相はそこのところを十分に自覚して談話を発表して頂きたい。
 日本に反省や謝罪を一番執拗に要求しているのはシナと韓国だ。事情がある。前大戦でほとんどの国は戦ったか解放されたかだ。蒋介石政権は重慶に逃げ込み最初の一年を除いてほとんど戦闘はしていない。中共政権は日本降伏後の国共内戦で国民党を台湾に追いやっただけだ。韓国に到ってはただアメリカから国家を与えられただけ。つまり自助努力なきままにたなぼた式に国家を獲得したのだから、政権の正当性に著しくかける。そこで侵略戦争史観を吹聴し日本を非難しているだけだ。そうしないと国が保てないのだ。ここのところも銘記しておこう。
(注一)米国による日本弱体化政策の一環として日本の脱工業化の試みがある。戦後日本は農業国家になるべしとして、日本の工業設備一切を東南アジアに持って行こうとした。仮に日本を純農業国家にすれば養える人口はせいぜい3000万人、残り5000万人は餓死するしかなくなる。航空機の開発生産は禁止され、それまで世界一の水準に達していたTV開発は禁止された。核関係の技術も同様だ。
(注二)戦後日本陸軍は白兵突撃主義で技術無視だと盛んに言われた。トヨタの歴史を読んでいて気づいたことだが、陸軍は軍を機動化するために必死になって国産自動車産業を育てた。自動車産業育成に熱心だったのは当のトヨタやニッサンより、陸軍そのものだった。軍民とわず日本の産業技術は開戦当時相当なものだったらしい。でなければ4年間も総力戦なぞできるわけがない。日本の技術力は不当に貶められて教えられている。この事は特攻攻撃にも言える。米国は特攻はほとんど効果がなかったと宣伝しているが、米兵が特攻を恐怖していたことは事実だ。戦後「戦場にかける橋」という映画が上映された。ビルマ戦線で日本軍には鉄橋を懸ける技術がなく、捕虜の英米人が智恵をさずけるとかいう荒筋だが、馬鹿馬鹿しい。山河渓谷に富む国土に鉄道を敷きまくった日本にその程度の技術がないとは、よくこんな映画を作ったなとあほくさくて仕方がない。
(注三)日本の思想統制の例を二つ挙げる。歌舞伎と時代劇は講和後までは禁止された。封建主義を教えるからという理由で。義務教育から歴史という科目はなくなり代って社会科という科目になった。日本人は自国の歴史を学んではいけないらしい。歴史教育の意義について悲劇的例を一つ。フィリピンはスペインに征服された時、それまであったらしい文字を一切抹殺された。そして支配者の宗教であるキリスト教を押しつけられた。支配者がアメリカに変わっても同様。結果として英語が公用語になり、母国語の教育はおろそかにされた。識字率は低く国民意識は育たない。フィリピンという国名自体が征服したときのスペイン国王の名前フェリペから来ている。惨めなものだなあ。
(注四)私は米国流の民主主義はどうしても好きになれない。それは彼らの思考には国家共同体解体の傾向があるからだ。ところで民主主義なるものには日本にも先鞭はある。戦前の政党政治はむろんのこと、明治維新以前にも日本にはその手のものはあった。共同体成員の合意形成方法を民主主義というのなら、日本は多分その伝統では英米よりも早い。詳細は省くが。維新の時点で日本の識字率は世界一だった。共同体成員の円滑な合意形成システムなくしてこんな事はありえない。
(注五)アメリカは戦後、土地改革、独占禁止法など戦後改革なるものを押し付けた。それではアメリカ本国はどうなのか。農業資本家という地主は圧倒的であり、資本は少数の家族に独占されている。
(注六)戦後平和平和と騒いだのは共産党と旧社会党だ。彼らはシナやソ連は決して戦争をしない平和勢力だと宣伝していた。社会党は一般大衆の支持を得られず衰退してなくなった。共産党は低迷を続けている。ところで社会党解体時の衆院議員は約70名だった。3年間政権を担当し日本を危機のがけっぷちに追いやった背信政権の民主党も現在約70余名の議員を抱えている。つまり旧社会党がそのまま民主党になったのだ。村山談話の主村山富市氏は旧社会党に属していた。左翼に政権を取らせるとろくな事がおこらない。政策遂行の方法論を持たず、国防意識は皆無で、理想論のみ述べ立てる。民主党の岡田氏は70年談話で村山談話を踏襲するように安倍首相に要請しているが、この態度は旧社会党のそれそのものだ。
(注七)ハルノ-トという言葉を知っている人は少ないと思う。開戦当時の米国国務長官ハルは最後通牒として、日本は満州はおろか台湾朝鮮からも引き上げろと明言している。戦争に負けて結果としてそうなったが。
(注八)中韓両国の執拗な謝罪要求の裏側は既に述べた。肝心な事はこのような要求の背後にあるのはアメリカの意志だということだ。アメリカの反日政策に乗って中韓は自己の正統性を喧伝している。台湾に関して一言。蒋介石が台湾にやってきてまずしたことは知識人3万人の虐殺だ。(2-28事件)ちなみに当時の台湾人口は600万人。日本統治下の台湾知識人はほとんど抹殺された。そして日本が台湾に残した資産はすべて国民党の所有となった。国家国民ではない国民党の所有に。だから台湾の国民党は世界で一番リッチな政党と言われる。そして30年間の長きにわたる戒厳令。台湾では米国は台湾に蒋介石という原爆を落したといわれている。
(注九)インドネシアは日本軍に訓練された独立義勇軍を率いてオランダと3年間戦い独立を勝ち取った。ただしオランダに60億ドルの金を支払っている。韓国は日本から50億ドル相当の資産を与えられている。日本が終戦時所有していた資産を放棄したからだ。満州に関しても同様。中共が国共内戦で勝てたのは、満州に残した日本の資産を利用できたからだ。
(注十)忘れてはいけないのは日本の地理学上の位置だ。日本は清国とロシアに勝って台湾朝鮮南樺太を手に入れ満洲にも強い影響力を行使するようになった。第一次世界大戦でドイツから南洋諸島を供与された。地球儀を見れば解るが千島列島、日本列島、琉球列島、そして南洋諸島は完全にアメリカを大陸から遮断している。そして満州。満州の面積は独仏両国をあわせたより大きい。満州が日本の主権下に置かれたら、潜在的国力はアメリカを上回る。アメリカが日本を恐れあらゆる意味で日本を潰そうとした動機は理解できる。

おかしな・おかしな韓国の司法

2015-02-21 02:10:28 | Weblog
    おかしな・おかしな韓国の司法

 韓国で理解に苦しむ司法判断が相継いでいる。誰でも知っている例を三つ挙げてみる。
まず昨年四月だったかな朝鮮半島南岸で沈没したセウオル号の船長への求刑。最初死刑を求刑されている。それではあまりひどいというのか無期懲役が求刑された。これは判決になったのかな?求刑にせよ判決にせよ無期懲役は酷烈であり不可解であり、有体に言えば無茶苦茶だ。船長の言動は決して正しくなく、義務責任放棄の非難は免れえないし、結果として大量の死者を出したのだから、一定の懲罰はやむをえない。しかし故意に人を殺したわけではない。当然彼は世論の非難を浴びている。かたぎの人間ならむしろこちらの方がこたえる。私は法律の専門家ではないので、適格な刑量を明言できないが、日本の常識から言えばせいぜい2-3年の懲役くらいが妥当ではあるまいか。操船を誤って無期懲役下手をしたら死刑では船など運転できない。
 次が産経新聞社の加藤前(?)ソウル支局長の拘留の問題。新聞の紙面に問題があったそうだが、たかだか名誉毀損(大げさに見積もって)ではないか。日本なら罰金ですむ事件だ。加えて産経新聞のニュ-スソ-スとなった朝鮮日報にはなんのお咎めもなし。加藤氏の拘留は昨年8月から延長に延長を重ね既に半年に及ぶ。いつ釈放されるのかは全く不明だ。私はここで拘留と言ったが、この場合は帰国禁止のことだ。拘禁反応という現象がある。捕虜や受刑者が一定の施設に収容されて自己の意志では外部に出られないという状況下で起こす精神病理現象のことだ。不安、抑鬱時として錯乱をきたす。またこのような状況では身体にも変調をきたす。加藤氏は既に二度帰国禁止を延長されているのだから、帰国時期は全く不明となる。半年あるいは一年拘留され帰国の展望が得られない時には、心身は異常になりやすい。これは既に苛め、拷問のたぐいの措置ではないか。もし加藤氏に万が一のことがあったら韓国はどうするのだろうか。日韓関係は更に悪化する。もっとも私には韓国とは悪いないし無関係の方がいいのだが。かって韓国の沿岸で韓国の船が外国船に衝突した事件があった。海難審判では韓国船は無罪とされ、ぶっつけられた外国船のインド人船長は有罪とされて1年間の懲役刑を課された。船乗りの団体は韓国船ボイコットを呼びかけた。
 三番目がナッツ姫事件。大韓航空の副社長で創業者の娘に当たる人物が機内でのナッツの出し方が悪いと怒り、サ-ヴィス員を叱責しその際軽い暴力を振るい軽微な傷を負わせ、更にすでに離陸体制に入っていた飛行機を元の場所まで後退させた事件だ。ナッツ姫が成金財閥のお嬢さんで甘やかされて思い上がっていたのは父親の言葉からも解る。ところでこの事件に対する判決がなんと懲役1年だ。事故になったわけでもなく(なるはずがない、操縦士が心得て事故にならないように誘導するから)、せいぜいサ-ヴィス員の手に軽い傷を与えただけなのだ。あえて言えば日本では傷害罪に当たるが、日本人なら謝罪してすむくらいのことだ。見たところ30歳そこそこの若い娘さんだ。懲役というのはいろいろな犯罪者と同居生活を送ることだ。かたぎの人間には耐えられない環境におかれることだ。ナッツ姫に同情する。懲役に値する行為とは思えないが、せめて執行猶予でもつけられないのか。これは既に復讐劇だ。加えて裁判官の言葉が恐ろしい。国家の威信をきずつけたとか。日本でも国家の威信を傷つけるような行為は頻出するがかといって処罰された例はない。国家の威信云々で懲役ならアサヒの社長など何年刑に服すればいいのかとなる。国家の威信などどうとでも取れる。裁判官の判断一つで即懲役となりかねない。つまり言論の自由が基本的にはないことになる。ナッツ姫事件に関する限り訓戒と罰金程度でいいと思う。既に社会的制裁は済んでいる。韓国の司法判断のおかしさをこの一年みてきたが、ナッツ姫事件でさすがに空いた口がふさがらなくなった。
 韓国には基本的に言論の自由がないとしか言いようがない。伝聞によると韓国には反日法というのがあるそうだ。日本に有利な言動を為すと処罰されるそうだ。どういう教育のせいか韓国では日本人はすべて悪人だそうだから(その割には韓国人の日本への不法入国は絶えない)、反日法があるかぎり韓国に赴いた日本人はすべて逮捕抑留の対象になることになる。おかしな国もあったものだ。
 韓国の司法判断を見ていると、感情的であり世論に迎合して世論を煽り、見栄をきって自らの倫理性を誇示し加えて行政の機嫌を伺う姿勢が目立つ。安倍首相の言葉か否かは不明だが、中国は嫌な奴だが外交交渉は可能だ、しかし韓国は外交のできない馬鹿な国だ、という言葉はまさしくぴったりだ。

タクミとサムライ

2015-02-15 19:02:53 | Weblog
タクミとサムライ

 タクミは匠・巧みを、サムライは侍・武士を意味します。ところでこの両者には大きな共通点があります。両者はむしろ同一と言ってもいいかも知れません。その共通点とは?技術への献身、集中力という性癖です。以下感じた事を述べてみましょう。
 日本で一番古い企業は大阪の金剛組という建築会社です。創立は578年、593年に四天王寺を建てました。聖徳太子や蘇我馬子の時代です。欧州最古の企業の創立は1369年です。他の地域は比較の対象になりません。日本で100年以上続いている会社は推定で10万以上あるそうです。この数は世界中で飛びぬけています。理由は家職への専念による伝統の維持と技術への忠誠心です。換言すればじっくりこつこつ物を作って職人意識に徹し、下手に商人化しないのです。日本の場合商人でも簡単には商人化(金融資本化)しません。
 日本の技術の優秀性を物語る逸話を紹介しましょう。まず751年に創建された東大寺の大仏開眼です。日本人が公式に仏像を見たのは欽明天皇の御世、6世紀半ばです。それから200年で世界にまたとない巨大な銅製の仏像を造りました。遠近のどこから見ても正視に堪えるようデザインし、大量の銅を融解して流し込む。大変な技術です。繰り返しますが大仏像のような巨大な銅像は世界に他とありません。
 鎌倉室町つまり中世と呼ばれる時代、日本がシナに輸出していた物品の一つに日本刀があります。ところでこの日本刀はシナでは潰されて農具に転用されました。つまりシナでは自前で鉄製農具(鋤鍬)を造れなかったのです。逆に言えば日本の製鉄技術はそのころから優秀でした。日本刀の切れ味は抜群です。日本刀に関しては多くの逸話があります。一番有名なのが妖刀村正です。村正は必ずそれに関係する人物にたたりをもたらすといわれました。それほど、気持ちが悪いほど、切れる優秀な刀だったからです。徳川家康の父親祖父は村正でもって殺害されました。彼の長男も同様です。徳川家にとってはたたりをもたらす妖刀が村正でした。そこのところを心得てか家康の政敵石田三成は常に村正を帯刀していました。日本人が刀剣に対して抱く思い入れはこのようなものでした。技術への忠誠心を通り越して一種のフェティシズムにいたっています。
 江戸時代の名工左甚五郎の話も有名です。彼が描いた龍の画像から龍が飛び出してきたという逸話もあります。そういう話には事欠きません。
 明治以後日本は急速に工業化を成し遂げます。この過程で現在でも有名な企業の創立者で職人意識丸出し、というより技術馬鹿というような人物が多くいます。少し拾って彼らの逸話を簡単に素描してみましょう。
 まずからくり儀右衛門こと田中久重、彼は久留米の鼈甲細工製造を営む職人の子供。彼は幼少から起用で造形の才能に恵まれ、一日中父親の工房で職人がする細工仕事を見るのが楽しいといった人物。儀右衛門は久留米をでます。主として大阪で多くのからくり仕掛けを作って名声をえますが、やがて現実に役立たないからくり作りが嫌になり銅製行灯など作り始めます。京都の蘭学者のもとに通い西欧の技術を見聞します。知り合った佐野常民のつてで佐賀藩鍋島家に雇用されます。そこで軍艦大砲の製造を任されます。彼が作った武器は戊辰戦争の勝敗を分けます。廃藩置県で佐賀藩の施設は新政府に寄贈され儀右衛門はそれを管理運営することになります。この施設はやがて儀右衛門に払い下げられます。そこで彼は電信電話機、火薬砲などを作っています。やがて儀右衛門の会社は三井に買い上げられます。儀右衛門の施設が東京の芝浦にあったところから社名は東芝となります。
 臥雲辰到は豊田佐吉に先行する紡績機械の開発者です。彼は信州の農家に生まれました。当時女性が綿から糸を作る作業をしていましたが、この作業の機械化を企てます。農業に従事せず発明に没頭する辰到に業を煮やした親は彼を近くの寺に入れてしまいます。臥雲辰到という名はこの時に付けられた名です。明治の廃仏毀釈のどさくさで寺はつぶれ辰到は民間人になり紡績機開発に専心します。できた製品がガラ紡です。ガラ紡は安くて当時の民間の企業には格好でした。やがて紡績は西欧の技術で完全機械化されますが、そこに到る数十年ガラ紡は民間で使い続けられ民間企業を支えました。辰到は最初の妻には逃げられ貧窮で晩年は二度目の妻のやっかいになっています。
 山辺丈夫は津和野藩藩士です。彼は旧主君の御曹司についてロンドンに留学し経済学を学んでいました。そこへ渋沢英一から緊急連絡が入ります。渋沢が中心になって欧州の会社に負けない大紡績会社を作る計画が持ち上がり、急遽英国の工場の技術を習得せよとのことです。誰も教えてくれませんし、大学でもそんな講座はありません。山辺は工場に一職工としてもぐりこみ、紡績機械の機構を習得して日本に帰ります。新工場の運営で山辺と英国の技術者は対立します。英国人は日本人には工場運営をする技術力はないと断言し、山辺は日本人単独でできると主張します。山辺は新工場の技師長になり立派に工場を作動させます。この工場が大阪合同紡績会社で幾多の合併をへて東洋紡績になります。山辺は後にこの会社の社長になり日本の紡績業界の顔になりました。
 豊田佐吉は浜松の近くの農村大工の子供です。農業にも大工作業にも興味を持たずひたする国産の紡績機械の開発に関心を抱き続けます。一度は家出して東京にでかけ父親に連れ戻されています。最初の妻には逃げられます。技術開発に専念して家庭に関心を向けないのだから当然です。佐吉は結果として優秀な機械を開発し成功しますが、それは彼を支える周囲の人物特に二度目の妻の献身的努力によるところが大きいのです。彼の長男喜一郎も技術馬鹿で自動車生産に邁進しました。周囲は経営に与える影響を心配し、二代そろって技術馬鹿は要らないと歎きました。
 森永太一郎は森永製菓の創立者です。彼は伊万里の伊万里焼問屋の子供でしたが父親は破産します。太一郎は東京に出て伊万里焼の販売会社に勤め、輸出を企てて渡米します。商売は大失敗キリスト教に入信します。失意の時公園で少女にもらって食べたキャラメルの味が忘れられず、洋菓子製造を終生の仕事に決めます。アメリカで洋菓子製造の会社に入り技術を習得して資金を貯め日本に帰ります。この間11年、妻子はおっぽり出しでした。太一郎は洋菓子製造の時に着る制服(コックの格好)を洋菓子職人の大礼服といい、菓子製造を表社会に引き出し自己主張しました。気は強く喧嘩ぱやく短気でした。信じたら一途の人柄で、後年森永の経営を他者に譲り死ぬまでキリスト教の布教に専心しました。彼には重要な協力者がいます。松崎半三朗です。製造一途の太一郎を助け経理営業を担当したのが松崎です。松崎がいなければ森永の今日はなかったでしょう。
 小平浪平、日立製作所の創立者です。かなり複雑な過程を経て26歳東大工学部を卒業。小坂鉱山に入社、電気機械関係の業務に携わります。当時の電力業界の名門東京電燈に入社、ここで屈辱的体験をします。東電に入れる電気機械のすべてが外国製品で日本産製品はありません。浪平の役目は単なる仲介者でした。ここで是が非でも日本産の電気機械を作ってやると決心します。久原房之助の経営する日立鉱山に入り電気機械の整備、やがて独立して電気機械製作の工場を立ち上げます。大学卒業から5年です。後は黙々と機械開発にとり組みます。始めの不良品にはサ-ビスと補修で対処し、昭和4年ごろには日本一のメ-カ-になります。浪平には自社製品は必ず売れる使われるという信念のようなものがありました。また浪平は自助の人でもあります。自分で考え試行錯誤を経て新しい物を作ります。生涯外国へ行った経験がありません。外人に習うよりは自分で試行したほうがましだという考えだったのでしょう。周知の通り日立は東芝三菱川と並ぶ重工業機械のブランドです。
 NHKの朝ドラの主人公竹鶴政孝、大阪高等工業学校醸造学科を卒業。スコットランドに留学。そこでスコッチの製法を学んで帰ります。おまけか本命かは知りませんが英国人の奥さんつきで帰国。サントリ-の鳥井信次郎に請われて山崎でウィスキ-製造に着手。10年かかってやっと英国産並みに近いものを作ります。しかし竹鶴はあくまでスコッチの本場の味にこだわります。鳥井と別れて北海道余市でウィスキ-製造に邁進し、戦後になってニッカウィスキ-を発売。製造には熱心でしたが経営のほうは危なく、アサヒビ-ルの山本為三郎が後援します。本来ウィスキ-など本場の英国から買えば済むもの。それをむきになって本場以上のものを作ろうとする。酒は文化です。英国の文化の結晶とも言えるスコッチ同様のものをあえて日本で作る必要があるのかなとも思います。結果としてスコッチ以上の物を作ちゃった。竹鶴は典型的な可愛い技術馬鹿でもあります。
 ホンダの創立者本田宗一郎は浜松近辺に生まれた腕にいい鍛冶屋の倅。高等小学校を卒業して自動車修理工場に丁稚として勤務。自動車が好きで好きでたまらない。独立して修理工場を経営。経営は極めて順調で評判はいい。バイクを作ろうと決心。学問上の知識は浜松高等工業専門学校で習得。必要な学科のみ出席し卒業資格には関心を示さず。レ-スが大好きで自分も参加。バイクの製造へそして四輪車の製造へ。ホンダと言えば日本のみならず世界中の若者が憧れるブランド。
 高柳賢次郎、TVの開発者。この人物もやはり浜松近郊に生まれる。機械いじりと工作が大好き、運動は苦手そして成績もぼちぼち。師範学校、高等工業専門学校に通い、基礎知識を習得。電子放電の実験に感銘し、現在TVと言われている装置の開発に専念。浜松工業専門学校に就職しこつこつTVを開発。なんとか映像送信が可能な装置を作る。こつこつやっているうちにいつの間にか世界一の研究水準へ。TV画像送信の天覧。やがて戦争。海軍技術研究部長となりレ-ダ-の研究などに従事。終戦そして追放。アメリカは日本におけるTVの研究を禁止(禁止されたのはこれだけではない、日本が開発していた核技術、航空機の製造なども禁止)。この措置でアメリカはTV開発で日本を抜く。高柳は追放解除後TV開発に専心。
 井深大、子供の頃ラジオを分解しそれをまた組み立てなおすという逸話。自説は明瞭に頑固に主張するタイプ。神戸一中在学時漢文の読み方で教師と激論、白紙の答案を提出。早稲田の理工学部を卒業し電気機械の会社に就職。戦争、海軍で対潜磁気探知装置などを開発し米潜水艦撃沈に貢献。戦後すぐ電気通信関係の会社を創設。アメリカで開発されたトランジスタ-に注目し巨額の資金で特許を買収。小型ラヂオを開発。逸話あり。ある金貸しがソニ-を買収しようと計画。井深達は、金融や株の操作では全く勝ち目がない、いざとなったら特許のみを抱えて脱出し別個の会社を作ろうと覚悟。この決心を聞いた金貸しは買収から手を引く。
 キャノンの創始者御手洗毅は北大卒の博士号をもつれっきとした産婦人科医。患者さんの夫とカメラ趣味が一致しカメラ製作に進出し会社を立ち上げる。医者とカメラ製造の二足の草鞋。戦後打倒ライカを宣言。終戦で復員してきた大量の技術者を雇用。大家族主義、高級優遇。失敗しても叱られないが、何もしないとどなられる社風。昭和38年ドイツに新製品をもって上陸しドイツ語で講演。ドイツ人の嫉妬を掻きたてる。現在世界のカメラ市場はキャノンとミノルタで95%独占。
 職人とは技術者、タクミです。ところでこのタクミ・匠の精神は武士のそれと軌を一にします。武士とは何者でしょうか?武士はまず戦闘技術者です。日本ではこの戦闘技術が華麗繊細で芸術的と言っていいほど発達しました。平安中期に出現した武士の戦闘は騎射です。馬に乗って駆ける違い、鎧のサネの間から矢を射こみます。それを一定のルールに基づいてします。かなりな程度ゲ-ムに近いしかし難しい戦法になります。これが武芸の始まりです。ですから武士の戦法が槍や刀になり歩兵戦が主となっても精神は変りません。武士とは基本的には戦闘の職人なのです。そして武士は農民でもあります。律令制下に私有田を作り、脱税のために寄進し、自らの財産を自ら護るために武装します。土地開拓者農民である武士は独立経営者ですから、自立性は強い。彼らが相互に団結して自らのための政府を作ります。それが幕府です。将軍と武士はご恩と奉公の関係で結ばれます。その心理的紐帯が忠誠心です。ですから武士は忠誠の証しとして自らの武技武芸を磨きます。もっとも主君と臣下の関係は双方向的です。御恩が下されないと臣下は主君を見限ります。戦闘技術者であり農場開拓者であり人格的双務関係の当事者である武士はその本性として技術を大切にします。江戸時代になって戦争がなくなったら武士は戦闘技術者から転じて統治のための行政官、これも技術者です、になりました。明治に入り職を失うとその多くは新政権の官僚になりました。そして明治以来の企業の創立者には圧倒的に武士あるいはそれに準じる者が多いのです。武士の戦闘技術も、経営者の経営技術も、職人の製造技術も技術という点では変りません。タクミはサムライなのです。
 最後に日本人の技術への高い評価を支える心性について論及します。菩薩道です。日本に入ってきた大乗仏教は、俗世における悟りの証しを農工業生産の促進に求めました。菩薩僧といわれる人達により灌漑や道路橋梁などのインフラ設備が進められました。彼らは技術者です。また仏教により柔らかく解体された律令体制はそこから、家職を生み出してゆきます。律令制下の下級官人は公職を専門の家職として相続するようになります。家職という精神は一般にも及び家の職として技術を大切にする風潮を育てました。だから1000年以上も続く金剛組のような企業もありえたのです。

関西近畿復権についての提言

2015-02-10 16:13:29 | Weblog
関西近畿復権についての提言

 関西と言ったがこの言葉は適当ではない。京大阪から見た場合関の東の辺縁な地として東国関東という言葉が用いられた。首都が東京に遷ったので自動的に関西という言葉が発生したらしいが、この言葉を用いることは自らを首都に対する一地方と位置づけるに等しい。むしろ近畿と言う方が妥当か。王城の地、五畿内を意味するが故に。関西か近畿かとう語法の違いはいわゆる関西近畿圏の自己同一性の混乱を物語っている。
単なる混乱ではない。自己主張が強すぎての不統一と混乱なのだ。関西近畿の中心が大阪だといえば京都はむくれるだろう。京都も大阪も決して関西という語の中に自己の表現を埋没させたくはない。横浜が東京の単なる延長上の地域であるのに対して関西近畿の京阪神三都はそれぞれ独自に来歴由来を持っている。のみならず関西近畿には首都体験を持つ府県が多い。奈良京都は言うに及ばず、大阪は難波宮、神戸は福原宮、滋賀県は近江宮を持った過去がある。また三重県には伊勢神宮があり、この地は日本の魂、別の意味での首都だ。関西近畿における政令都市は四つ、その内堺市は東海道山陽というメインロ-ドからはずれている。しかし堺市は政令都市だ。それだけの由来と出自を持つが故に。大阪の母胎であり、京都に対抗しつつ京文化と密な関係をもって中世の堺文化を生んだ堺市はある種の首都体験を持っていると言えよう。首都体験というものがその地域の住民に如何なる意義を持つかは北九州と名古屋を比べてみればよく解る。北九州は大和王権成立以前には先進地域であり、邪馬台国があったかも知れないと北九州の住民は思っている。だから北九州の住民の地域自己主張は非常に強い。それに比し北九州より遥かに大きい経済圏を有する名古屋の自己主張、地域への誇りの微小なこと。首都体験とはそういうものだ。要するに関西近畿に属する府県のほとんどは首都体験を持ち、だから住民は自覚的また潜在的に中央意識を持っている。だから関西近畿圏の府県は自己主張が強くまとまりにくいとは言える。これは関西近畿の弱みでもあり同時に強みでもある。歴史の旧さと豊かさはそのまま文化という財産になる。ここで歴史、観光、医療という関西近畿の強みとされている分野から関西近畿復権の展望を考えてみよう。
 まず歴史という点では奈良県に徹底的にてこ入れすべきだ。奈良県は古代遺跡の宝庫だ。この遺跡を単なる学術の具にのみ留めておくのはもったいない。平城宮遺跡などは遺跡発掘の進展と併行してそれを地上に再現すればいい。ミニ平城京を造るのだ。他の遺跡に関しても同様、巻向古墳などは邪馬台国の女王卑弥呼の宮殿跡とされている。ならそれを復元させて2000年前の時代を再現し演出し表示すればいい。こうすれば奈良県は世界最大最高の歴史文化地域になる。観光客は倍増するだろう。要は遺跡の下に眠る記憶を再現して劇場化し公園化することなのだ。遺跡だけなら訪問する者は単なる遺跡マニアだけに限られる。しかしそれを劇場化すれば訪問する者は指数関数的に増大する。単なる温泉地であった宝塚に劇場ができた。それだけで宝塚は一変した。この智恵を奈良県全域に応用すればいい。同時に平行して奈良県にある神社仏閣の祭礼等も派手に演出する。要するに奈良県を日本の文化の原点として劇場化しつつ世界に向けて発信するのだ。奈良周辺の地域、京都、滋賀、和歌山、大阪、三重県の一部も同様の措置施行の対象になる。一点に観光客が集まれば他の地の観光も繫栄する。重要な事は日本は古来の文化施設を現在でも非常に多く保持していることだ。だから遺跡の復元は同時に現在の風景に結びつく。この事は日本文化の評価に連なる。日本文化は歴史的連続性が強い。この点では世界一だろう。例外ともいえる。遺跡の復元は現代日本の積極的な宣伝にもなる。更に奈良県大和国は周知の事ながら日本の文化と政治の発生成育の地だ。この奈良県の遺跡や施設を劇場化することは、そのまま日本誕生を演出表現提示することだ。我々日本人には国家意識の涵養になり、外国人には日本をより深く広く理解する契機になる。歴史は資本なのだ。この資本を関西近畿は一番大量に保持している。歴史は資本だ。歴史を発掘し理解し再解釈することにより、人心は単なる国粋主義を超えて安定し豊かになり、国民個々人の自己同一性は深まる。換言すれば民度は向上する。この民度が労働生産性と内需の基盤になる。奈良大和を起点として歴史を掘り起こしてゆこう。
 関西近畿の医療技術の水準は高い。多分日本一だろう。関西近畿には旧姓帝大が二つもある。ともにトップレベルの研究をしている。関西近畿を医療の起点にしようとする時、それは一部で言われているような外国の金持ちの診療をして稼ごうなどというみみっちい考えではない。医療行為の物質的基礎は薬剤と医療機器に集約される。これらの物を作る製造業を盛んにしようと言うのだ。薬剤は化学工業に連なり、また薬剤製造はそのまま素材産業になる。医療機器は将来単なる機器ではなくなる。病院はすべてシステム化され病院自体が統一された機器の集合体になる。医療機関の整備とはそれ自身が原発新幹線軍艦製造など他の分野に直結してゆく。医療をそこまで深く遠大な構想でもって誘引する。そういう方向で医療産業を考え企業を誘致する。そして医療はもう一つの分野介護と密接に関連する。
 介護という事項は従来考えられてきた以上の意味を持つ。まず介護は単純に老年者を世話する行為というだけではない。介護自身がサ-ヴィスであり価値を持つが、介護では医療と同様将来どんどん機械化が進むだろう。機械化あるいはシステム化と言ってもいい。介護自身が膨大な需要と生産行為への大きな動因刺激源を持っている。だから介護は将来における有望産業になる。ここで一つ大胆な提案。介護施設を地方つまり田舎過疎地域に移動させ地方を介護の主要センタ-としたらどうであろうか。関西近畿を例に取れば京都府北部、兵庫県北部と西部、奈良県南部、滋賀県北部、三重和歌山両県などの各地に介護施設を移す。重症の寝たきり老人や認知症の人達を過疎地域に移動させそこで集中的に管理し治療する。地方創生において一番重要なことは、企業などの物的施設を誘致することではなく、人間そのものを移動させ定着させることだ。介護される人間は当然幾多の需要を持つ。また介護する側も当然当該地域に移住定住しなければならない。介護には医療が随伴する。仮に一万人の被介護者を移住させれば、一万人の介護医療要員が付随して移住しなければならない。集中的に管理すれば効率は上がる。機械化システム化も容易になる。医療介護を含めて機械化へのインセンチヴが増大する。更に家族との交流のために都市部と過疎部の連絡は増大し交通インフラへの需要も増大する。関西近畿という大きな地域が発展するためには大阪などの都市部に人口を集中させてはダメだ。まず過疎部に人口を集中的に移動させる。人口が増えれば過疎部は繫栄する。この周辺の繫栄はやがて中枢たる都市部にはね返ってくる。介護施設の過疎部への移動は地方創生の大きな動因となる。この施策は日本全体の問題であるがまず関西近畿圏が率先して取り組むべきではあるまいか。そのくらいの大胆な試みをせずして関西近畿の復権はありえない。
 関西近畿の発展のためには交通インフラの整備は重要だ。あくまで関空を中心に考える。関西に空港は三つ要らない。伊丹か神戸の空港のどちらかは廃止する。そして阪急地下鉄南海を乗り換え無しで繋ぐ路線を造る。梅田から関空まで30分で行けるようにする。奈良からも直行で関空に行けるようにすればいい。現在の和歌山線の支線を途中から延ばせば容易に関空に到れる。もう一つ交通インフラで重要な事は北陸新幹線の延伸だ。米原から金沢までの新幹線を作る。もちろんリニヤ-新幹線の大阪への延伸は可及的に早く実現するべく運動する。東京が名古屋と結ばれてもあまり意義はない。名古屋は東京大阪間の単なる通過地点の意義しかない。
 学術機関の集中化は緊要な問題だ。研究は研究集団が集中してこそ成り立つ。情報特に研究情報は人事の密接な交流においてのみ可能になる。大阪難波高島屋の南方に広大な空地があるがそこに学術研究機関を集中させる。まず大阪市大と府大を統合しそれをこの地区に移す。約一万人の学生と同数の職員がいるが、彼らをこの地区に移動させる。もちろん施設も。その為には巨大なビル郡が必要となる。それ以外の大学もこの地域に移動させたり、状況によってはサテライトを造ればいい。関西近畿以外の地域の大学もサテライトを出せばいい。学術研究と並んで重要な事は日本の製造業を支えている中小企業への技術支援をどうするかということである。当該地区に学術機関を集中させたら、この施設の一部を中小企業の技術援助に使用できる。中小企業から学びに来るのが一番にいい。そのためにも学術機関の集中は必要だ。関西近畿の製造業は東大阪を中心とする中小企業群で成り立っている。
 最後に金の問題。関西近畿の復権には国家の政策が必要だ。明治維新時東京へ遷都して関西近畿の資本を大体的につぎ込み東京を造った。この試みは大成功だった。そしてこの試みは明白な国家意志だった。将来日本が繫栄するためには、国家自身が関西近畿をどうするのか明瞭な施策を示さなければならない。同時に関西近畿自身の自助努力も必要だ。私は関西近畿を構成する府県と市町村が金融同盟を結んで共同で債権を発行してもいいのではないのかと思っている。この際債権の保証は国がする。あるいは国家と関西近畿地域が半々で債権を発行してもいい。

ヘイトスピ-チに関しての報道

2015-02-01 01:47:47 | Weblog
 ヘイトスピ-チに関しての報道

 1月13日午後七時半のNHKの報道はヘイトスピ-チに関してのものであった。ここでヘイトスピ-チは弾劾されている。ニュ-スの画面から見る限りヘイトスピ-チは見苦しく、スピ-チの相手に威圧と不快感を与える。よくない行為だ。しかし私にはこの報道に何かうさんくささを感じた。ヘイトスピ-チなるものが攻撃の的とするのはいわゆる在日特権である。NHKは政府がかかる特権は無いと言ったと報道する。政府があるとは言えまい。公然とはできないから特権なのだ。まず生活保護。外国籍の人間は生活保護を受けられないはずだ。しかし在日韓国朝鮮人は受けている。私の知った在日韓国朝鮮人で生活保護を受けている人がいる。なぜ他の外国人には与えられない生活保護が在日にのみ与えられるのか。
 次が納税の問題。現在は知らないが少なくとも10年前までは在日韓国朝鮮人は税金をほとんど払っていないはずだ。彼らが創った強力な団体が税務署の介入を実力で阻止したと言われる。私が知っている在日韓国人に20年前納税の有無を聴いたら、払っていない、税務署が着たら適当に相手して追い返せばいいと、明白に述べた。彼だけだろうか。ちなみに彼は当時町工場を経営し、納税に値するだけの収入は得ていた。私は在日韓国朝鮮人は現在でもきっちりとは納税していないと思う。30年前になるが、在日韓国朝鮮人が日本で殺人強盗などの兇悪犯罪を起こせば本国に強制送還されてしかるべきだが、当時の韓国政府は強制送還しないように日本政府に求め問題はそのままになっている。在日韓国人にかかる特権があるのなら納税忌避の可能性もあるだろう。
 犯罪に関しては通名の問題がある。彼ら在日韓国朝鮮人の多くは本名を名乗らない。日本風の苗字で通す。そしてこの通名は容易に変更可能で、だからそれが犯罪捜査の支障になっているらしい。在日の犯罪率が高いのは一部では常識である。警察は国籍別の犯罪数を公表すべきだ。
 日本人や日本政府は戦後理由なき贖罪感を韓国朝鮮人に抱かされてきたので彼らを悪く言うことはタブ-視されてきた。だから一部の公務員の中には進んで在日特権の維持に協力する者もいる。
 NHKの報道は政府の形式的な報道を楯にヘイトスピ-チの主張には全く根拠がないと言っている。おかしい。NHKは二人の人物を登場させている。一人は在日韓国朝鮮人の大学教授。彼はスピ-チがわが子に与える影響に苦慮しているとか言っていた。もう一人は外国人らしい東大教授。彼はヘイトスピ-チがナチス政権下の言論と同じだと言っていた。そして国連が日本国内のヘイトスピ-チに警告を発しているとも報道された。ギリシャでも同様の事がおきて国連から警告されているとか。
 逐次反論する。まずヘイトスピ-チの団体の責任者をも取材するべきだろう。彼らの言分を聞くのが公平というものだ。NHKの報道にはこの事がない。ナチス政権下云々は噴飯ものだ。ナチスが政権を取ったのは当時50%にも及ぶ失業率ゆえだ。現在の日本の失業率は4%強。状況が違う。戦前朝鮮人に対して差別意識を多くの日本人が抱いたことは事実だが、欧州特にロシアやドイツなどにおける反ユダヤ感情とは次元が違う。ギリシャとの比較は不愉快だ。ギリシャのような無責任で経済破綻寸前の後進国といっしょにされたくない。全然事態が違う。日本は在日韓国朝鮮人の就職を妨害はしていない。ただし公務員は別。
現在韓国がわが国に対してしている事を考えてみよう。根拠もなき強制連行された慰安婦という神話に基づき(この事が嘘である事は昨年主犯の朝日新聞がげろを吐いた)慰安婦像を世界各地に作り日本人の名誉を汚している。ヘイトスピ-チなるものが心を傷つけるのなら、慰安婦像設置も同様だろう。また日本人新聞記者を根拠曖昧な名誉毀損とかで長期拘留している。これは実質的にはフランスにおけるテロ行為と同一なものだ。この事に付言して言えば、今後なんらかの形で韓国を批判したものはうかつにあの国にはいけない事になる。極めて恣意的な理由で拘留逮捕されかねないから。国連もこの事に関して韓国に警告してはどうか。国連と言えば30年前クマラスワミ(?)とかいう名のスリランカの国連職員が慰安婦問題ででっちあげ報道をしていた。そういえばNHKも慰安婦の強制連行を報道したはずだが、取り消したとは聞いていない。正直、国連そしてNHKとくれば日本にとってろくなことがない。
 在日特権はいかにして生じたのか。戦後マッカ-サ-指揮下のGHQは旧日本植民地であった朝鮮半島の住民に日本人でもない外人でもない地位を与え事実上治外法権にしてしまった。そして米軍の暴挙(原子爆弾投下や無差別爆撃によるジェノサイド)を隠蔽するために朝鮮人に日本支配の過酷さを根拠なく吹き込み彼らを甘やかし特権を与えた。昭和20年代初頭の都会では朝鮮人が暴れまくり交番は襲撃され日本人は殺された。現在の暴力団の起源はこの辺にあるらしい。在日韓国人が活躍する分野はパチンコと菓子製造業だ。パチンコ営業の許可はGHQにより朝鮮人に優先的に与えられた。また当時砂糖は配給制で一般の日本人には手に入りにくい中、朝鮮人は闇を公然と行い営業できた。ロッテの成功などはそのおかげかもしれない。
 このように考えてくるとNHKの報道はヘイトスピ-チ非難に名を借りた在日韓国朝鮮人とその特権の擁護にしか見えない。背後の事情をすべて隠蔽して表面のみを取りあげるいやらしいやり方だ。昨年夏朝日新聞はついに慰安婦強制連行説を虚偽捏造として取り下げた。しかしアサヒの体質は変っていない。NHKも同穴のむじなだからああいう報道をしている。NHKは韓国朝鮮に対しては一切批判をするなと言いたいのか。
(付一)NHKはヘイトスピ-チ非難の報道を二度同じ内容でしている。
(付二)韓国人は戦争中日本に労働者として強制連行されたと言うが、戦時体制下ではすべての日本人は徴用された。つまり国家の総動員計画に基づき自己の意志とは別に配備させられた。私の父親も同様だった。またこの戦時徴用は日本のみならず米独ソ英など総力戦を遂行した国家ではどこでもしている。戦時体制下に増えた韓国朝鮮人は昭和27年(?)
に祖国に帰還している。当時日本に残留した韓国朝鮮人は3万人弱であり、彼らは彼らの意志で残留した。現在在日韓国朝鮮人は約50万人と言われるが、その大多数は戦後繁栄する日本経済に魅せられて生活の為に日本に来た人達だ。そしてそのかなりの部分は不法入国だ。この事実も私は知り合いの在日韓国人から直接聴いた。
(注三)NHKだけではないが大手メディアが行なう偏向報道の一例を挙げる。ヘイトスピ-チは報道として取り上げられた。では4年前シナの漁船が海上巡視艇に体当たりをした映像を当時の菅内閣が隠蔽し、義憤に駆られた海上保安庁職員がその一部を漏洩させた時、この隠蔽に抗議して行なわれた3000人のデモは一切報道されていない。片手落ちエコヒイキだ。大手メディアは日本よりシナの方が好きらしい。
(付四)ギリシャに関して言えばかって別の件で日本はギリシャと比較されたことがある。数年前ギリシャが経済破綻に瀕した時、日本もギリシャのようになると内外から言われた。ギリシャはユ-ロという外部通貨を借りているからユ-ロで返さなければならない。日本では国家が国民から円で借りているだけ。日本とギリシャの状況は根本的に違う。なぜかギリシャというEUの劣等生とあえて意図的に比較され同一視されているみたいで不愉快だ。
(付五)私は在日韓国朝鮮人に日本から出てゆけと言っているのではない。しかし日本に永住して日本語しか話せず母国に帰還不可能ならなぜ日本に帰化しないのか。ちゃんと日本国籍をとり日本人になればいいではないか。それとも現在のような曖昧な立場の方が有利なのか。多分そうだろう。税金も払わず困れば生活保護、いいとこどりではないのか。そういう曖昧なあり方は日本と日本人にとっても迷惑だし、在日韓国朝鮮人にとってもいいことではない。