日本史入門(21) 江戸時代の経済政策
1 江戸時代の経済政策を総合的に考察する。共通する第一の特徴は農村手工業の振興、米作依存からの離脱。米作を尊重しつつ商品作物の栽培加工に財政再建の方途を探る。商業資本との提携は必須。提携方法は三つ。融資、商人からの借金。商人の事業請負、藩政への直接参加、商人が藩籍を得て武士になることも。三番目が流通税の徴収、有力商人に同業団体を作らせ間接税を上納。
藩が銀行の役割を。商人から金を借り農民に融通、民間の金融機構を藩直営にする。
2 農政改革。徴税の厳格化、中間搾取層の排除、村の相互扶助組織を育成、農事指導。農村手工業の振興と商人資本との提携、行政改革は必至。冗員を省き合理化、実務官僚育成、藩主に権力が集中する中央集権制を志向。情報公開を計り下級武士を登用。情報公開は庶民層にまで及ぶ。
貿易の重視、藩間貿易。地の利を生かして薩摩は外国貿易、長州は中継貿易。各藩の経済思想は重商主義。藩内の産物を外に売って稼いだ金を貯める事が基本方針。
重商主義の主導者は藩、だから藩専売制。改革で得られた利益を誰が取るかでもめ、よく一揆が起った。江戸時代後半の一揆は条件闘争、現在のストライキ。
3 貨幣流通量の増大。貨幣の量を増やさないと経済は萎縮。典型が幕府の貨幣改鋳。銀の定額化は貨幣改鋳の公然化、貨幣量の増大を意図。銀の従属貨幣化から金本位制を志向。幕府政治の中央集権化。各藩はなんらかの形で藩札を発行。薩摩藩の砂糖手形、熊本藩のはぜ札、上杉藩の米札などは藩札の特殊な形、手形の一種。藩札は17世紀中葉、幕府が開かれて50年後には出現。藩札の発行は財政の補完、同時に通貨量増大と経済拡大の効果。上杉藩などでは現在の買いオペもしていた。大阪の米市場では信用取引空売空買。江戸大阪間の金融決済のほとんどは信用手形、すぐ全国に広がる。これも通貨流通量の増大へ寄与。財政規模。享保の改革時18世紀前半の幕府の予算は年200万両余、100年後の文化文政年代には2000万両、10倍の増大。各藩も同様だろう。
4 開拓開墾は藩政改革の基礎的作業。増産計画。成功した代表は米沢藩の飯豊山のトンネル、失敗した例は印旛沼干拓。道路橋梁の保全改修、灌漑施設の整備は常識。公共事業、支払われる賃金は民間の需要を増大。有効需要創出政策を言い出したのは二宮尊徳だと思うが、藩政幕政の改革実施の中で有効需要は実際に作られてゆく。
上杉藩では米の藩外移出を容認。米は重要産物、米の交易自由化を計らないと他の産物の動きも不活発。
5 福祉政策の端緒が出現。飢饉に備えて米穀を貯蔵。松平定信は江戸市民から基金をつのり幕府が追加出資して生活保護資金を作る。年金制度にもつながる。長州では貧しい武士の借金返済のために資金を貸与。綱吉の捨て子保護は福祉政策の始り。武士の救済のもう一つの方策が帰農。武士の故郷である農村に帰り生産人口に加わること。
経済政策が進展すると経済事件が多発。民事法制定の動き。代表が「お定め書き百か条」。
6 幕府諸藩は経済改革と同時に教育を充実。藩校造設は18世紀後半、藩政改革と併行。幕府の湯島聖堂が先行。教育の充実、藩幕府は財政改革で士庶の区別が曖昧になるのを恐れる、武士の自覚強化が目的、武士道形成の要因の一つ、同時に官僚育成人材登用の手段。藩政改革は農民の同意を前提とし農民商人を巻き込む。藩政改革による商業流通の拡大に対処するためには一定の教養学問は必要。庶民の教育促進。全国に寺子屋が出現。教育の充実は生活程度を引き上げ、労働生産性向上、有効需要創出、中間階級育成に寄与。藩政改革の第一歩は倹約、倹約は貯蓄投資の源泉。
7 幕政藩政改革、現在の政府の政策のほとんどが出現。工業化、資本融資、間接税、交易自由化、貨幣流通量の増大、公共事業、有効需要喚起、信用取引、紙幣手形の使用、銀行機能、金本位制、買いオペなどの金融政策、貯蓄と投資、重商主義、行政改革、官僚養成、中央集権化、福祉政策、民事法制定、教育改革。江戸期の武家政治とはこういうもの、維新後の日本の発展の基盤を提供。ミニ国家藩の事跡を経験として維新政府は政治経済政策を展開。
8 困窮しても幕府も藩も武士を解雇しない。上杉毛利の両家は知行を大削減されたが、藩士をそのまま扶持。貧乏でも団結は崩さない。改革をしながら貧窮に耐え、同時に積極的に財政改革と経済成長に取り組む。団結し貧しさに耐えつつ教育を充実。武士である自覚を維持するためには教養は必要。幕藩官僚が育つ。
藩政改革は下級武士の救済を中心に、まず弱者から。下級武士の台頭、藩官僚の成長、幕末維新の改革の準備が整う。
9 改革は士農工商提携で行なわれる。特に武士と農民は対立しつつも提携。農村手工業の成長を欠いては武士も農民も食えない。農民の理解と協力が必要。理解協力するために農民自身も教養をつける。士農の提携は武士のみならず農民の教育を促進。藩校の設立に併行して全国に寺子屋が激増。
10 改革は全国的規模。庄屋の藩への意見具申、農民の藩当局との団体交渉は全国的に多発。
11 江戸時代の藩政幕政改革で武士は解雇されない。窮乏化した農民も見捨てられない。農業の資本主義化と平行して農本主義も強調される。農民保護と武士の永久雇用は同根。武士は農村から出現、農村を理解できた。農村を見捨てず農本主義を維持する分、同根である武士自らの身内を解雇することもない。武士と農民は非常に密な関係に。士農提携が日本の社会、日本型資本主義の原型。武士と農民が近い関係にある故に、比較的平等でぶ厚い中産階級が形成され、社会の集団帰属性は強くなる。武士の職能意識は庶民に及ぶ、勤勉、技術尊重。技術立国日本の原点。素敵な江戸時代。
12 繰り返す。産業革命に離陸するための経済政策は江戸時代にほぼ出そろっていた。あえて言えば無かったのは蒸気機関だけか。維新は間近い。
経済学へ一言。経済政策に寄与する学説は三つしかない。需給均衡、有効需要、流通貨幣量あえて付け加えればイノヴェ-ション。学者名で言えばリカ-ド、ケインズ、シュンペ-タ-。そんなところ、西欧の経済学への過信は禁物。
なぜ幕政藩政改革は可能だったのか。宗教秩序と婚姻秩序が整っていたからだ。民衆仏教の興隆、単系核家族の成立。民衆間の交流意思疎通は容易に、彼らの社会への帰属性は高まる。だから経済改革は可能になった。
「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行
1 江戸時代の経済政策を総合的に考察する。共通する第一の特徴は農村手工業の振興、米作依存からの離脱。米作を尊重しつつ商品作物の栽培加工に財政再建の方途を探る。商業資本との提携は必須。提携方法は三つ。融資、商人からの借金。商人の事業請負、藩政への直接参加、商人が藩籍を得て武士になることも。三番目が流通税の徴収、有力商人に同業団体を作らせ間接税を上納。
藩が銀行の役割を。商人から金を借り農民に融通、民間の金融機構を藩直営にする。
2 農政改革。徴税の厳格化、中間搾取層の排除、村の相互扶助組織を育成、農事指導。農村手工業の振興と商人資本との提携、行政改革は必至。冗員を省き合理化、実務官僚育成、藩主に権力が集中する中央集権制を志向。情報公開を計り下級武士を登用。情報公開は庶民層にまで及ぶ。
貿易の重視、藩間貿易。地の利を生かして薩摩は外国貿易、長州は中継貿易。各藩の経済思想は重商主義。藩内の産物を外に売って稼いだ金を貯める事が基本方針。
重商主義の主導者は藩、だから藩専売制。改革で得られた利益を誰が取るかでもめ、よく一揆が起った。江戸時代後半の一揆は条件闘争、現在のストライキ。
3 貨幣流通量の増大。貨幣の量を増やさないと経済は萎縮。典型が幕府の貨幣改鋳。銀の定額化は貨幣改鋳の公然化、貨幣量の増大を意図。銀の従属貨幣化から金本位制を志向。幕府政治の中央集権化。各藩はなんらかの形で藩札を発行。薩摩藩の砂糖手形、熊本藩のはぜ札、上杉藩の米札などは藩札の特殊な形、手形の一種。藩札は17世紀中葉、幕府が開かれて50年後には出現。藩札の発行は財政の補完、同時に通貨量増大と経済拡大の効果。上杉藩などでは現在の買いオペもしていた。大阪の米市場では信用取引空売空買。江戸大阪間の金融決済のほとんどは信用手形、すぐ全国に広がる。これも通貨流通量の増大へ寄与。財政規模。享保の改革時18世紀前半の幕府の予算は年200万両余、100年後の文化文政年代には2000万両、10倍の増大。各藩も同様だろう。
4 開拓開墾は藩政改革の基礎的作業。増産計画。成功した代表は米沢藩の飯豊山のトンネル、失敗した例は印旛沼干拓。道路橋梁の保全改修、灌漑施設の整備は常識。公共事業、支払われる賃金は民間の需要を増大。有効需要創出政策を言い出したのは二宮尊徳だと思うが、藩政幕政の改革実施の中で有効需要は実際に作られてゆく。
上杉藩では米の藩外移出を容認。米は重要産物、米の交易自由化を計らないと他の産物の動きも不活発。
5 福祉政策の端緒が出現。飢饉に備えて米穀を貯蔵。松平定信は江戸市民から基金をつのり幕府が追加出資して生活保護資金を作る。年金制度にもつながる。長州では貧しい武士の借金返済のために資金を貸与。綱吉の捨て子保護は福祉政策の始り。武士の救済のもう一つの方策が帰農。武士の故郷である農村に帰り生産人口に加わること。
経済政策が進展すると経済事件が多発。民事法制定の動き。代表が「お定め書き百か条」。
6 幕府諸藩は経済改革と同時に教育を充実。藩校造設は18世紀後半、藩政改革と併行。幕府の湯島聖堂が先行。教育の充実、藩幕府は財政改革で士庶の区別が曖昧になるのを恐れる、武士の自覚強化が目的、武士道形成の要因の一つ、同時に官僚育成人材登用の手段。藩政改革は農民の同意を前提とし農民商人を巻き込む。藩政改革による商業流通の拡大に対処するためには一定の教養学問は必要。庶民の教育促進。全国に寺子屋が出現。教育の充実は生活程度を引き上げ、労働生産性向上、有効需要創出、中間階級育成に寄与。藩政改革の第一歩は倹約、倹約は貯蓄投資の源泉。
7 幕政藩政改革、現在の政府の政策のほとんどが出現。工業化、資本融資、間接税、交易自由化、貨幣流通量の増大、公共事業、有効需要喚起、信用取引、紙幣手形の使用、銀行機能、金本位制、買いオペなどの金融政策、貯蓄と投資、重商主義、行政改革、官僚養成、中央集権化、福祉政策、民事法制定、教育改革。江戸期の武家政治とはこういうもの、維新後の日本の発展の基盤を提供。ミニ国家藩の事跡を経験として維新政府は政治経済政策を展開。
8 困窮しても幕府も藩も武士を解雇しない。上杉毛利の両家は知行を大削減されたが、藩士をそのまま扶持。貧乏でも団結は崩さない。改革をしながら貧窮に耐え、同時に積極的に財政改革と経済成長に取り組む。団結し貧しさに耐えつつ教育を充実。武士である自覚を維持するためには教養は必要。幕藩官僚が育つ。
藩政改革は下級武士の救済を中心に、まず弱者から。下級武士の台頭、藩官僚の成長、幕末維新の改革の準備が整う。
9 改革は士農工商提携で行なわれる。特に武士と農民は対立しつつも提携。農村手工業の成長を欠いては武士も農民も食えない。農民の理解と協力が必要。理解協力するために農民自身も教養をつける。士農の提携は武士のみならず農民の教育を促進。藩校の設立に併行して全国に寺子屋が激増。
10 改革は全国的規模。庄屋の藩への意見具申、農民の藩当局との団体交渉は全国的に多発。
11 江戸時代の藩政幕政改革で武士は解雇されない。窮乏化した農民も見捨てられない。農業の資本主義化と平行して農本主義も強調される。農民保護と武士の永久雇用は同根。武士は農村から出現、農村を理解できた。農村を見捨てず農本主義を維持する分、同根である武士自らの身内を解雇することもない。武士と農民は非常に密な関係に。士農提携が日本の社会、日本型資本主義の原型。武士と農民が近い関係にある故に、比較的平等でぶ厚い中産階級が形成され、社会の集団帰属性は強くなる。武士の職能意識は庶民に及ぶ、勤勉、技術尊重。技術立国日本の原点。素敵な江戸時代。
12 繰り返す。産業革命に離陸するための経済政策は江戸時代にほぼ出そろっていた。あえて言えば無かったのは蒸気機関だけか。維新は間近い。
経済学へ一言。経済政策に寄与する学説は三つしかない。需給均衡、有効需要、流通貨幣量あえて付け加えればイノヴェ-ション。学者名で言えばリカ-ド、ケインズ、シュンペ-タ-。そんなところ、西欧の経済学への過信は禁物。
なぜ幕政藩政改革は可能だったのか。宗教秩序と婚姻秩序が整っていたからだ。民衆仏教の興隆、単系核家族の成立。民衆間の交流意思疎通は容易に、彼らの社会への帰属性は高まる。だから経済改革は可能になった。
「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行