経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

  日本史入門(26)村方騒動

2021-01-17 14:01:04 | Weblog
日本史入門(26)村方騒動

1 江戸時代農村は集団自治制、室町戦国期の宮座の伝統。農民は年貢を藩幕府に直接納めない、村全体で一括して請負う、農民各自の年貢高は合議で。農耕は共同作業、田植稲刈は個人だけでは不可能。村法があり、年貢高、村維持の費用、用水共有地の管理、村寄合、祭礼などの年中行事、村内での身分秩序が決められる。名主(みょうしゅ)は城下に集住すれば武士、農村に土着すれば有力百姓。江戸初期、有力百姓の影響力は強く、多くの農民は彼らの指導支配下に。平和、商業作物の栽培製造、農村は豊かに、有力者の下にあった農民は自立、自作農。有力者による中間搾取が減る、藩も幕府も自作農の出現を歓迎。
2 江戸時代後半、村方騒動が全国的に頻発。庄屋名主の職は有力百姓が握り、彼らが代官との間に立ち年貢の額を決める。年貢納入は不透明。農民達は批判し団結して立ち上がる。農民の代表が庄屋名主の活動を監視、帳簿公開を要求。帳簿公開要求は代官にも及ぶ。村の指導者も変る、村民が選出。新しい商品経済に対応して村を経営してゆく能力をもつ人物を指導者、庄屋名主として選出。彼らは村の代表、藩営手工業の担い手、富農。彼らの中から藩政特に経済政策に関して積極的に提言する者も出現。村の自治における変化、村方騒動。村方騒動は一村内部に限られず。農民は村の枠を超え、一郡全体で代表者を選出、村政藩政のあり方に意見を述べる。郡中議定、郡単位での農民代表の会議。議定は郡を超え藩の範囲も超えて一国全体に拡大。
3 会議の下に若者組、独身者からなる組織。彼らは思春期青春期に独自の集団を作る、同宿も含め他の村民とは異なる生活、団結。彼らの力は強い、祭礼年中行事、農作業、村の警察業務などでは重要な役割。村の決まりに従わない家は制裁。若者組と呼応する農民の要求に従い村の休暇は増加、藩当局も阻止不能。幕末には週に換算し約3日が休日という記録も。村請、共同作業、村方騒動、議定、若者組の活動など、農村は自治合議組織。
4 江戸時代後半農村では歌舞伎が盛行。村に演舞場を作る。農民自身が演じ、また他村から演劇者を呼ぶ。歌舞伎公演をしない村など見当たらない。農民は遊び楽しんでいた。
5 幕末時の日本人の識字率、今までの想定より高かったのでは。識字とは現在でいえば新聞のチラシの内容が理解できる程度以上の読書き能力。村方騒動で農民は村の代表者や藩当局と交渉。交渉の内容はすべて文書化、個々の農民も検討。庄屋名主は交渉の過程をすべて記録、村政の現実を詳しく書き残す、子孫が村役を無事務めるため。残存する文書の量は膨大。文書の内容は個々の農民がすべて見ているはず。でないと監視機能が果たせない。自分が納める年貢の額に無関心な農民などいるはずがない。文書を見たのは男性とは限らず女性も見たはず。農業は男女の共働き、女性の労働力は重要、女性の発言権は強い。女性が家政に大きな影響を与える年貢の額に無関心で、男性に一任していたとも考えられない。加えて農村歌舞伎の盛行。歌舞伎には台本が要る、歌舞伎の台詞を理解し暗誦する。字が読めず書けずで歌舞伎を公演できるのか。幕末時、識字率は男性が80-90%、女性が50%と言われる。識字率は男女ともにほぼ100%近くではないのか。都市住民ではなおさらだ。都市住民の多くは稽古事に通い、大衆文学を楽しみ、俳句を作って教養を高めた。天保年間江戸で俳句の募集、集まった句数は関東一円で10万句。識字率を欧州と比較、極端な例。1970年代ポルトガル女性の31%は文盲。幕末時の農民の栄養摂取、平均1700カロリ-蛋白質は70グラム、国民一人当たりの貨幣所有量は中国の2倍朝鮮の10倍、資本蓄積は厚かった。
6 武士社会では家老層、奉行層、実務層の三つの衆議の輪。農民社会には庄屋以下村方三役、議定、若者組の三つの衆議の輪。武士と農民の接点が郡奉行代官と名主庄屋。日本の社会は上下に重なる複数の衆議の輪から組み立てられていた。輪が円滑に機能しない時一揆が勃発、実力行使による条件闘争。衆議の輪の組立は事実上の議会制度。下から各階層ごとに衆議の輪を積み上げてゆく方式。同業組合連合の衆議が加われば、単純な直接選挙より意見集約は効率的。日本は明治以来短期間に選挙制度を作り国会を開設し議院内閣制を作った。基礎が充分あったのだ。
7 村方騒動、郡中議定、若者組は農民の代表会議。武士と農民の衆議を組合わせると六つの衆議の輪。日本には既に議会制度に相当するものがあった。

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行