経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

都民ファ-ストなる政治団体の出現に思う

2017-08-26 18:02:15 | Weblog
  「都民ファ-スト」なる政治団体の出現に思う
 最近の世論調査では、本年7月の東京都議会選挙で大勝した「都民ファ-スト」なる政治団体に、国政選挙に際して投票したい人の割合が70%近くに及んだという。この報道を聴いて私は一驚した。率直な感想は日本は衆愚政治に支配されているということだった。この感懐は、民主主義の危うさにも及ぶ。都民ファ-ストの代表者は東京都知事である小池百合子氏である。
 小池氏が知事に就任して何をしたのであろうか。彼女が公約したのは生鮮市場の築地から豊洲への移転であり、2020年のオリンピック会場等の運営費の削減であった。この二つの問題は全く解決されていない。オリンピック会場予定地は従来通りであるし、市場は従来通り豊洲に移転されることになった。小池氏がしたことは歴代の知事をやり玉にあげ都議会に召喚して曝しものにしただけである。豊洲市場は一時騒がれたほどの危険性は全くない事が判明した。この一年強の間に小池氏は何をしたのか。何もしていない。
 都民ファ-ストは国政選挙に打って出るという。ここで問題になるのは小池氏は国政に対して一政党の指導者として何をしたいのかということである。小池氏はその事に関しては何も言わない。経済政策はどうするのか、外交(いよいよ複雑怪奇になりつつある)はどうするのか、安倍政権がしてきた政治に対してどの部分を継承しどの部分を否定するのか、彼女は何も言わない。このような曖昧な性格の政治団体に投票するという人が70%に及ぶという。驚愕の極みである。
 世論調査通りに投票されたら都民ファ-ストが政権をとることになる。この政治団体に所属する議員は素人の集団であり、議員としていかなる政見を持つか、議員としての規律にどう服し、調和のとれた政治活動どう展開するかなどなどの事柄に関して一切訓練を受けていない。いわば烏合の衆である。なんの展望もない指導者のもとに集まる烏合の衆に政治を任せていいものであろうか。
 念のために言えば東京都知事など座っているだけでいい。かって青島という都知事がいたが彼は何もせず4年間知事室に座っていただけであった。あとは部下が従来通りのやりかたで問題を処理してくれる。国政ではそうはいかない。首相は常に判断し決断を下さなければならない。しかし無能な政治家でも首相をなんとかかっこうをつけて務めることは可能である。官僚の言いなりになっていればいいのだ。民主党政権はこの道を取り国政を誤った。
逆に安倍総理は彼の経済政策を官僚(この場合は財務官僚)の抵抗を排して行った。加計問題における文科官僚の陰湿な抵抗はその反動である。
 小池氏の政治家としての道程は曲折に飛んでいる。日本新党成立時にはその旗振り役を演じ、小沢氏の配下に入り、やがて自民党に復帰し、郵政民営化を問題とする総選挙では時の小泉総理に懇請されて兵庫県から東京都に選挙区を移しいわゆる刺客として民主党に抗し、その後なりを潜めていたが、舛添前知事の不詳事後の知事選挙に、まるですっと横合いから顔を出すようにして立候補し、そして今回の都民ファ-ストの立ち上げである。時の情勢に対して身動きが軽く、鼻先が効くと言う定評がある。
 なぜ小池氏の人気が高いのか。左翼マスコミのせいである。朝日毎日NHKなどの左翼マスコミは解体に瀕している(多分解体するであろう)民進党の支援に見切りをつけ代わりに小池氏の都民ファ-ストに肩入れし始めた。この点自民党そして非自民党を渡り歩いた小池氏は恰好のおみこしになる。都民ファ-ストの人気の秘密はその辺にある。
 小池氏の素行を見ていると、女は男の内臓を食い荒らして生きるというある人の名言を思い起こさずにはいられない。稲田前防衛相、蓮舫新進党代表、野田総務省などのいわゆる女性政治家の言動を見ているとこの思いは深い。
 なんの実績も展望もない小池百合子をいう女が率いる政治団体に多くの人が投票しようという趨勢を見れば、民主主義とは何なのかと深い懐疑に駆られずにはおられない。
 安倍政権の課題はいろいろあるが、その重要な一つが経済政策である。安倍氏が政権を担当してからGDPは増大し、雇用は増え、輸出は増加し、賃金は上昇した。未だに問題はあるが財務官僚の抵抗を排して行われた経済政策は一定の成功を見ている。民主党時代の政策は官僚の意のままで、日本の企業は滅亡寸前にまでいった。国民とは身勝手なものである。経済がうまくいかないと声高に非難するが、なんとかなっているときは知らぬ顔で当然視する。財務官僚の抵抗を排して消費増税を延期する事がいかに困難で、政権の維持にとって危険なことであるのか国民は解っているのだろうか。解っていれば小池氏の国政選挙に競って投票の意志を明示するはずはない。繰り返すが衆愚政治の極みである。

いつまで原爆被災にこだわるのか。

2017-08-11 17:25:53 | Weblog
いつまで原爆被災にこだわるのか?
 数日前の新聞(朝日毎日)に8月6日および9日の広島長崎への原爆投下の記事が載っていた。被災者慰霊の式典で安倍総理が弔辞を述べたところ記事には「どこの国の首相か」という反問が被災者の中からあったという。核兵器禁止条約締結に日本が反対ないし保留していることへの批判としてそういう声が載せられていた。結論からいえば私は、日本はこの条例に賛成するべきでないと思っている。現在核兵器を保有している国家は米英仏露シナインドパキスタン北朝鮮それに多分イスラエルであろう。これらの国はそれぞれの事情国益により核兵器を保有しているのであって、日本が非保有国と保有国の間を調整し禁止条約に賛成するように動いても保有国が賛同同調するはずがない。無駄な行為というものだ。シナや北朝鮮を説得可能だと思えるであろうか。また非保有国の大多数は核兵器を開発できないか、その必要が目下ない国であり、彼らも状況次第では核保有に転じる可能性は十分にあるのだ。条約は国連が主導している由だが、国連には条約を順守させる能力はない。また世界記憶遺産で根拠なきまま南京事件で虐殺があったかのようにされたことを鑑みれば国連など信用できないことは明らかだ。
日本は唯一の被爆国だからこの条約に賛成しなければならないという。この文脈から条約に賛成しない日本政府特にその代表である安倍総理は「どこの国の首相か」と言われるのであろう。
いつまで日本はあるいわ日本の一部の人は、被爆国原爆被災者という立場に甘えているのだろうか。被爆国民だから核兵器開発には一切反対しなければならないという論理は全くおかしい。昭和20年8月に原爆は落とされ推定10万人から20万人の人が死んだ。無残である。しかしこれは戦闘行為なのである。戦争とは殺し合いであり悪意の応酬だ。アメリカは日本に原爆を投下した。もし立場が逆なら日本もアメリカに同様の行為をしたであろう。
前大戦は総力戦であり敵は前線の兵士だけではない。銃後の民衆も的に成る。大砲を撃つ人間もその大砲を作る人間も相手国から見れば敵でしかありえない。総力戦であれば敵国の都市を破壊し民衆を殺戮することは当然であり極めて目的合理的な行為になる。また一部の人は原爆の災害を特殊視するが、殺戮された数からいえば現爆投下による被害と同程度ないしそれ以上の被害は他の手段で与えられている。サイパンがおちてから東京名古屋大阪は米軍機による大空襲を受けた。その死者数は数十万人に及ぶ。核兵器で殺されるのも焼夷弾で焼き殺されるのも死ぬことには変わりはない。何も原爆による死者が特殊な扱いを受ける権利はないのだ。被爆者だからと言って自己を特殊視あるいは特権視して発言する権利はない。同様のことは沖縄戦にも言える。沖縄は唯一の国内戦場となったから特殊な扱いを受けるべきだと言うような主張をあるが、既述のごとく沖縄戦の死者数10万人をはるかに超える数の市民が戦争で死んでいる。これに南洋で戦死した兵士を加えれば膨大な数になる。
原爆被災者という立場を特殊なものとして自己を特権視し正義感ぶって平和の祈りをささげ核兵器所持に反対するのは勝手だが、だからと言って戦争がなくなるわけでは決してない。戦争が行われないのは、民衆が平和の願いを持つからではなく、相手国の報復が恐ろしいからだ。平和は戦力の均衡によってのみ保たれる。これは恐怖の均衡と言ってもいい。力だけがすべてなのだ。もし大戦中の日本に核攻撃の能力があればアメリカは決して日本に原爆を投下しなかっただろう。現在の日本で十分な武装をせず、ひたすら平和を願い、しかも裕福な富を持つ国は他国の侵略を招きかねない。ナチスドイツに侵略されたチェコソロバキアがいい例だ。
戦力の均衡によってのみ平和が保たれるとするなら、日本は急ぎ核武装をするべきだ。核兵器を所持しそれを潜水艦に搭載し、いつでも報復するぞという姿勢を見せてのみシナや北朝鮮からの核攻撃は防止できるのだ。北朝鮮は核兵器とミサイルを開発しいつでも先制攻撃すると豪語し強迫している。こんな時唯一の被爆国だから全世界に向かって各兵器を廃絶し平和の祈りをささげれば事足りるというような発言は、極めて非合理的であり、独善的であり、偽善的である。馬鹿々々しいにもほどがある。被爆者という立場を特権視し思い上がり唯我独尊に陥っている。
元に戻る。朝日毎日新聞には「どこの国の首相」という言葉が大体的載っていたが、この発言は具体的には誰のものなのか?発言者個人が特定されなければ話は曖昧である。記者あるいわ新聞社による憶測推測の可能性だってある。もしそうなら捏造であり印象操作だ。その行為は極めて悪質である。