経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

安易に日本経済の衰退だなどとぬかすな

2021-01-04 20:47:13 | Weblog
安易に日本経済の衰退だなどとかぬかすな

 今日のネットニュ-スを見ていたらヴェトナム人の暗黒組織(日本国内での)の事が載っていた。共産主義国で後進国だからまあそれは当然だろう。それよりこの文中に「衰退を続ける日本経済」と書いていた。どこが衰退なのだ???日本経済の基礎はしっかりしている。解りやすい例を言おう。麻生副総理の談によれば1990年から日本国債のほとんど全部は年金・医療などの保険資金として使われてきた、と言う。そうだろうな、これらの保険制度を整備するだけで数千兆円の金は要るだろう。人口が億を超える大国でこれほどの福祉を整えた国が他にあるか。社会福祉とは必要だがGDPには極めて数えにくいものなのだ。貯蓄であって投資とは言えない。だから社会福祉を整備すれば一見経済は低迷しているように見える。トヨタの車が走るのと、老齢年金を納める(もしくはもらう)のと比べればいい。多くの後進国がテイクオフ(工業化)して遭遇するのがこの福祉の負担だ。中進国でそれに成功した国はない。これを中進国の罠と言う。酒樽二つを抱えて富士山にのぼるようなものだ。
 次に日本の製造業の骨格はしっかり保たれている。現在日本の造船や鉄鋼会社ではどこでも作れるようなものは作らない。トヨタと新日鉄が提携して独自の鋼板を造った。その延長線上にス-パ-スティ-ルがある。軽くて強靭な鋼材だ。6-7年前韓国の製鉄会社が新日鉄の制作法を盗んだ。新日鉄は提訴し5年前500億円の損害賠償で和解させられた。しかしその間に韓国の会社が挙げた売り上げは1兆円を超えると言われる。船にもピンからキリまである。現在数千メ-トルの深海を探索して鉱物を掘りだせる技術は日本にしかない。中国は月へ衛星を送ったと言われる。それより小惑星から鉱物を持ち帰ったハヤブサの方が技術的には上だ。天文学からそう推理できる。
 列挙すればきりがない。無責任な日本経済衰亡論など発現するな。経済とは人がそう思えば事実そうなるものなのだ(自己実現)。振り返ると戦後の経済論にはこの弱気発言が多かった。池田隼人総理が所得倍増・高度成長を唱えた時、マスコミの大勢は物価倍増と公害激甚化と反対した。結果は御覧の通りだ。戦後食料難で1000万人餓死説が出た。餓死者はほぼいなかった。私がこの件でつくづく感銘する事は、国民が飢えに瀕した時責任者である政治家・官僚で将領配給に際してほとんど汚職が無かったことだ。
 すぐ弱気になる、自己の優越を認めないのは戦後の日本の一大傾向だ。私はこれをGHQによる洗脳の結果だと診ている。前回の大戦に対して日本は全面的に責任を負う必要はない。むしろアメリカから仕掛けられた節が濃厚だ。結果として戦勝国になったアメリカは二度と日本が戦争できないように画策した(この事実は今度大統領になったバイデン自身が言っている)。代表例が二週間で出来上がった翻訳憲法だ。そして戦犯裁判。勝者が敗者を裁くことはできない、矛盾だ。それをあえて強行し日本が意図して戦争を起こしたとされた。日本の歴代政権担当者が意図して共同謀議し朝鮮、満州、中國にそして米英蘭に戦争を起こしたとされた。日本はむしろ戦争に引きずり込まれたのだが。日本人全体に戦争責任があるとされた。一億総懺悔などとも言われた。日本人は戦争を好むから、そうしないように洗脳しようと意図された。War guilt information(WGI戦争犯罪を知る事)とか言って日本人の風習、好み、歴史認識などを変える試みが為された。この間7年間、一切はGHQの指示に基づき行われた。誰が指示し誰が責任者かもわからない、7年間の闇だ。ともかくすべての情報は検閲されたのだから。二三例を挙げよう。小中学校の科目から「日本史」は無くなった。日本の歴史を検閲外で教える事は犯罪になった。地理・歴史という科目は抹殺され、「社会科」という得体の知れないものを習わせられた。体育で剣道・柔道を教える事も禁止された。ついでに言えば忠臣蔵や勧進帳の興業も禁止された。官界・財界の指導者数千人が追放された。GHQは指導層を追放する事で日本の力を抹殺したかったんだろう。しかしどっこい日本はアメリカと違い中間層が厚い。むしろ有能な経営者や指導者がどんどん育った。戦後製鉄に革命をもたらした西山弥太郎などはその典型だ。
 戦争犯罪云々を刷り込まれた分子は知識人に多い。元来知識人は指導者ぶりいい子になりたがる。彼らは「進歩的文化人」と揶揄された。彼らの中には俳句を文学にあらずと言うものもいたし、日本語を廃止しようと提唱する者もいた。次回は満州事変から終戦までの経緯を説明しよう。
「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行




日本史入門(13)連歌と茶道

2021-01-04 14:28:56 | Weblog
    日本史入門(13) 連歌と茶道

1 連歌と茶道、典型的な日本文化、集団で行う遊び文学芸能。淵源は平安時代、連歌は金葉集で始めて登場、茶は僧侶により宋国から招来。連歌も茶会も室町戦国時代に盛行。鎌倉室町時代に農村社会は大きく変貌、郷村の出現、耕作農民が作る独自の生活圏。農民商工業者は座を作り団結、一揆。連歌と茶会は社会の大衆化から生まれた座の文化芸術。
2 連歌は大衆の生活文化。庶民が花見時、桜の下で連歌を楽しむ。これを文学にまで仕上げたのが二条良基、「筑波集」を作り連歌の規則を定める。連歌は和歌の五七五七七の語を上の句五七五と下の句七七に分断。上の句を詠み、それに他者が下の句を付ける。第三者が下の句に新たな上の句を付け、歌が連なってゆく、連歌。二条良基は、連歌作成には身分は関係ないと。彼は五摂家の当主、一流の歌人、有職故実の家元、北朝の有力廷臣。連歌は一条兼良や心敬をへて宗祇へ。良基、兼良そして三条西実隆の三人は上層公卿、貴族文化の保持者。彼らは貴族の文化を江戸時代の庶民文化に仲介。公卿は江戸時代、貴族文化を家職として受けつぐ。家職としての古典文化は江戸時代の庶民文化に浸透。朝廷公卿は武家政治全盛の時代に文化の護持者となり、現在の天皇制の基礎を造る。
3 宗祇の生涯は1421年から1502年。前半は室町将軍の権勢の盛期、後半は応仁の乱後の戦国時代開幕期。和歌を一条兼良東常縁に学び古今伝授を受け、連歌界の英才として登場。西行芭蕉と同様終生旅に生き旅に暮らす。戦国大名の教養指南者、情報提供者。宗祇は連歌作成における季節と気分の変化、連想の自由を重視。彼が詠んだ「水無瀬三吟何人百韻」のうちから例示。
   雪ながら山もと霞む夕(ゆうべ)かな        宗祇
      行く水遠く梅にほう春            弟子A
   河原にひと叢(むら)柳春みえて          弟子B
      舟棹す(さす)音も著き(しるき)明方    宗祇
   月やなお霧わたりたる夜に残るらむ         弟子A
微妙なニュアンスの差で五句の季節は、晩冬早春-春-晩春初夏-夏-秋と変化。発句は後鳥羽院の
   見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思いけむ
から取られる。後鳥羽院の歌は、清少納言枕草子冒頭の「春はあけぼの、秋は夕暮れ」への反論。連歌には掛け合い、言葉の連鎖。相手の立場への配慮、駆け引き、からかい、滑稽、遊びの趣向が含まれる。宗祇の発句の背景は後鳥羽院の清少納言への掛け合い。連歌では発句、最初の第一句が重要。発句だけ独立して俳諧俳句。江戸時代俳句全盛。宗祇は「新撰筑波集」を編纂。俳諧の諧は諧謔の諧。
4 茶の原産地はアッサムから雲南四川湖南を含む照葉樹林帯、東亜半月弧。平安時代留学僧がシナから日本に招来。茶は寺院特に禅院で飲まれる、禅苑清規と茶令。なぜ禅院で、眠気覚まし、コ-ヒ-の初期愛飲者はイスラム神秘主義者。禅僧もイスラム神秘主義者も眠けには勝てない。茶は鎌倉時代寺院外でも賞味。室町時代、飲み方が大規模に。闘茶の会、茶の銘柄を懸物つきで当てる大会。武士豪商一般庶民も愛飲。
5 画期は東山文化、八代義政が主宰する文化。義政が日本の文化に尽くした貢献は大きい。建築作庭書画茶道陶磁器の収集鑑定、能狂言などへの影響は甚大。彼の美的感性は鋭敏だった。茶道への影響も大。彼が収集鑑定した陶磁器東山殿御物は権威。義政が建てた銀閣寺東求堂は書院造りの第一号。畳の間、書院、床の間を備える日本建築の元型。書院、畳の間の出現で日本式茶会が中国式茶会から独立。東求堂同仁斎から茶室が始まる。
6 茶会は始めらんちきな宴会、舶来品を掛け物とする博打、最後は酒席になりどんちゃん騒ぎ。村田珠光の登場。大徳寺に入り一休宗純のもとで参禅。茶湯の中にも仏道があると大悟、従来の茶席を著しく精神化、茶禅一味。唐物礼賛をやめ床には墨蹟。四畳半の小座敷で、飲茶を通じて亭主と客人の精神的交流を計る。草庵風、山里風、わびさびの世界。珠光の後継者が堺の商人武野紹鴎、紹鴎の弟子が千利休。利休は和製陶磁器も名物として尊重。現在の茶道には利休の子孫が後継する裏表両千家の流派、さらに多数の流派あり。
7 茶会の精神は数寄心。茶を飲んで憩うのが、贅沢をして遊ぶのが、好き。本来数寄とは好き、遊び好き。茶会の盛行とともに、中国渡来の陶磁器書画舶来品大好きに変わる。陶磁器購入には莫大な金。茶器一つに金数万両、欧米人には不思議でならなかった。
珠光、紹鴎、利休と代を重ねて数寄は精神化。紹鴎は数寄心を定義、数寄者というは隠遁の心第一に侘びて仏法の意味をも得知り和歌の情を感じ候へかし、と。が数寄の原意は、遊び好き。数寄の変容である侘びさびにも、隠された贅沢と若干の嫌味と滑稽さあり。ともに飲む茶、共同飲茶、茶会は明るくて楽しいもの。
8 茶の心とは何か?数寄心、座興当座性、雑談の連鎖、振舞い。茶会において重要なことは会話。茶と料理を味わい、自由な会話を楽しむ、雑談、肝要なことは雑談がとぎれないこと。ために一定の形式を定める。茶礼および茶器の鑑賞作法。雑談は自由な連想。連想の自由、気分の自由を楽しむ。振舞いは相手の心境を慮ること、共感奉仕。茶会のかなり煩瑣な礼式は会話と共感と奉仕を継続的に保証する装置。雑談の連鎖奉仕の応酬には、当座性即興性が肝要。だから集団での遊び。形式規範を定め、それを演じ即興的に振舞い会話して楽しむ、滑稽なままごと遊びごと。即席に作られたお芝居、一座建立、座の文化。一会一期、遊び大好き、遊びを楽しむことが数寄、茶の真髄。飲茶の風習、茶道の盛行、日本料理の発展、懐石料理、宮廷幕府の正式料理簡易版、一汁三菜、酒と菓子、実質的で食べやすい料理。
9 数寄は茶会や連歌に共通の精神。この心は吉田兼好、鴨長明、大原三寂、枕草子につながる。数寄の原点は清少納言の枕草子。枕草子の主題は、おかし。おかしには、興趣滑稽の両義あり。連歌茶会の原点には「おかし」がありその意味の半分は滑稽。滑稽は日本文化の根底。古事記岩戸開きの情景、アメノウズメの裸踊りで神々が哄笑し夜が明ける、明るくおかしく滑稽な遊びの情景。
 連歌の特徴も、集団での掛け合い、言葉の連想、即興性、相互の気持ちへの配慮駆け引き、遊び。連歌と茶会、詩作と飲茶という形をはずせばその精神は同じ。滑稽味を帯びた、集団での遊びを芸術文学にまで高めたところが日本文化の奥深さ豊かさ、アニメ制作にも通じる。茶道は現在も厳然とした文化。連歌の後裔俳句は今も盛ん。誰でも俳句は作れる。日本人は一億総詩人。連歌茶道は大衆性、衆議性、諧謔さを大量に含む庶民の文化。大衆の美意識をここまで育てあげた文化は他国にはない。
10 茶会と連歌は身分に関係なく楽しめる大衆の生活文化。その精神は数寄、おかし、滑稽。共同性と即興性、自由な会話の連想、かけあいと遊び、相手の立場への共感、平等性。評定衆、座、と並び日本人の衆議性、集団帰属性、仲のよさを表す文化。
「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行