経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

保守永久政権論

2016-03-27 13:23:18 | Weblog
保守永久政権論
 安倍内閣が出現して3年有余になる。自公連合政権は圧倒的な強さを誇っている。かって3年間政権を担当した民主党はそのあまりの無能さをあきれられ今や他党と合併し党名を変更しようとしている。私にとって民主党政権の出現は衝撃だった。日本という国家がとろけてなくなるような印象を持った。私は日本には責任野党(政権を担当するに値する野党)は今後出現しないのではないかと思う。そしてまた私はそれでいいのではないかとも思う。
 戦後70年になるが、自民党(あるいわそれと同根の政党)がほぼ全期間政権をとってきた。自民党以外の野党が政権を担当したのは3回になるが、政権担当期間は総じて5年間を超えない。野党政権は過去三つある。昭和20年代前半の片山内閣、平成初年度の連立政権、そして最近の民主党政権である。どの野党政権にしろ何かを為したという明確な印象はない。共通するのは政策の大綱を決められず、いたずらに空虚な理想をかかげ、分裂し混迷を極めたという事だけである。安倍内閣の誕生は保守永久政権の継続を意味する。責任野党がないのはいけないと言われる。しかし少し考えてみよう。
 政党は明治時代前半の藩閥政府に民間の勢力が対抗する形で生まれた。自由党と改進党である。議会政治に移行してからいろいろな合従連衡を繰り返し、1927年(昭和2年)に政友会と立憲民政党という形で整除された。両党とも保守政党(左翼の言葉を使えばブルジョア政党)である。無産政党(社会主義政党)は存在したがその勢力は微々たるものだった。戦後マルクス主義が強盛だったころ社会党が存在したが、議席は1/3を超えることなく抵抗政党のまま衰微し消滅した。
 戦前戦後の政治情勢を見てみると日本には保守政権しかありえないのではないかと思う。明治維新以来政党と政府は対立したが、そもそも政党も藩閥政権も同根の存在であり、その由来を武士階層にもつ。政府の指導者や官僚は圧倒的に旧武士出身者で占められ、政党の指導層も同様だった。伊藤博文も山形有朋も板垣退助も大隈重信もみな武士だった。藩閥政府は一種の共和制とも言ってよく、藩閥独裁と非難された割にはよくまとまってやるべきことをやってきた。ここで視点を少し変えて明治政府における武士階層の消滅について考えてみよう。周知のように明治政府は成立早々廃藩置県と秩禄処分を断行し、武士の特権をすべて剥奪した。自らの手で自らの利権をすべて放棄した。こういう事績は他国の歴史にはない。このように一度武士階層は整理整除され、その中のエリ-トが官界、政党、財界の指導者として登用された。ちなみに明治大正の時代に起業された近代的企業の創始者の90%以上が武士あるいはそれと同種の階層の出身である。武士がみずからの利権を放棄し階層を一度整理し、そこから新たな武士指導層を生み出し、政権を担当する。これはある意味で幕府の再来ではないのか。そして新たな政権、藩閥政権がやりだしたことは憲法制定と国会開設である。これは世論の重視であり自らの寡頭独裁と言われる政府の形態の自己否定である。この作業はかっての秩禄処分と同じではないのか。
 日本には天皇制という伝統、政治資産がある。徳川幕府は天皇の存在ゆえに自らを安楽死せしめえた。明治政府は日本の文化社会に圧倒的影響を持つ天皇を頂点に抱き、その下に武士層のエリ-トを結集して政権を運営した。ある意味で徳川幕府の顰に習ったことになる。武士とは基本的に中間層であり技能者である。天皇制と武士勢力は基本的に対立するものではない。武士の発生は仏教の興隆と併行し、両者があいまって天皇制の発展を助けた。言葉を換えれば天皇制という権力を柔軟なものとした。明治時代憲法制定においても天皇の存在が独差権力に転化しないように極めて慎重な配慮が試みられている。事実戦前においても天皇の存在は象徴的なものだった。
 文化の守護者としての天皇を頂点に抱き、その下に実務層中間層技能者である武士を置いて新たな政権が誕生し発展しえきた。戦後の保守政権はこの延長上にある。1500年にわたる天皇制、そして700-800年に及ぶ武士政権の伝統を引く日本の保守政権が簡単に崩れるはずはない。
 日本の歴史は学べば学ぶほど面白い、そして驚異だ。日本の農村は比較的豊かだった。シナコリアと比較してもそうだし、多分西欧と比較しても日本の農村の方が豊かだったろう。農民の耕作権はがっちり守られ英国における囲い込み運動のような事はありえなかった。江戸時代の武士は戦士としても教養人としても水準が高かった。幕末の時点で識字率は男女ともほぼ100%としか思えない水準に達していた。なによりも農村においてはしっかりした衆議機構が確立されていた。この点では武士階層でも同様だ。こういう歴史的前提において天皇と武士の提携としての保守政治が維新後発展してきたのだ。保守永久政権でいいのではないのか。私は天皇制という巨大な文化財が存在する限り保守永久政権は続くと思う。そしてそれで良いのだ。天皇制が存在する限り共産革命は起こりえない。
民主主義の濫觴は(古代ギリシャを除けば)英国だ。もっとも英国の民主主義正確には議院内閣制は慎重に検討する必要がある。英国では土地私有が発展した。少数の地主が土地を占有した。この地主の利権を王権から保護するための機構が議会だ。従って英国においては国民階層の身分的経済的格差が大きい。日本においては地主制はあまり発展しなかった。同根である武士と農民は相通じつつそれぞれ別個に自らの衆議機構をもった。農村では郡中議定であり、武士層では評定衆や評定会議だ。日本は黙示的には議会を持っていたことになる。自らの習俗は大事にしよう。いたずらに他国を模範としなくてもいいのではないのか。
結論。自民党の保守永久政権を前提とすれば、野党は中小規模で群生し、状況によって自民党と小連合を組めばいいのではないのか。現在公明党がしているように。
(付1)過日自民党の宮崎という議員が育休申請をして不倫を行ったとして議員の地位を失った。すこし酷い処置ではないのか。不倫は個人的道徳から見れば問題だが、政治能力とは関係ない。育休で虚偽を為したことは問題だがこれは陳謝で済むことだ。議員の行動を個人倫理で縛りすぎることは議員の政治行為を制約し議員政治家を小物にしてしまう。政治特に外交は優等生で為しえる行為ではないのだ。
(付2)全然話題は変わるが3月23日午後7時半からのNHKの番組で「7000カロリ-を採っても肥らない」とかいう内容を報道していた。私は疑問に思う。太らない理由はある体質の人は短鎖脂肪酸が腸内で作られこの物質が脂肪(厳密には脂肪酸だろう)の脂肪組織への取り込みを防ぐとか言っていた。では取り込まれない脂肪酸はどうなるのか。極めて高い高脂血症になり生命は危なくなる。また短鎖脂肪酸自体も脂肪に転化する。番組の解説は極めて曖昧なものだった。ラッキョウとオ-トミ-ルを食べれば短鎖脂肪酸が出るという。偶然にも私はラッキョウとオ-トミ-ルの愛食者だが食事の量に比例して体重は増える。番組を最後まで聞いていないので断言はできないが、この番組やらせではないのか。似たような話だが昨日の新聞広告に美容内科医とかいう医師が、美しくなる医療方法なる内容を著書として出していた。広告に載っている内容を読む限り、当たり前の事か実証されそうもない事ばかりだった。インチキに近い。医者は病気を治す者で本来保守的な作業者だ。健康の上にさらにプラスαを加えようとするのは医者としては邪道だ。

慰安婦問題の深層

2016-03-20 19:09:11 | Weblog
慰安婦問題の深層
 朝鮮韓国人慰安婦の強制連行という事実は2年前に主犯の朝日新聞が虚偽報道を自白して理論的には決着がついている。強制連行はなかったということだ。とすれば慰安婦は単なる売春婦にすぎず自らの意志で売春行為に契約したことになる。理論的には既に答えが出ているが韓国内の慰安婦像は取り去られず、また元慰安婦と称する女性が渡米してカリフォルニアの議会から表彰されている。また一部では妙な論理が横行している。強制連行はなかったとしても売春婦でありその人生は惨めであるから、売春婦として普遍的人権を侵害された者にはしかるべき補償が為されるべきであり、その責任は日本政府にあるとかの論旨だ。正直日本政府に責任があるのなら売春が行われているすべての国(行われていない国はない)の政府はこの普遍的人権侵害とやらに責任を取らねばなるまい。要約すれば韓国人および韓国政府は結論が明白に出た事実に眼をつぶりあれやこれやで自己の恣意的論旨を押し通そうとしている。このような態度の背後には民族性あるいわ民族の民度の問題がるのではないだろうか。考えてみよう。
 日本人と韓国人(およびシナ人)の宗教的情操は全く異なる。韓国シナは儒教の国であり、日本の支配的宗教は仏教だ。両者どこが違うのか。一言で言えば仏教では死という問題に真剣に対処しそれを見つめ、そこから反転して生へと還帰するのに対して儒教では死に対処する態度方法がない。儒教(特に正統たる朱子学)の本質は慣習的儀礼の順守でありその結果でてくる日常的倫理の羅列にすぎない。日常的倫理とは、父母は相親しみ、君臣の義を護り、朋友は信頼を醸成する云々の類だ。あるいは修身斉家治国平天下云々だ。内容に異存はない。ただ儒教倫理はこのような内容があるべき姿としてただ述べられているだけだ。それは現実主義でもあり、素朴な理想主義でもあり、人間性への信頼ともいえる。言えることは言える。だがそこには決定的に欠けているものがある。それは素朴な日常的な自我を一度否定し、否定の後に否定したものを再び肯定するという態度だ。仏教では自我は本来存在しないとして否定し(無我説)それを法華経の弁証法や菩薩論において再び取り上げ肯定する。キリスト教では人間は原罪を背負っているとしてそれをキリストの贖罪死・昇天・復活により再び救う。無我論にせよ原罪思想にせよ一度は素朴な世俗的自我を否定する。そうして再び取り上げられた人間存在は極めて強靭な主体となる。自我は一度否定される。自我は一度死ぬ。主体の復活は死を肯定し死から還帰することなのだ。これを方法論的自我否定という。宗教はいかに死に対処するかという問題において成立する。この問題に一番よく適応したのは仏教とキリスト教だろう。仏教では死は存在しないと言い、キリスト教では来世があり必ず救済されると説く。いずれにせよ死に対処するためには一度は素朴な日常的自我は否定されなければならない。
 儒教に欠けているのはこの方法論的自我否定だ。儒教では現実に存在する素朴な自我と生活をそのまま肯定する。従って儒教には責任の主体と言うものがない。倫理は現実生活の都合のいい断面を切り出しただけのものの羅列でしかない。そして主体と言うものがないとうことは、倫理は常に上から上意下達で与えられるということであり、またその倫理の適用は常に相手が悪いというご都合主義であり、真実よりも利害を優先させる政治主義である。そして無秩序な付和雷同だ。
 私は民度は民族の宗教的情操で決まると思っている。慰安婦問題に対する韓国人の態度を見ていて、彼らが事実を無視して執拗に日本非難を繰り返す背景深層には倫理構造の根本的差異があるのではないかと思う。ちなみに私の論旨は儒教の本国であるシナにもあてはあまる。責任の主体が定まらなければ全体・集団への責任は取りようがない。シナには議会はないが、私の論旨で行けばシナには永遠に民意を代表する議会はできないことになるだろう。

国連による皇室典範への批判に抗議する

2016-03-15 17:39:53 | Weblog
国連による皇室典範への批判に反論する
 先日国連の男女差別委員会とかいうよくわからない機関が、日本の皇室典範は皇位の男系継承を定めておりこれは男女格差だ、典範の改正を要求するというような内容の非常意識な文書を作成した。(公開にはいたらなかったが)まず極めて悪質な内政干渉だと言いたい。よその国の内情など解らないのに、100年以上国内で問題もなく続いてきた法文に改正を要求するとは何事か。国連はいつ内政干渉する権限を与えられたのかと言いたい。他国の歴史や社会、文化はなかなかよく解らない。解らないことに干渉するなと言っておく。多分シナやコリアの連中が無知な委員を指嗾してのことだろう。
 男系継承という外面はあるが、日本の皇室あるいは天皇制は極めて女性を尊重する女性に優しい制度だった、制度だ。天皇制は邪馬台国の卑弥呼当時の姫彦制を引き継いでいる。姫彦制とは男女の共同統治のことだ。制度が部族制とか家長制とかいう硬いものになりきらないうちにこの男女共同統治システムは摂関制へと結晶化した。摂関政治においては天皇と皇后(彼女の父親である摂関も含む)が共同して統治するシステムだ。このシステムは権威と権力を二分化して共有する。権力は二重構造になり権力が持つ上からのそして下からの衝撃を緩和する。日本の政治制度は以後この二重性を受け継いでゆく。天皇と皇后の共同統治とは女性の尊重ではないのか。この摂関制度が有効だった平安時代には死刑はゼロ内乱も極めて少なかった。この時代に紫式部や清少納言が活躍している。この時期にこれほどの天才的女性を排出できた国があるのか。またこの時期には朝廷における女性の発言力は極めて強かった。皇后中宮あるいはそれに準じる后妃たちは周辺に有能な女性を集め隠然とまた公然と政治に干渉しえた。公然とね。発言力は強かったが后妃をはじめとする女性の権力者が殺害された例はない。さらに時代が下って鎌倉以後江戸時代まで宮廷では女官の発言力は強かった。天皇は女性に取り囲まれていたのだから。男系継承といえども女性の発言権は十分に確保されていたのが日本の天皇制というものだ。この状況は下々にも及ぶ。嘘だと思うなら狂言か明衡往来でも読まれよ。総じて日本の女性は他国の女性より柔らかく庇護されている。
 日本の天皇制は特異独特そして他に冠絶して優秀なものだ。他国の歴史に比し治安はよく、内乱は少なく、民度は高い。これらはすべて天皇制のもとで安定した統治が可能なからだ。男系継承の中に内包される男女共同統治性のゆえにだ。このような制度は他の国にない。世界に誇るべき制度社会文化が天皇制だ。この内実を知ることはなかなかに難しい。他国のこともろくに知らずに内政干渉がましき振る舞いをするな。
 他国と比較してみよう。フランスの歴史には女王はいない。ロシアと英国ではある一時期女王女帝が輩出している。その時期とはその国の実質が形成される時期だ。ロシアではピョ-トル1世からエカチェリ-ナ2世までの50年間に、英国ではチュ-ダ-朝からウィンザ-朝までの200年間に女帝女王が出現している。それは日本では聖徳太子から光仁天皇までのやはり約200年間に相当する。日本はこの間に制度文物の骨格を作り上げた。国家形成期には当然のことだが政治的葛藤が多い。日露英を問わず女帝はこの時期この種の葛藤をかわし緩和する装置として利用されている。だが三国とも女帝女王の数が君主総数にしめる%はすべて10%以下である。英国だって旧ロシアだって男系継承をしているのだ。
 国連のナントカ委員会の委員は後進国のインテリの失業対策になっているという風評を聴く。そこのところを狡猾で陰険なシナのネズミが媒介して今回のような案文を作成したのだろう。シナのネズミ野郎に教えてあげよう。貴国の歴史にも1名だけ女帝はいるよ。則天武后だ。彼女は尼から還俗し、自分の子を殺すことによって陰謀をしかけ皇后を追いそして殺し、正式の皇后になっている。皇后さらに女帝になってからも子供を含む親族を殺しまくっている。シナという国にふさわしい女帝だな。
 いずれにせよ制度は制度、文化は文化、歴史は歴史、よく知らないのに余計な口出しはやめてほしい。国連さんよ。


観光と慰安婦

2016-03-11 17:32:55 | Weblog
観光と慰安婦
 観光と慰安婦という全く別個の事柄はどう結びつくのでしょうか?この二つを考察すれば面白い結論が出てきます。その結論とは、日本は他国にとって未知の不可解な国だということです。
 観光、近時日本への観光客は毎年激増しています。観光客の多くが日本の社会と文化を称賛時し驚嘆して帰ります。今更とは思いますがやっと日本の文化が評価されだしたということになります。その負の側面が慰安婦問題です。根拠なく執拗に慰安婦の強制連行というありもしない事柄が国連などで言いふらされています。日本という国が異端視されているからです。
 観光と慰安婦という異質な主題は、日本が未知不可解な国という事で結びつきます。
 なぜ日本は不可解な国なのでしょうか。不可解な国と思われているのでしょうか。理由の一つは地理的事情にあります。日本はユ-ラシア大陸の東端にあり、海で隔てられています。しかもかなり荒れる海です。加えて隣国は大陸志向の国々です。他国では通常見られる民族の混交は日本では起こりません。英国と比較すればその差は歴然とします。英国では民族の侵攻そして混交は六度起こっています。ユ-ラシア大陸の西端に位置しますが、隔てる海は比較的平穏でローマ、ノルマンという海洋志向性を強く持つ国や民族を隣人に持ちます。為に英国はたびたび他民族の襲来を受けました。
 日本の文化の特異性を考える場合隣国であるシナの王朝の存在は重要です。シナは内陸志向の国です。そして早くから文化を持ち、民族が混交しつつ膨張してきました。従ってあらゆる文化の移動は一応シナで終点となり、日本への文化の移動はシナを出発点とすることになります。加えてシナの文化は自己愛的で他国の存在を認めようとはしません。そういう理由で日本の文化はシナの影になりやすくできています。日本の文化は独自性を持ちながら、シナの亜流とみなされがちでした。
 日本の文化社会が未知不可解とみなされやすいもう一つの理由が天皇制の存在にあります。男系で万世一系の天皇の存在は世界史上例外的で、他にこのような例はありません。皇統125代、歴史的に実証される存在としての継体天皇から数えても100代1500年にわたります。また英国を例にとりますと、英国の王統は1000年、そしてこの間八つの王朝が交代しています。日本の皇統のようななだらかな連続性に欠けます。
 ではなぜ日本の天皇制は安定しているのでしょうか。理由は1000年前に起こった摂関政治による権力の二重性、権威と権力に分化にあります。日本の政治はこの権力の二重性を以後ずっと保持してきました。幕府政治が典型です。権力の二重性ゆえに権力の交代は天皇制の下で起こり、天皇の存在自身は永久的に安泰でした。
 安定した皇統の存在は日本の国に何をもたらしたでしょうか。答えは文化の連続性です。文化は安定した政治のもとに連続し蓄積されます。天皇自身が文化を主宰します。解りやすい例証を挙げれば、大嘗祭、和歌の編纂、古今伝授、禁中ならびに公卿諸法度などがあります。公卿諸法度は江戸時代初期に幕府が定めた掟で、天皇および公卿は伝統文化を保持し修練すること、という内容をもちます。
結果として天皇は文化の守護者になりました。天皇は早くから祭儀の主催者になります。祭儀は文化の根源です。あらゆる文化は祭儀に由来します。こうして日本の文化は安定した連続性を保持しつつ蓄積され独自なものとなりました。文化の創造性はその文化が安定して蓄積されることにあるいうことは認識しておきましょう。
天皇制という他国には不可解な制度が日本文化を異質視させ不可解なものと誤解させています。
問題は日本人自身が、天皇制に代表される自国の文化の独自性創造性に気づいていないことです。ですから今まで日本からの日本文化の発信は少なかった。心掛けるべきことです。皇室による文化外交と文化の主催はもっと大規模に行われるべきです。

岩波書店の「日本歴史」を読む

2016-03-07 18:08:55 | Weblog
  岩波書店の「日本歴史」を読む
 岩波書店から20年に一回の周期で「日本歴史」の全集が約20巻で出ている。ペ-ジ数にして約70007ペ-ジになる。私は1970年代の全集から読み始めているから今度で三回目になる。40年も経てばさすがに内容も変わる。かってはマルクス主義一辺倒の書き方だったがその傾向はずいぶん減っている。左翼イデオロギ-の退潮と新規資料の蓄積によるのだろう。ただそうは言ってもこと現代史になるとさすが左翼メディアの代表の一つである岩波さんだ、気になる記述が目に付く。そういう目に付く部分を拾ってあえてあげつらってみよう。
 まず昭和の20年間をファシズムの時代ととらえていることが気になる。著者はファシズムの定義に詳しくないのではないか。ファシズムとは一党独裁のもとに一人のカリスマが存在し大衆が賛同してついて行く政治形態を指す。ヒットラ-のドイツ、スタ-リンのソ連、毛沢東のシナ、ムッソリ-ニのイタリアがそうだ。日本にはそんな党も独裁者も出ていない。同時期を軍国主義と言うのも正確ではない。詳しくは言わないがただ軍事官僚がいばっていただけだ。
 日本が東アジアに侵略したというのも正しくない。満州の利権(投資資産)を護るために戦っただけだ。岩波さんの記述に欠けているのは当時のシナには治安が全くなかったという認識だ。自己の資産は自分が守る、その具体的措置が軍隊の派遣と駐留だ。結果として満州国ができた。ちなみに言えば満州は漢民族つまりシナの領域では本来ない。東南アジアを侵略しただって?当時の東南アジアは欧米列強の植民地だった。日本は米英蘭豪と戦争したのであって、インドネシアやフィリピンに侵略したのではない。
 第一次大戦後シナで労働運動が盛んになり反日感情が増大したとある。果たして当時のシナに工業というほどのものがあったのか。蒋介石軍の武器はすべて欧米製だ。ちゃんとした工業があれば小銃くらいは作れるだろうに。終戦時シナの重工業の95%は満州に存在していたと言われる。このことを知っていた毛沢東は真っ先に満州を占領し、その工業力で蒋介石に勝った。反日感情はあっただろうがそれは学生や工作員を主としたものではないのか。
 日清戦争では日本軍が敵兵と住民を虐殺したとか書いてある。虐殺はシナ兵の仕業ではないのか。証拠がある。戦争の指導者山形有朋は日本軍兵士に降伏するなと言っている。理由は降伏したらシナ兵は残虐だからということだ。日本軍虐殺説を唱える著者はどういう資料を参考にしているのだろうか。シナ側の文献のみを参考にしているのなら不公平だ。虐殺と言えば岩波の記述では南京事件を虐殺としている。証拠は一切ない。戦争に伴う摩擦による殺戮はあったであろう。シナ側はこの事件の証拠を一切提示できていない。岩波は根拠なき南京虐殺を口にしながら通州事件には一切触れていない。蒋介石の北伐に際してシナ兵がこの町を通過したときにおこった事件だ。通州は山東省(?)にある町だが、ここで200名以上の日本人が文字通り虐殺されている。証拠はある。当時の内務省の記録が残っている。根拠なきものをあると言い、根拠あるものを無視する、不公平だ。偏っている。ひどいのになると未だに慰安婦強制連行を唱えている著者もある。アサヒがゲロを吐いて1年半後に出版されたのだから著者は連行説の虚偽を知っていて当然だ。
 やけに沖縄、北海道そして小笠原が植民地だと強調している。しかも未だに植民地であるようなことを言う。小笠原諸島には100人も住んでいなかった。(米英系)ほぼ無人島。それを日本の版図にした。植民地化と言うか。形式的な論理だ。沖縄には確かに数十万人が住んでいた。しかし日本がとらねばシナかひょっとするとアメリカがとっていた可能性もある。北海道だって同じだ。日本の領土でなければロシアの領土になっていただろう。沖縄と北海道を失えば日本の防衛は著しく不利になる。著者に欠けているのは国家と言うものの重要性の意識だ。
 終戦後日本は在日の朝鮮韓国人に日本国籍を与えなかったという。詳細は解らないが、当時は混乱期であり在日朝鮮人の大部分は共産主義者だったという。共産主義にかき回されて治安は極めて悪かった。政府としてはこれ以上共産党員を増やしたくはなかっただろう。私が以前に読んだ本には昭和27年ごろ在日の朝鮮韓国人はほとんど帰国し、残ったのは3万名くらいだと聴いた。現在の在日の大部分は戦後密入国等で入ってきた連中だ。国籍云々なら現状はどうだろうか。多くの在日は日本国籍を取りたくないらしい。在日のままでいるほうがいろいろ都合がいいらしい。
 岩波の現代史では昭和30年ごろから20年間に及ぶ世界の奇蹟と言われる経済成長のことには一切触れていない。公害などお否定的な社会現象との関連で少しだけ触れている。明るい活気に満ちた時代だったが岩波はそういう日本の肯定的側面はまったく無視している。同様に明治維新から日本が近代化のために為した経済政策も一顧だにしていない。欧米以外で産業革命を成し遂げたのは他国から見ればやはり奇蹟なのだが。高橋財政に関しても否定的だ。別にケインズと比較してもらわなくても結構だが、流通通貨量増大、公共投資増大、有効需要増大を三本の柱とする高橋財政はケインズ以上のものだ。ちなみに言えば世界の過去現現在の政府で意識的にケインズ理論をとった国はない。ケインズとは一切無関係だが結果としてケインズ理論に近い政策を実践したのは日本の高橋是清とドイツのヒルマ-ル・シャハトだ。高橋もシャハトも経済学者からは無視されている。
 総じて岩波現代史は国家との存在意義をほぼ無視している。国家を無視すれば同胞と言う精神もなくなり歴史の記述は国家なき市民にのみ注がれる。だから国家の歴史としての記述は冷たくなる。実証的とは国家に対して冷淡ということなのかな。いろいろ言いたいことはあるが、眼だった点のみを取り上げて論評した。