経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

日本史入門「君民令和」 (9) 愚管抄

2020-12-29 16:29:08 | Weblog
   日本史入門「君民令和」 (9) 愚管抄

(9)愚管抄
1 「愚管抄」を書いた延暦寺座主慈円は摂関家嫡流の貴族僧侶、歌人としても有名。80年の生涯、保元平治の乱、平氏興亡、鎌倉幕府、源氏将軍家断絶、北条氏の実権掌握、承久の変、上皇配流など前代未聞の事件が続出。時代の潮流は武士の台頭。武家勢力と苦闘する朝廷には末世。慈円は悲観論を排して言う。時代は変化する、変化は治者と被治者の交互作用により起こる、武家政権の出現には道理があると。慈円は武家政権を承認、新たな時代を肯定。変化する時代の承認、生きる意味の肯定。慈円は神武天皇から順徳天皇までの84代千数百年の歴史を語り彼が生きる現在を肯定する。愚管抄はカタカナ表記、漢字漢文を読めない民衆を対象とした啓蒙教化の本。
2 慈円が新時代承認のために用いた論理が顕冥の道理。顕は表に見えるもの、冥は裏に潜むもの。顕は政治制度、冥は制度を動かす力。慈円は顕を時代順に三つ設定。律令制、摂関政治、武家政治。同じく時代順に三つの冥を対置。仏教、婚姻、民衆。彼は日本の政治制度は、仏教婚姻民衆という力と対立協同しつつ自らを変化させたと説く。仏教婚姻民衆は制度と相補対立してのみ存在しうる。政治と仏教は聖俗の関係、政治と婚姻は公私の関係、政治と民衆は上下の関係。政治は対立する要因を自らの中に取り入れ自らを変化させると、慈円は説く。
宗教婚姻経済。宗教はカリスマを創造、政治は宗教からカリスマを借りる、宗教無くして君主はあり得ない。宗教は婚姻を統制、逆に婚姻(性愛)ゆえに宗教カリスマは存在しえる。婚姻は経済を産む、経済は婚姻を規制。宗教婚姻経済は相互補完的。かくして神仏は民衆、君主も民衆、基本的に平等。
3 仏教は政治に対し、被治者が正統と合意するカリスマ性を統治権に付与。後見制(摂関政治)は政治制度の中に婚姻制度を取り込み、権力行使を柔軟に安定させる。政治の中に婚姻性愛を組み込む、政治は個人(被治者)と柔らかく対峙、民衆を寛容に包みこむ。被治者は治者に対し夫であり妻、治者は被治者に対し妻であり夫。慈円は政治制度における後見制の確立を画期的現象と捉え、自らが属する階級の歴史的意義を肯定。後見制摂関政治は首位と次位の婚姻同盟。後見制は私的な要因を包み込む柔軟な機構、パパママボクを単位とする統治組織。家産財貨が出現、統治は世俗的なものに。財貨の主体は武家民衆。ご恩と奉公という統治様式へ。

4 政治と性の対置が後見制を出現させる。延長上に統治の世俗化、ご恩と奉公、土地私有と軍役奉仕の交換の関係が成立。この関係にあって治者と被治者民衆は基本的に平等。民衆は武士。武士は本来土地の開拓者経営者。自衛のために武器を携帯するので武士と呼ばれた。武士は農民層から出現、武士は農場開拓農民、経済的価値の創造者。こうして慈円は新しい武家政権を承認。後見制、政治への婚姻の導入があったから、家産を媒介とする権力様式武家政権が出現した。武家政権から正式の衆議機関が誕生。衆議とはみなで論議して決める事、日本は西欧型民主制とは別個に独自の民意表出機構を創出。
5 慈円の政治思想における功績は武家政権の承認。武家政権の承認は時代の変化の肯定であり、歴史の中で生きる意味の肯定。ヘ-ゲルに先立つこと600年前慈円は歴史を弁証し、同時に民衆の政治参加を承認。
6 慈円は政治を動かす道理として、仏教、後見、民衆の三つの動因を設定。後見制の意義を強調、延長上に統治の世俗性を認め、武家民衆の政治参加を容認。政治現象は論理に従って動く、対立を媒介として変化する事を解明。


日本史入門「君民令和」 (8)源氏物語

2020-12-28 14:39:15 | Weblog
 (8)源氏物語
1 11世紀初頭紫式部が書いた源氏物語、世界に冠絶する大作品。主題は光源氏の女体遍歴。恋愛小説、遊蕩記。
2 物話概略。帝に寵愛された桐壺更衣は低い身分の出自、他の女性達から妬まれる。更衣は一人の男児を産んで死去、光源氏。素晴らしい資質才能、容貌体躯美麗、人の魂を虜にする魅力、学問芸術音楽すべてに秀逸抜群。帝は彼に源の姓を与え臣下の立場に、左大臣の娘を娶わせる。
 帝は桐壺更衣が忘れられない、似た内親王を皇后に、藤壺中宮。源氏は父帝と藤壺に可愛がられて育つ。源氏は藤壺を愛し、藤壺と密通。藤壺は源氏の子を産む。同時に源氏は、藤壺に似た藤壺の姪、若紫を自邸に引き取る。源氏の猟色放蕩は止まず,禁忌に触れる行為も。父帝死後、源氏は須磨に配流。
 源氏流刑後政界は不振、源氏は都に帰り復権。源氏は藤壺に産ませた子を新帝に擁立、政治を運営。源氏の地位は上昇、太政天皇、帝とほぼ等しい地位に。
 源氏40歳、前帝の娘女三宮を娶る。政治戦略帝血羨望、色と欲、二足の草鞋。女三宮と柏木が密通、柏木の子を産む、源氏の子として、薫大将。女三宮は出家。源氏は因果応報をかみしめつつ、憂愁のうちに死去。以上源氏物語本編。
 続編宇治十帖。薫は出自を知る。薫と匂宮は皇族の娘三人を争う。浮舟が薫と匂の間で悩み、宇治川に投身。名僧に救われ浮舟は出家を懇願。訪れた薫との面会を浮舟は拒否、物語は完了。宇治十帖は源氏の葬送編。薫匂浮舟は源氏の分身。浮舟の救済は源氏の救済。
3 源氏物語には巨大な主題がある。主題の第一、性と政治。性愛恋愛と政治行為は密接不可分の関係。源氏物語の核心は近親相姦。藤壺は源氏の母親、母親と通じ子を産ませる。故に懲罰され故に栄華を極める。不義遊蕩は源氏の魅力能力、恋愛能力即政治能力。源氏と藤壺の共同統治が端的な例証。共同統治を土台とし源氏は栄進。
禁忌近親相姦を犯した故に、犯すほどの能力がある故に源氏は帝王と等しい地位に登る。権力の源泉近親相姦、が源氏物語の第一主題。性愛と政治に関して一考。両者は酷似した関係様式。性愛も政治も物の体系を媒介とせず、両者は純粋に人と人の関係に終始。政治行為は、相互の人格が相互に操作し操作される関係。政治とは操作する意志の行使交換。恋愛も同様、愛するとは愛する相手をおのれの意志に従わせること。恋愛は政治と同じく、他者操作の相互交換、恋愛は政治。源氏物語はその機微を、近親相姦の能力即政治行為の能力、と提示。性愛と政治の同質性が源氏物語の第一の主題。この主題をかくまで明瞭に描き切った作品は他にない。
4 源氏物語の第二の主題は王権と摂関政治の弁証。源氏が近親相姦で造った政権は簡単に崩壊。源氏が真に統治権を持てば柏木を処刑すればすむ、源氏にその能力はない。因果応報を感じて憂愁のうちに消え去るのみ。源氏政権崩壊により王権は源氏の存在を超えた至上のものとして認知される。源氏の行為は簒奪、源氏政権の崩壊は簒奪の否定。王権は単なる権力の行使を超えた存在となる。
 摂関政治も弁証される。源氏の政治行為は帝王の父母による後見。後見、摂関政治。源氏は藤原氏ではない、帝血を継ぐ故に簒奪を試み敗れる。帝血を継がない一族の後見の方が安定、摂関政治の肯定。摂関政治では二つの家柄が継時的に婚姻を繰り返す、血の凝縮・近親相姦。摂関政治は政治力の根源である近親相姦を首位と次位の二つの家柄に閉じ込める装置。近親相姦が暴発しないための楔、内親王は未婚。内親王が臣下と結婚すれば、首位と次位の差はなくなり秩序は保てない。摂関政治は血統移動を一方向に限定し混乱を回避。なぜ近親相姦は権力の源泉なのか?近親相姦は血統財産権力を特定の家に囲い込む、自己の分身との交渉、他者操作は容易に。同時に近親相姦は政治的無秩序を招来。同格の者同志の争い。継体天皇以後摂関政治の確立まで、天皇家内部で婚姻し皇位を継承。幾多の流血を伴う政争。摂関政治確立、政争は無血に。次位の家柄を固定、次位から首位へと血の移行を一方向に制限、権力の源泉である近親相姦を肯定しつつ同時に制限して権力を安定。これが摂関政治。源氏物語は摂関政治の意義を論証。
5 源氏物語、日本文学の頂点転換点。古今以後の伝統、作品中に700の和歌。和歌の機能は、場面の意味集約。引歌の使用、和歌の一部を文章に取り入れその内容を黙示的に反映させる手法。源氏物語は宮廷儀礼の必須手段和歌作成の延長。勅撰集は王権の弁証、思想的にも源氏物語は古今集の影響下にある。
源氏物語は光源氏の一代記としての歴史書。日本書紀以来六つの国史編纂。政治の内邸化儀礼化とともに国史編纂は終了。貴族の日記が出現、儀礼指南のための漢文日記。延長上に私日記、個人の生活感情を描写する日記が出現。土佐日記が第一号。私日記は女性の感情表現の手段に、蜻蛉日記、和泉式部日記、十六夜日記、紫式部日記など。源氏物語は歴史書であり、同時に日記の内面描写感情表出の手法も取り入れる。
源氏物語に到る他の系譜が物語。物語の始めは竹取物語。伊勢物語、宇津保物語、落窪
物語と続く。物語の発展にあって、主人公と筋書と文体を洗練してできたのが源氏物語。源氏物語は奈良平安時代のすべての文学分野、和歌歴史書日記物語を集約し総括した作品。源氏物語は日本文学の転機。それまでの文学の情操のすべてを集約してこの物語は作られる。源氏物語により日本人の情操は確立。
6 源氏物語が提示する重要な問題、女性の活躍。源氏物語を頂点とし10世紀から11世紀にかけ女性による作品が続出。伊勢、右大将道綱母、和泉式部、清少納言、紫式部、赤染衛門、菅原孝標娘、平安女流文学。かほど女が文学で活躍した事例は世界史上ない。
女性は文学のみならず政治においても活躍。女房層の出現。彼女達は摂関政治により地方官専業に追いやられた下級貴族受領層の女性。彼女達は父夫が上級貴族に家司として奉公するのと併行し、上級貴族の女性に奉公。彼女達を女房という。女房の仕事の一つが主人である后妃、候補者も含む、の教養を高めること及び主人の相談役。紫式部は彰子中宮の家庭教師だが、政治向きの仕事もした。摂関政治の時代、母后の役割は重大。母后には外戚である父親と、主権者であり夫子供である帝、の間を調整する役目がある。道長が権力の座につけたのも姉であり円融天皇妃であり一条天皇の母親である詮子のお蔭だった。政治の表における男の争いは裏での女の争いと併行。これほどの影響力を行使する后妃の参謀役でもありうる女房の力は絶大。
後年には女房層に加え天皇の乳母も発言権を持つ。紫式部の娘大弐三位は後冷泉天皇の乳母として宮廷に隠然たる影響力を行使。もう少し例証。保元の乱の張本は鳥羽天皇の女御美福門院。平清盛の去就に決定的な影響を与えたのは彼の義母、女房乳母層にあった池禅尼、禅尼の圧力で清盛も頼朝の首を切れなかった。承久の変を起こした後鳥羽上皇の政治には、多くの乳母や愛人が絡む。奈良平安時代の後宮ほど力をもった後宮は世界史上ない。それほど実力があり権力闘争が激しかった後宮で流血事件が全く起こっていないのも日本の特徴。女房乳母は裏の情報の探知役、男の意志の取次役、そして暗黙の示唆。
7 仮名について。仮名は女文字と呼ばれ漢文を読めない女性の使用するものとして低くみられていた。女文字の使用と併行して日本文学は盛行。世界史上にない事跡。日本文化の深層における女の力。源氏物語は全文仮名書き。
8 女が文学や政治の世界で活躍できた理由は。日本では女が優しく扱われ尊重されるから。再び神話の世界に。主神アマテラスの存在、アメノウズメの裸踊りで世界が開ける、コノハナヤサクヤヒメとトヨタマヒメによる婚姻秩序の確立など、日本神話の基軸にはすべて女が絡み女が決定。太古の昔、天皇の意志は女官を通してのみ取りつがれた。日本は部族制が展開され強固な家父長制ができ上がる前、母権性社会の名残が濃く残る時点で融通無碍な仏教を取り入れる。仏教により柔らかく構成され解体された結果が摂関政治。だから日本では他国に比し女性の地位発言力は強い。日本には宦官はいない。日本の後宮への男子の出入りは結構容易。女性は尊重されていた。宦官に監視される女性は家畜、魔女裁判は女性への根源的憎悪。
9 源氏物語は、支配への衝動は近親相姦願望に基づくとし、性愛と政治の密接な関係を暴く。同時に露骨な近親相姦による政治を否定し、緩和された形態である摂関政治を弁証。天皇は摂関を超えた超越的存在、神としての権威を獲得。源氏物語は日本語日本文学日本的情操の確立に寄与、女の国日本を具体的に例証。
[君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行


日本史入門 (7)勅撰和歌集

2020-12-27 14:11:14 | Weblog
(7) 勅撰和歌集  
1 905年醍醐天皇の勅命で古今和歌集編纂、勅撰集。編者は紀貫之以下4名。1205年新古今集作成までの歌集は和歌の最盛期を体現、八代集。古今集、後撰集(村上天皇)、拾遺集(花山法皇)、後拾遺集(白河天皇)、金葉集(白河法皇)、詞歌集(崇徳上皇)、千載集(後白河法皇)新古今集(後鳥羽上皇)。1439年、後花園天皇時代の新続古今集で総計二十一の勅撰集編纂は終了。
2 古今集作成時、日本語の表記法確立。日本人の心情を日本語で表現。物語の出現、竹取物語や伊勢物語は仮名書き文、貫之の仮名日記。自民族固有の文字言語、支配の正統性と統治への帰属意識確立のための必須作業。日本語表記発展の画期に古今集がある。
3 宇多天皇の御代から、政治や貴族の生活は儀礼化。儀礼は、儀礼をともにする共同体形成、人心交流の円滑化を促進。村上天皇の時代、男女共同の歌合せが始まる。王権の示威、心情の応酬、男女の協和、美意識と言語能力の練磨。和歌は貴族、一般庶民も含めて必須の教養、文化と儀礼の重要な手段に。
4 古今和歌集序、歌でもって天地の神々に訴え人の心を動かす。序は歌集編纂意図の表明。勅撰と序文、古今集編纂は文化的政治的な行為、和歌言葉で帝王が人心と天地万物を支配する意図を明示。神としての天皇の統治を正統化する文化事業。勅撰集編纂に代表される文化の主催者、儀礼執行者、天皇は文化の帝王、同時に女性化する天皇像。
5 古今集で歌われる内容は、四季、恋、離別、哀傷、祝賀、神祇に要約され整理される。和歌は歌詞枕詞など定型化された言語を用い、感情の円滑な交流を可能に。詩作能力は言語能力、論理形成能力。
勅撰集で使われる言葉は洗練され、数は約2000。数2000には意味がある。米国の中学生が覚える単語は2000。当用漢字の字数は1800弱。和製漢語、維新以後日本人が欧米語を翻訳して作った新しい言語、現在我々が用いる漢語の数も2000。歌作のための歌語2000、日本人の感情表現に必要な言語空間文化空間が作られる。 
6 万葉集から新続古今集までの700年、王権の確立期全盛期、南北朝分裂の衰退期においても作られ尊重される勅撰集。意義は、主催者天皇の正統性承認。勅撰和歌集は万世一系の天皇の明確な証し。南北朝合同、後小松天皇後亀山天皇間の血統には玄孫間以上の隔たり、が両統とも文化的価値和歌編纂を共有、同族意識を持ち合う。南北朝合同など世界の他の歴史にはない。
7 和歌は衰退したのか。連歌俳句は和歌の後身、宗祇芭蕉蕪村は和歌に熟達。連歌は金葉集で出現、藤原定家は連歌を楽しむ。和歌、連歌、俳句の間には密な連続性。
 江戸時代禁中公卿諸法度。幕府は、公卿朝廷を学問技芸専修に囲いこむ、が公卿家職は江戸時代の庶民文化に深く影響。二条冷泉飛鳥井三条西の四家が和歌伝授を職とする。民間にも多くの歌人、代表は良寛と橘アケミ。むしろ江戸時代になって和歌人口は増えたのかも。本居宣長、正岡子規は和歌の復興改革を強く主張。現在でも歌壇があり、毎年正月には宮中でお歌会。お歌会は王朝時代の歌合せ勅撰集編纂の延長。
8 和歌連歌俳句を作るのは簡単。教養がなくても作れる。五と七の仮名で字句を作り、くっつければ完成。和歌の伝統確立により日本人の詩作言語能力は飛躍的に向上。勅撰集編纂の意義はここにも。再説、詩歌は文化の淵源。
 国歌、君が代は千代に八千代にさざれいしの巌となりてこけのむすまで、は古今集の詠み人知らずから。
9 勅撰集編纂の意義は天皇が文化の帝王であり、文化を介して天の摂理に訴えかける神である事の示威証し、皇統の正統性の主張。文化の帝王という形象は天皇像を女性化する。勅撰和歌集は男女の共同統治の暗喩。和歌の作成は民族言語の形成、感情交流の円滑化、民度教養の向上に大きく貢献。

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行

コロナ後の経済に関して、円高を利用しよう

2020-12-26 20:09:11 | Weblog
コロナ後の経済に関して、円高を利用しよう

 コロナは目下収まる気配はない。医学的にも決め手がない。メディアや野党は菅政権が無能だと云々するが、菅総理はそれをいちいち気にする必要はない。どういうわけか円高が進んでいる。コロナ後の経済は読めない。円高進行は多分アメリカのドル刷りすぎに依るものだろう。先進国はどこもコロナによる不況対策として自国通貨を過剰に発行しているはずだ。こういう時安全な円に世界の投機が避難場所を求めると言われる。識者によっては円高を不況激化の予兆として恐れる。しかしどうだろうか?円高は日本経済勃興の契機になるのではないだろうか。コロナで各国とも消費は低迷している。人の移動が制限されるのだから当然だ。結果として各国ともデフレ基調になる(通常ならインフレのはずだが)。コロナが収まれば生産は消費とともに増大する。インフレかデフレか?シナは輸出を増大させたいだろう。それがシナ経済の低迷を救う唯一の政策だから。米国はどうか。トランプ氏が大きく制限した対シナ貿易の入超を黙認すればバイデン政権は危ない。輸出を増加させたいはずだ。ユーロは混迷するだろう。統一された政策は営めない。もともとちぐはぐな国家連合だから。世界の経済はこの三つに日本を加えて決まる。
 コロナはもともと大勢にあったデフレ基調を増大させる可能性がある。インフレになるかデフレになるか解らない不安な時期なら気分はデフレだ。なら日本は円高・デフレの線で行ったらどうか。識者の中には円高は良くないと言う人が多いが、はたしてそうだろうか。円高になれば輸出価格は上がり従って輸出には不利になる。逆に輸入価格は下がり、輸入はしやすくなる。つまり五分五分と言う事だ。具体的言えば豊田のような会社には不利になり、清水・大成のような会社には有利になる。もっともこの両者が海外の方で工事を大量に行っていれば話は別だが。
 日本の経済は決して輸出で持っているのではない。消費の大半は内需だ。そして輸出入とんとん、理想的なのだ。加えて大量の貯蓄がある。内需と言ってもアメリカから肉を、フランスからワインを輸入するだけではない。建築・土木・公共インフラなどのための原材料はすべて輸入だ。それに技術を付加して外国で売れば輸出、国内で使えば輸入となる。いずれにせよ国内の技術製品の大多数の原料は輸入だ。円高になれば国内の物価は下がる。それでやって行ける。
 円高になったら安い原材料を輸入して国内のインフラを新設再整備しよう。昭和40年代(だから50年前)にインフラの大整備をして以後、大幅な改造はしていないから、インフラは老朽化している。この改築費だけで膨大な内需が生じる。新幹線はもっと増やせ、建設を進めろ。また日本には道路が足りないらしい。道路自体も進化し、新しい需要をもたらすが旧道路はそれを満たせないのだ。さらに20年後には必ず来ると予言されている南海・東南海トラフによる大地震への建設工事も不十分だ。もっと知恵を絞ろう。波の防壁と観光施設は併存できないものか。さらに老人介護と過疎の問題がある。介護施設の一部を地方に移転しそこを地方再生・農業振興の基地にしたらどうだ。社会福祉も経済再生の見地から見直す必要がある。高給介護付きで行けば地方の需要は高まる。移民の需要にも応じられることになる。そして防衛投資。これらの事を考えれば円高を利用して国家改造を計ることができる。いまから50年前、田中角栄というひとが「日本列島改造論」を唱えたが、時期が悪かった。現在再考する余地は充分ある。
 日本のGDPに占める輸出の割合は15%くらい、内需のそれは60-65%だ。輸出企業を少し犠牲にしても内需企業に重点を置くことには充分理由がある。内需のための製造業が盛んになれば当然そこでイノヴェ-ションの可能性は増大する。それを輸出企業の技術に利用してもいい。輸出企業も内需用製品製造に一部を切り替えてもいい。極端な事を言うが三菱も東芝も戦後の一時期、鍋釜大工道具の製造で食ったこともあるはずだ。
 大体してはならない事とは、人様の弁当を失敬する事だ。輸出にはどうしてもこの趣がある。コロナ後世界の大勢は輸出に傾くだろう。人情としてはそうなる。国だって企業だってゲンナマは欲しいのだから。日本が内需中心に経済を運営すればいやでも輸入価格は下がる。円の信用が加わるからもっと下がる。
 円高即デフレ、円安即インフレなのか?そうではあるまい。売買と価格は数理学的には相関するはずがない。心理的には相関しうる。経済とはケインズのいう美人投票だからな。そろそろこの暗示から脱出しよう。チャンスだ。円高を機に内需中心経済に切り替えよう。2020-12-26

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行


 日本入門「君民令和」  (6)摂関政治

2020-12-26 14:35:34 | Weblog
     日本史入門「君民令和」 (6)摂関政治

(6)摂関政治
1 摂関政治、摂政関白が天皇の政治を代行する慣例、日本政治史の一大転機、以後の日本の政治的情操を規定。律令制は聖徳太子、大化改新、壬申の乱をへて聖武天皇の時代にほぼ完成、その間150年。律令制の原則は、国が土地を人民に貸し税金を取る事。政策遂行のための官僚制度整備。官僚制の骨格は大臣納言(合議)、弁官外記少納言(事務局)、中務以下の八省(行政)、地方には国守を派遣。
 律令制は8世紀中葉から弛緩。有力者は土地を開墾し占有、中央の権門と結んで徴税に抵抗。政府は国守に強い徴税権を与え徴税請負制に。官職の重要な部分は藤原氏嫡流が独占、出現した慣例が摂関政治。
2 天皇が幼少なら摂政が政治を代行、天皇が成人しても関白が合議機関と天皇の間に介在し天皇の判断を制約。こんな事がなぜ可能に?摂関は娘を天皇の後宮に入れ、生まれた皇子を次代の天皇に、自らは天皇の祖父外戚として権力を掌握。入内した娘は天皇の母親、母后の存在は重要。外戚も母后なくして権力に介入できない。摂関は宮廷に自室を持ち、母后天皇の私室に出入り自由。
 摂関政治出現の要因の一つ、政治の内廷化。律令制衰退、行政機構縮小、荘園制による税収減。国家財政は天皇家と一部の貴族を養える程度に。地方行政軍事外交は放置。政治に参加する貴族は約100名。政府は天皇の家政機関、政治は天皇の私室清涼殿で、一部上級貴族の談合。公から私への政治機構の縮小、内邸化、摂関政治、外戚母后が血縁婚姻を介して天皇の権力に私的に関与、政治のお茶の間化。
摂関は藤原氏が独占。藤原氏はもと中臣氏、朝廷の神事担当。大化改新の功臣鎌足は藤原姓を賜る、子不比等は娘を天皇の皇后に、死後贈太政大臣。皇后冊立と贈太政大臣は藤原氏を特殊な家、他の豪族とは一格違う家柄に。藤原氏は天皇家との婚姻政策を進め、帝血に食い込む。
3 天皇家と藤原氏は律令制整備仏教興隆で協同、国家革新で同盟。鎌足は長男を僧として唐に留学させ、不比等は興福寺を建てる、光明皇后は夫聖武天皇を励まし、国分寺国分尼寺大仏建立に邁進。寺院建立、国家権威の示威、新興経済勢力との提携。興福寺は仏教理論の雄法相宗研鑽の寺。仏教振興は律令制確立のソフト整備。大宝養老律令の編纂は不比等主導。藤原氏は律令制中央集権制確立に一番熱心。律令制、中央集権制の確立において、新興氏族だから天皇家の次位に甘んじえる、藤原氏は天皇家にとり良き共同者。
 藤原氏は優秀な人材を輩出し続ける。称徳女帝死後藤原氏は道鏡による帝位簒奪を阻止、素早く光仁天皇を擁立、次代には桓武天皇を。人材発掘の眼の付け所は抜群。長岡平安遷都も藤原氏主導。内邸機構の核心蔵人所が設置されると内麻呂が長官に。良房は清和幼帝の摂政、基経は光徳宇多天皇即位の事情ゆえに関白に。基経の孫師輔、子兼家、子道長の三代が摂関政治の全盛期。三人は娘を后として後宮に入れ次代の天皇を設ける。
 摂関政治は天皇と天皇の母系姻族との共同統治。前史。卑弥呼と男弟の、神話の世界ではアマテラスとスサノオの男女による共同統治。律令制以前には、大兄が大王の代行として大王と共同で統治。大臣は豪族一同を代表し大王と共同統治。律令制の影に隠れていた共同統治性は政府の内邸化の過程で摂関政治としてその相貌を新たなものにする。
4 摂関政治は天皇家と藤原氏、首位の家と次位に徹し決して首位を狙わない家による婚姻同盟共同統治。天皇と母后による男女の共同統治。政治の私物化弛緩か。が摂関政治には重大な長所がある。権力の安定と部族の解体に貢献。天皇家と藤原氏は首位と次位として互いの地位を侵さないという暗黙の、歴史的には明白な契約を結ぶ。権威と権力を分担。首位と次位は直接つながらない。両者の間には300年の歴史の中で形成された婚姻同盟、男女共同統治という安定したバネが挿入される。統治の裏に女が一枚噛む、権威と権力の関係は柔軟に、深刻な衝突は避けられる、摩擦衝突は穏健無血なものに。首位と次位の関係の安定は下位の層にも自動的に波及。権力の安定が摂関政治の第一の特質。
5 部族の解体。部族とは擬制的な血縁で結ばれた集団。初期の政治体制は部族制、部族の長の連合が政治を決める。摂関政治では首位と次位が強固な同盟関係に、部族はその下に甘んじる。部族による権力交代、必ず流血を伴う、は消滅、部族の存在意義も消滅。藤原氏は他氏の政治進出を巧に阻止。大伴紀氏は没落、皇族は政治から排除、賜姓源氏は飾り物、頂点に立つ学者は追放。事件は必ず陰謀がらみ。だから藤原氏は人気が悪い。が藤原氏の時代、権力交代に伴う流血事件は全くない。薬子の乱から保元の乱までの350年間貴族官僚で処刑された者はいない、多分庶民も。平安時代は死刑のない時代、徳川300年の平和と並び、世界史上稀有の例外。
6 摂関政治の全盛期は兼家から頼道までの100年間。摂関政治は院政に取って代わられる。院政、引退した天皇が上皇法皇として、わが子である天皇を後見し実質的に権力を握る。現役の天皇は儀式執行者。この制度も権威と権力の分離、摂関政治の続き。院政の次は鎌倉、室町、徳川幕府による武家政治。実質的権力は将軍、最終的権威は天皇と分業が成立。権力の争闘は武家政治の内部だけに限定、争闘が国家全体に及んで国体が変化する事はない。天皇の権威が形式化しても最後は天皇の仲裁調停は必要。日本では争闘はあるが、規模は他国に比し著しく小さい。流血量は極少量。権力を安定させ、交代を円滑平穏にする政治装置の範例は摂関政治により作られる。
 摂関政治は婚姻同盟であり、男女の共同統治。権威と権力の間に女性が一枚噛むことにより、権威と権力は分離され、権力行使は穏やかなものに。

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行

日本史入門「君民令和」  (5)神仏習合

2020-12-25 13:12:26 | Weblog
日本史入門「君民令和」 (5)神仏習合

(5)神仏習合
1 8世紀末最澄空海が天台真言二宗を日本に紹介。以後仏教は日本独自の展開。変化の相貌は三つ、実践化、個人救済、私企業化。荘園制度の進展に伴い寺院の収入は荘園に依存、私営。奈良仏教の寺院は国営、僧侶の修行は寺院の中だけ、任務は護国にある。経典を呪文視しその暗誦が主たる作業。法華経及び真言密教は個人救済を強調し実践。
2 釈迦の教えが竜樹により一回転されて大乗仏教、大乗仏教の最大の特質は大衆救済、大衆救済の実践者が菩薩。菩薩道を説く大乗仏教は、華厳経を源流とする流れと法華経を尊重する流派に分かれる。前者は世界のすべてに仏性が宿る、万人は救われていると説く。禅宗、浄土教、真言密教はこの流れ。後者は、信仰共同体を維持しつつ共同で行なう社会的行為により、自らを救済すると言う。最澄は法華経の解説体系天台宗を、空海は華厳系の真言密教をもって帰国。
 どれほどの人が法華経を理解したえのか?法華経が説く弁証法と政治行為の意義の理解は難しい。法華経の意味の発見は慈円と日蓮を待つ。平安時代法華経は解らないまま尊重された。天台宗の本山が比叡山延暦寺。
3 真言密教は解りやすく実践しやすい。密教は仏教がインド土着の呪術信仰と結びつき発展したもの、華厳的思考に呪術が加わる。呪術とは俗世の福徳を直接に授けてくれる技術。密教信仰が日本に輸入され爆発的に広まる。授産、降雨、治病などの欲望が呪術で実現、貴族も庶民も密教信仰。密教信仰では俗人には努力は要らない。密教の本山は高野山金剛峰寺と京都東寺。延暦寺はこの趨勢に危機感を抱き、最澄の弟子達が渡唐し別系統の密教を招来、加持祈祷に専念。延暦寺の看板は法華経、が密教呪法の方が収益大。平安時代前半最も繁盛したのが密教、後半には密教が変形されて浄土信仰に。
3 密教ではインド土着の神仏がご利益を、日本の神様も人を罰し福を授ける。密教信仰は日本古来の神様と融合癒着、利益福徳経済を介して仏と神が重合、神仏習合。神仏習合は他宗派でも、が顕著な効果は密教を介しての回路。
 神仏習合、仏教土着の進展。大乗小乗あわせて仏教教義は極めて多彩、日本の神様は八百万、多数の仏菩薩と神々は簡単に融合、信仰は地域分権的に。神仏習合した仏教信仰は、新興土地開拓者名主に歓迎される。律令制では土地私有はダメ。人間の私有願望は強い、土地は集積され、所有者は免税も要求、荘園制の出現、非合法まかり通る。神仏習合で多元化された仏教信仰の効能。仏教は国教になれない、寺院は私営、宗派は独立、だから国家は信仰を独占できない。新興名主は自らの判断で信仰を選択、土地に寺院を作り寺院に土地を寄進。信仰を独占する機構がない、信仰は自由、国家権力から精神的従って経済的独立も可能、武士の出現。
4 武士は本来土地の非合法的開拓者占有者、体制への反逆者。最澄や空海の作った寺もかなり怪しい。寺院から菩薩僧が現れ独立して土地開発など社会活動を展開。武士と菩薩僧は重なる、武士と僧侶の距離は極めて近い。
5 僧兵について。僧侶が武器を持ち武力を使う、信仰の堕落だと。そうかな。寺院は財産を持つ。財産を護る武力がなければ寺院は衰亡。平安時代は自守自衛。僧兵がいなければ仏教は国家に対して自立不可。僧兵は武士、両者の境界は流動的。当時の寺院は皆武装、僧侶俗人すべて武器を執る。寺院の決定は全員の会議で行なわれ、運営は民主的。寺院が武装できるから信仰を護持でき、国家が精神的価値を独占できず、権力は遠心的に働き、武士層が興隆。逆も真。武士が国家から距離をとりえたから、寺院は国家による介入を防ぎ自らを護れた。土地開発と経済成長を推し進め寺院の存在を擁護する武士は典型的な菩薩、武士道は菩薩道。
6 神仏習合、神道と融合して仏教は日本の文化と体制に定着、国家の守護神に。端的な例、後七日修法と大元帥法、天皇の玉体を護り国家を守護する密教呪法、朝廷で行なわれた。
7 仏教の非国教性、国家による価値独占は不可、武士層の興隆。寺院武士は提携して発展。

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行

オ-ストラリアを救援しないでいいのか

2020-12-24 14:07:45 | Weblog
 オーストラリアを救援しないでいいのか

オーストラリアが対シナ関係で困っている。事の起こりはコロナ感染に関して同政府がシナに共同調査を申し込んだことがきっかけだ。シナ政府は激怒しオ-ストリア産の大麦の輸入を止めた事だ。コロナ蔓延に対しての第一の責任はシナにある。しかしシナ政府は一切つまびらかな情報は提供しない。コロナは制圧されたとの、信じられない意見の発表のみだ。シナの人口は多い。だから農産物などは大量に輸入する。農産物生産国であるオーストラリアにとってシナは良いお客だ。それが正当な理由なく貿易の一部が停止される。オ-ストラリア政府は困っている。
オ-ストラリアのこの困窮を西側諸国は座視していていいのか。明日は我が身である。オ-ストラリアに援助すべきではないのか。大麦を共同して買うのも一法だが、単純に特別融資をすればいい。融資して5年間は利子と支払いは免除とする。その間にオ-ストラリアは経済構造・農業構造を一部変えればいい。それまでのつなぎ資金だ。オ-ストラリアが対シナで妥協するとシナの思うつぼだ。他の国にも弊害は及ぶ。
オ-ストラリアが対シナで強く出た背景にはシナ人の大量移民がある。単なる移民ではない。オ-ストラリアをシナの属国にせんとするための移民だ。オ-ストラリアの人口は高々3000万人、シナのそれは14億(15億とも言われる)。シナ人の1%が移民しただけでオーストラリアは乗っ取られる。つまりシナ系の人口が過半数を占める。オ-ストラリアは民主主義国だから選挙でシナ系の国民がシナに有利な議決をすればいい。事の果てはオ-ストラリアのシナへの吸収合併だ。このような動きは全世界に広がる。シナには「国民国家」という概念はない。天下という考え方はある。換言すればシナの影響が及ぶ領域はすべてシナなのだ。
加えてシナのスパイ活動は極めて盛んで傍若無人だ。現在アメリカ政府が苦慮し、賢明にもシナ人の研究者や学生の追い返しを進めている。知財や研究成果は遠慮なく盗奪されるからだ。もちろん日本も例外ではない。日米の大学にちょっとばかり援助し、研究成果はすべて持ち帰りだ。全世界に散らばったシナ人はすべてスパイと思ってもいい。シナ国内には人権はない。学生・研究者が留学するとき、諜報機関や治安警察から知財盗奪を命令されて拒否できるだろうか。拒否はその個人の将来・生活果ては生命にもかかわる。家族も危ない(ウイグルの例を見よ)。ちなみに7-8年前だか新日鉄住金の特殊鋼材がシナと韓国の企業に盗まれた。新日鉄住金は訴えて勝訴し、500億円ばかりの金を受け取った。しかしその間盗んだ側が稼いだ金額は優に1兆円を超えると言う。現在の経済では資本とは知財でありまた人的資本なのだ。
現在オーストラリアではすでにシナ系の国民に依る政府、議会、地方自治体への執拗であくどい干渉と圧力が行使されている。オ-ストラリアの防戦も必死なのだ。政府、議会、財界の大物がシナに行く時には、彼らはオ-ストラリアの諜報機関から特訓を受ける。例えばシナのホテルの室内では直接携帯電話などの充電はしないように注意される。食堂や酒場には入らない方が良いとされる。クライブ・ハミルトン氏の「目に見えない侵略」を読まれる事を推奨する。恐るべき実態が描かれている。
どこの国でも敵国を支援する反国家勢力はいるもので、前オ-ストラリアの首相のボブ氏は、現在のオ-ストラリア政府の苦境はオ-ストラリア政府自身が招来したものだと、言っている。彼は労働党(従って左翼)所属で確か彼の政権の時、北部オ-ストラリアの一部をシナの軍港建設の用地として99年の期限で貸与した。しかも米軍基地のすぐそばの地だ。変な事するなあと当時は思っていたが。どこの国でもそうだが社会主義政党は、自国内で民主主義だ、社会福祉だと大騒ぎするが、対外的には共産党独裁に弱くかつ友好的だ。日本ではかっての社会党そして現在の立民党(公明党も入れてもいい)などだ。自国を護ろうとしない。憲法改正には反対だ。メディアもそうだ。朝日・毎日などはシナの手先としか思えない。
ここでなぜ彼らが共産主義に傾きやすいのか整理しておこう。共産主義は、遊んで暮らせる世界の到来を予言する。だから共産主義者は少なくとも金儲けにあくせくする資本主義体制下の人間より「善」だと思われやすい。ただ一つだけ忘れている事がある。共産主義が予言する天国が来る一段階前に、共産主義の前衛党の独裁が必要で、その間既存の道徳・宗教は(恥ずべきブルジョア体制の遺物として)廃棄されプロレタリアの造る新しい道徳が造られるまで中断されねばならないと言う。この種の言辞に馬鹿は騙されやすい。簡単に言うとプロレタリア独裁の期間中は一切の道徳は消滅するし消滅させないといけないとされる。つまりこの期間中には権力は何をしてもいいとなる。この事が解らない人間はバカだ。人類は道徳維持のためにどれだけの苦労をしてきたか。
なお私はシナあるいは中共の大勢は衰退ないし崩壊の危機にあると思う。危機にあるから好戦的になる。危機説の根拠を簡単に三つだけ挙げておく、説明は別の機会に譲る。三つとは二種戸籍の存在、事実上のドルペッグ制(シナの場合は為替操作になる)そして国営企業の増大だ。いつか説明する。各自考えてほしい。
本題に戻る。オ-ストラリアの困窮を救うべく行動を開始しよう。2020-12-24
                                   
「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行







日本史入門「君民令和」 (4)万葉集

2020-12-24 12:14:59 | Weblog
日本史入門「君民令和」 (4)万葉集

(4)万葉集
1 和歌は万葉に始まる。五七五七七の短歌ほか約4500首。孝謙天皇の命で作成。編者大伴家持の私家集という性格も持ち、長期間かけて作られ、8世紀後半完成。万葉集は民間で作られ採録されたともいえる。冒頭第一、籠(こ)もよみ籠持ち、で始まる雄略天皇の歌は、天皇が野で菜をつむ乙女へ求愛する歌、求愛は同時に統治。万葉集はまず王権の正統性を歌う。
2 作品数が多い。古今集以下の歌集ではせいぜい1000首。万葉の作者は階層縦断的、天皇から下級官人庶民まで極めて多彩。農民兵士も歌を作る。庶民の名も解る。万葉集は官民共同の作成。
3 有名歌人には女性が多い。日本での女流歌人の高い地位は万葉以後も続く。万葉集がこの傾向を創始したのか。万葉仮名といわれる特殊な仮名文字の使用。万葉仮名は仮名文字の始祖、仮名は女文字。仮名使用により万葉は国民文学大衆文学になり、女性を文学の世界に引き入れる。源氏物語枕草子を筆頭とする平安女流文学の興隆と密に関係。女性の地位は暗黙のうちに高い。
4 万葉集は歌材が豊富。古今集以後の歌集の主題は四季、恋、旅、哀傷、祝賀、離別。万葉集では歌材は生活一般に広がる。洒落冗談思想社会的関心も詠まれる。万葉集での恋愛感情の表出は直截、性愛を直接表現する歌、猥雑な歌も多い。歌材が広がり歌は詠みやすくなる。庶民感情も表現可能。短歌を例に取れば五七五七七の形式以外の約束はない。素朴な感情を直接表出。笠郎女の燃えるような恋愛歌、大伴旅人の酒褒むる歌、山上憶良の子供賛歌等々。
5 万葉集には同性愛を歌った歌が多い。代表が大伴家持。同性愛を歌った歌は以後の歌集にはない。万葉で歌われる同性愛、友人同志か主君と臣下の間。同性愛は戦士軍人に多い。戦士は同胞、同性愛歌は戦う同胞友人への友情賛歌、太古の戦士の感情の保持。歌情は戦う同志、戦士兵士一般さらに庶民にまで及ぶ。だから兵士庶民も歌を詠む。大伴氏は古代の軍事氏族。家持の、海行かば、は彼の聖武天皇への恋歌。
6 万葉のもう一つの特徴、大伴氏の私歌集的性格、衰退する名族大伴氏の挽歌。万葉最後の歌は759年因幡守家持が新年を祝う歌、以後20余年この歌人は一首も詠まない。759年大伴一族が反逆罪で処刑、家持にも嫌疑。家持は死後も陰謀加担の容疑で地位剥奪。大伴家持は秀逸な歌人であり執拗な反藤原氏の闘士。家持編纂の万葉集には敗者への同情、下層階級への共感が伴う。
7 膨大な歌の数、女流歌人の活躍、階層縦断的な歌人の存在、官民共同の制作、豊富な歌材、性愛の直截な表出、多数の同性愛賛歌、大伴氏の挽歌・敗者のアンソロジ-、などの特徴、万葉集は大衆的文学。万葉集が表記法に万葉仮名を採用した事は、女性庶民の歌作参加を容易に。日本人の識字率はその頃から高かった。識字率の高さは民度生活程度の高さ、国民の平等性の指標。帝王の命令で創られた文学に一般大衆が自ら名を連ねて参加、他国にはない事例。大仏開眼に行基が民衆を率いて参加したのと同じ現象。漢字伝来から万葉仮名まで300年、日本人は自らの情操を自らの文字で書く事を可能にした。万葉編纂後100年、平仮名で書かれた物語歌集が出現。文化の淵源は詩歌。詩歌作成における女性の高い地位。日本文化創造の深層には女性の力。
8 和歌は短い、簡単に詠める。表記はイロハ50文字で可能。口語表現もできる。万人が詩人になりえる事は日本人の感情表現を容易に、感情交流を円滑に。識字率と思索能力を高め国民間の平等性集団帰属性を強める。後年和歌から連歌俳諧俳句が出現、連歌俳諧は徹底した庶民文芸。天保年間江戸で俳句を懸賞つきで募集。集まった句は10万。他国では不可能な事。
9 万葉集は官民共同で作られた大衆的作品。表出される感情は大胆率直多彩。性への態度も素直でおおらか。万葉集は日本人の情操の基盤。

[君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行

日本史入門「君民令和」 (3)記紀神話

2020-12-23 17:35:38 | Weblog
日本史入門「君民令和」 (3)記紀神話

(3)記紀神話
1 縄文弥生古墳、卑弥呼巻向崇神天皇、これはこれで歴史。がこの試みでは日本民族の心情は解らない。太古の倫理や思想は神話の中にのみ存在。文明は固有の神話を持ち、自身の心情倫理を表現。古事記と日本書紀、記紀が語る意味を考える。標的を日本開闢から神武天皇即位までの神代記にしぼる。まず大筋。
2 日本の国はイザナギノミコトとイザナミノミコトの交接から生まれた、大和大八嶋。イザナギノミコトから生まれた姉のアマテラスオオミカミと弟のスサノオノミコトが共同で国を統治。統治は破綻、スサノオは冥界へ追放。アマテラス(以下略称)は岩屋に隠れ、世界は真っ暗。神々の協議、火を焚き明るく、アメノウズメノミコトの裸踊り、哄笑、アマテラスを騙しておびき出す。アマテラスの孫ニニギノミコトを総帥とし神々が地上に降臨。降り立った地は日向の国。ニニギは山の神の娘コノハナヤサクヤヒメと結ばれる。一夜で妊娠、ニニギに貞操を疑われたサクヤヒメは火の中に飛び込み分娩、貞潔を証明。生まれた子供が山幸海幸の兄弟。兄弟の争い、海神の娘トヨタマヒメを娶った山幸が勝つ。分娩の光景を見るな、の約束に背き山幸は産場を覗く、のたうつ大鰐鮫。トヨタマヒメは怒り子を残して海に。生まれた子の子供がハツクニシラススメラミコト、神武天皇。
3 神話で重要な点は三つ。アマテラスとスサノオの姉弟相姦による統治の破綻が第一点。近親相姦では統治は不能。第二点はニニギとサクヤヒメの結婚。サクヤヒメは火の試練で貞操を証明。陸はニニギの領有に。第三点は山幸とトヨタマヒメの結婚。姫の貞操が疑われる。子を置き海に帰り、姫は山幸に抗議、貞操の証し。水の試練、山幸は海を支配下に。
 三つの挿話の意味。近親相姦を前提とする統治は失敗、火と水による試練で近親相姦を克服、貞潔な婚姻と正統な統治は併行。古事記神代編国家開闢天孫降臨神話の意図は、統治能力と婚姻秩序の確立は併行する事。婚姻が正常なら統治も正常。
 民族の最も重要な事跡国家形成に対し、婚姻秩序と政治秩序の相関関係の意義を明白に描いた神話は他にない。婚姻秩序と政治秩序の重視が日本神話の最大の特質。日本人は婚姻秩序を重視する貞潔な民族。婚姻秩序を政治行為の前面に出す、日本人は性に寛容。性に対して貞潔かつ寛容、暴力を嫌う、凝集性の強い民族が日本人。
4 貞潔で寛容な日本人は女性に対して優しい、女性を大事にする。日本は女房天下の国。日本の女性が世界中で一番幸せ。最高神はアマテラスオオミカミという女性の太陽神。最高神が女性というのは日本だけ。日本開闢で活躍する裸踊りのアメノウズメ。アマテラスとアメノウズメで日本の国は開かれた。サクヤヒメもトヨタマヒメも派手に活躍。日本が女でもっている国である事を端的に例証。日本史で始めて登場する固有名詞は卑弥呼なる女性名。女性優位は後世も続く。日本の古代は女帝が多い。万葉集に登場する多くの女流歌人。日本の後宮は政治行為の実力者。平安時代には女房階層が政治力を発揮、同時に彼らは日本の文学文化の創始者。現在使っている仮名は女文字と呼ばれた。
5 アメノウズメの裸踊りで世が開ける。アメノウズメが乳房と性器を露出させ、アマテラスを岩屋から引っ張り出すのは出産の情景、男神達が裸踊りを見て哄笑するのは性交の暗喩。性交において男女は平等。これほどはっきりと世界開闢を性的映像で描いた神話は他にない。サクヤヒメやトヨタマヒメの主要場面が分娩であることも同じ意味。日本人は性に寛容、女性に優しい女性優位の民族。
6 日本の政治思想の原点では婚姻と政治の密接な関係が語られる。日本人は性に対して寛容、過酷な統治はできない。結果として女房天下、女性が尊重される国。

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行

日本史入門 「君民令和」(2)

2020-12-22 18:24:04 | Weblog
日本史入門 「君民令和」(2)

(2)大仏開眼
1 752年東大寺大仏開眼供養。大仏開眼の意義は四つ。日本に世界宗教が根づく。欽明天皇の御代仏教が日本に伝わって二百年、日本は急速に仏教を摂取。蘇我馬子の法興寺、聖徳太子の法隆寺、寺院建立が始まる。経典の輸入。天平年間、法相三論華厳律成実俱舎が出そろい、教学の基礎文献が整う。僧綱制による僧侶養成、僧尼令の僧侶統制。国分寺国分尼寺、地方にも仏教伝播。総仕上げが大仏開眼、仏教弘布の基礎確立、仏国日本の創造開始が第一の意味。
2 大仏開眼の第二の意味、政治と宗教の同盟。聖武天皇は自らを仏法僧三宝の奴といい大仏を参拝、自身が仏弟子に。天皇は仏教と仏教教団の下位に自らを位置づける。同時に天皇は開眼供養の主宰者、仏教教団の保護統制者。政治と宗教は相互補完的協力関係を形成。政治は政治行為貫徹のために宗教、多数が納得する論理と実践技能を備えた高等宗教を必要とする。政治は自らの力でカリスマを作れない。宗教が宗教たる由縁はカリスマが、信者一人一人に直接働きかけうること。カリスマは宗教信仰の次元においてのみ存在可能。君主はカリスマ性を、宗教を保護する事で宗教から借りて我がものとする。宗教にとっても政治の力は必要。高い民度を持つ共同体にのみ高等宗教は根付く。宗教が一定の段階に達すると宗教は保護する政治を求める。聖武天皇の大仏参拝は君主と宗教カリスマの同盟。統治者はカリスマになり国家と国家が行なう権力行使は承認される。大仏開眼供養、天皇自ら民衆一般を代表して仏教に帰依。統治する者とされる者の共同、共有された価値観、合意された統治。行基が民衆を率いて大仏建立に参加した事は、君主と宗教カリスマの同盟の端的な例。日本は仏教摂取により、統治するカリスマの正統性を獲得。
3 開眼供養、大衆動員、大衆の自主的な参加寄進。行基は世俗の福徳と社会的貢献の意義を説き、社会活動を展開。貧民救済、田畑開墾、灌漑設備の造作。僧侶民衆を組織、財務建設技術を駆使、インフラ開発に邁進。僧侶は新来の知識人、技術の所有者。律令制では土地所有はダメ、が民衆の私有願望は強い。行基の活動は大衆の支持を獲得、法律違反、政府は行基の行動を禁止。が大勢には勝てず、745年彼を大僧正に任命、行基を仏教弘布の最高指導者と認知。行基は大仏開眼に大衆を率いて参加。彼らが開拓した多くの土地から上がる財富と労働力を寄進。国家の事業大仏開眼は、民衆の自発的参加を前提にして、国家と民衆が財富を出しあって行なわれた。行基の弟子達は後、土地を集積して富農そして武士になる。
6 大仏開眼供養、技術の総動員。世界最大の銅製仏像、冶金と建築技術の優秀さ。大衆動員、民間への技術の浸透拡散。有効需要喚起、貨幣経済への刺激。インドペルシャ中近東ギリシャ西域中国の先進文化とともに、仏教は日本に到来。体系的な論理展開と思考法、寺院に典型的に見られる人間の組織と管理の技術、医薬建設冶金工芸職布食品加工など工業技術、新種の農産物など、知識階層僧侶は日本に持ち込む。大仏開眼事業は、技術と知識の集約と更なる発展との結節点。大仏は新幹線。国家と民衆の協力、経済成長、大仏開眼の第三の意味。日本の民衆は豊か、統治は寛容、統治する者とされる者の距離は小さい
7 聖徳太子と大仏開眼。仏教の受容により日本国家が成立。政治に宗教の存在は不可欠。政治と宗教の関係とは。宗教の起源は呪術、原始的部族集団には必ず呪術師。原始的集団は小規模である事により自然な連帯感を保持。連帯感を保証するのが呪術師。呪術師は集団催眠の中で、個々人を超えた存在の意志を部族全体に取り次ぐ。もう少し発展すれば民族宗教。役割は自民族の特権の保証。この段階を超えた多部族多民族集団には民族宗教は無効。世界宗教の出現。世界宗教は、原始宗教が持つ集団内の連帯性を維持しつつ、集団内の個々人の世俗的あり方を一度無条件に否定。否定するのは宗教の創唱者。彼は個の無条件否定絶対無を説いてカリスマになる。釈迦とキリスト、無我と福音。世界宗教は絶対無で一度否定され解体された個々人を創唱者カリスマに直接結び付ける。カリスマと信者は一対一の関係に。政治支配者はカリスマ性を宗教から借りる。
8 日本、仏教受容、国造り。仏教は日本に渡来する以前、三段階を経て形成。釈迦が説く縁起無我。釈迦はすべての存在は連なりあい、確実な個我はないとして苦の存在を否定。豊潤な思考、難解で若干虚無的。第二の転機が竜樹。竜樹は存在と非在は相互転変、確実な存在は流動する全体を決断して捉える主体だけと。転変和合、相補相即、差異同一。第三の転機が法華経。法華経は竜樹が説く決断の主体を、共同体を形成し未来に向けて行動する集団に転化、万人救済を保証、生きる人間を肯定。この仏教を日本は受け入れる。
 仏教は著しい特徴を持つ。竜樹を中に挟んで釈迦の無我と法華経の共同体形成が対応しつつ統一される。釈迦の教えは広く豊か、円転滑脱融通無碍。仏教は人間に優しい宗教。他方法華経の説くところは集団形成、政治行為の重視。仏教は極めて社会的であり建設的。自由自在と社会建設の両翼に仏教の論旨は拡がる。
仏教は国教にならない。仏教教義は柔軟で広範。仏教には異端がない、あるのは各宗派。教義を独占せず、国家権力と独占的に結びつくこともない。日本は仏教国だが、仏教は国教ではない。日本古来の神道と柔らかく習合。仏教が国教にならず、国家自体も精神的価値権力を独占できず、独裁者の出現を排除。日本は仏教を受容する事により政治体制を柔軟なものに、適応力が高いのも日本の政治体制の特徴。西欧では長くキリスト教が国教、異なる分派は異端として迫害。だから信仰の自由云々と騒ぐ。イスラム諸国では政教一致が原則。中国は100年前まで儒教が国教。小さくもない一つの国に広範に浸透し定着してなお国教でない宗教は日本の仏教だけ。宗教戦争は絶無。
9 法華経に集約される仏教の重要な救済法修行法が菩薩道。菩薩とは究極の成道の一歩手前で反転し俗世に降りて大衆救済に励む者。救う者は救われる、逆もまた可、最高の成道。一切の社会的行為は成道につながり、一切の大衆は救済される。菩薩道は国家と民衆を媒介、行基と空海が好例。彼ら以後も社会事業を行い経済福祉活動を促進する菩薩僧は続々出現。武士も菩薩。仏教の菩薩道を社会で具体的に実践し、民衆を国家に取り結ぶ菩薩僧は日本の政治風土の特質。菩薩道、楽観的で明るい。仏教が日本の政治のあり方に導入した思想は、明るく一緒に人のため、救われるのだから安心おし。人々は明るくまとまりやすく何事も話し合いで解決するようになる。集団帰属性と衆議性は日本人の特性。日本は仏教を受容して政治制度を作る。日本の政治体制の特徴は、明るく一緒に人のため、まとまって話し合おう、だ。
10 仏教は、仲良く一緒に人の為、と説く。論理が広濶で円転滑脱であるため仏教は国教になりえず、国家は精神的従って世俗的価値を独占できない。国家と民衆の距離は狭まり統治は寛容になり民衆は協調しやすくなる。

「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行