日本史入門「君民令和」 (9) 愚管抄
(9)愚管抄
1 「愚管抄」を書いた延暦寺座主慈円は摂関家嫡流の貴族僧侶、歌人としても有名。80年の生涯、保元平治の乱、平氏興亡、鎌倉幕府、源氏将軍家断絶、北条氏の実権掌握、承久の変、上皇配流など前代未聞の事件が続出。時代の潮流は武士の台頭。武家勢力と苦闘する朝廷には末世。慈円は悲観論を排して言う。時代は変化する、変化は治者と被治者の交互作用により起こる、武家政権の出現には道理があると。慈円は武家政権を承認、新たな時代を肯定。変化する時代の承認、生きる意味の肯定。慈円は神武天皇から順徳天皇までの84代千数百年の歴史を語り彼が生きる現在を肯定する。愚管抄はカタカナ表記、漢字漢文を読めない民衆を対象とした啓蒙教化の本。
2 慈円が新時代承認のために用いた論理が顕冥の道理。顕は表に見えるもの、冥は裏に潜むもの。顕は政治制度、冥は制度を動かす力。慈円は顕を時代順に三つ設定。律令制、摂関政治、武家政治。同じく時代順に三つの冥を対置。仏教、婚姻、民衆。彼は日本の政治制度は、仏教婚姻民衆という力と対立協同しつつ自らを変化させたと説く。仏教婚姻民衆は制度と相補対立してのみ存在しうる。政治と仏教は聖俗の関係、政治と婚姻は公私の関係、政治と民衆は上下の関係。政治は対立する要因を自らの中に取り入れ自らを変化させると、慈円は説く。
宗教婚姻経済。宗教はカリスマを創造、政治は宗教からカリスマを借りる、宗教無くして君主はあり得ない。宗教は婚姻を統制、逆に婚姻(性愛)ゆえに宗教カリスマは存在しえる。婚姻は経済を産む、経済は婚姻を規制。宗教婚姻経済は相互補完的。かくして神仏は民衆、君主も民衆、基本的に平等。
3 仏教は政治に対し、被治者が正統と合意するカリスマ性を統治権に付与。後見制(摂関政治)は政治制度の中に婚姻制度を取り込み、権力行使を柔軟に安定させる。政治の中に婚姻性愛を組み込む、政治は個人(被治者)と柔らかく対峙、民衆を寛容に包みこむ。被治者は治者に対し夫であり妻、治者は被治者に対し妻であり夫。慈円は政治制度における後見制の確立を画期的現象と捉え、自らが属する階級の歴史的意義を肯定。後見制摂関政治は首位と次位の婚姻同盟。後見制は私的な要因を包み込む柔軟な機構、パパママボクを単位とする統治組織。家産財貨が出現、統治は世俗的なものに。財貨の主体は武家民衆。ご恩と奉公という統治様式へ。
4 政治と性の対置が後見制を出現させる。延長上に統治の世俗化、ご恩と奉公、土地私有と軍役奉仕の交換の関係が成立。この関係にあって治者と被治者民衆は基本的に平等。民衆は武士。武士は本来土地の開拓者経営者。自衛のために武器を携帯するので武士と呼ばれた。武士は農民層から出現、武士は農場開拓農民、経済的価値の創造者。こうして慈円は新しい武家政権を承認。後見制、政治への婚姻の導入があったから、家産を媒介とする権力様式武家政権が出現した。武家政権から正式の衆議機関が誕生。衆議とはみなで論議して決める事、日本は西欧型民主制とは別個に独自の民意表出機構を創出。
5 慈円の政治思想における功績は武家政権の承認。武家政権の承認は時代の変化の肯定であり、歴史の中で生きる意味の肯定。ヘ-ゲルに先立つこと600年前慈円は歴史を弁証し、同時に民衆の政治参加を承認。
6 慈円は政治を動かす道理として、仏教、後見、民衆の三つの動因を設定。後見制の意義を強調、延長上に統治の世俗性を認め、武家民衆の政治参加を容認。政治現象は論理に従って動く、対立を媒介として変化する事を解明。
(9)愚管抄
1 「愚管抄」を書いた延暦寺座主慈円は摂関家嫡流の貴族僧侶、歌人としても有名。80年の生涯、保元平治の乱、平氏興亡、鎌倉幕府、源氏将軍家断絶、北条氏の実権掌握、承久の変、上皇配流など前代未聞の事件が続出。時代の潮流は武士の台頭。武家勢力と苦闘する朝廷には末世。慈円は悲観論を排して言う。時代は変化する、変化は治者と被治者の交互作用により起こる、武家政権の出現には道理があると。慈円は武家政権を承認、新たな時代を肯定。変化する時代の承認、生きる意味の肯定。慈円は神武天皇から順徳天皇までの84代千数百年の歴史を語り彼が生きる現在を肯定する。愚管抄はカタカナ表記、漢字漢文を読めない民衆を対象とした啓蒙教化の本。
2 慈円が新時代承認のために用いた論理が顕冥の道理。顕は表に見えるもの、冥は裏に潜むもの。顕は政治制度、冥は制度を動かす力。慈円は顕を時代順に三つ設定。律令制、摂関政治、武家政治。同じく時代順に三つの冥を対置。仏教、婚姻、民衆。彼は日本の政治制度は、仏教婚姻民衆という力と対立協同しつつ自らを変化させたと説く。仏教婚姻民衆は制度と相補対立してのみ存在しうる。政治と仏教は聖俗の関係、政治と婚姻は公私の関係、政治と民衆は上下の関係。政治は対立する要因を自らの中に取り入れ自らを変化させると、慈円は説く。
宗教婚姻経済。宗教はカリスマを創造、政治は宗教からカリスマを借りる、宗教無くして君主はあり得ない。宗教は婚姻を統制、逆に婚姻(性愛)ゆえに宗教カリスマは存在しえる。婚姻は経済を産む、経済は婚姻を規制。宗教婚姻経済は相互補完的。かくして神仏は民衆、君主も民衆、基本的に平等。
3 仏教は政治に対し、被治者が正統と合意するカリスマ性を統治権に付与。後見制(摂関政治)は政治制度の中に婚姻制度を取り込み、権力行使を柔軟に安定させる。政治の中に婚姻性愛を組み込む、政治は個人(被治者)と柔らかく対峙、民衆を寛容に包みこむ。被治者は治者に対し夫であり妻、治者は被治者に対し妻であり夫。慈円は政治制度における後見制の確立を画期的現象と捉え、自らが属する階級の歴史的意義を肯定。後見制摂関政治は首位と次位の婚姻同盟。後見制は私的な要因を包み込む柔軟な機構、パパママボクを単位とする統治組織。家産財貨が出現、統治は世俗的なものに。財貨の主体は武家民衆。ご恩と奉公という統治様式へ。
4 政治と性の対置が後見制を出現させる。延長上に統治の世俗化、ご恩と奉公、土地私有と軍役奉仕の交換の関係が成立。この関係にあって治者と被治者民衆は基本的に平等。民衆は武士。武士は本来土地の開拓者経営者。自衛のために武器を携帯するので武士と呼ばれた。武士は農民層から出現、武士は農場開拓農民、経済的価値の創造者。こうして慈円は新しい武家政権を承認。後見制、政治への婚姻の導入があったから、家産を媒介とする権力様式武家政権が出現した。武家政権から正式の衆議機関が誕生。衆議とはみなで論議して決める事、日本は西欧型民主制とは別個に独自の民意表出機構を創出。
5 慈円の政治思想における功績は武家政権の承認。武家政権の承認は時代の変化の肯定であり、歴史の中で生きる意味の肯定。ヘ-ゲルに先立つこと600年前慈円は歴史を弁証し、同時に民衆の政治参加を承認。
6 慈円は政治を動かす道理として、仏教、後見、民衆の三つの動因を設定。後見制の意義を強調、延長上に統治の世俗性を認め、武家民衆の政治参加を容認。政治現象は論理に従って動く、対立を媒介として変化する事を解明。