アメリカはどこまで中国に対して優しいのか
最近戦後経済史の本を読み返している。そこで感じる事は過去40年間、日本の経済力の矛先がにぶるまで、アメリカは日本を警戒し敵視してきたことだ。1960年代半ばの日米繊維交渉から始まり2000代において小泉政権の改革とやらで日本の経済機構がアメリカの軍門に降るまでの40年間はまさしく日米戦争だった。この長さはまさしく日露戦争から大東亜戦争終了までの長さに相当する。アメリカは日本がロシアに勝って以降反日に終始する。ただしここではそれに触れない。
戦後の四十年戦争の経過を簡単にたどってみよう。1965年(ジョンソン大統領の時代)アメリカの経済は衰退に向かう、ケインズ的政策を取り入れたとかいう新経済政策は失敗し、ヴェトナム戦争には難渋し(敗北し)、福祉費と戦費はかさみ、したがってドルは散布されるが、生産性は上昇せず、アメリカ経済はいわゆるスタグフレ-ションに陥る。そこから脱出しようとしてレ-ガン大統領はレーガノミックスという政策を講じる。これが今から振り返ってみてさっぱりわけが解らない。私の頭が悪いのではなく、レ-ガノミックス自体が当事者にも解らない矛盾した代物だからだ。マネタリスト、サプライサイドエコノミ-、減税政策などをこき交ぜている。レ-ガン政権が目指したのは強いアメリカ(従って強いドル、変動相場制以前の)だった。気持ちは解る。ただレ-ガンは昔日のアメリカを懐かしみ、過去が再び復活すると夢見たのだろう。強いドルつまりドル高はアメリカの輸出を妨げる。当然最大の輸出国日本にむりやりアメリカ産品をかわそうとする。そして急にドル安政策を取り出す。その象徴が1987年のプラザ合意だ。ここで1ドルは260円くらいになった。日本の輸出は止まないからさらに円高の圧力をかけ続ける。プラザでの合意でG5(日米英仏独)となっているが英仏独はつけたしだ。対米黒字の半分以上は日本の輸出による。対欧黒字も多分そのくらいだろう。それほど日本の輸出圧力はすごかった。
40年間の日米経済戦争を通じて円はかってのドル360円から最低70円まで下がった(現在は105円)。自国通貨が5倍に値上がりしてもなお出超である。そこでアメリカは次にス-パ-第一(五かもしれない)条なるものを強引に押し付ける。このス-パ-云々はアメリカの国内法であって、外国に適用されるべきものではない。ス-パ-某の意図は、アメリカが欲するように、アメリカが満足するまで、アメリカ製品を日本は買え、という趣旨を持つ。のみならず包括的日米協定と言って、日本国内の非国際的な経済慣行を是正させようとする。つまり自国の慣行を一方的に国際的だから正義として、日本の習慣を弾劾する。滑稽な例だがアメリカの車は左(右?)ハンドルだ。日本車は右(左?)だ。これでは日本人でアメ車を買う人はいない。ハンドルを付け替えればいいのだがその努力はせず、この状態も日本の慣行のせいにする。つまり包括的云々は日本の制度をアメリカと同様にしろということだ。加えてBIS規制なるものが強制される。BIS規制はすでにあった。ただ用いられることはなかった。それが突然日本の銀行経営に適用される。その内容は銀行はその資産の10%以上を預金(つまり現金)で持たねばならないということだ。多くの日本人や銀行にとっては白昼の悪夢だった。バブルのせいで日本の土地や株が上がり、銀行はそれらを担保に融資していた。大急ぎで貸し金を返してもらわないといけない。貸しはがしという現象が頻発し多くの企業が潰された。資産の値上がりは円高是正のために日銀が行ったものだ。ここで日銀を責める事はできない。
1990年代後半日本はAMF(アジア経済協力基金)を立ち上げようとした。当時(現在でもだが)アメリカは製造業から金融業に脱皮中だった。日本は台頭著しいアセアン諸国への資金援助をしようとした。アメリカは猛烈に反対した。AMF構想は潰れ、そのほぼ直後アジア経済危機が音連れた。アメリカの金融ビジネスのせいだ。アメリカは新古典派経済学に習い、徹底したレッセフェ-ルで弱肉強食の金融ビジネスを育てた。これでアセアンの発展は一頓挫した。代わって中国が台頭してくる。それまではアセアンの方が進んでいた。明らかに米中密約がある。
極め付けが規制改革だ。橋本そして小泉内閣でこの改革は徹底的に行われた。その要領は企業戦争に勝てない企業はすべて潰す、政府は関与しない(最後の貸し手の役を務めない)ということだ。財政均衡の名のもとに消費税は引き上げられ、長銀や山一など時価数十兆円はする日本企業が1/100以下の値段でアメリカの企業に売り払われた。
1990年当時の国民一人当たりのGDPにおいて日本はアメリカを抜いていた。GDP総額においても日本はアメリカの2/3くらいだった。結果として日本の資本の相当部分はアメリカに盗まれた。前大戦で日本海軍が所有した空母は30隻に及ぶらしい。私は高々7-8隻とばかり思っていた。新しい資料が公開されて新しい事実が白日のもとに曝されたのか?いずれにせよ前大戦では日本はそれなりの戦備はしていたことになる。終戦後7年の占領期間、日本人は事実を知り得なかった。徹底した情報統制下にあった。
私が言いたいことは大東亜戦争と日米経済戦争において、日本はほぼ対等な実力を持っていたらしい、そして日本人はその事そしてその事実をアメリカが非常に恐れている事を、知らない事だ。
日本のことばかり話して中国の事を忘れていた。中国の台頭にアメリカはなんと優しいことか。私が言いたいのはただそれだけだ。
(注)戦後日本が素早く立ち直れたのはあれだけ強大な軍備(戦艦・空母一隻造るのに重戦車1000台の鉄が要る)をする力、つまり技術と人材があったからだ。日米経済戦争に負けたからといってしょげる必要はない。製造業における高度な技術と人材は現在でも健在だ。日本の製造業では誰でもどこでも作れる素材など相手にしていない。
「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行
最近戦後経済史の本を読み返している。そこで感じる事は過去40年間、日本の経済力の矛先がにぶるまで、アメリカは日本を警戒し敵視してきたことだ。1960年代半ばの日米繊維交渉から始まり2000代において小泉政権の改革とやらで日本の経済機構がアメリカの軍門に降るまでの40年間はまさしく日米戦争だった。この長さはまさしく日露戦争から大東亜戦争終了までの長さに相当する。アメリカは日本がロシアに勝って以降反日に終始する。ただしここではそれに触れない。
戦後の四十年戦争の経過を簡単にたどってみよう。1965年(ジョンソン大統領の時代)アメリカの経済は衰退に向かう、ケインズ的政策を取り入れたとかいう新経済政策は失敗し、ヴェトナム戦争には難渋し(敗北し)、福祉費と戦費はかさみ、したがってドルは散布されるが、生産性は上昇せず、アメリカ経済はいわゆるスタグフレ-ションに陥る。そこから脱出しようとしてレ-ガン大統領はレーガノミックスという政策を講じる。これが今から振り返ってみてさっぱりわけが解らない。私の頭が悪いのではなく、レ-ガノミックス自体が当事者にも解らない矛盾した代物だからだ。マネタリスト、サプライサイドエコノミ-、減税政策などをこき交ぜている。レ-ガン政権が目指したのは強いアメリカ(従って強いドル、変動相場制以前の)だった。気持ちは解る。ただレ-ガンは昔日のアメリカを懐かしみ、過去が再び復活すると夢見たのだろう。強いドルつまりドル高はアメリカの輸出を妨げる。当然最大の輸出国日本にむりやりアメリカ産品をかわそうとする。そして急にドル安政策を取り出す。その象徴が1987年のプラザ合意だ。ここで1ドルは260円くらいになった。日本の輸出は止まないからさらに円高の圧力をかけ続ける。プラザでの合意でG5(日米英仏独)となっているが英仏独はつけたしだ。対米黒字の半分以上は日本の輸出による。対欧黒字も多分そのくらいだろう。それほど日本の輸出圧力はすごかった。
40年間の日米経済戦争を通じて円はかってのドル360円から最低70円まで下がった(現在は105円)。自国通貨が5倍に値上がりしてもなお出超である。そこでアメリカは次にス-パ-第一(五かもしれない)条なるものを強引に押し付ける。このス-パ-云々はアメリカの国内法であって、外国に適用されるべきものではない。ス-パ-某の意図は、アメリカが欲するように、アメリカが満足するまで、アメリカ製品を日本は買え、という趣旨を持つ。のみならず包括的日米協定と言って、日本国内の非国際的な経済慣行を是正させようとする。つまり自国の慣行を一方的に国際的だから正義として、日本の習慣を弾劾する。滑稽な例だがアメリカの車は左(右?)ハンドルだ。日本車は右(左?)だ。これでは日本人でアメ車を買う人はいない。ハンドルを付け替えればいいのだがその努力はせず、この状態も日本の慣行のせいにする。つまり包括的云々は日本の制度をアメリカと同様にしろということだ。加えてBIS規制なるものが強制される。BIS規制はすでにあった。ただ用いられることはなかった。それが突然日本の銀行経営に適用される。その内容は銀行はその資産の10%以上を預金(つまり現金)で持たねばならないということだ。多くの日本人や銀行にとっては白昼の悪夢だった。バブルのせいで日本の土地や株が上がり、銀行はそれらを担保に融資していた。大急ぎで貸し金を返してもらわないといけない。貸しはがしという現象が頻発し多くの企業が潰された。資産の値上がりは円高是正のために日銀が行ったものだ。ここで日銀を責める事はできない。
1990年代後半日本はAMF(アジア経済協力基金)を立ち上げようとした。当時(現在でもだが)アメリカは製造業から金融業に脱皮中だった。日本は台頭著しいアセアン諸国への資金援助をしようとした。アメリカは猛烈に反対した。AMF構想は潰れ、そのほぼ直後アジア経済危機が音連れた。アメリカの金融ビジネスのせいだ。アメリカは新古典派経済学に習い、徹底したレッセフェ-ルで弱肉強食の金融ビジネスを育てた。これでアセアンの発展は一頓挫した。代わって中国が台頭してくる。それまではアセアンの方が進んでいた。明らかに米中密約がある。
極め付けが規制改革だ。橋本そして小泉内閣でこの改革は徹底的に行われた。その要領は企業戦争に勝てない企業はすべて潰す、政府は関与しない(最後の貸し手の役を務めない)ということだ。財政均衡の名のもとに消費税は引き上げられ、長銀や山一など時価数十兆円はする日本企業が1/100以下の値段でアメリカの企業に売り払われた。
1990年当時の国民一人当たりのGDPにおいて日本はアメリカを抜いていた。GDP総額においても日本はアメリカの2/3くらいだった。結果として日本の資本の相当部分はアメリカに盗まれた。前大戦で日本海軍が所有した空母は30隻に及ぶらしい。私は高々7-8隻とばかり思っていた。新しい資料が公開されて新しい事実が白日のもとに曝されたのか?いずれにせよ前大戦では日本はそれなりの戦備はしていたことになる。終戦後7年の占領期間、日本人は事実を知り得なかった。徹底した情報統制下にあった。
私が言いたいことは大東亜戦争と日米経済戦争において、日本はほぼ対等な実力を持っていたらしい、そして日本人はその事そしてその事実をアメリカが非常に恐れている事を、知らない事だ。
日本のことばかり話して中国の事を忘れていた。中国の台頭にアメリカはなんと優しいことか。私が言いたいのはただそれだけだ。
(注)戦後日本が素早く立ち直れたのはあれだけ強大な軍備(戦艦・空母一隻造るのに重戦車1000台の鉄が要る)をする力、つまり技術と人材があったからだ。日米経済戦争に負けたからといってしょげる必要はない。製造業における高度な技術と人材は現在でも健在だ。日本の製造業では誰でもどこでも作れる素材など相手にしていない。
「君民令和、美しい国日本の歴史」文芸社刊行