経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

社会福祉費を削ろう

2019-02-28 13:27:58 | Weblog
 社会福祉費を削ろう
 ある本を読んでなるほどと思ったのだが、あるいはかねて疑問に思っていた事なのだが日本の国家予算に占める社会福祉費は多きすぎるのではないのか。全国家予算は100兆円くらいだ。内厚生省の予算は40%40兆円ということになる。更に別枠で医療費が40兆円ある。総額140兆円の内80兆円、60%が福祉費になる。少なくともだ。介護費年金はどのように評価分類しなければならないのか?総じて福祉費が多すぎる。社会福祉費用はある意味で非生産的でもある。換言すれば付加価値を産まない、産んでも少ない。もちろん私は社会の安全網としての社会福祉を否定するものではない。少し冷ややかな意見だが、介護費用とは老人を墓場に連れてゆくための費用でしかない。見返りはない。医療費もほどほどにすべきだ、現在女性の平均寿命は85歳、男性のそれは80歳。これ以上長生きする必要があるのか。例えば抗がん剤の開発に費用をかけるより予算は他に使い道があるはずだ。認知症などは治るとは思えない。同じ生物科学への投資をするのなら、高価な抗がん剤の開発よりも、農業の品種改良・土壌肥料の改良・農業機械の開発・養殖漁業などに投資する方が生産的ではないのか。
 社会福祉費を削って他に転用すべきだ。より付加価値の高い分野に。例えば防衛費。日本の防衛費は安すぎる。艦隊航空部隊の装備は国産にすべきだ。現在東アジアの情勢は険悪になりつつある。いつまでもアメリカに頼ってはいられない。トランプ氏なぞいつ何を言い出すか解らない。気が付いたらアメリカは日本を離れ、朝鮮半島は赤化しているかもしれない。防衛行為とは工業技術の塊だ。軍需産業の付加価値は高く限度を過ごさなければ製造業の発展を促す。また民間需要と軍事需要は併行して発展すべきだ。民需片肺飛行は工業技術の発展を鈍化させる。また軍事行為は必然的に諜報活動諜報行為を促進する。日本がIT技術で遅れがちなのは諜報活動が不充分だからでもある。次に国家強靭化計画、来るかもしれないいや多分来るであろう大地震津波への対策だ。防災も技術の塊で内需を促進する。そして農業への投資だ。農業への投資は単純な経済問題ではないのでここでの詳述は割愛するが重大な問題ではある。更に教育費の問題がある。墓場が近い老人への費用を割いて若い人人のために投資すべきだ。
 平成不況の原因は色々あるが、一つには社会福祉に予算を投じ過ぎたことにもある。かって民主党が、コンクリ-トから人へ、など素人には口当たりのいいことを言っていたのがいい例だ。現在でも野党には経済頭脳も外交頭脳もない。野党が福祉福祉一本槍だから政府与党もそれに引きずられる。安倍総理にも民衆迎合ポピュリズムの傾向がある。大体社会福祉なぞその内容は既定しようがない。憲法には健康にして文化的な生活を保証する義務が政府にあるとか書いてるが、この定義を厳密に解釈しようとすれば解釈は無限に多様になる。従って必要とする予算も無限に防諜しかねない。
 社会福祉費用を割いてより付加価値の高い製造業建設業への投資を促進しよう。政府がその気になりさえすれば資本は着いてくる。社会福祉の美名のもとで、基本的人権なるものが不必要なまで拡大され、少数者弱者は正義だとして、なにかちょっとしたことがあると騒ぎ立てられるような状況で資本企業がついてくるものか。過剰な福祉は確実に企業家精神を委縮させている。結果として国を亡ぼす。繰り返す社会福祉を削ってより付加価値の高い分野に予算を廻そう。内需が延び貿易が促進されGDPが増大すれば税収は増し福祉費用くらいすぐ出てくるのだ。
(付1)無駄な例。養護学校というものがある。知的発達の遅れた児童の教育機関だ。この種の学校には通常の学校よりはるかに高い比率で教員が配備されている。いくら教育しても発達の程度は知れている。教員の数は減らして介護要員を当てればいいと思うが、そうすると父兄が人権侵害だとか言って騒ぎだす。余った教員は通常の学校に廻し理科数学の教育を促進すべきだと思うがなあ。この風潮は一般の学校にまで及び各学級の授業水準はそのクラスの最低の成績の生徒に会わせなければならないそうだ。
(付2)かってドイツにワイマ-ル共和国というものがあった。この共和制民主制が滅びたのは野党である社会民主党が医療保険か年金の負担率増加(ほんのわずかだった)に反対してワイマ-ル連合が瓦解したからだ。皮肉なことにヒットラ-が政権をとり独裁下で軍需産業とそれを支えるインフラを整備したら失業者ゼロ、社会福祉充実という結果になった。古代ギリシャのアテネではある意味で民主制と福祉は完全だった。市民は平等と福祉を求め富者を糾弾し財産を吐きだたせた。資本は貯まらず亡国の運命をたどった。
(付3)大阪の発展が低迷している原因の一つが人権重視なるものだ。大阪では在日韓国朝鮮人・解放同盟の力が強く、自治労と結託して不必要なまでに生活保護費が膨らんだ。府市の職員特に環境交通部門の労働生産性は著しく低く大げさに言えば働かなくても給料がもらえた。さらに在日解同は新規の企業が進出するたびに保障費を求めて騒いだ。多くの企業には大阪は進出に不適な地だとみなされた。

朝鮮が日本に文化を教えたとかの妄説について

2019-02-09 12:44:11 | Weblog
 朝鮮が日本に文化を教えたとかの妄説について
 ある新聞に書いてあったが朝鮮半島が日本に文化を教えたとかいうことである。荒唐無稽な話だが放置して置くと誤解とねつ造が為されて慰安婦のようなお話になりかねないので論旨を整理しておく。
 韓国が言いたいのは古代において朝鮮半島が日本に漢字と仏教そしてそれに伴う諸文化を教えたということであろう。まず確認しておくべきことは、聖徳太子以前(西暦600年以前)には日本という国も朝鮮韓国という国も厳密な意味では存在しなかったことである。日本はやっと統一国家を形成し日本という自意識を持ち始めたころである。朝鮮に至っては高句麗・百済・新羅の三国が鼎立していた。もちろん朝鮮とか韓国という名称すらあったかどうか怪しいのである。確かに漢字と仏教は多分朝鮮半島を経由して日本に招来されたのであろう。招来されたのであって教えてもらったのではない。当時日本(厳密には倭国)は朝鮮半島に軍事的に進出して百済新羅は日本への朝貢国であった。高句麗も日本との同盟を必要としていた。ちなみに高句麗はむしろ満州族の国であり朝鮮民族とは言い難い。こういう事情で日本列島と朝鮮半島では自然な民族移動民族混和の状態が続いていた。人口の移動は半島から列島への方向で行われた。理由は日本列島の方が土地生産性が高く(温暖多雨)また平和であったからである。文化は自然に伝播されたのである。もちろん文化の一部は半島の諸国家によって意図的に日本に伝えられた。それは日本の外交軍事援助への期待と見返りであった。そもそも朝鮮半島に固有の文化などない。すべてシナの模倣である。念の為に言えば東アジアにおける最大の文化である仏教を日本は自発的積極的に取り入れた。朝鮮半島の諸国家はシナ帝国の強制によりそれを取り入れさせられたのである。なお朝鮮半島が事実上統一されたのは660年代の白村江の戦闘後であるが、以後朝鮮半島と日本との文化的交流は全くない。日本にすれば本家の隋唐王朝へ遣隋使遣唐使を直接派遣して文化を摂取すればよかったのであるから。
 ついでだから日本とシナの文化交流にも言及しておく。まずシナ文明はいつごろ形成されたかの問題であるが、通説に言われているよりはるかに新しい。西暦前200年ごろの秦漢帝国の成立時点くらいでシナ文明は形成されたと考えられる。それ以前の戦国春秋周王朝と言われる時代は事実上戦乱期であり諸邦諸都市が入り乱れて戦いあっていた。そしてこの時期漢民族なる概念は存在しない。文化血統のことなる異民族間の戦闘状態が約1000年続いていたと思えばいい。確かに諸子百家の活躍は伝えられるがそれは通説より新しくせいぜい戦国期後半になって成立したものであろう。春秋史記戦国策にはいろいろな事績が書かれているがその内容時期には信用性が乏しく、多くは成立時代が繰り上げられている。
 秦漢帝国の成立によっていわゆるシナ文明が形成されたのであるが、その内容は大きく三つに要約される。法家、儒教そして道教である。このうち法家思想による統治術は徹底した上意下達で苛酷な人民(奴隷?)統治のノウハウであり、道家思想は迷信へと発展(?)してゆく。日本は法家も道家も取り入れていない。むしろ敬遠している。儒教は孔子により西暦500年ごろ形成されたと言われるが信用はできない。論語の成立がいつかという問題は解決していない。また言論統制の厳しい現代のシナではそういう問題に関する自由な討議は不可能である。儒教の原典は何かといえば、詩経書経孝経易経礼記春秋などいわゆる五経といわれるものである。これらの文献の成立はせいぜい遡って前漢期(西暦1-2世紀)であろう。そして五経の内容の骨子は民族の風俗習慣の記述である。孔子は論語の中で礼と仁を強調したとされる。仁と言えば思いやりと言う事になるが、孔子が強調したのはこの思いやりをいかに体現するかでその処方を礼として提唱した。礼とは儀礼つまり風俗習慣上の規律である。以後儒教ではこの規律が強調される。儒教とは言ってみれば外面的儀礼の集大成(というより寄せ集め)に過ぎない。儒教をもう少し内面化しようとする試みは1000年後南宋の朱熹により行われるが、こうしてできた朱子学は宗教でもなく哲学でもない良くわからない代物である。
 シナ文明の原点を簡潔に要約すれば大体以上のようになる。このシナ文明は成立と同時に崩壊し始める。前漢末から後漢のころにかけて漢帝国は崩壊し始める。全国に土豪地主が割拠し彼らは豪族になり相互に戦い始める。そして北方の遊牧民の侵入が大規模化し、三国西晋時代を経て南北朝五胡十六国の時代に突入する。この戦乱期民族混交期が約400年続いて西暦600年ごろ隋そして唐王朝が成立する。隋の楊氏、唐の李氏などいずれも漢名を使っているが本来の漢民族ではない。この400年の戦乱期における非漢民族の比重は3割と推定され、秦漢帝国と隋唐王朝では民族が違っている。言ってみれば秦漢のころとは異なる異民族王朝が出現している。この新しい王朝を特色づける最大の文化が仏教である。日本はこの時点で大陸のシナ文明に接している。
 唐王朝の最盛期はわずか100年に過ぎない。安禄山の変後唐王朝は衰微する。安禄山の変はこれも外民族の侵入である。唐王朝は9世紀末滅び以後シナ北部は五つの短期政権が交代するが最後にシナを統一した宋王朝の出身は外民族である。以後モンゴルや満州族の王朝が交代し、漢民族の王朝の影は極めて薄い。農民反乱と外民族侵入の繰り返しが歴史であるから政治も文化も化石化し本質的発展なく近代を迎えている。
 日本がシナから文明を輸入した時期は厳密には聖徳太子から最澄空海の入唐までの200から250年の間である。この間派遣された遣唐使は10回前後である。唐王朝から輸入された律令制を日本は整え同時にそれを変貌させてゆく。ちなみに律令制の整備自体にしても日本の方が真面目であったようである。唐王朝の律令制は長安と洛陽周辺の一部のみに施行されていた可能性が高い。
 ちなみに日本で儒学(儒教ではない)が盛んになるのは江戸時代に入ってからである。それまでの1000年間儒学は大江菅原両氏の家職でしかなく親から子供に伝えられるものであり一般化していない。江戸時代幕府諸藩が儒学の学習に熱心であった理由は、日本の仏教が発展し民衆化し民衆個々人に尖鋭な自意識を持たせかなりな程度反体制化したので為政者がこの動きを制御するために古色蒼然とした儒学を利用しただけである。そして日本の儒学は取り入れられるとその変化はシナのそれに比し極めて速い。一部例を挙げると荻生徂徠、石田梅岩、二宮尊徳、海保青陵、安藤昌益などである。本居宣長は儒教を否定して国学を作っている。蘭学の取り入れもこの動きのうちに入るであろう。
 朝鮮が日本に文化を教えた云々の俗説妄説に関して若干の意見を述べた。冒頭に述べたようにこの妄説が誤解と捏造により仮想事実化し、教えた恩を返せなどと言われて過大な賠償を将来請求される危険性を避けるためである。現在韓国では就職難で韓国の学生が日本で就職活動をしている、杞憂かもしれないが50年後にまた強制連行だなどと言われる可能性は否定できない。
(付1)韓国朝鮮からの文化移入の根拠として騎馬民族征服説が時代錯誤的に利用される事があるが、この説は50年以上前に完全に否定されている。よほど不勉強な人だけがこんな事を言っているのだ。
(付2)遣唐使と蘭学は極めて特異な日本的現象である。征服とか軍事侵入あるいは商行為などを離れて意志的に異文化を輸入した例は他国の歴史には乏しい。同じ鎖国状態にありながらシナ朝鮮では日本の蘭学に相当するようなものは絶無である。

ロシアとの北方領土外交は即刻中止せよ

2019-02-02 13:32:10 | Weblog
 ロシアとの北方領土外交は即刻中止せよ
  歯舞・色丹・択捉・国後四島の北方領土返還をめぐる外交が暗礁に乗りかけている。そもそもこの領土外交はするべきものなのであろうか。はなはだ疑問に思う。原則的に言えば領土とは奪い奪われるものである。過去の歴史において領土が戦争か買収以外の手段で譲渡されたことない。ロシアに領土返還の意志はない。ウクライナから領土略奪する国が70年来占有してきた北方領土を返還するだろうか。ロシアの意向は解っている。日本からシベリア開発の資金を出させ領土問題では返還にいろいろ条件を付けてお茶を濁す腹だ。例えば北方領土に日露両軍が駐在するとかロシア海軍の基地を提供するとか、在住のロシア人の社会保障を充実させるとか(治安福祉共に最悪の状態にあるらしい)である。
 ロシアはペレストライカに乗じた米国資本により破綻の苦しみを味わってきた。他国の事だから詳しい事は解らないが、日本の戦後インフレよりも酷い状態を経験してきた。平均年齢は極端に低下した。資源の発掘でなんとか食いつないでいるというところだ。ロシア国民の過半数はソ連時代への回帰を望んでいる。(無理だろうが)従って戦後どさくさに紛れて略奪したソ連邦の行為には肯定的だ。国民自身が領土返還を望んでいない。プ-チン大統領がこの国民の意向を無視できるはずがない。仮に返還されたらロシア人の処遇をどうするかが問題になる。高い買い物になるだろう。
 そもそも北方領土にいかなる価値があるのか。経済的価値はほぼ皆無である。軍事的価値もほとんどない。ロシアが極東に大軍を終結できるだろうか。補給一つを考えても不可能だ。ロシアの軍事的脅威云々というのなら、むしろ核搭載の原潜数隻を保持する方がはるかに安上がりだ。北方領土返還に巨資を投ずるならその分を地方創生に廻した方がずっと意味がある。耕作不能で生活環境が厳しい択捉国後に投資するより鳥取県や島根県に投資する方がはるかに意味がある。それでなくとも日本は地方過疎と少子高齢化に悩んでいる。する事は他にいっぱいあるはずだ。
 安倍総理は北方領土返還を実現し外交の成果としたいのだろうが、焦り過ぎている。その心胆は見え見えだ。私にも見え見えだからロシア政府にはもっと見え見えだろう。足元をすくわれるか、外交成果なしで政権の鼎の軽重を問われるのがおちだ。ともかくロシアは約束を守らない国として有名だ。このような国と真剣に外交などはしないほうがいい。敬して遠ざけておくのが一番いいい。資源開発資源開発と言うがウラル以東のシベリアの人口は500万人くらいと聴いている。必要なインフラなどほぼないと思っていい。開発は極めて高いものになる。仮にエニセイ川中流で豊富な銅鉱山が発見されたとする。それをウラジオストックまで運ぶには鉄道輸送で5000キロ。輸送のためのインフラ投資コストはどうするのか。とても引き合う話ではない。
 北方領土などほっておけばいい。しかし領土権だけは執拗に主張する。それでいい。平和条約など結ぶ必要はない。状況次第では買収する。ついでに千島列島全部とカラフトも。
 ちなみに毎日新聞が、安倍総理は固有領土と言う言葉を避けたと言って憤慨している。陰湿な反日報道の毎日のいうおとりに落ちいらないで欲しい。固有領土という言葉は使うべきでない。一体固有領土ってなんなのだ。西暦1000年ころのロシアにはロシアという言葉さえなかった。広大なドニエプル川水域の漁労と狩猟で生活していた。君主がいないのでノルマン貴族に王になってもらって体裁を整えていた。これをキエフル-シといい、ロシアの起源とされる。もっとも現在この領域はウクライナ共和国に属している。ロシアとは朝貢していたヴィザンツ帝国が用いた名称だ。13世紀にはモンゴルに併呑されキプチャック汗国の領土になる。一番北方のモスクワが合従連衡の末力をつけ15世紀末モスクワ大公国ができる。版図はウクライナの大半を除くウラル以西のロシアのみ。キプチャック汗国の末裔とそれを支援するオスマントルコとの戦争は続き、クリミヤ半島を占拠したのは18世紀後半エカテェリ-ナ女帝の時代だ。それと並行して東方進出は進む。未開の狩猟民が相手だから征服は容易だった。そして全時代を通してウクライナの独立運動は続く。太平洋岸に進出し基地都市を築く。名前が「ウラジバスト-ク」東方を征服せよという意味だ。これらの征服の過程でロシア固有の領土は一体何なのだ。
 同じことは日本にも言える。崇神天皇のころの倭国の版図は大和河内を中心とした五畿内の一部だった。聖徳太子のころ日本の版図は尾張以西全体に及ぶ。奈良時代にはそれに関東が加わる。奈良平安時代を通して奥州は半分外国だった。源頼朝により東北地方はほぼ中央政権の版図になる。北海道沖縄が完全に日本に帰属するのは明治以降だ。この段階のどれを固有領土というのか。
 固有領土など言葉は軽々しく使うものではない。水かけ路になる。あえてそれを使うなら日露両国が初めてであった、日本で言えば18世紀後半の田沼時代だろう。当時択捉島以南には日本人が住み、その北方のシムシム島は日露混住であった。カラフトも日露混住。明治になり樺太に領土的価値はないと判断した明治政府がカラフトと千島列島を交換した。日露戦争で日本はカラフト南半分をロシアから譲り受けた。前大戦の結果日露の領土は日露戦争以前に戻そうということになった。この伝で言えば千島列島全部が日本の領土になる。固有領土と言う言葉は軽々しく使うべきではないが、あえて言えばこの辺に落ち着く。しかし相手はヤクザだ。論理約束の通じる相手ではないことは銘記すべきだ。
 余談。私の知り合いの大阪市職員が15年前稚内から樺太に渡り樺太北岸にまで旅行したことがある。カラフト北端の駅を出たとたん中学生に取り囲まで財布を巻き上げられた。そういうことを予期していた彼は靴の底に万札を隠しておきそれで日本に帰国できた。ロシアとはそういう国らしい。私に言わせれば殺されなかっただけ幸いだと思うべきだ。