経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

早期英語教育論への反駁

2013-10-28 02:24:02 | Weblog
  早期英語教育論への反駁

 政府自民党あたりから小学三年時での英語教育導入という提案がなされている。絶対反対である。無知無学な暴論である。逐一反論する。
① まず日本人にとって一番必要な言葉は母国語である日本語である。母国語は6歳までに会話習得の基礎が形成され(仮に6歳まで言語による接触を一切断つと以後言語形成は不可能になる)、以後の6年間(小学校時代)に母国語を論理的に理解し表現する能力が徐々に形成されてゆく。小学校で教える最も重要な案件は読み書き計算の能力育成である。ちなみに読み書きと計算能力は無関係と思われているかたもおられるかもしれないが、これは重大な誤解である。読み書きと計算の能力は根本では通底している。言語とはその根底において論理なのだ。小学校では教育漢字の大部分の理解そして作文と読書、そして少数と分数を含む加減乗除の計算の能力育成が基本である。これだけできれば社会でなんとか通用する。
② ここに英語教育なるものが入ってきたらどうなるだろうか?英語教育の侵入により真っ先に国語のそして多分算数の時間も削られるだろう。日本人の母国語能力は侵害される。国語の能力が低下すれば他の学科、算数、理科、社会科の能力も必然的に低下する。読めない、書けないのだから。しかし話はそれほど単純で表層的なものではない。国語の能力とは詰まるところ、考える能力なのである。そこへ中途半端な英語教育が入ってくると、日本人児童の思考能力自身が低下する。現に中学校で一番困っている学習上の障害は国語ができない子供の増加なのだ。英語教育の侵入で国語能力が侵害されないとしても結局はアブハチ取らず首鼠両端になるだろう。また英語の導入により授業時間数を増やすことにも反対だ。子供は遊ばなければならない。充分な遊ぶ時間を与えるべきだろう。
③ 早期英語教育論者は英語で話す能力を重視している。この見解は極めて表層的であり、英語あるいわ英語圏文化に対する劣等感の反映としか思えない。そもそも外国語教育とは何かと問おう。実用性もさることながら、外国語の習得はその文章文法の学習を通じて、それを母国語と比較し母国語の理解を深め、併せて両語の比較により、より深い論理形成能力を育成することにある。同時に外国の文化理解も促進される。この観点から言えば外国語教育において一番重要なのは、外国語文章を読む読解する能力の育成にある。読むことで一番深く外国語を理解しうる。こうして外国語習得は母国語習得の延長線上に位置づけられる。書く聞く話すでは習得される外国語文章は単純にまた断片的になり、論理的思考は形成されにくい。だから英語教育の基本は学校文法の学習と読解力の育成が基本となる。京大や神大の入試にでる長文が読解できれば18歳までの英語教育は充分なのである。
③ そもそも英語で話す能力の育成とはなんであろうか?英語という外国語でどこまで日本人の感懐思想が表現できるのであろうか?はっきり言って限界がある。ネイティヴスピ-カ-には決してなれない。ネイティヴスピ-カ-になるためには六歳以前できることなら誕生前からその地に住まねばならない。つまり日本人が完全というほどに外国語を習得するためにはその地の住民つまり外国人にならなければいけないということだ。じっさい外国に行って必要とされる外国語の能力はどの程度のものであろうか。自分の専門領域での会話、商社員なら営業上の、研究者なら自己の研究領域での会話に、加えて日常生活での基本的会話、物を買う、挨拶をする、道を尋ねる、くらいのことで十分であり、それ以上の能力は必要とされないしまた不可能である。英語でシェイクスピア、ドイツ語でゲ-テなどについて深遠な会話を一介のサラリ-マンや旅行者がする必要もないし可能でもない。外国語習得の限界を心得て、必要なことのみを求めて学習すればいい。もし外国に行く必要があれば急遽一ヶ月くらい会話学校に通いあとは現地に字実際住んで慣れればいい。もちろん高校卒業程度の英語学習が終わっているという前提での話である。挨拶程度の英語学習に大事な小学期の時間を割く必要はないのだ。
④ 日本人は外国語特に話す能力の習得には不自由にできている。まず我々は戦後の7年間を除いて外国に支配された経験はない。有史以来植民地となった経験をもたない。だから外国のご主人様に外国語で交流する必要はなかった。東南アジア諸国、インドそして中国などに比べ外国語会話の能力育成には恵まれなかった。この事は同時に日本人の幸福でもあり強みにもなった。
 現在日本は21世紀のアレクサンドリアと言われている。かってローマが支配する地中海世界でアレクサンドリアが文化の中心になり、その地の図書館には世界中の書物が集められ知の殿堂と言われた。現在日本では世界中の主な書籍は岩波書店以下の出版社の尽力により翻訳されている。あくまで主なものだが。私は岩波出版のアリストテレス、プラトン、へ-ゲルの全集を持っている。明治書院のおかげで四書五経以下の主要な儒書は読めるし、春秋社のおかげで仏教関係の書籍はすべて読むことができる。これほど大量の翻訳がなされている国は日本以外にはないらしい。そして日本の翻訳は極めて精緻で秀れているとはある外大の先生から聞いた。東南アジアはじめ多くの国の人達が日本語を学び日本語を通じて世界の文献を読んでいるという。
 日本がこのような翻訳大国になるには理由がある。一つには外国人と接触する機会の少なさもあるが、なによりも日本という国の市場規模の大きさが重要である。1億2500万人という人口は複数多数の出版産業を創出するに充分な規模である。出版産業のみならず他の産業、電機、重機械、自動車産業においても複数の企業が創出され競いあっている。ちなみにニュジ-ランドではニュジ-ランド文学は成立しない。彼らが接するものはすべて英米文学である。人口が少なくてニュジ-ランド人だけの文学を成立させるだけの市場が形成されないのだ。北欧諸国にはアニメファンが多い。しかし彼らの国でアニメは造れない。市場が小さすぎるのだ。だから彼らは日本製あるいわこのごろはフランス製のアニメを楽しんでいる。オ-ストラリアでは念願とする国産自動車産業が育成できなかった。やはり市場の規模の制約がある。この点では市場規模が大きく、識字率には問題が無く、加えて言語が統一されている日本は書籍文化発展には最適の地である。
 少し話は変るが、和製漢語というものがある。維新以後日本が中国に輸出してきた漢語だ。現在この和製漢語を用いずには中国ではまっとうな会話ができないらしい。この和製漢語は約2000。アメリカで中学卒業までに習得すべき英語の語彙も約2000語だ。ということは維新以来日本人は欧米の語彙を取り入れ翻訳して、それまでの識字率の高さを生かして一気に新しい日本語を形成したことになる。こういう事は世界史上多分稀なことであろう。こういう成果の上に現在の日本語はあり、それは世界に対して普遍的な意義を持っている。この事を忘れてはいけない。母国語の形成と習得は極めて重要なことなのだ。不必要に外国語特に英語の習得により日本語習得の足元をすくわれるような事をしてはならない。
⑤ 政治家諸氏にお尋ねするが、諸兄は外国の政治家とどの程度の内容の会話をされているのか?肝心要の秘要な部分まで外国語で討議するのか?ではあるまい。肝心で重要秘密の部分の会話には通訳を使うはずだ。かって宮沢総理はすべて英語で討議しえらい失敗をされたと聞いてる。肝心要の部分の会話にはその道の専門家たる通訳を介するべきだ。言葉とはそれほど単純なものではない。

江戸時代再考

2013-10-20 02:33:57 | Weblog
   江戸時代再考

 我々の世代は江戸時代とは、百姓町人は武士に押さえつけられ日々の労働に辛吟し苦痛のみを与えられる苦難の暗黒時代だったと教えられてきた。現在日本史像は資料の大量発掘でどんどん変りつつある。もう一度江戸時代を再考してみようではないか。いろいろな観点から箇条書き風に思いつくままの述べてみる。
 通常江戸時代でも、元禄期、田沼時代、天保期の評価は低い。元禄時代は犬公方と言われた5代綱吉の治世で人間より犬が威張っており、汚職がはやり武士は軟弱になったといわれていた。事実は違うようだ。幕府初期におけるインフラ投資の結果、生産力は向上し換金作物を基盤とする製造業は盛んとなり、商工業は繫栄して農工商は相対的に富裕になり、年貢収納の実態は三公七民くらいになっている。綱吉個人が名君であったかどうかはともかくとして、彼の時代に勘定方老中、勘定吟味役が設置され、地方奉行層の職務も規定改善されて、幕府官僚システムが整ったことは事実だ。勘定奉行荻原重秀の貨幣政策は通貨流通量増大による好景気招来を期待する政策で、現代のケインズ主義にも通じるところがある。要するに封建制度の枠を廃棄する可能性をも秘めた極めて革新的な政策だったということだ。この点に関しては荻生徂徠が論理的に解説している。綱吉の生類憐れみの令の施行もかなり誇張されて伝えられている。彼は血を見るのが大嫌いだった。捨て子を路上で喰う犬猫を見るのが嫌いというより苦痛だったらしく、これが犬の囲い込みの背景らしい。綱吉が学問を愛好し奨励して文治主義をとったことは周知の事実だ。
 田沼時代。金権汚職にまみれた時代だったと教わった。確かにそういう面はある。基本的に意次は、農本主義による封建制度の維持の行き詰まりを痛感して、商業資本を経済政策に呼び込もうとした。株仲間を形成させて商人を統治下に置き、同時に商人からの徴税も制度化しようとした。鉱山開発、印旛沼干拓などにも商業資本を使った。商人と政治家が近寄れば汚職ないし汚職めいたことが起きるのは当然である。それに収賄と慣行の区別も曖昧である。従来の慣行として気楽に金品をもらえば汚職にもなる。実際経済が拡大する過程で汚職に目の角を立てていたら政治はできない。断っておくが私は汚職を肯定しているのではない。田沼時代はなによりも好景気の時代だった。相継ぐ飢饉と浅間山の爆発で意次は辞任に追い込まれるが、基本的にはこの時代は好景気だった。何よりも開放的であり言論統制も江戸期を通じて一番緩やかであった。蘭学は勃興し、歌舞伎浄瑠璃は栄え、民心は文化を享楽しえた。杉田玄白による解体新書が出され、死体解剖が許可され、近代医学の曙光が見えたのもこの時代だった。工藤平助は北海道千島を探検「赤蝦夷風雪考という本を書いた。意次は工藤の献策に基づいて蝦夷地の開発を試みようとしている。
 通常の歴史教育では享保と寛政と天保の三大改革を善政とみなし、その中間の田沼期や文化文政天保期は悪政の時代といわれる。しかし吉宗や定信の執政下では倹約倹約で不景気となり為政者の意図とは反対に苦しい時代であったようだ。あたり前のことで倹約とは経済の縮小を意味する。個人としてのモラルはともかく、経済全体としては低迷する。
 寛政の改革以後の文化文政そして天保のいわゆる11代将軍家斉の大御所時代は享楽と消費に明け暮れた退廃の時代とされる。ただ享保の頃と比べると幕府財政はほぼ10倍近くに膨張している。享保の頃の幕府財政はせいぜい200万両だった。財政が膨張しているということはそれだけ人口が増えそして景気が良いからではないのか。事実この時代に諸藩のみならず統治下の村落でも、藩政村政の改革がどんどん進められている。この時代には寛政や天保の改革の時のような思想弾圧はほとんどなかった。鶴屋南北の歌舞伎が人気を博していた。
 私は産業革命などの資本主義勃興の最終的原因はその国の識字率にあると思っている。事実日本とドイツの19世紀前半における識字率はすごく高い。私は幕末の時点で日本人の識字率はほぼ100%であったのではないかと思っている。男女ともだ。そう思わなければ説明のつかない事実が発掘され続けている。18世紀後半から農村は村方騒動の時代に入る。村方騒動とは要するに、一般農民が名主庄屋を押し立てて藩当局と年貢納入の交渉をすることだ。名主庄屋は中間にあるので藩当局とぐるにもなりうる。そこで農民は彼らの監視役として百姓代という制度を作った。のみならず彼らが藩当局と交渉する過程の明示化文書化を求めた。こういう記録は現在でも旧名主庄屋クラスの村の名望家の家には保存されており、歴史学者はこの膨大な資料整理に悲鳴をあげているそうだ。文書は仮名文ではない。れっきとした候文だ。当時の一村の人口数はせいぜい数百名、家にすれば百軒足らずだ。村の全員が監視に参加したはずだ。事は税金の問題だ。無関心でありうるはずがない。監視するためには字が読めなければならない。女子は?当時の農村での女子労働の比重は大きい。となると彼女達にも発言権はある。女子も識字できなければならないだろう。女房が家計に直結する税金のことを亭主に任せておのれは家事労働に安んじているなどとは考えられない。
 識字率100%説のもう一つの根拠。19世紀初頭から幕末にかけては農村歌舞伎が栄えた。ほとんどの村は専用の舞台を持ち、役者を都市からよぶか、また農民自体が演技した。幕藩当局はこの風潮を嫌って、風紀の問題と集会が一揆につながりうるので、禁止したが、農民はどこ吹く風で祭りだ神事だお祝いだとごまかして、歌舞伎を演じ続けた。当然台本が要るだろう。字が読めなくてはろくな演技はできまい。我々は当時の農村は刻苦して労働に励み、盆暮れ意外にはろくな休日はなかったろうと思っていた。どうやらそうではないらしい。村の若者組という実行部隊の力は強く、彼らは祭礼と休日の増加を要求し、週に換算すれば三日くらいの休日を楽しんでいた。農村歌舞伎の盛況と合わせて考えると納得できる。今日の新聞(産経10-9)に、日本人の大人(16-65歳)の知的能力は世界一とあった。むべなるかなである。またその内容が面白い。母国語を理解する能力では世界一、数学的思考でも世界一、そして外国語(英語ということになる)で意志を伝える能力は第十位だった。私は、日本人は必ずしもあくせくして英語を学ぶ必要はない、と思っている。英語を流暢に話すのは、同系統言語(印欧語、ドイツ語、フランス語、オランダ語、北欧語など)を話す民族と、あとは植民地ないし同様の状態になり母国人にサ-ヴァントとして仕えなければならなかった国々の人達だ。現にマレ-シア、インド、フィリピン、シナの連中は器用に英語を話す。日本人の置かれてきた状況からすればそんなに器用流暢に英語を話せるはずがない。10月9日といえばノーベル賞受賞者発表の季節だ。少し調べてみた。過去日本人受賞者(医学生理学、物理学、化学賞、つまり自然科学参照のみを対象とする 平和文学経済学賞などは茶番だ)は総計17名、受賞項目は13件だ。うち2000年代に入ってからは受賞件数が7件。一年の受賞項目は3、13年を掛けて総数39。悪い数ではない。大体日米独仏英の五国の受賞者が圧倒的だ。日本もノ-ベル賞の常連国になってきたようだ。それに受賞者の出身大学が京大と東大を越えて他大学にまで広がっている。研究者養成能力の裾野が広がってきたということか。
そもそも江戸時代あるいわそれ以前の時代の日本には民主制はないとされていた。とんでもない歴史認識だ。江戸時代幕藩では7-8名の家老老中の取締役段階での衆議と奉行層段階での衆議と二段階の衆議性合議制で政治は運営されていた。将軍や大名は、天皇不執政の原則に習って家老層の決定に可否を与えるだけの存在、つまり「そうせい侯」であった。時としてこの二段階のメンバ-が合同で衆議することもあった。幕府の評定会議だ。淵源は鎌倉幕府の評定衆にまで遡る、この評定会議のメンバ-総数は40名弱。当時の人口は3000万人。現在に引き伸ばせば4倍で120人というところか。幕府支配地域は厳密に天領のみで数えると全国の領域の1/5.現在の日本政府は全土を統治しているので、その規模に引きなおすと五倍、600人になる。衆参両院で現在700名が定員。評定会議と衆参両議院の人民代表率はほぼ同じになる。諸藩は諸藩でそれぞれの衆議制で運営していた。政治の密度はむしろ江戸時代の方が高かったのではないのか。農村は村方騒動のところでのべたように、事実上自治衆議だ。こう見てくれば少なくとも江戸時代の政治は三層の衆議で動いていたことになる。家老層、奉行層、農民層の三つの段階の衆議だ。
 江戸時代に農民の土地所有権はなかったといわれる。しかし耕作権はあった。あったどころではない、かっちりとあった。将軍大名といえどもこの耕作権を召し上げようなどとはゆめゆめ考えなかった。イギリスあるいわイングランドと比較してみよう。哲学者であり政治思想家としても令名高いジョンロックの政治原理の根幹は、私的所有の徹底的護持だ。それはそれで結構だが、ところで当時のイギリス農民の土地所有権は保証されていたのかと言えばはなはだ頼りない。ロックの活躍の前後二度にわたり囲い込み運動(enclosure)がおきている。どの本を読んでもよく解らないのだが、要するに領主とか地主、端的にいえば強い者が勝手に土地を占有し、農民を追い出している。追い出された方は都市に出て働くか乞食になった。ここで考えてみよう。お殿様に仮に土下座しても土地耕作権を保障されるのと、私的所有の絶対性の名のもとに、土地から追い出されるのと、どちらがいい。前者つまり食える方が良いに決まっている。
 そもそも日本の武士階層は農民階層と連続している。室町戦国期、中小名主が族生した。彼らは基本的には土地耕作者であり土地占有者だった。彼らのうちより上層の部分、あるいは武侠に憧れすっ飛んだ分子が都市に集住して武士となった。繰り返すが武士と農民は連続している。武士と農民の差はあまりない。幕末から維新にかけて活躍し日本の経済界を了導した福沢諭吉と渋沢栄一、前者は武士であり後者は農民だ。しかし生活は後者渋沢の方がずっと豊かだった。イギリスでは所有権は確立されているという。換言すれば地主と農民の距離が大きいということだ。イギリスの歴史の一つの出発点は11世紀中葉に起こったフレンチノルマンによる征服だ。ロックあるいわイギリス政治思想が誇る私的所有権とは、これを日本のそれと比べれば結局のところ農民と為政者の距離の差でしかないことになる。こういう観点からも日本的な衆議制を見直さねばなるまい。
 所有権が日本では曖昧で、統治と所有が分別されていない、だから遅れているとされてきた。しかし既に考察したように、所有権が明確で峻厳そして神聖なものとされることは、治者と被治者の距離の大きさ、つまり階級格差の問題につながる。日本では格差は小さい。これは何に由来するのか。私はそれを摂関制をも含めた日本特有の君主制すなわち天皇制の存在に求める。天皇と摂関が統治権を権威と権力の二つに二分したことにより、治者と被治者の関係が柔らかくなり、集団帰属性と凝集性が大きくなったのだと思う。また武士の存在も大きい。本来武士とは農民であった。武士と農民の間の差はあまりない。そして天皇制と武士階層は従来の歴史学で教えられてきたように対立する関係にはない。むしろ両者は相互補完的関係にある。詳しくは拙著「天皇制の擁護」を参照されたい。
 江戸時代治安はすこぶる良かった。南北の町奉行所で総計500名前後の与力同心で、100万都市の治安が保たれていた。大阪京都も同様だ。都市は城壁はなく解放されており、夜間も歩行できた。農村は基本的には自治、それもせいぜい百軒弱の集団の自治だから、平和なものだった。翻って西欧は、少なくともドイツでは街道は乞食賎民強盗であふれ夜間の歩行どころではなかった。
 刑罰についてはどうだろうか。十両盗めば首が飛ぶとか言われている。実際はそうではなかったようだ。18世紀後半のイギリス、ここでは窃盗は金額の大小を問わず絞首刑だった。また江戸時代の生態系への配慮はまず世界一であろう。江戸市民100万人、この時代の産業力で100万人の都市があること自体が驚きだが、玉川上水のような水道もあり、また都市住民が出す糞尿はすべて近隣の農家が買いにきて肥料として用いた。汚物垂れ流しはなかった。生態系は極めて効率のいい好循環をなしていた。18世紀後半のパリやグラスゴ-では夜歩いていると頭の上から汚物が落ちてきて、うかうか歩行はできなかったという。セーヌ川は臭かったそうだ。糞尿の有効利用ということを西欧の連中は考えなかったのだろうか。
肥料のことで思い出した。日本では江戸時代の初めから魚を肥料にしていた。日本海沿岸では鰯がいやというほど取れた。これを乾かして粉にして田畑にまく。魚肥という。金がかかるから金肥とも言った。農民はこの魚肥を使って作物を育てた。非常に優秀な肥料で収穫は増えた。米など馬鹿らしくて作っておれないとして、金になる商業作物を栽培した。タバコ、菜種、酒米、木綿などのたぐいだ。そして農民とそれを用い商う商工階層は豊かになった。当時の西欧では北海やバルト海にはニシンがうようよいた。しかし魚肥のことは一向に聞かない。智慧がなかったのかそれとも資本がなかったのか。
 学問の面でも数学の微積分と行列(この二つの領域が事実上大学理系で習得する高等数学の基幹だ)は西欧より早く17世紀中葉には日本で考案されていたし(関孝和など)、貨幣数量説、有効需要そして社会契約論や万民平等論、つまり政治経済運営の基本的部分はは、徂徠、梅岩、尊徳らによって説かれていた。よく日本の学問は西欧に比し300年以上遅れているとか言われた。出発を明治維新にとればだ。しかし明治維新に起点をとっても遅れは高々100年足らずでしかない。というのはガリレオやニュ-トンやデカルトの発案発見は当時の西欧では好事家の趣味程度のもので、実際の産業には全く結びついていなかった。産業革命は18世紀後半イギリスで起こる。しかし勃興した産業と科学はほとんど無関係だった。ワットにしろア-クライトにしろ彼らは基本的には職人でしかなかった。科学が産業と直結するようになるのは19世紀後半の電気化学工業においてからだ。これを起点にすれば日本は西欧とほとんど同時に実際に役に立つ科学を推進したことになる。
 こう考えてくると江戸時代とは非常に進んだ時代だったことになる。明治維新の成功は江戸時代の蓄積を基礎としてのみ可能だった。
 江戸時代は二度にわたり否定されてきた。明治維新は江戸時代を克服し西欧に学ぶという姿勢であったため、江戸時代のものはすべて悪い遅れている旧慣遺物として否定した。第二次大戦後の占領政策で日本の伝統は否定されかかった。日本史を教えてはいけないとまで命令された。加えて戦後跳梁跋扈したマルキシズムの影響も大きい。歴史の発展法則とやらで(発展しているかどうかは知らないが、変化はしている)否定され廃棄されるべき資本主義体制よりなお古いのだから議論に値しない遅れた制度として、江戸時代はみなされた。マルキシズムの怖さそして強みはなんといっても、歴史は自動的に千年王国にたどり着くという信念と硬直した論旨をもっている事にある。歴史はどう変化するかは解らない。しかし進歩必然という考えを持てば、その論主のいう事はすべて正しい、異論は進歩の邪魔つまり悪とされる。過去から学ぼうとする謙虚な姿勢はなくなる。事実ソ連もシナも過去を否定し過去の事物を破壊し、現在では歴史を学ぶ資料にすら事欠く有様だ。
 そういえばデモクラシ-とかリベラリズムとかいう舶来の思想にも同様の事がいえる。マルキシズムのように必然性を強調しないだけだが、進歩そしてその進歩に預かるあるいわ扇動する「我々」は正しいという姿勢は共通しているようだ。論旨を極めて簡易に絞るとロックとマルクスの思想ということになる。マルキシズムは神話だから放っておく。問題はデモクラシ-あるいわデモクラシ-万能論だ。デモクラシ-とかリベラリズムはロックを原点として思想として造られた。ロックの思想の基幹は私的所有の絶対性だ。彼は所有権を絶対視し、これが犯されるなら革命を起こしてもいいといった。そのお蔭で彼は母校オックスフォ-ド大学の卒業名簿から除名されたが。所有権が人権になり、その担い手が近代的自我とやらになった。そして日本のインテリはこの近代的自我にすこぶる弱い。日本では近代的自我が確立していない、だから遅れている、文学でも思想哲学でもすこぶる遅れている、ダメだと知識人達は思った。しかし近代的自我の起点が所有権でしかないならば、もっとリアルに思想を捉えなおせるはずだ。その一部は暗示的にここで述べた。我々日本人もそろそろ自前の思想を持たなければならないのではないのか。

歴史は繰り返すのか?

2013-10-14 02:38:42 | Weblog
   歴史は繰り返すのか?

 歴史は繰り返すといわれる。命題の当否はともかくとして、現在気になる問題が三つある。中国および韓国の動向と、米国の財政問題だ。
 まず米国の財政問題から論じてみよう。米国はリ-マンショック以来恒常的な不況にある。オバマ民主党政権は米国の政治経済のアキレス腱ともいえる医療等の社会福祉問題を解決しようとして通貨供給量を増やそうとしている。基本的にはこの対応は正しい。それに対して野党の共和党は財政均衡の立場からオバマ氏のやり方に反対している。米国では法律で貨幣の総供給量が制限されている。いわゆる財政の崖という問題だ。ところでこの問題は1929年の大恐慌の状況と似ていないか?当時の日本の井上財政は米国の不況を無視して金解禁に踏み切った。米国の不況は日本の輸出を阻害し日本の経済を不況という困難に追い込んだ。台風に向けて窓を開いたと揶揄された事態だった。現在日本は消費増税に踏み切った。財政均衡という錦の御旗のもとに。米国の不況にも関わらず。事態は似ていないか?中国経済も不安定だ。むしろ崩壊寸前とも言われている。そういう外需があまり期待できない状況で、つまり内需喚起が要請される状況で、消費増税という金解禁に似た緊縮財政に舵をとる。80年前と事態は似ていないか?
 第二。アメリカが財政問題で関心を内政にとられ、その分アジアへの関与は後退する可能性がある。中国の東および南シナ海への進出は脅威だ。アメリカが後退した分、日本がその責をとらねばなるまい。ところでこの状況は日清戦争前後の状況と似ている。1990年代、アメリカはまだアジアに進出していなかった(米西戦争1898年)。フランスは仏印三国を植民地化したばかりでかの地の統治に専念せざるを得なかった(仏領インドシナ連邦成立1887年)。イギリスもビルマとマレ-の植民地化に忙しい。加えてアフリカでは英仏の対立があった(ファショダ事件1898年)。ロシアは東清鉄道をまだ造っておらず満州への進出までにはなお時間があった。東亜の地域はこの時期西欧列強の勢力の真空地帯になっていた。そういう情勢下において日本と清国は東亜の覇権をかけて戦争を行なった。これも現在進行しつつある状況と似ている。
 第三。現在韓国が迷走している。反日(その背後には反米)の感情に煽られて、対北融和、対中接近の動きを見せ、東亜の軍事外交の根幹である日米韓の対中戦線は動揺している。加えて韓国の経済は危ない。これもいわゆる朝鮮併合にいたる状況に似ている。当時、つまり日清戦争から朝鮮併合にいたるまでの李氏朝鮮の右往左往ぶりは甚だしかった。日本、清国、ロシア三国の間を動き回り、朝にA国夕べにB国を頼るような有様で、確固とした外交方針はなく、事大主義による妙なプライドだけ高く、内政改革はほぼなく、国論は統一せず、軍事力は脆弱で、周辺諸国をいたずらに奔命に疲れさせるのみだった。いわば東亜のコックピット(闘鶏場)であり不安定要因であった。どこかの国が朝鮮半島を保有しないと何が起こるか解らない情勢であった。日本は列強に乞われて朝鮮を合邦した次第だ。日本にもこの問題に関しては賛否両論があった。初代韓国統監伊藤博文は反対だった。理由の一つは財政的にお荷物になるということだ。
 以上感じるままを述べた。状況は100年前と似ている。歴史は繰り返すのか?
(注)日本は朝鮮半島を30年間統治下したが、朝鮮総督下の財政は赤字続きで毎年予算の10%以上を日本の予算から補強していた。1965年米国の要請下に結ばされた日韓基本条約で日本は朝鮮半島に投資したものすべてを放棄ささられたが、その総額は当時に金で50億ドルに上る。現在の金額に換算すれば30兆円になる。併合期間中日本は毎年1兆円の資本を朝鮮半島に投下している。その上基本条約では総額6億ドルの補償をさせられている。散々面倒をみさされて、感謝されるどころか憎まれ、ありもしない嘘をまき散らされる。今度合邦してくれと言ってきてもお断りだ。歴史を繰り返さないためには、韓国とはなるべくお付き合いしない事だ。ちなみに私は朝鮮半島の南北両断は周辺諸国つまり日中米ロにとって好もしい状況だと思っている。38度線は自国を統治するに相応しい知性を備えていない朝鮮民族の迷走をとめる閂(かんぬき)になっている。

なぜ雇用は重要なのか?

2013-10-10 02:21:59 | Weblog
   なぜ雇用は重要なのか?

 安倍内閣は3%の消費増税に踏み切った。遺憾なことである。この決定に際して政府は日銀短観や業況判断指数など企業側での指標を優先し、有効求人倍率や失業率および消費者物価指数など雇用者消費者側の指数は無視している。政府のこのような態度は結局のところ賃金の下方圧縮につながりはしないだろうか。繰り返すが遺憾な話ではある。
なぜ雇用が経済にとって重要なのかを考えてみよう。雇用が重要なのはあたり前だ。多くの人々はそれで食ってゆくのだから。しかしそういう素朴な生活の次元を超えて雇用換言すれば賃金は、経済が安定して成長するためには不可欠最重要な問題なのである。
 まず経済の理想的状況とは、需要が増え、それに応じて供給が増加し、雇用が増え賃金が上がり、それが需要を喚起する、という好循環が保たれていることである。この点が第一。この循環が行なわれれば穏やかな(マイルドな)インフレが進行する。年平均2%から3%のインフレが理想か。もちろんインフレに伴い賃金も併行して上がらなければならない。
 なぜインフレ(もちろんマイルドインフレ)が必要なのか?ある経済圏において需要が2%増加したとする。価格は2%上昇する。すると供給も2%増える。もちろん潜在需要が存在するという前提が必要だが。ということはこの経済圏全体としてはサプライつまり資産資本のたぐいが2%増えたことを意味する。この中には人口増も含まれる。マイルドインフレである限り資産資本は無限に増大する。何度も言うが潜在需要がある限り。
 仮にインフレがないあるいはインフレからデフレに戻ったとしてみよう。価格が下がる賃金も下がる。買わない売れない状況になる。生産者はサプライを減らす。こうして平衡が保たれる。経済圏全体としては資産を減らす。経済は縮小する。だから経済の成長のためにはマイルドなインフレは必要なのだ。そして成長しているという前提においてのみイノヴェ-ションは起こる。
 次に投資と投機のことを考えてみよう。投資とはここでは株式投資のこととする。投資があるから投機がある。投資がなければ投機する対象がないのだから投機はありえない。逆に投機がなければ株券は単なる社債か預金になってしまう。企業が儲ける分の一定の割合が配当されるのだから。利子と配当は同種のものになる。投機する、大きく儲かるという前提、つまり楽観的気分、欲望の肥大がなければ投資意欲は減退する。つまり投資と投棄は相互補完的関係にあることになる。投資があって投機があり、投機があって投資がある。
 投機は必要であるが、度を越すとバブルになる。この傾向を調製する装置は何か?それが雇用つまり賃金なのだ。収益の多くが賃金に廻れば投資に廻る金は減る。配当が減るからだ。投資が減れば投機は抑制される。それだけ儲けのチャンス(capital gain)が減るからだ。賃金は多くの場合中産階級周辺に配分される。一番消費してくれる階層だ。需要は増え経済は好循環に入る。
投機が行過ぎれば企業間の仁義無き過当競争が起こり、富はごく一部の者に偏在し、他は貧乏になり、格差が広がる。まともな産業つまり製造業は衰退する。悪しき金融資本主義が跋扈する。また国民全体が投機に狂奔し労働意欲を減らす。博打で稼げということだ。逆に賃金を上げすぎると、労働意欲が減退する。働かなくても食えると考えてしまう。労働生産性は低下し、また物価は上がり(コストプッシュインフレ)企業の収益は減る。どちらに偏しても成長は止まりイノヴェ-ションは起こらなくなる。
需要と供給の問題は、雇用と投資の問題でもある。適度な賃金上昇は需要を増やし、投資を盛んにして、経済を成長させる。順序は雇用そして投資だ。逆の可能性は少ない。現在の日本では雇用が縮小している。だから100円ショップとかの貧困産業が増え、ブラック企業などが横行する。
 ではサプライとは何か?何をサプライするのか、供給するのか?通常はインフラつまり交通通信防災などの建設業関係、物品製造などの製造業、それらを調整する商業金融業サ-ヴィス業などを言う。ではこれらの諸種の領域に設置された機械的物的装置をサプライというのか。それもある。しかし最終的にはサプライとはこれらの装置を運営する人間、人材、つまり人的資本だ。二つ例証を挙げる。
経済学において何が成長に関わる因子かといろいろな数式を案出して、そこに変数を放り込んで検討した。最初は労働力。しかし労働力と成長の関連はあまり高くなかった。次に資本(この際は物的資本つまり装置と金)を変数にした。これも大した相関関係にはなかった。結局成長率全体から労働と資本の寄与を引いた割合は人間のスキルであると断定し、経済成長率に一番寄与するものは、装置を扱う人間のスキル、意欲、そしてモラルということになり、この要因を人的資本と名づけた。
 もう一つの例は歴史に求めよう。第二次大戦で日本は敗北した。焼け野が原になり、交通製造などのあらゆるインフラ生産装置は破壊された。しかし人間は残った。日本があの経済的破局から立ち直るのには10年を要しなかった。厳密には5年で経済再興の基礎はできていたのだ。生き残った人間には明治維新以来の教育がほどこされていた。失礼だが勝ったあるいわ解放された側、アフリカ、アセアン、インドなどと比べてみよう。
 さてここで話を経済成長に戻そう。成長には需要が必要だ。需要がなければ成長は無い。では潜在需要を日本は今後どのようにして掘り起こしていけばいいのか?答えは人的資本の開発保全だ。具体的には教育医療介護への投資だ。これらは現在では福祉と言われ、単なる消費行為あるいわ所得移転と言われている。しかし現在の技術はこれらの分野をすべて技術つまり製造業に結びつけることができる。これらの分野を介して新規の需要の喚起が必要だ。私はこれらの経済行為を福祉工学と名づけたい。

物造り大国、サムライ日本

2013-10-05 02:30:00 | Weblog
物造り大国、サムライ日本

 日本は物づくりの国と言われる。同時に日本のメンタルブランドはサムライ、武士道だ。ところで武士と物づくりは歴史的に密接に関係する。こういう視点から日本あるいわ日本経済を考えてみよう。
 武士は開発領主、農場経営者として歴史に登場する。9世紀に入り公地公民という律令制の原則は崩壊し始める。在地の有力者や富裕農民は私営田を開発する。私営田の所有者を名主(みょうしゅ)という。名主は免税ないし脱税のためにこの田畑を中央の有力者に寄進する。荘園制の出現だ。しかしこの私営田所有者はおのれの財産を自力で護らなければならない。当然武装する。これが武士の起こりだ。彼らは中央の貴族に奉仕するために上京する。こうして武士は候(さぶろう)者、奉仕する者、つまりサムライ(侍、侍者)になる。
 一人前の武士は騎乗する。騎士である本人、所従という歩兵兼世話係一名、そして馬一頭を維持するためには推定5町(ヘクタ-ル)の田畑が要ったであろう。日本の騎馬武者の戦法は騎射という。主たる武器は弓矢。刀剣ではない。正面からは射向けの袖で防がれるので、馬を駆け違いざまに後ろから、相手の鎧のさねの間に矢を射こむ。日本では騎兵を集団で使用するモンゴルのような戦法は発展しなかった。騎射戦法はまるで個人と個人が勝負する芸術だ。武士はだから農場経営者であると同時に戦の芸人あるいわ職人だった。
 鎌倉幕府成立。御恩と奉公の契約で御家人が出現する。これが一応当時の正式武士だ。しかしこの御家人層の下に位置する農民も続々自立してゆく。1町から2町くらいの名主が誕生する。鎌倉末期そして室町戦国期にはこれらの中小名主が族生した。彼らの多くは歩兵になった。本来武士と農民を区別するはっきりした基準はない。農民が少し富裕になり自力で武装すればそれが武士だ。彼ら中小名主は正式武士の指導者である幕府のいう事を聴かない。好き勝手をする。そこで幕府は彼らを悪党といった。
 武士と農民の間の階層が流動的であるように、武士農民と商工業者の境も曖昧である。商工業者は座に結集する。座は有力寺社の保護を受ける。商工業者は作ったもの、買ったものを地方に売りさばくためには自衛しなければならない。保護者である寺社も、配下の手工業者も武装する。だから武士と商工業者の階層も流動的になる。楠正成は淀川流域を支配する運送業者であったし、名和長年は日本海海運に従事していたらしい。秀吉は若い頃木綿張りを行商していたそうだ。黒田官兵衛の家は目薬を製造して販売していた。小西行長は薬屋出身、石田光成は寺の小姓、福島正則は桶屋のせがれだった。千利休は堺の商人(魚屋)であり秀吉の政治顧問であり、れっきとした大名であり、茶の宗匠だった。海北友松は絵師で名を残すがもとはと言えば明智光秀の家臣。ルソン助左エ門は海商か海賊か?海賊なら立派な武士だ。洞が峠の日和見で名高い筒井順慶は武士であり僧侶。京都の商人茶屋捨二郎は家康の顧問として扶持を頂いていた。中江藤樹は伊予大洲の侍だったが、100石の秩禄を捨てて近江で帰農し日本陽明学の祖となる。蒲生氏郷の家臣が伊勢松阪で商人になる。この孫が三井高利、三井財閥の家祖だ。山中鹿之助の子供が摂津伊丹で造り酒屋を営む。やがて海運業にそして金貸しになる。これが鴻池という江戸時代きっての豪商の始まりだ。ちなみに透明な酒つまり清酒を始めて造ったのはこの鴻池だ。播磨佐用の赤松氏は自領で林業を営み紙を作り移出する、一方岡山方面から鉄や武器を仕入れそれを都で売っていた。真田昌幸幸村父子は浪人中紐を売って生計を立てる。幕末の滝川馬琴は幕臣であり作家であり薬屋だった。こういう例は枚挙にいとまがない。
 僧兵という面白い存在がある。従来僧兵は武装した僧侶と言われてきたが、その実態は全くの武士だ。当時の大領主である寺社に田畑を寄進して保護を仰ぐ場合、寺社の外にいて俗体であることもあり、剃髪して僧形になることもある。さらに進んで寺社の中に入りその職務(管理職から雑用までいろいろある)を遂行する場合もある。寺社という大規模な機構に属し、田畑あるいわおのれの労働力を寄進し同時に保護を受け、なんらかの形で寺社の業務に内外から参加する。それが僧兵と言う集団の実態だ。学僧も武装する、雑役僧も武装した。そして当時の寺社は製造業の先進地域だ。この尖端技術が座や名主、僧兵という形を通して社会に広がる。だから武士とは士農工商を通じて横断ないし縦断する極めて汎階層的流動的な集団だった。
 江戸時代になる。兵農分離が一応行なわれる。比較的上層の連中が武士として認知され、彼らが合体してより大きい団体を形成すると大名領あるいは藩と言われる。藩とは名主の作ったトラスト(企業合同)のようなものだ。この大名あるいわ藩が横に連なってカルテル(企業連合)を作る。これが徳川幕府だ。幕藩体制は大小名主の連合体だ。だから彼らは意思決定には衆議を尊重する。取締役である家老、管理職である奉行を中心に衆議して決める。衆議の頂点で最終決定を為す権限は大名あるいわ将軍にある。しかし大名将軍が衆議を無視してごり押しすることはまずない。あえてそれをすると引退させられる。(主君押し込め)
 徳川幕藩体制下で武士は何になったのか?簡単に言えば彼らは経済官僚になった。しっかりした治安の下、農工商業は発展する。空き地は開発され灌漑され農産物は増える。米のみならず商業(換金)作物が栽培され、織物鉄器陶器染料塩砂糖酒醤油肥料などなどが製造され販売される。こういう流通機構の管理統制に武士達は従事した。のみならず彼ら自身の生活も護らねばならない。生産が増え流通が増すと生活は贅沢になる。農工商に比し武士の生活は相対的に(絶対的にではない)貧しくなる。こうして武士達は経済行為に積極的に参加してゆく。増税は危険、倹約ではたかがしれている。いろいろなやり方が試みられて一番成功したのは藩営マニュファクチュア-だ。藩専売制という。地方地方に特産物がある。阿波の藍、出羽の紅花、長州讃岐の三白(米、塩、木綿、時として砂糖)、薩摩の砂糖、越後の麻、桐生足利の絹、京の陶器に高級絹布、尾張や肥前の陶磁器、土佐の林業と砂糖、蝦夷地(北海道)の昆布や塩鮭鱒などなどだ。こういう金になる物を作り売る。この際藩が指導ないし介入し、資本を民間の商工業者あるいわ農民と出し合い、利益を分配する。この分配方法に不満なら一揆が起こった。こういう経済行為に幕藩の武士達は積極的にかかわっていった。武士は食わねど高楊枝、などは全くの嘘、たわごとだ。
 江戸時代を通じて経済に積極的にかかわった人物像を簡単に一瞥してみよう。嚆矢は勝手方老中(大蔵大臣、同時に首相)そして勘定吟味役(典型的な財務官僚)という制度を設置し財政の中央集権化を図った徳川綱吉。彼が重用した勘定奉行荻原重秀は貨幣信認説を唱えて貨幣(金銀貨)を改鋳し貨幣量を増加させた。倹約と増税の試行錯誤の末に秩序ある流通貨幣量の増加策を案出した徳川吉宗。吉宗の腹心として米価の調節に苦心し、商都大阪の経済を江戸に繋留しようとした大岡忠相。商業資本と提携して幕府財政を安定さらに増大させようとし金本位制を導入した田沼意次。蝦夷地を探検し開発の必要性を力説した工藤平助。正式の社会福祉政策を始めて実施した松平定信。土地売買の公認、流通貨幣量の増大、民事法制定の要を説いた荻生徂徠。社会契約説に基づき商人の有用さ必要性を強調した石田梅岩。ケインズよりも先に有効需要と財政投融資の必要性を説いた二宮尊徳。藩別重商主義を提唱した海保青陵。藩の財政改革に邁進した、上杉鷹山、細川重賢、調所広郷、村田清風。彼らはいずれも藩営マニュファクチュア-を提唱し実践している。横須賀に日本で始めての製鉄所を建設した小栗忠順。武士でありつつ海援隊という貿易商社を作った坂本竜馬。小身から勘定奉行まで昇り詰め老中阿部政弘の頭脳となり日露通商条約締結を成し遂げた川路聖アキラ。などなど言い出せばきりがない。
念のために言えば武士の表芸は武道であり戦闘能力の維持涵養だ。武士はこの種の技術習得に励んだ。武芸職能の鍛錬に邁進した。従って武士は職人であり芸人であったし、事実そう呼ばれた。
 明治維新、武士という階層は消滅する。しかし武士層は官吏、警察そして軍隊の主力となる。同時に経済界に進出した人物も多い。明治の文明開化時、政治経済の啓発者言論指導者として活躍した慶応大学の創始者福沢諭吉(中津)、三菱財閥の祖である岩崎弥太郎(土佐)、明治大正に渡り日本の資本主義の世話役指導者に徹した第一銀行(現瑞穂)設立者渋沢栄一(幕臣)。三井財閥の指導者となった益田孝(幕臣)中上川彦二郎(中津)と池田成彬(米沢)。財政では大隈重信(佐賀)と松方正義(薩摩)そして高橋是清(仙台)。朝日新聞の創設者である村山龍平(伊勢田丸)。住友の大番頭となりそれを近代化した伊庭貞剛(近江)と鈴木馬左也(日向秋月)。津田塾女子大の創設者津田梅子(幕臣)。小説家で雑誌文芸春秋の創刊した菊池寛(高松)。関西電力の中興者太田垣士郎(但馬)。建築家辰野金吾(伊万里)。日産の鮎川義介(長州)と藤田組の藤田伝三郎(長州)。理研の大河内正敏(大名)。そして大阪財界の援助者五代友厚(薩摩)。維新早々に全国的な紙幣システムを提唱した由利公正(越前)。北浜銀行(現瑞穂)の創始者であり近鉄電車の事実上の創立者岩下清周(信州松代)。明治財界の指導者郷誠之助(幕臣)。農政の石黒忠篤(幕臣)と前田正名(薩摩)。安田財閥の祖安田善次郎(越中)。日本で初めての大規模紡績工場である大阪合同紡績(現東洋紡)に近代技術を導入した山辺丈夫(石見津和野)、銅山開発で富豪となり日立電気の出発点を与えた久原房之助(長州)、東電の木川田一隆(仙台)、タカジャスタ-ゼ(消化酵素)とアドレナリンの発見者である高峰譲吉(加賀)、日本窒素の創立者であり朝鮮半島に大規模発電所を造り続けた野口遵(加賀)、も武士層の出身だ。また毀誉褒貶はあるが井上馨(長州)の財界への指導貢献も見逃せない。他の財界指導者あるいは起業創設者の多くは富裕な農民商人出身者が多い。彼らは準武士といえる階層に属している。代表はクラボウの大原孫三郎だ。他に岩波書店創始者の岩波重雄、日立電気の小平民平、森永製菓の森永太一郎、ホンダの本多光太郎、富士通の古河市兵衛、阪急の小林一三、東急の根津嘉一郎、真珠王御木本幸吉、鐘紡の武藤山治、電力の松永安左エ門、大倉財閥の創始者大倉喜八郎、浅野財閥を起こし京浜工業地帯を造成した浅野総一郎、第一生命の創設者矢野恒太、資生堂の福原有信、建築家横河民助、カルピスの三島海雲、大映映画の永田雅一、ブリジストンの石橋政次郎、などがいる。武士とはその発生の原点から階層横断的な存在なのだ。
 そもそも幕末維新の改革があれほど見事に成功したのは、経済官僚である極めて合理的な思考の持ち主である武士という階層がそれを主動したからだ。
 武士は開発領主・農場経営者として出発した。彼らは米を作る。武士は中世に入り極めて汎階層的な存在になる。江戸期には経済官僚として活動する。同時に彼らは戦闘の職人技術者だ。物造り大国の原点はサムライにあるのだ。

半沢直樹現象とたそがれのアベノミクス(改訂版)

2013-10-02 01:23:44 | Weblog
  半沢直樹現象とたそがれのアベノミクス(改訂版)

 現在テレヴィTBSで「半沢直樹」というドラマが人気を呼んでいる。この人気は政府の経済政策特に消費増税への反対を意味する声なき声ではないのかと私は思う。
 消費増税推進への政官財の合唱はまことにすさまじく騒がしい。不快である。明確な論拠を示さないまま小出しにあちこちで意見を言い、なしくずし的に世論を誘導というより諦念にもって行こうとしている。
 不愉快な意見の代表が「国際公約」だ。まず消費増税と誰が言ったのか?安倍総理ではない。総理以外の人物がかくも重大な案件について公約なるものを明言すれば、これは明確な越権行為になる。仮に安倍総理が外国向けに明言したのなら、安倍総理は国民の意志を無視ないし軽視したことになる。重要な政策はまず民意に問い、民意を尊重した上で、国民にその旨明示し、しかる後に外国に向けて発言すべきであろう。また仮に総理が外国向けに消費増税と受け取られるような発言をしたとしても、この発言に縛られる必要はない。ただ総理としては体裁が悪いだけである。正式に条約として調印しない限り、発言の履行を外国から強制されるいわれはない。また消費増税を財政均衡と言い換えた発言をし、それを国内向けには消費増税の公約というのなら、これは詐欺虚言である。要するに消費増税の国際公約なる言い訳は、どこから考えてもおかしく論拠が無いのである。なしくずし的に世論を誘導し民意に諦念(あきらめ)を強いる最も汚いたちの悪いやり口だ。みんなで適宜口裏を合わせて曖昧な雰囲気を作り、政策を決める。昔の汚い悪い自民党に帰ったということだ。アベノミクスが空前の人気を博したのは、汚くて悪い自民党から決別し明確にして大胆な政策で景気回復を行なおうとする姿勢を、国民の多くがそこに感じたからなのだ。自民党政権ができて時間が経つほど、つまり政権の心地よさに安住するほど、消費増税という意見が増してきているようだ。
 数日前の新聞に日銀の副総裁がインフレのメリットについて以下のようなことを言っていた。インフレになれば物価は上がる。そうなれば預金や国債に投資していた人達は、より利益を保証される株式に投資を移す。株価は上がる。その分株式運営での利益は増え、その利益は消費にまわり、消費が増えて好景気になる。だから金融政策だけで景気は回復する。まあざっとこんな理屈だ。
しかしこの理屈には諸々の矛盾錯誤がある。まず株式投資が有利となればしばしは株価が上がるだろう。しかしそうなれば国債の利率も預金の金利もあがる。投資効果は均等になることをめざす。それが市場というものだ。加えて株価の動向はまことに複雑だ。
またこの理屈は米国では若干妥当するかもしれないが、日本では通用しない。中産階級以下の日本国民は預金こそすれ、株式への投機をほとんどしない。だからこの理屈が妥当だとしても潤うのは一部の富裕階層であり、結果として格差は拡大する。
そもそもインフレをどうやって作るのか?上の理屈にはインフレを誘導する政策が欠けている。まさか消費増税をインフレの理由に持ってくるのではあるまいな。増税では企業は儲からないのだから株式に投資する理由はありえない。
私はマイルドなインフレとそれに併行する賃金の上昇がありうべき妥当な経済だと思っている。金融の異次元緩和で通貨の流通量は増えた。しかし金融政策だけでは実体経済は改善しない。公共投資を介して需要を作り増やし、雇用を増加させねば、実体経済は改善しない。念のために言うと、現在の技術レベルでは医療も教育も介護も、つまり今まで福祉あるいは単なる消費行為、または所得移転とされてきた諸分野も製造業に結びつくのだ。日本人は内需の意味を知らなさ過ぎる。世界同時不況がいわれる現在、内需増大は最大の安全保障政策なのだ。そして景気回復の最も信頼できる指標は雇用の改善つまり賃金上昇なのだ。せめて賃金が5%くらい上がるまでは景気対策は慎重であるべきではないのか。日銀副総裁の発言は、金融政策だけで経済回復は充分、実体経済に政府が踏み込むことは必要ない、消費増税をしてもいい、という世論誘導だ。この程度の人物が日本の金融政策のトップに居るのだ。
「半沢直樹」に帰る。このドラマは正義感に燃える銀行員が銀行内部の不正、企業育成という本来の任務を忘れた銀行のあり方に叛旗を翻して戦う姿を描いている。45%という空前絶後の視聴率を上げ(成人の3人に2人が見ているということ)、放映継続の要求が押し寄せ、TV局のファックスが故障しているそうだ。このドラマでファンが一番好む場面は、堺正人演じる半沢直樹と片岡愛之助演じる金融庁の調査官の対決だ。ここでこの調査官はゲイ趣味のキザで権力を振り回すいやらしい姿で戯画化されている。金融庁は財務省の親戚筋になる。現在消費増税に一番抵抗しているのは、税収増加に比例して自己の権限(予算配分権)が増大する財務官僚だ。「半沢直樹」の中の調査官はこういう大きな権限を振るい威張りちらす財務官僚を表している。なおドラマの半沢直樹は、銀行に、従ってその背後で指導する財務官僚に、父親の会社が潰されたという過去をもっているようだ。財務官僚がいかに怖く不快であるかわ税務調査に入られたものなら誰でも知っていることだ。企業もメディアもジャ-ナリストも政治家も財務官僚にはかなわない。申告ミスや不正経理などはなんとでも理由をつけられ、見解の違い一つで少なからざる金がもってゆかれる。この不快な財務官僚を片岡愛之助が見事に演じ、それを堺雅人の半沢直樹がやっつける。痛快だろう。半沢現象は消費増税反対への民衆の怨念の大合唱だ。
安倍総理は法人税減税、投資減税、賃上げと減税の交換、政財労三者による賃金協定など、いろいろ画策されている。それは総理のあがきかも知れないし、また自民党ぐるみの言い訳演出かもしれない。しかし消費増税という一線を越えてしまえば諸々の対策も空しい。一度増税してしまえば、減税や賃金協定などの約束も無視されるだろう。一度犯されたらあとはどんな男とでも寝る、というようなものだ。消費増税阻止は心ある政治家にとっては貞操帯のようなものなのだ。悲しい皮肉だが1年後の内閣支持率が楽しみだ。多分30%を割るだろう。不況は20年、微光薄明かりは1年弱。景気回復にはもっと慎重を期すべきだろうな。民意に叛く消費増税を強行する政府与党は1年後国民による倍返しを覚悟しておけ。世論調査では60%以上の人達が消費増税には慎重姿勢なのだ。
以下最近の記事の一部を列挙する。
 9月25日 日経 日本リサ-チ総合研究所によると、くらしが悪くなるだろう、という意見が5.3%増加
 9月25日 J-CAST 金融庁の銀行監査方針転換、半沢直樹にみるようないたぶりはしないと、ということは今までしていたということだ
 9月26日 沈まぬ100円ショップ、賃金増えず需要伸びず
 9月26日 介護保険料20%上げ、わざわざこの時期に、橋本内閣の経験を忘れた  のか
 9月26日 朝日 大阪の中小企業の60%が増税で経営悪化と

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憶見を追加する。
 9月28日読売新聞 民間の平均給与408万円(正規468非正規168万)2年連続で減少 格差拡大
 10月1日J-CAST 消費税表示 ス-パ-は税額抜き、デパ-トは総額表示8それだけ販売店は困惑混乱しているということだ)
 消費者物価指数(CPI)のコアコア(核心の核心)は上がっていない
来年10月1日の時点で景気が悪化していれば安倍総理には腹を切ってほしい。
腹の切り方つまり責任の取り方をご教示する。景気悪化なら、見苦しい言い訳をしないで、いさぎよく衆議院を解散し総選挙をするべきだ。そして経済政策特に消費増税の可否を世論に問えばいい。消費増税をめぐっては世論は半々か慎重派多数だ。消費増税反対多数の中であえて民意に背いて増税を強行する以上は、景気悪化の時点で解散するくらいの決意は持って欲しい。景気回復なくして国防もない。もしこと志と違って景気が悪化すれば失礼ながら総理の過敏性大腸は悪化する。世論の轟々たる非難のストレスで悪化するよ。この症状は精神的負荷が一番いけないのだ。私は医師だから、そういうことはよく解る。加えて共産党の跳梁跋扈。 もう一つ気になることはこんな調子ではTPPの交渉の方も不安になる。結局外資と大企業本位の悪い自民党への昔帰りになりかねない。