刷り込まれ方
我々日本人は戦後GHQとコミンテルンによってしょうもないことを刷り込まれてきた。いわく日本が侵略戦争を引き起こしたとか、南京でシナ人30万人を虐殺したとか、はては朝鮮人女性を強制連行して日本軍兵士相手の売春を強要したとか云々のお話だ。ここで別の角度からの刷り込まれ方を提示してみよう。アメリカインディアンの歴史だ。
私は西部劇が好きで古典作品をよく見ている。名作中の名作と言われる、ジョン・フォ-ド監督の「駅馬車」を取り上げてみよう。スト-リ-では1885年にアリゾナ州トントからニュ-メキシコ州ロ-ズバ-クに乗り合わせた8人が繰り広げるお話だ。乗客には当時の社会の落ちこぼれが多く、人生の哀歓を感じさせる、いつ見てもいい名作だ。しかし史実としてはおかしなところが多い。お話のピ-クはアパッチ族による駅馬車の襲撃だ。そういう襲撃は事実としてあったのだろうが、そのことに関しては後に触れる。スト-リ-展開の最大の問題点はアパッチ族の襲撃の方法だ。逃げる駅馬車にアパッチは馬上銃撃で追いかけるのだが、全然当たらない。インディアン16名が応酬する白人側に殺害され、白人の死傷者はわずか1名だ。そもそも襲撃の方法がおかしい。本当に壊滅させる気があるのなら、馬車に火をかけるか(火矢)馬を倒せば済むことだ。それを映画では馬車を外から銃撃することになっている。戦法としては荒唐無稽だ。お話としては面白いが史実としてはこんなことは決してないだろう。インディアンを馬鹿にし、そして凶悪なイメ-ジで描いている。もう一つ気づいたことだが映画では、白人に対してはショットガン(散弾銃)使用は禁止だが(殺傷力が強いので)インディアンに対しては使用してもいいことになっている。人種差別もいいところだ。
映画のスト-リ-解説はそのくらいにしておこう。アメリカの歴史はある意味ではインディアンの討伐、弾圧、強制移住の歴史だ。ここで極めて簡単にインディアンが衰亡してゆく過程を概観する。17世紀初頭ヴァ-ジニアとマサチュセッツに白人が上陸した。広大な土地にわずかの原住民(インディアン)が住んでいたので白人は広い土地を彼らから借りたり買ったりして農業を営んでいた。続々欧州からやってくる白人の多数ゆえに、インディアンの土地は事実上白人の所有(略奪と言っていい)になってしまった。インディアンも必死に戦う。七年戦争ではフランスと同盟してイギリス系の白人と戦い。独立戦争ではイギリスの側に立ってアメリカと戦う。フランス人の目的は農業経営ではなかったのでインディアンの生活とあまり抵触せず、またイギリス本国はアメリカ人のインディアン領地侵略に抑制的であった。イギリスにとってアメリカは流刑植民地でしかなかったので、イギリス本国はアメリカの開拓にあまり大きな関心を示していなかった。要はアメリカに渡った現地の白人が侵略的だったのだ。
アメリカ白人とインディアンの最大の闘争は米英戦争(19世紀初頭)でイギリスと同盟したインディアンの英雄ショ-ニ-族のテカムセによるインディアン部族の大連合だ。この時アメリカ側は最大の敗北を蒙っている。しかし肝心の米英戦争でイギリスが戦争をやめたので、テカムセの大連合は敗北し復讐的な懲罰を受ける。この時でもってインディアンの組織的抵抗は終わる。
第二の事件はアメリカ南東部に住むテェロキ-族の西部への追放だ。アメリカは自分たちの占有権を主張する論拠として、インディアンの未開性(農業に従事せず成文法を持たないなどの事)を理由にしていた。テェロキ-族はアメリカ人に刺激を受けて農業を営み、成文法も持ち、選挙も行い、自治制をほぼ完成させていた。高度な文化的な生活を送っていたのだ。アメリカ政府は前言を顧みることなくテェロキ-族を西部の荒野に追放する。このあてがわれた土地を居留地と言う。移動でテェロキ-族はその人口の1/3を失う。
南北戦争が終わった1860年代後半からアメリカは鉄道の時代を迎える。大陸横断鉄道が建設される。白人は西部に進出する。西部の草原は耕され、バッファロ-を狩って暮らしていた草原インディアンは壊滅する。「駅馬車」の舞台はこの過程が終了する時代だ。アパッチ族はアメリカ西南部に住み最後にアメリカ人に抵抗した部族だ。族長ジェロニモの名前は有名だ。スト-リ-では凶悪なアパッチが善良なアメリカ人旅行者を襲撃することになっているが史実としては逆になる。アパッチ族のジェロニモはインディアンの抵抗史の末尾を飾る英雄なのだ。
ここでわが日本のことに戻る。前大戦で日本陸軍は移動を徒歩に頼り、白兵突撃のみに終始する未開な(?)な軍隊だというようなことが言われてきた。豊田喜一郎の伝記を読んでいて気付いたのだが、日本の自動車産業を一番強く後押したのは陸軍だった。ここでもインディアンンと日本人は等置されていることになる。刷り込まれ方だな。小銃と突撃だけで4年間も戦えるものか。刷り込まれないように注意しよう。刷り込まれによる先入見はまだまだ多いのだ。
(付1)映画と言えば「戦場にかける橋」を思い出す。この映画は当時の日本軍には山地で鉄橋をかける技術がなく、やむなく捕虜の英軍が知恵を出すことになっている。なめた話だ。日本山岳列島にくまなく鉄道網を張り巡らし満州では高速列車を運行した日本に鉄橋の一つや二つがかけられないはずはない。
(付2)再び映画の話。「風と共に去りぬ」を見た。スト-リ-でしかないが一つだけ史実であり身につまされることがあった。それは北軍による南部の徹底的破壊作戦だ。米軍による空襲を思い出す。南北戦争と日米戦争は結構よく似ている。
(付3)本文でインディアンのことを述べ日本に対するアメリカの対応に言及した。このことは心情的には偶然ではない。太平洋戦争開戦時当時の首脳が真剣に考慮したことは、日本人がインディアンのように地上から抹殺されかねない可能性だった。
我々日本人は戦後GHQとコミンテルンによってしょうもないことを刷り込まれてきた。いわく日本が侵略戦争を引き起こしたとか、南京でシナ人30万人を虐殺したとか、はては朝鮮人女性を強制連行して日本軍兵士相手の売春を強要したとか云々のお話だ。ここで別の角度からの刷り込まれ方を提示してみよう。アメリカインディアンの歴史だ。
私は西部劇が好きで古典作品をよく見ている。名作中の名作と言われる、ジョン・フォ-ド監督の「駅馬車」を取り上げてみよう。スト-リ-では1885年にアリゾナ州トントからニュ-メキシコ州ロ-ズバ-クに乗り合わせた8人が繰り広げるお話だ。乗客には当時の社会の落ちこぼれが多く、人生の哀歓を感じさせる、いつ見てもいい名作だ。しかし史実としてはおかしなところが多い。お話のピ-クはアパッチ族による駅馬車の襲撃だ。そういう襲撃は事実としてあったのだろうが、そのことに関しては後に触れる。スト-リ-展開の最大の問題点はアパッチ族の襲撃の方法だ。逃げる駅馬車にアパッチは馬上銃撃で追いかけるのだが、全然当たらない。インディアン16名が応酬する白人側に殺害され、白人の死傷者はわずか1名だ。そもそも襲撃の方法がおかしい。本当に壊滅させる気があるのなら、馬車に火をかけるか(火矢)馬を倒せば済むことだ。それを映画では馬車を外から銃撃することになっている。戦法としては荒唐無稽だ。お話としては面白いが史実としてはこんなことは決してないだろう。インディアンを馬鹿にし、そして凶悪なイメ-ジで描いている。もう一つ気づいたことだが映画では、白人に対してはショットガン(散弾銃)使用は禁止だが(殺傷力が強いので)インディアンに対しては使用してもいいことになっている。人種差別もいいところだ。
映画のスト-リ-解説はそのくらいにしておこう。アメリカの歴史はある意味ではインディアンの討伐、弾圧、強制移住の歴史だ。ここで極めて簡単にインディアンが衰亡してゆく過程を概観する。17世紀初頭ヴァ-ジニアとマサチュセッツに白人が上陸した。広大な土地にわずかの原住民(インディアン)が住んでいたので白人は広い土地を彼らから借りたり買ったりして農業を営んでいた。続々欧州からやってくる白人の多数ゆえに、インディアンの土地は事実上白人の所有(略奪と言っていい)になってしまった。インディアンも必死に戦う。七年戦争ではフランスと同盟してイギリス系の白人と戦い。独立戦争ではイギリスの側に立ってアメリカと戦う。フランス人の目的は農業経営ではなかったのでインディアンの生活とあまり抵触せず、またイギリス本国はアメリカ人のインディアン領地侵略に抑制的であった。イギリスにとってアメリカは流刑植民地でしかなかったので、イギリス本国はアメリカの開拓にあまり大きな関心を示していなかった。要はアメリカに渡った現地の白人が侵略的だったのだ。
アメリカ白人とインディアンの最大の闘争は米英戦争(19世紀初頭)でイギリスと同盟したインディアンの英雄ショ-ニ-族のテカムセによるインディアン部族の大連合だ。この時アメリカ側は最大の敗北を蒙っている。しかし肝心の米英戦争でイギリスが戦争をやめたので、テカムセの大連合は敗北し復讐的な懲罰を受ける。この時でもってインディアンの組織的抵抗は終わる。
第二の事件はアメリカ南東部に住むテェロキ-族の西部への追放だ。アメリカは自分たちの占有権を主張する論拠として、インディアンの未開性(農業に従事せず成文法を持たないなどの事)を理由にしていた。テェロキ-族はアメリカ人に刺激を受けて農業を営み、成文法も持ち、選挙も行い、自治制をほぼ完成させていた。高度な文化的な生活を送っていたのだ。アメリカ政府は前言を顧みることなくテェロキ-族を西部の荒野に追放する。このあてがわれた土地を居留地と言う。移動でテェロキ-族はその人口の1/3を失う。
南北戦争が終わった1860年代後半からアメリカは鉄道の時代を迎える。大陸横断鉄道が建設される。白人は西部に進出する。西部の草原は耕され、バッファロ-を狩って暮らしていた草原インディアンは壊滅する。「駅馬車」の舞台はこの過程が終了する時代だ。アパッチ族はアメリカ西南部に住み最後にアメリカ人に抵抗した部族だ。族長ジェロニモの名前は有名だ。スト-リ-では凶悪なアパッチが善良なアメリカ人旅行者を襲撃することになっているが史実としては逆になる。アパッチ族のジェロニモはインディアンの抵抗史の末尾を飾る英雄なのだ。
ここでわが日本のことに戻る。前大戦で日本陸軍は移動を徒歩に頼り、白兵突撃のみに終始する未開な(?)な軍隊だというようなことが言われてきた。豊田喜一郎の伝記を読んでいて気付いたのだが、日本の自動車産業を一番強く後押したのは陸軍だった。ここでもインディアンンと日本人は等置されていることになる。刷り込まれ方だな。小銃と突撃だけで4年間も戦えるものか。刷り込まれないように注意しよう。刷り込まれによる先入見はまだまだ多いのだ。
(付1)映画と言えば「戦場にかける橋」を思い出す。この映画は当時の日本軍には山地で鉄橋をかける技術がなく、やむなく捕虜の英軍が知恵を出すことになっている。なめた話だ。日本山岳列島にくまなく鉄道網を張り巡らし満州では高速列車を運行した日本に鉄橋の一つや二つがかけられないはずはない。
(付2)再び映画の話。「風と共に去りぬ」を見た。スト-リ-でしかないが一つだけ史実であり身につまされることがあった。それは北軍による南部の徹底的破壊作戦だ。米軍による空襲を思い出す。南北戦争と日米戦争は結構よく似ている。
(付3)本文でインディアンのことを述べ日本に対するアメリカの対応に言及した。このことは心情的には偶然ではない。太平洋戦争開戦時当時の首脳が真剣に考慮したことは、日本人がインディアンのように地上から抹殺されかねない可能性だった。