経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

刷り込まれ方

2015-12-28 18:59:23 | Weblog
             刷り込まれ方
 我々日本人は戦後GHQとコミンテルンによってしょうもないことを刷り込まれてきた。いわく日本が侵略戦争を引き起こしたとか、南京でシナ人30万人を虐殺したとか、はては朝鮮人女性を強制連行して日本軍兵士相手の売春を強要したとか云々のお話だ。ここで別の角度からの刷り込まれ方を提示してみよう。アメリカインディアンの歴史だ。
 私は西部劇が好きで古典作品をよく見ている。名作中の名作と言われる、ジョン・フォ-ド監督の「駅馬車」を取り上げてみよう。スト-リ-では1885年にアリゾナ州トントからニュ-メキシコ州ロ-ズバ-クに乗り合わせた8人が繰り広げるお話だ。乗客には当時の社会の落ちこぼれが多く、人生の哀歓を感じさせる、いつ見てもいい名作だ。しかし史実としてはおかしなところが多い。お話のピ-クはアパッチ族による駅馬車の襲撃だ。そういう襲撃は事実としてあったのだろうが、そのことに関しては後に触れる。スト-リ-展開の最大の問題点はアパッチ族の襲撃の方法だ。逃げる駅馬車にアパッチは馬上銃撃で追いかけるのだが、全然当たらない。インディアン16名が応酬する白人側に殺害され、白人の死傷者はわずか1名だ。そもそも襲撃の方法がおかしい。本当に壊滅させる気があるのなら、馬車に火をかけるか(火矢)馬を倒せば済むことだ。それを映画では馬車を外から銃撃することになっている。戦法としては荒唐無稽だ。お話としては面白いが史実としてはこんなことは決してないだろう。インディアンを馬鹿にし、そして凶悪なイメ-ジで描いている。もう一つ気づいたことだが映画では、白人に対してはショットガン(散弾銃)使用は禁止だが(殺傷力が強いので)インディアンに対しては使用してもいいことになっている。人種差別もいいところだ。
 映画のスト-リ-解説はそのくらいにしておこう。アメリカの歴史はある意味ではインディアンの討伐、弾圧、強制移住の歴史だ。ここで極めて簡単にインディアンが衰亡してゆく過程を概観する。17世紀初頭ヴァ-ジニアとマサチュセッツに白人が上陸した。広大な土地にわずかの原住民(インディアン)が住んでいたので白人は広い土地を彼らから借りたり買ったりして農業を営んでいた。続々欧州からやってくる白人の多数ゆえに、インディアンの土地は事実上白人の所有(略奪と言っていい)になってしまった。インディアンも必死に戦う。七年戦争ではフランスと同盟してイギリス系の白人と戦い。独立戦争ではイギリスの側に立ってアメリカと戦う。フランス人の目的は農業経営ではなかったのでインディアンの生活とあまり抵触せず、またイギリス本国はアメリカ人のインディアン領地侵略に抑制的であった。イギリスにとってアメリカは流刑植民地でしかなかったので、イギリス本国はアメリカの開拓にあまり大きな関心を示していなかった。要はアメリカに渡った現地の白人が侵略的だったのだ。
 アメリカ白人とインディアンの最大の闘争は米英戦争(19世紀初頭)でイギリスと同盟したインディアンの英雄ショ-ニ-族のテカムセによるインディアン部族の大連合だ。この時アメリカ側は最大の敗北を蒙っている。しかし肝心の米英戦争でイギリスが戦争をやめたので、テカムセの大連合は敗北し復讐的な懲罰を受ける。この時でもってインディアンの組織的抵抗は終わる。
 第二の事件はアメリカ南東部に住むテェロキ-族の西部への追放だ。アメリカは自分たちの占有権を主張する論拠として、インディアンの未開性(農業に従事せず成文法を持たないなどの事)を理由にしていた。テェロキ-族はアメリカ人に刺激を受けて農業を営み、成文法も持ち、選挙も行い、自治制をほぼ完成させていた。高度な文化的な生活を送っていたのだ。アメリカ政府は前言を顧みることなくテェロキ-族を西部の荒野に追放する。このあてがわれた土地を居留地と言う。移動でテェロキ-族はその人口の1/3を失う。
 南北戦争が終わった1860年代後半からアメリカは鉄道の時代を迎える。大陸横断鉄道が建設される。白人は西部に進出する。西部の草原は耕され、バッファロ-を狩って暮らしていた草原インディアンは壊滅する。「駅馬車」の舞台はこの過程が終了する時代だ。アパッチ族はアメリカ西南部に住み最後にアメリカ人に抵抗した部族だ。族長ジェロニモの名前は有名だ。スト-リ-では凶悪なアパッチが善良なアメリカ人旅行者を襲撃することになっているが史実としては逆になる。アパッチ族のジェロニモはインディアンの抵抗史の末尾を飾る英雄なのだ。
 ここでわが日本のことに戻る。前大戦で日本陸軍は移動を徒歩に頼り、白兵突撃のみに終始する未開な(?)な軍隊だというようなことが言われてきた。豊田喜一郎の伝記を読んでいて気付いたのだが、日本の自動車産業を一番強く後押したのは陸軍だった。ここでもインディアンンと日本人は等置されていることになる。刷り込まれ方だな。小銃と突撃だけで4年間も戦えるものか。刷り込まれないように注意しよう。刷り込まれによる先入見はまだまだ多いのだ。
(付1)映画と言えば「戦場にかける橋」を思い出す。この映画は当時の日本軍には山地で鉄橋をかける技術がなく、やむなく捕虜の英軍が知恵を出すことになっている。なめた話だ。日本山岳列島にくまなく鉄道網を張り巡らし満州では高速列車を運行した日本に鉄橋の一つや二つがかけられないはずはない。
(付2)再び映画の話。「風と共に去りぬ」を見た。スト-リ-でしかないが一つだけ史実であり身につまされることがあった。それは北軍による南部の徹底的破壊作戦だ。米軍による空襲を思い出す。南北戦争と日米戦争は結構よく似ている。
(付3)本文でインディアンのことを述べ日本に対するアメリカの対応に言及した。このことは心情的には偶然ではない。太平洋戦争開戦時当時の首脳が真剣に考慮したことは、日本人がインディアンのように地上から抹殺されかねない可能性だった。

憲法違反ってなに?

2015-12-20 02:11:59 | Weblog
  憲法違反ってなに?
 最近二つの裁判を耳にした。国政選挙における一票の格差云々であり夫婦同姓の可否を争う裁判である。ともに争点の論拠は憲法違反とされる。詳しく見てみよう。一票の格差とは選挙区により選出議員一名あたりの有権者数の最低と最高の比率が2倍強になるということである。島根県や山形県の議員は比較的少数の得票で選ばれ、東京都や神奈川県では当選するのにより多くの得票が必要と言う事だ。だからこの格差は憲法違反だといい、最高裁にまで持ち込まれた。もう一つは夫婦同姓が憲法違反だという訴訟だ。
 まず実際的見地から言えば私は一票の格差が二倍であってもいいし、夫婦同姓は当然のことだと思う。それはともかくとしてどうしてこの二つの案件が憲法違反なのだ?私には解らない。そこで分厚い六法全書を引き出してきて憲法の条文をざっと読んでみた。どこにも一票の格差の存在や夫婦同姓が憲法違反異なるなどとは書いていない。思想信条の自由とか集会結社の自由とかさらには黙秘権のようなものは明確に書かれているが、憲法の条文で一票の格差と夫婦同姓に具体的に触れた部分は一切ない。ではこの二つの案件は憲法のどの部分を根拠にして違反と言うのだろうか。その部分はある。憲法の初めの部分にある「基本的人権」が根拠だ。ところで基本的人権とは何か。極めて曖昧である。基本的人権の具体的な内容は以下の記述に詳細に述べられているのだから、争点はそれらを根拠に争えばいい。しかし一票の格差と夫婦同姓に関する争論はそれらの具体的条項によらず、総論である「基本的人権」の条項を根拠とする。では基本的人権とは何だろうか。簡潔に言えば個人の尊厳ということになる。ところで一票の格差が2倍になれば個人の尊厳が犯されるのか?あるいわ夫婦同姓だと個人の尊厳が侵害されるのか。選挙ですべての人が完全に同一な議員一人当たりの有権者数を有することが、あるいは夫婦が勝手に好きな姓名を名乗ることが、個人の尊厳を満たす条件なのか。私は疑問に思う。
 そもそも基本的人権とか個人の尊厳なる記述が曖昧すぎるのだ。このような条項を根拠にするとどんな論旨でもまかり通ることになる。極端に言えばどんな重罪犯にも基本的人権はある。厳密に言えば彼らを処刑する事はおろか、逮捕拘禁することも基本的人権の侵害に相当する。また貧乏な生活を強いられる人も、自分の生活状況は基本的人権に違反すると政府や地方公共団体を相手に告訴することもできる。自分に不利なことがあれば基本的人権云々で主張し告訴すればいいのだから。前者の場合は犯罪の危険を考慮せず、後者の場合は財政問題を一切考慮しない場合に出現する論旨だ。結果として国家の治安と経済は破綻する。基本的人権はこのように使いようによっては危険な結果を招来する。
 ここで基本的人権なる概念の歴史的由来を問うてみよう。思想はJ・ロックとJJ・ルソ-に簡約される。ロックは名誉革命のイデオロ-グとして王権により侵害されない絶対不可侵な人民の権利として私的所有権を設定しその上に人権思想を展開した。ロックを引き継いだ(つもりの)ルソ-はロックの思想から私的所有権を取り払ってしまう。そうなると人権は極めて抽象的なものになり、人民のあらゆる自由を満たすためには逆説的結果になるが極めて強力な独裁政権を設定しなくてはならなくなる。その現実の例証がジャコバン独裁政治だ。この延長上にソ連やシナの共産党独裁政治がある。ロックのように私的所有権を根底に据えれば統治は具体的で安定したものになる。統治とは具体的利害の交換であり妥協だからだ。ルソ-は人間の理性を信頼しすぎた。あらゆる統治から解放された人民の協約による新たな統治システムは完璧なものだと錯覚した。日本国憲法における「基本的人権」はこのルソ-の系譜を多分に引きずっている。あるいわこの概念を左翼的信条で歪曲している。
(付1)10年前くらいになるが大阪市内に住むある住人が、親の介護が現行システムでは不十分であり、このことは健康で文化的な生活を営む基本的人権に違反するとして大阪市を告訴すると主張した。大阪市はこの恐喝に簡単に屈して現行条例を無視して週五日の介護を認めた。こういう例もある。大阪市の職員がぐるだったのかもしれない。
(付2)一票の格差の問題は18世紀イギリスの腐敗選挙区が例証となり、主張されているのかもしれない。当時は産業革命で市民が台頭する一方選挙区は地主有利に編成されていた。10万人が住むマンチェスタ-には一人も議員が立てられない一方、数人の有権者の選挙区もあった。
(付3)私はあくまでも2倍強の格差は合法であり適当過ぎると思う。過疎化する地方から発言力を奪取することは地方創生と完全に矛盾する企てだ。私は逆に一種の傾斜配分を提唱したい。有権者の少ないほど比較的に議員常数を増やすのだ。例えば300万人の地域が10名の議員を出し30万人規模の地域が議員1名出すとする。両地域の議員1名あたりの有権者数は同じ、形式的には平等だ。私はこの場合300万人の地域から2名の議員定数を30万規模の地域に移行させるべきだと思う。300万人の規模の地域はざっと40万人に1名の議員を出し、30万人規模の地域では10万人に1名の議員をだすことになる。一票の格差は4倍、これくらいが適当だと思う。大都市住民は大都市の持つ能力を享受している。不満があろうはずはない。一体誰があるいわどの勢力が格差格差と騒いでいるのだろうか。
(付4)夫婦別姓について。もしこうなれば家族の紐帯は弛緩するあるいわ崩壊する。夫婦別姓を主張する勢力は家族の意味を知らなさすぎるあるいは無視する。家族は初期教育(しつけも含む)の媒体であり、一体感安心感の基盤だ。家族がなくなれば社会は全くばらばらの個人の集積になる。砂の城郭に等しい。統治の基礎単位である家族が崩壊すれば国家は消滅する。経済、治安、外交、軍事などの営為は遂行不可能になる。これでいいのだろうか。さらに女性は何かと男女平等を云々するが、女性は家庭にあって子供を引き付けることによってのみ女性たりえる。そしてこのような立場での力や決定権はむしろ女性の方に大きい。実質的に大きい。仮に家族から女性が解放(?)されて社会に出された(放り出された)時女性にはどんな運命が待ち受けているだろうか。こういう事態になれば男性の態度は一変する。親愛感に基づく保護する義務から解放された男性からみた女性は単なるメスでしかない。結果は性犯罪と売春の横行だ。いやこのような社会では売春・性犯罪という概念すら消滅するだろう。
 世界中女性が夜間外出できる国は日本だけらしい。この治安の良さは家族的紐帯の堅固さによるところが大きい。基本的人権の本場を自負する英米仏の諸国でこんなことがありえるのか?
(付5)世界の国々では夫婦同姓は例外だという。それならそれで結構、外国に習う必要はない。30年前新聞に出ていた記事がある。ある韓国人女性の投稿だった。彼女は言う。日本人の一部は、韓国では夫婦別姓で進歩的だと言うが、実態は韓国では氏族的な関係が強すぎて外から来た配偶者は家の中に取り込まれない異邦人だと。もう一つ知り合いの台湾人から聴いた話。台湾あるいわより広く漢民族の風習として、ある家で妻が死んだ場合妻の親族(実家)は死体に外傷の跡がないか否かを調べるという。虐待の可能性を心配しているのだ。欧米では夫婦別姓は当たり前らしい。夫婦別姓どころか事実婚や同性婚を云々する国の意見など参考にする必要は一切ない。彼らの国家はまちがいなく衰退するだろう。

イスラム情勢についての考察

2015-12-12 18:53:00 | Weblog
イスラム情勢についての考察
 現今中東の情勢は混沌としている。アルカイ-ダに加えてイスラム国という極めて暴力的な組織が跳梁している。イラクとシリアの国家組織は壊滅状態であり、政府軍、反政府軍、クルド民族戦線、イスラム国が分立し鼎立し対峙し破壊的な戦闘を繰り広げている。加えて近隣の諸国の干渉がある。ロシア、トルコ、イランは国境を接し、英仏は歴史的な利害関係を持ち、米国は世界の警察として関与せざるをえず、エジプト、リビア、チュニジアも非常時体制にある。総じてイスラム圏はほとんどすべての領域にわたり戦乱状態にあるといえる。さらにこの混乱は他国に輸出される。パリや合衆国でのテロ、トルコによるロシア機撃墜、大量の難民などなどだ。どう対処すべきか?明確な答えはないが若干の考察を試みてみよう。
 中東あるいわイスラム圏は世界史の矛盾の集約点だ。歴史は少なくとも1400年前に遡る。ムハンマッドがイスラム教を創始したのが7世紀初頭、以後イスラム勢力の拡大が始まる。この時期地中海はイスラム教徒の勢力圏であり。イタリアやフランスはイスラム海賊の侵襲を再々受けた。いまでもフランスではイスラム教徒来襲を恐れているとか云々の信じられないような話がある。11世紀末から200年にわたり西欧キリスト教徒の反撃が始まる。十字軍だ。かなりの長期にわたりシリアやパレスチナ一帯にはキリスト教徒の王国公国が存在し、イスラムキリスト両教徒は激しく戦っている。16世紀あたりからオスマントルコが欧州を脅かす。ウィ-ンは陥落寸前になり南東欧州の大部分はトルコの勢力圏になった。19世紀になり産業革命で力をつけた欧州、特に英仏の帝国主義的侵略が開始される。かくして中東地域は英仏の植民地ないし準植民地になった。さらにロシアの南下が加わる。ロシアトルコ両国は300年の長きにわたり黒海の制海権をかけて争闘する。中東の地図を見ればわかるが国境の大部分は直線になっている。これは英仏が自分たちの利害を優先し地域の状況を全く考慮せず線引きした結果だ。だから中東地域は基本的に怨念に満ちた不安定状態にある。現在の混乱は10数年前アメリカのブッシュ大統領がイラクを攻撃しサダム・フセイン大統領を逮捕して殺害したことに端を発するが(しなくてもいいことをしたものだ)そうでなくても中東では現在のような混乱は避けられなかったであろう
 もちろん混乱の根底には貧しさがある。一部の産油国をのぞいて中近東地域は貧しい。もともと乾燥地域で砂漠が多く農業の生産性は低い。植民地化され加えて戦争ばかりしているのだから貧しいのは当たり前だ。豊かになるための内部投資をしないのだから貧困はやむを得ない。貧困と混乱は相乗的に作用しあう。
 一か月前だったかパリで無差別同時テロが起こった。イスラム国は戦争だと宣言した。フランスのホランド大統領も同様の宣言をした。しばらくしてアメリカ合衆国でイスラム国に感化された若者による無差別テロが起こった。欧米に住むイスラム教徒の一部は自己の生活の疎外感に駆られイスラム国の宣言に共感し過激化しつつある。私も思う。これは既に戦争だと。
 ではどう対処するのか。かってなかった極めて特殊な戦争状態にどう対処するのか。それなりに考えてみよう。まず考えられる方策は武力攻撃だが、これは必要条件だが決め手にはならない。戦闘員と民間人の区別がつかない状況では民間人の大量殺戮とインフラ破壊が進むだけだ。怨念に満ちた混乱が増大しイスラム国支持者を増やすだけだ。あるいは別種の過激組織が出現する。断っておくが私は武力行使の必要性は認めている。ただその上に何を付け加えるかが問題だ。
移民の受け入れにも問題がある。移民の質、特に過激派の混入を考慮外としても、移民を無制限に受け入れることは不可能だ。シリアやイラクはすでに国家が崩壊しているのだ。何千万人の移民を受け入れる余地はない。受け入れ側が自己の生活水準を犠牲にして生活費の一部を難民に与えようというのなら別だが、こんなことは人間の本性を考えればありえない、不可能だ。受け入れ国が混乱し内戦となりイスラム地域と同様になるだけだ。
 援助、これにも限界がある。移民受け入れと同様で自分たちの生活水準を犠牲にしてまで他国に援助するような国は存在しない。申し訳程度のわずかな資金が動くだけだ。人道的支援とはリップサ-ヴィス+αの別称だ。
 考えられる方策は当該地域の自力救済だ。関係国は問題の地域を包囲し遠巻きにして、この環状線の内部で好きなようにやらせる、殺し合いをしたければさせる。餓死者がでても放置する。下手な手出しはしない。石油は買ってやる。武器の提供はしない。混乱の自然進行に任せる。殺し合いをして悲惨さを体現し、インフラ破壊で生活水準が下がり、人口が減少すれば疲れ果てて混乱の愚かさを悟り、混乱は停止するだろう。すべての歴史はそうなってきた。前世紀の二つの大戦、古くは400年前の30年戦争、1500年前の五胡十六国の争乱すべてそうだ。関係者の思惑をこえて事態は進む。もうこれ以上戦えないというまで戦争は進む。私は事態の処置は当事者に任すべきでありまた当事者の責任でもあると思っている。イラクにしろシリアにしろそこの国民がなんとかしないと事態は収まらない。関係国は当事者の地域を包囲遠巻きにして事態の進行に任せる。そこから生じる自律性に期待する。自律的状況つまり新しい国家らしきものが生じたらその誕生を援助する。あくまで当事者の自律性に期待するしかない。新しい自律機関の質内容にあまり文句は言わない。民主主義云々などの注文は付けない。民主主義などはごく一部の富裕国の特権でしかない。世界の他の地域はなんらかの形で強権的政府が支配している。
 この状況の中からどんな国家が出現するだろうか。多くの場合かなりな程度の強権国家、つまり独裁性の強い国家になるだろう。混乱の防止には強権は必要であり必至だ。無政府状態よりは独裁制の方がはるかにましだ。関係諸国はこのような自律的国家機関の出現を援助すべきだ。繰り返すが民主主義などという無駄な偽善的な不可能な理想を押し付けない。出てくる国家形態を受け入れ肯定する。騒乱の放置と自壊の容認に徹し、出現するかもしれない自律的機関に任す。これが現在の国際情勢への対処の最善の方策だ。
 異質ともいえる問題が一つある。イスラエルの存在だ。イスラエルが中東情勢の原因のすべてだとは言わないが、その重要部分であることは確かだ。イスラエルは欧州とロシアにおけるユダヤ人迫害の防止というより輸出による回避の手段として委任統治領であったパレスチナに作った国だ。以後イスラエルとイスラム圏は不倶戴天の敵になる。イスラエルにとってイスラム圏は巨大な悪意の集合であり、イスラム圏にとってイスラエルは欧米の手先あるいは癌となる。両者の間に協調はありえない。かなりな妄想に近いが、ありうる解決策はイスラエルの領地替えだろう。イスラエルが現在所有しているすべての資産を保証の上でイスラエルという国を地球上のどこかに規模を小さくして移転させる。もちろん一国としての主権を伴って。規模が小さくなった分はみ出た人口は日本を含めた先進国で分担し受容する。移転先はあまり人口が多くない僻遠の地例えば米国の南西部、カナダ、豪州などが適当だろう。これらの地を割いてともかく小さくてもいいから主権国家を先進国が保証する。もちろんエルサレム参拝は保証する。あるいはエルサレムという土地を共有管理にする。欧米はイスラエルの存在によりさんざん甘い汁を吸ってきたのだからこのくらいの貢献は義務だろう。イスラエルを何とかすることは中東情勢にとって必須の作業だ。私は何もイスラエルの存在を否定しているのではない。中東情勢解決のための可能な方策はこれしかないと思うからそう述べたまでだ。
 イスラエルとイスラム圏の問題は彼らが保持する宗教と密接に関係する。欧米はキリスト教、イスラム圏はイスラム教、イスラエルはユダヤ教だ。この三つの宗教は啓典を同じくするという点でいわば兄弟の関係にある。しかしともかく相互に仲が悪い。殺しあいばかりしている。私のような仏教徒から見れば、啓典の民が抱く三つの宗教はいわば異宗派になる。日本仏教において真言と法華は啓典の宗教つまりユダヤ・イスラム・キリスト教の差異以上に違うが、我々は宗派が違うからと言って差別もしないし殺し合いもしない。啓典の宗教では異宗派はすぐ異端となる。啓典の宗教の特徴は一神教だ。神様が絶対唯一だから、ちょっとした違いが重大な争点となって敵対する。周知のごとくキリスト教はユダヤ教から分派した。とたんにキリスト教にとってユダヤ教は異端となり迫害の対象となった。ユダヤ教も大きな顔をできない。旧約聖書の記述によれば古代王国建設途上でユダヤ民族は20以上の部族民族を抹殺している。イスラム教には聖戦(ジハ-ド)という概念がある。彼ら啓典の民からすれば私のような仏教徒は殺害されてもいい存在なのだ。少なくとも原則的にはそうなる。中東情勢混迷の背後には欧州イスラエルイスラム圏の民衆が抱く宗教的情操の質の問題もある。どうせ殺害しあう関係だったのだから殺害しあってもいいのではないのか。
 現在のイスラム情勢はイスラム圏というより欧州自身の危機でもある。私が提唱する包囲遠巻き作戦に失敗すれば累はすぐ欧州に及ぶ。大量の難民と頻発するテロで欧州は争乱内乱の巷となる。自業自得と言えばそれまでだが。西欧文明あるいわ一神教文明の自壊崩壊におよぶだろう。欧州は没落する。
 では日本はいかに対処するのか。基本はあまり関わらず、情勢を傍観していることだ。リップサ-ヴィスだけはしておき必要な金は付き合い程度にだす。幸いなことに日本にはイスラム教徒が少ない。関わり合いにならないことが第一だ。しかし日本でもテロは起こり得る。そういう場合どうする。啓典お民の慣習を借りよう。眼には眼を歯には歯を、だ。事件が起これば素早く対処し捜査し追跡し逮捕殺害して処罰しよう。ただテロの内容が内容だけに、民間人の犠牲は避けられないだろう。そういう時犯人と話し合えば解るという無知な愚論だけは避けよう。犠牲は覚悟しよう。新たな戦争が始まったと覚悟しよう。

衆参同時選支持

2015-12-05 14:35:12 | Weblog
衆参同時選支持
 報道によると来年7月参院選とあわせて衆院選が同時に行われるということだ。まだ予測に過ぎないが私はこの衆参同時選には賛成である。理由の第一は今年9月に成立した集団安保法制の支持を確認し併せて憲法改正への体制を確立することである。11月に行われた大阪府市のダブル選で大阪維新の会が圧勝したことは憲法改正への弾みになろう。チャンスである。世界は大きく変わってきている。パリのテロ、ロシアとトルコの緊張関係などに加えアメリカでもテロらしきものが起こっている。フランス革命の故地であるパリでさえも戒厳令ばりの体制がとられている。共謀罪の可否はともかくとして日本だけが平和を安易に享受するような事態は今後許されなくなるだろう。国家体制を固めるためにも憲法改正(戦争をする権利の確保)は必須の作業となる。
 衆参同時選のもう一つの意義は消費税の可否を問う事である。本年二期いわたってGDPはマイナス成長に陥った。これは昨年四月に実施された消費増税のせいである。またデフレスパイラルに陥りかねない。日銀による金融緩和の効果には限界がある。最低でも再来年に予定されている10%への増税は避けるべく無期延期すべきである。理想は消費税を5%に下げ併せて食料品などは0%にすべきであろう。世界は同時不況に陥っている。こういう場合肝要なことは内需を増大させて民力を涵養することである。安倍総理は来年のしかるべき時期に、消費税を5%に戻すと宣言し選挙に打って出たらどうか。必ず圧勝する。ぜひそうして欲しい。でないと総理の看板政策であるアベノミクスは終焉を迎えるだろう。
 だいたい消費税増税に積極的に賛成しているのは財界と財務官僚だ。財界人は経営のプロではあるが財政の専門家ではない。また官僚はデ-タと資料には詳しいが経済学を知っている人はいない。少なくとも少ない。彼らの金科玉条は財政均衡だけだ。加えて噂によると財務官僚は不況になるほど予算編成権が強まり他の省庁、議員、財界への圧力が効くそうだ。下世話に考えれば天下り先が増えるということだ。こんな理由で消費増税を推し進めるならば財務官僚とは国賊と言わないまでも、国家に巣くうシロアリでしかない。
 最近一部の大企業で不正が頻発している。東芝の不正経理、旭化成の手抜き工事、つい最近では鉄橋の接合部の手抜きなどなどがある。このような事態は許されないことだが、それ以前に不況の影響も大きいのではないのか。手抜き工事をすればコストは下がる。企業としては生き残るために必死になった結果が手抜きではないのか。私が経営者だったとしたら倒産して多くの雇用を失い債務返済に忙殺されるよりは不正を選ぶ。人間とはそういうものだ。売れなければ内需が大きくならなければどうしよもない。消費増税では企業の倒産は増える。
再び主張する。総理は所費減税をかかげて衆参同時選に戦え。
(付1)あまり注意してこなかったが集団安保法制の審議に際し法政大学(?)の教授が安倍総理に向かって、あんたは人間じゃない・ぶっ殺してやる、とか言ったそうだ。驚愕を通り越してこの人馬鹿じゃないかと思う。集団安保の可否は人さまざまだろう。意見が異なるからと言って、その人間自体を否定することはできない。この教授の発言を聴いてしみじみ、これが左翼だなと思った。ソ連やシナではこういう事が日常茶番なのだろう。韓国では名誉棄損に懲役刑が求められる。これも同様だ。
(付2)12月4日のNHKクロ-ズアップ現在で大阪ブル-スとかの報道をしていた。よりによって新世界をとりあげそこで歌われているブル-スが大阪の魂であるかのようにいっていた。不快である。新世界とは大阪では札付きの土地だ。恋人や家族を連れては歩けないと言われる土地だ。そこから南に少し下がれば愛燐地区がある。なにもそんなところを取り上げなくても関西大阪にはもっと見場所はある。文楽などだ。この報道は私流にいえばむしろ大阪を貶める試みだ。