
我が家のお節

昨日はご近所4軒を招いて我が家で新年会を開いた。



話題の中心はやっぱりサルの襲来

正月に遠い実家帰りなど彼方此方に散らばっていた家々に人の気配が復活したことでサル軍団もしばし休戦というところかー
私の畑では被害は少なかったものの、今朝丁寧に見て回るとブロッコリーが壊滅し、カリフラワーも不織布でカバーしていたもの以外全滅


幸い白菜だけは被害がなかったのが不幸中の幸い。
さて2月には村長選と村会議員選挙。すでに年末から動き始めている。今も顔を知っている地元の方が軽トラでやって来たので「もしや・・・」と思ったら、やっぱり選挙だった。
人口1万ちょっとの小さな村でも選挙になるといろいろとややこしい事が生じるようだ。

政治は「この国をどういう方向に持っていこうとするのか?!!」、政治的な理想の実現のためにどういう政策を考えているのか?こういうことが問われるのだが、村では地縁血縁が優先する。
今度出る○○は縁戚関係にあるとか、誰某の紹介で伺いました○○をよろしくとかー政策論議はあまり関係がないらしい

今朝だけは昨晩の酒の勢いが残存している「力」を借りてこう言った。「選挙の時だけ頼みに来るのではなく、普段からいろんな所に脚を運んで、村政についての希望とか、住んでいる地域で問題はないのか?」こういう意見の聴取をやる実践が基盤としてない人間には票は投じられませんよ

この地域には別荘暮らしが多いけれど、移住してきた人間の増えている。地元の人口1.2万人の4割位は阿蘇の景観に引き寄せられるようにして都会を離れてきたものが「ヨソモノ」が多い。この移住者に対する地元住民の差別感情も無視できない。
地元役所の役人の中には移住者を「新住民」という言葉で表現したタワケがいる。

これからさらにいろんな人間がやってきて投票を依頼してくるだろう。こういう時だけ村民として利用しようとする根性はいただけない

これが日本的土壌であるし、国政を考える時これも延長上にあることがわかる。まだ日本は封建社会の意識のまま、自由民主の建前からは程遠い。