むかご歳時記

 むかご(零余子)自然薯芋の葉腋に出る芽
むかごのようにデジカメで撮った写真を粘り強くUPしてみよう

シルクロード7日目(西安観光楊貴妃、兵馬傭抗など)

2006-10-24 19:22:48 | シルクロード
 今日の予定は一日がかりで西安観光だが、生憎の雨模様だ。
朝は6:30のモーニングコールで7:20分の出発だ。
はじめに西安市の北西約60kmにある中国四大美女の一人「楊貴妃墓」とさらに西北の「乾稜」を観光し

その後、市の北東に有る「秦始皇帝兵馬傭博物館」の観光だ。

夕食は市の中心部にあり有名な”餃子専門店”の「徳発長」での餃子のフルコースである。





小雨の中ガイドの”コウ(苟)さん”の案内で朝の西安市内を通り過ぎてプラタナスやポプラ並木を過ぎ
城外の農村地帯へ入っていく、ここいらの農家は治水も進んでいるようでそれに大消費地の西安近郊だけ有って
経済的にも恵まれているのか、結構大きな家屋が並んでいる。
今は、秋の収穫時期で、何処の農家も庭先に山ほどリンゴや、トウモロコシを積み上げている。
道路は未舗装の箇所もあり、可也大きな揺れのガタガタ道を走って行った。
それでも車はスムースに進み一時間少々で最初の観光地「楊貴妃墓」に到着した。
平日の観光地としては時間が早いのか今日の一番客だ。
この墓は1978年に造られたそうで実際の楊貴妃は埋葬はされていないそうだ。



楊貴妃(719~756)唐の第6代玄宗皇帝の妃。
善政を行なった玄宗が晩年彼女との国を傾ける程の恋いに落ち、政務を省みなくなり、
”安禄山”等による内乱が勃発しやがて玄宗の政治も終焉を迎え唐の国力も次第に衰えていった。
この時代の美人の基準は頬がふっくらとしていたのが特徴らしい。
その外”華清池”や

日本にも楊貴妃の伝説はある。




楊貴妃の墓の観光を終えて再度リンゴ村や町中を約一時間走り2番目の観光地である
唐の第3代皇帝高宗(およそ1300年前)と、その后則天武后の陵墓を雨の中
見学した。
かさを持っていなかったが、観光地なのでレンタル傘屋のおばさんがいて2元で傘を借りた。
帰りにチャンとバスの横で回収してくれた。

参道には124体の石像が一部修理されて並んでいる。



参道の左右に番臣の石像が61体あるが、清の時代に、悪政に怒った住民が像の首を壊したそうだ。
この石像のすぐ横に最近発掘されたらしい”唐永秦公主墓”がある。
高宗(?)の7女で17才で亡くなった娘の墓だそうだ。
地下に長さ87mの斜抗を堀り、その奥に広い墓室を造り大きな棺に埋葬していたらしい。
深さは地下16mにも達している。

しかしここも盗掘がひどく金や玉類は盗まれている。




兵馬傭抗1号抗
兵馬傭抗はここで説明するまでも無く、多くのガイドブックに綺麗な
写真付きで解説してある。
1974年に農民が井戸を掘っている時に破片を発見したらしい。
その方は今もこの博物館で解説やサインをされているらしいが
生憎席をはずしておられた



3号抗
1号、2号、3号抗が公開されている
公開しながらまだ発掘作業も継続されている、
しかし発掘すると空気に触れて冑や鎧の塗りの色が変色したりするので、
確認が済んだらまた、埋め戻しもしているそうだ。

以前は内部は撮影禁止だったそうだが、今は写真もOKだ。
とにかく観光客が多い




博物館外の玄宗皇帝の像
とにかくデカイ



約一時間かけて市内に戻ってきた。
今日の夕食は西安で有名な餃子専門店「徳発長」での餃子ざんまいだ。
108種類の餃子から今夜は18種類の餃子コースだ
写真の奥の様にとにかく満席で順番待ちだ。



前菜、水餃子に続いて蒸し餃子、トマト、ニラ、マメ、えびなど次、次にに出て来る
写真はひよこを思わせる酉餃子とかじっているのはクルミ餃子だ



最後は火鍋とデザートのスイカ、ハミウリで皆さん満足だ。
私は途中から満腹気味でギブUPした・・・・・・
処がこの後に大変なことが待っていた(起こった!)



レストランの外は相変わらずの雨模様だ
ここは、鐘楼と鼓楼の間の大きな市民広場で下に二階建て(?)のデパートがあるらしい
社会主義国ならではの土地の利用アイデアだろうか?
「ノーマネー!!ノーマネー!!」と言って近ずいて来る少女を無視して
バスで昨夜からの連泊「グランドニューワールド」に戻った。