おやじのつぶやき

不動産会社を経営する今年53歳のおやじが日本国を憂い仕事・趣味・健康などをテーマに日々つぶやきます・・・・

永田町発 憲法の焦点 「天皇編・石破茂氏「『元首』を超えた存在」」

2012-04-05 | 憂国

石破茂氏は「象徴」という表現がふさわしいと・・・

20120403 産経新聞

「元首」にはどうしても違和感がある。「(昨年殺害されたリビアの)カダフィ大佐と同列か」と思ってしまう。「君臨すれども統治せず」の英女王でさえ、議会演説では「私の政府は…」という言い方をする。ましてや米国やロシアなどの大統領はむろんのこと、元首はどうしても「権力」と無縁ではない。

 天皇陛下は、例えば昨年の東日本大震災ではお住まいの電気も暖房も消され、被災民と同じ暮らしをしようとされた。「私」を滅却される、わが国で唯一のご存在なのだ。

 つまり、天皇とは、「権力」ではなく「権威」そのものなのではないか。故に尊い。そういう天皇を外国の元首と同じ扱いにしていいのだろうか。憲法に「元首」とわざわざ書かなければいけないのだろうか。

 元首でないなら、どう表記したらいいか。いろいろな議論があるが、やはり「象徴」という言葉以外に見当たらない。英語を直訳した現行憲法では珍しく日本人の感性にあった文言だ。権力を超えた権威たる天皇にふさわしい言葉は「象徴」なのではないか。

 今、天皇陛下のご公務のあり方が問題になり、女性宮家創設の話まで出ている。ご負担を減らそうといっても、それが陛下の大御心(おおみごころ)にどこまで沿ったものかも考えねばならない。

 緊急事態条項は憲法に創設しておくべきだ。国家自体の存続と憲法秩序が危ういときに、危機を脱するまで一時的に権力を集中させて事態を乗り切る体制は、あらかじめ想定しなければいけない。

 明治憲法では天皇に非常大権があった。2・26事件と昭和20年の終戦は昭和天皇のご聖断がなければ収まらなかった。権威の象徴でもあるが故に、「本当に国が滅ぶか滅ばないかというときにはご聖断なるものがあって然るべき」というのが、明治憲法起草者の知恵だったのだろう。

 今は主権者は国民だ。その国民から選ばれた代表たる国会議員が首相を選ぶ。仮にときの首相が非常に危うい人物だとしても、そこは「民主主義のリスク」としてやむを得ないだろう。

 現行憲法は独立主権国家としての体をなしていない。前文や9条も変えなければならない。自民党はそのためにできた政党だ。かつて後藤田正晴元官房長官は「憲法改正はワシが死んでからにしておくれ」とおっしゃたが、これ以上時間を費やすべきではない。


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