他国の主権を侵害し、平気で人さらいをするような国でワールドカップの予選が開催されることが問題なのだ。
北朝鮮人の行動は、誰でも予測できたであろう。
不愉快極まりない。
産経新聞20111117 主張
異様な光景だった。平壌の金日成競技場は、動員されたとみられる5万人の観衆で埋まり、試合前の日本国歌「君が代」はスタンドの怒声でかき消された。
サッカーの日本代表が15日、ワールドカップ(W杯)アジア3次予選で北朝鮮と戦い、0-1で敗れた。試合は、相手国の国歌を起立して静かに聞く、最低限のマナーも守られない中で行われた。日本のサッカー界は、異例ずくめだった試合の運営について、断固抗議をすべきだ。
日本のサポーターは、わずか150人に限られ、国旗、鳴り物の持ち込みや、日の丸をつけたユニホームのレプリカも禁じられた。座席で立ち上がることさえ注意されたという。
対して北朝鮮は、5万の大観衆が太鼓、メガホンで大音響の応援を続け、バックスタンドでは人文字まで繰り広げた。
9月、埼玉で行われた日本のホーム戦では、スタンドで何本もの北朝鮮国旗が振られた。不平等なこと、この上ない。
平壌での試合に、日本からは計51人の記者やカメラマンが取材を申請したが、北朝鮮側は通信社と専門誌の10人しか認めなかった。すべての新聞社の申請は拒否され、日本サッカー協会の制限緩和の求めも受け付けなかった。
日本新聞協会は国際サッカー連盟(FIFA)に対し、「サッカーは世界で圧倒的な人気を誇る競技であり、なかんずくW杯は最も関心を集める大会である。今回のように、取材活動の自由を制限したり、侵害したりすることは、あってはならない」とする申し入れを行った。
FIFAは1997年に「サッカーの行動規範」を示し、この中で、相手選手や観客を尊敬するよう謳(うた)っている。平壌での一戦は、これを大きく逸脱していた。
異様なムードの中で、足がすくんだようにみえた日本の代表選手に比し、強烈なプレッシャーの中で90分を走り抜いた北朝鮮選手の闘志は称賛に値した。
そうした本来受けられるべき選手の評価を、試合運営が台無しにしていることを、北朝鮮は知るべきだろう。
「サッカーの行動規範」には、「サッカーの信用を傷つけようとする人々を非難する」との一項もある。FIFAにも、制裁などの措置を求めたい。
産経新聞20111117 産経抄
1993年10月28日、サッカーのW杯米国大会に向けたアジア最終予選で、日本はイラクと対戦した。終了寸前のロスタイムに得点を許して2-2の同点となり、W杯初出場の夢はついえてしまう。試合の行われた都市名から「ドーハの悲劇」と呼ばれた。
▼実はイラク代表の悲劇の方がはるかに深刻だったことが、フセイン政権崩壊後に明らかになる。当時スポーツ界を牛耳っていた大統領の長男ウダイ氏は、やはりW杯出場を逃したチームを許さなかった。監督は解任、選手は投獄された。
▼同じく独裁国家である北朝鮮の代表チームにも、耳を疑う噂が絶えない。大事な試合の結果次第で、選手が炭鉱や収容所に送られるというのだ。もし事実なら、15日の平壌の敗戦も納得できる。すでに最終予選進出を決めている日本とは、必死さが違うというわけだ。
▼いずれにしても後味が悪い試合だった。日本代表は空港から長時間出られず、メディアの入国は制限され、観客のブーイングが、日本選手の歌う「君が代」をかき消した。北朝鮮の嫌がらせは目に余る。
▼当日は、横田めぐみさんが34年前、北朝鮮の工作員に拉致された日だった。本来なら選手たちには、救出活動の象徴であるブルーリボンを着けて戦ってほしいくらいだ。いやそもそも、国際ルールが通用しない国に、試合を行う資格はない。
▼北朝鮮には一方で、日朝戦を対話の糸口にしたい思惑もあるという。「やはり日本を応援してしまうな」。競技場にいた、よど号ハイジャック事件の実行犯、若林盛亮容疑者のしおらしいコメントにもうかがえる。しかし、聞きたいのは望郷の念ではない。妻の関与が明らかになっている、拉致事件の詳細だ。