自主憲法制定、教育勅語復活。
産経新聞20120730 主張
今日30日は明治天皇が崩御されてちょうど100年にあたる。当然のことながら「明治」という時代が終わってからも100年となる。明治天皇の業績とともに、明治時代の意味についても考える機会としたい。
明治天皇の即位は、慶応3(1867)年だった。その年に「王政復古の大号令」が出されている。つまり天皇は、維新に始まった明治の国造りの歴史そのものを生きられたといっていい。
その国造りの理念は一貫して、当時の欧米列強の植民地主義に屈せず、独立を守る強い国とすることであった。そのために「富国強兵」策をとり、「教育勅語」などによって国民に挙国一致や愛国心を求めたのである。
これが実を結んだのが、明治37(1904)年に始まった日露戦争の勝利だった。
満州(現中国東北部)に軍を居座らせ、隣の朝鮮半島をもうかがおうとするロシアに対し、危機感を募らせた日本は、これに強く異議を申し立てた。ロシアがこれに応じないため、ついに開戦に踏み切り、苦しい戦いを経て勝利に結びつけた。
英国と同盟を結び、米国に講和の仲介を依頼した外交的な成果でもあった。だが何よりも、不退転の決意で戦いに臨んだ政府や軍、それに国民の団結心によるところが大きかったのである。
その「明治」が終わって100年後の今、日本が置かれている状況はあまり変わらない。ロシアの代わりに中国が東シナ海や南シナ海に覇権を伸ばそうとし、沖縄の尖閣諸島近辺の領海をしばしば侵している。ロシアも先の大戦末期、違法に奪った北方領土を返す意思をまったく見せていない。
これに対する日本政府の対応はもどかしく見える。野田佳彦首相は領土・領海で外国による不法行為があった場合、自衛隊も活用する考えを示した。
だがその一方で、東京都による尖閣購入を批判した丹羽宇一郎駐中国大使の更迭もせずにいる。
中国やロシアに対しては、憲法改正で軍を持つことを明確にし、日米同盟関係をさらに深化させて抑止力を強めることも必要だ。
だが最も肝心なのは、政治家も一般国民も、「自らの国は自らが守るのだ」という強い決意を持つことだ。「強い明治」の歴史からそのことを学ぶべきである。
明治の御代―御製とお言葉から見えてくるもの | |
勝岡 寛次 | |
明成社 |