≪「民衆冷静は最良の国家PR」≫
マグニチュード(M)9・0という世界最大級の東日本大震災から早くも10日あまりたった。激烈な本震に続く巨大津波で街や村は一面の瓦礫(がれき)と化し、死者・行方不明者は2万人を超えた。さらに東京電力福島第一原発の重大事故による放射能漏れ拡大の危険、発電能力全体の低下から実施された計画停電に起因する日常生活の混乱-と前途はいまだ事態克服の曙光(しょこう)すら見えず、日本列島はやり場のない不安と焦燥の重苦しい空気に包まれている。
この未曾有の天災に遭遇した日本人の行動に世界から称賛が巻き起こっている。新聞報道の中で目にとまったものをいくつか紹介してみよう(掲載紙名は省略)。
中でも3年前に四川大地震に見舞われ、地震にはことのほか関心の強い中国からのものが目立つ。例えば、「新京報」は避難所の被災者が大声で言い争うことなく、秩序よく並び、弱者優先で助け合っていると紹介し、「日本人は災難に直面してもあんなに冷静なのか」と驚嘆している。「第一財経日報」も「民衆の冷静さは、国家として最良のPR」と評した。
≪「GDPでは得られぬ成果」≫
中国中央テレビのアナウンサーは被災地に中国語の案内があることに関し、「外国人にも配慮をする日本に、とても感動します」と語ったが、被災地から離れている首都圏でも同様な光景が現出した。短文投稿サイト「微博」には、ビルの中で足止めされた通勤客が階段で通行の妨げにならないように両脇に座り、中央に通路を確保している写真が投稿され、「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。(日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない」との説明が付されている。
東京で語学研修中に地震に遭った「瀟湘晨報」の記者は、日本語教師が学生を誘導し、「教師は最後に電源を切って退避した」と落ち着いた対応を称(たた)えたが、おそらく、四川大地震で5千人を超える児童が死亡した際に、生徒を置き去りにして真っ先に逃げた教師が念頭に浮かんだのであろう。
韓国の「聯合ニュース」は、日本の地震報道が恐怖感を与えない抑制的な表現で正確な報道を続けていると伝え、「揺れる画面にも声は沈着」「迅速、物静かな災害報道」と称賛したし、ロシア独立系紙「ノーバヤ・ガゼータ」(電子版)は日本人が社会的秩序を失わず、互いに助け合う姿を「日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする『人間の連帯』が今も存在する」と解説した。
台湾の親中派紙「中国時報」に至っては、日本では「(米ニューヨーク大停電やカトリーナ災害時のような)商店略奪も起きず、すべてに秩序が保たれている」と指摘し、この「日本独特の栄誉を重んじ、恥を知り、礼を重んずる特性」の原点を、新渡戸稲造のいう武士道精神に求める評論家、南方朔氏のコラムを掲載している。
米英、インド、パキスタン、イランなどのメディアも、日本人としてはいささか面映(おもは)ゆくなるような記事や社説を載せているが、その一方で、多くの人々が食料や日用品の買い溜(だ)めに走っているのも偽りのない姿である。それでも、大量の品を買い占めようとするような動きは皆無に近く、ここでも抑制的な姿勢が見られよう。
≪天災にひるまない日本人の美質≫
ところで、大震災の2日前の9日に余震ならぬ“予震”ともいうべきM7・3の地震があったが、ちょうどその時間、近くの映画館で「太平洋の奇跡」を観(み)ていた。かのサイパン戦で日本軍が玉砕した後、いたずらに死を選ばず、「名誉ある死に方」を求めて僅かな兵力で敵に立ち向かい、多くの民間人を守りながらゲリラ戦を敢行し続け、敵である米軍から“フォックス”と呼ばれて畏敬された1人の誇り高き日本軍人、大場栄大尉の苦闘の物語である。
たまたまタイミングが重なったこともあり、大場大尉の行実に震災後の日本人の行動の原型を観取(かんしゅ)してみたい誘惑にふと駆られる。むろん、ごく短時間に多くの人命が失われ、現在も稀有(けう)の非常事態にあるとはいえ、あくまでも平時のことである。苛烈きわまる戦時と同一視できるものではない。
だが、サンデル米ハーバード大教授の言葉を借りれば、「自制心を忘れず勇気とコミュニティー精神」で毅然(きぜん)と行動している日本の民衆に対して、もとより「敵国」ではないが、このところ領土問題で緊迫した関係にある中国、ロシアそして韓国が称賛の辞を厭(いと)わず、ただちに救援隊を派遣し、100以上の国家・地域・機関による復興支援に参加しようとしている現状を見れば、そこに歴史を貫く日本人の一つの美質がさりげなく顕現しているように思える。
それも常に危険な業務に携わっている自衛官や警察官、消防士ではない、ごく普通の庶民の淡々たる営為であるだけに尊い。教育勅語の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」にも通じるこの姿勢こそが、今われわれが直面している一大国難を凌(しの)ぐ核となるに違いない。(おおはら やすお)