
1日の土曜日にインフルエンザの予防接種をした。娘が中学受験なので
本番へ向けての用心である。娘も私も花粉アレルギーがあるので、耳鼻科
にも通い始め治療中だ。常に鼻が詰まって集中力を欠いた娘も、治療を始
めてから調子が良いようだ。福岡都市圏の私立中学は年明けすぐに受験本
番、あと1ヶ月が勝負の追い込みで家族ぐるみの支援体制である。
予防接種は良いのだが、おかげで2~4日と身体がだるく軽い風邪に掛
かった発熱状態が続き、ようやく4日夕方になって体調が戻りつつある。
福岡も3日夜から一段と寒さが増し、御笠川沿いの我が家は体感温度がさ
らに1~2度低い。
御笠川といえば、先週から冬恒例!ゆりかもめの一群が川岸に観られる
ようになった。寒くなると海岸から風の弱い内陸部に上がってくる。鵜も
数羽観られるのも冬の愉しみである。度重なる増水・洪水で川底の掘削や
川幅拡張工事が相次ぎ人工的な護岸になったが、ゆりかめもは毎年顔を出
してくれる。パンの耳を買い込み、餌をやるのも愉しい。
30日に公演を観に行ったヨーロッパ企画・永野宗典君のブログには、
この日のイムズホールの満席風景写メが掲載されている。一列中央に私や
家族は陣取っていたので見事に映っていた。
ヨーロッパ企画
※画面右上隅のドアから隠れコンテンツ集に入る。遊び心あるサイトは
観るたびに愉しくハマってしまう。
演劇といえば、吉田初三郎の資料を見直していて川上貞奴、川上音二郎
の記事を改めて読み直した。執筆は前田虹映、昭和6年10月15日発行
の「観光タイムス」第26号の記事。当時、日本ラインに初三郎が会長と
なって「日本一桃太郎社」境内と桃太郎屋敷遊園地が創設されており、そ
の対岸に建立されたのが川上貞奴を祀る鵜沼不動尊貞照寺である。
初三郎がまだ画道修行中の明治42年~43年頃、泉鏡花や白井松太郎・
大谷竹次郎(ともに松竹会社)、広津柳浪、上田敏らの賛助の許で演芸文
庫社を創立し演芸雑誌を発行している。初三郎は副社長、関西の劇壇に活
躍する演芸報道のための取材で南座をはじめとする楽屋内において音二郎
や貞奴と面識深くなったという。20年を経て貞奴との関わりが改めて出
来たことが記事に記されている。
当時初三郎は雅号を「虎眠」と名乗り、演芸文庫に掲載されたスケッチ
や絵画は昭和6年当時の初三郎作品収集家にとっても「幻」の珍品となっ
ていた。大正初期、鳥瞰図に専念する前まで初三郎は「虎眠」を雅号に用
いており、絵葉書会の会報で紹介されるなど作品は時々出てくるようだ。
未見の雑誌「演芸文庫」をぜひ観てみたい。
11月25日、前田稀さんと日田・耶馬渓・中津を巡った。前田虹映や初
三郎の痕跡を求める旅である。詳細は後日記すが、この件を藤本一美氏に
電話で話した際、虎眠名義の耶馬渓作品があることも伺った。耶馬渓は初
三郎が「図絵報国」を誓った地、最初期の作品であれば「初三郎」名義で
なく「虎眠る」名義の資料が発見されるかもしれない。
初三郎は晩年まで演劇や能などの古典芸能を愛した。戦時下の6年余り
を暮らした熊本・佐敷でも古謡をテーマにした初三郎原画シリーズを拝見
した。鳥瞰図の表紙画、ポスター画など、鳥瞰図以外の作品にそれらをモ
チーフとしたものが多く、彼が本当に描きたかったのは芸能画だったので
はないだろうかと考えた。
今日の写真は、昭和21年9月発行の初三郎「歌の新聞」表紙絵。
サトウハチロウ作詞、服部良一作曲の唄をはじめ、のちに童謡として
多くの人に知られる楽曲がたくさん「初出」で収録されているのも興味深い。
「雨降り(アメアメ降れ降れ母さんが~)」「靴が鳴る(お手てつないで
野道を行けば~)」など。
この中で初三郎は最も多くページを担当、「歌と名所」として自作の
「宮島小唄」を絵入りで紹介したり、「初三郎歌の行脚」と題して
各地の景勝をテーマとした唄をよみ、解説文・画も掲載されている。
ポストカードブックシリーズ解説・通販
アンティーク絵葉書に観る懐かしの風景・町並み
人気blogランキングへ
鳥瞰図絵師・前田虹映
オールド地図鳥瞰図コレクション・吉田初三郎ほか
本番へ向けての用心である。娘も私も花粉アレルギーがあるので、耳鼻科
にも通い始め治療中だ。常に鼻が詰まって集中力を欠いた娘も、治療を始
めてから調子が良いようだ。福岡都市圏の私立中学は年明けすぐに受験本
番、あと1ヶ月が勝負の追い込みで家族ぐるみの支援体制である。
予防接種は良いのだが、おかげで2~4日と身体がだるく軽い風邪に掛
かった発熱状態が続き、ようやく4日夕方になって体調が戻りつつある。
福岡も3日夜から一段と寒さが増し、御笠川沿いの我が家は体感温度がさ
らに1~2度低い。
御笠川といえば、先週から冬恒例!ゆりかもめの一群が川岸に観られる
ようになった。寒くなると海岸から風の弱い内陸部に上がってくる。鵜も
数羽観られるのも冬の愉しみである。度重なる増水・洪水で川底の掘削や
川幅拡張工事が相次ぎ人工的な護岸になったが、ゆりかめもは毎年顔を出
してくれる。パンの耳を買い込み、餌をやるのも愉しい。
30日に公演を観に行ったヨーロッパ企画・永野宗典君のブログには、
この日のイムズホールの満席風景写メが掲載されている。一列中央に私や
家族は陣取っていたので見事に映っていた。
ヨーロッパ企画
※画面右上隅のドアから隠れコンテンツ集に入る。遊び心あるサイトは
観るたびに愉しくハマってしまう。
演劇といえば、吉田初三郎の資料を見直していて川上貞奴、川上音二郎
の記事を改めて読み直した。執筆は前田虹映、昭和6年10月15日発行
の「観光タイムス」第26号の記事。当時、日本ラインに初三郎が会長と
なって「日本一桃太郎社」境内と桃太郎屋敷遊園地が創設されており、そ
の対岸に建立されたのが川上貞奴を祀る鵜沼不動尊貞照寺である。
初三郎がまだ画道修行中の明治42年~43年頃、泉鏡花や白井松太郎・
大谷竹次郎(ともに松竹会社)、広津柳浪、上田敏らの賛助の許で演芸文
庫社を創立し演芸雑誌を発行している。初三郎は副社長、関西の劇壇に活
躍する演芸報道のための取材で南座をはじめとする楽屋内において音二郎
や貞奴と面識深くなったという。20年を経て貞奴との関わりが改めて出
来たことが記事に記されている。
当時初三郎は雅号を「虎眠」と名乗り、演芸文庫に掲載されたスケッチ
や絵画は昭和6年当時の初三郎作品収集家にとっても「幻」の珍品となっ
ていた。大正初期、鳥瞰図に専念する前まで初三郎は「虎眠」を雅号に用
いており、絵葉書会の会報で紹介されるなど作品は時々出てくるようだ。
未見の雑誌「演芸文庫」をぜひ観てみたい。
11月25日、前田稀さんと日田・耶馬渓・中津を巡った。前田虹映や初
三郎の痕跡を求める旅である。詳細は後日記すが、この件を藤本一美氏に
電話で話した際、虎眠名義の耶馬渓作品があることも伺った。耶馬渓は初
三郎が「図絵報国」を誓った地、最初期の作品であれば「初三郎」名義で
なく「虎眠る」名義の資料が発見されるかもしれない。
初三郎は晩年まで演劇や能などの古典芸能を愛した。戦時下の6年余り
を暮らした熊本・佐敷でも古謡をテーマにした初三郎原画シリーズを拝見
した。鳥瞰図の表紙画、ポスター画など、鳥瞰図以外の作品にそれらをモ
チーフとしたものが多く、彼が本当に描きたかったのは芸能画だったので
はないだろうかと考えた。
今日の写真は、昭和21年9月発行の初三郎「歌の新聞」表紙絵。
サトウハチロウ作詞、服部良一作曲の唄をはじめ、のちに童謡として
多くの人に知られる楽曲がたくさん「初出」で収録されているのも興味深い。
「雨降り(アメアメ降れ降れ母さんが~)」「靴が鳴る(お手てつないで
野道を行けば~)」など。
この中で初三郎は最も多くページを担当、「歌と名所」として自作の
「宮島小唄」を絵入りで紹介したり、「初三郎歌の行脚」と題して
各地の景勝をテーマとした唄をよみ、解説文・画も掲載されている。
ポストカードブックシリーズ解説・通販
アンティーク絵葉書に観る懐かしの風景・町並み
人気blogランキングへ
鳥瞰図絵師・前田虹映
オールド地図鳥瞰図コレクション・吉田初三郎ほか