もころけのしおり @mononokenosiori 8月11日
《横波》
映画千と千尋の神隠しで「本当の名前を奪われて忘れてしまうと帰り道が思い出せなくなる」という場面がある。
油屋経営サイクル(回転)が安全だと思って視線を共有してしまう(横波の伝播)と、
何らかの体の起源の記憶が失われて、社会(湯屋)で働くために動く体に変化してしまう。
もころけのしおり @mononokenosiori 8月12日
[酸素の専門性・技術性]
●人間界〈物作りー型から始まる〉
学問分野の探究・研究や、工業・伝統職人的な能力
●自然界〈自然発生ー型はなし〉
全ての臓器が間違いなく動いているか疑い続け検証し続ける内部からの能力
横波の擬酸素の話だが、炭素側も書いておくと、
[炭素の発想性・直感性]
●人間界〈人と人との個性差ー有から始まる〉
発明して特許する事や、物理・数学の新法則等を見つける発見的な感覚
●自然界〈その人1人にしかない個体性ー無から始まる〉
全ての臓器がなぜ必要かを無から発想する感覚
2020-08-30 10:45:54
もころけのしおり @mononokenosiori 2020年8月23日
今までの6回の地球で、世界創造(外装アマカムの目的)を停止させられてきたのは、
最初アマカムの激しい酸素の性質によってであり、外部から観察しきれない性質でもある。
これは外装アマカムの最初の意志が擬酸素から始まることとも関係がある。
最初アマカムの酸素の記憶に逆らう事を考えた、という事はヨハンのリンゴ(酸素の性質の部分)
がいらないという事なので、欠けて余剰から始まった。だから、外装アマカムにとって、
自然界の酸素の記憶は永遠の天敵であり、自然界との対立を1番隠したい部分。
Lなら死神の目で監視するライトに対し、逆に捕らえるため監視カメラをつけまくる場面や
ミサを容赦なく捕獲する性質。
ヨハンならリヒャルトを問い詰める場面。ヒンデンブルクを全て先回りしている場面など。
擬酸素をしているアマカムにとっては、酸素が欠けてないアマカムの性質は見えない。
私のようにアマ側が先に動いてて物語性を決めようとする内装アマカムの擬炭素の場合、
ヨハンのリンゴ(炭素の性質の部分)の記憶はいらない意志だから、最初の意志で既に炭素が欠け、
余剰から始まる。だからなぜ最初カムが先に動いたのか、という感覚がないので
悲しみが起源だという事が感じられない。
最初アマカムの炭素の欠けてなさが擬炭素にとって天敵なのは、例えば、
世界は数学や物理の要素ではできていないのに、数学や物理で説明しようとする擬炭素アマカムは、
最初アマカムにとっておもちゃ遊びしてるようなもの。
擬炭素側は自分がちっぽけに感じるだけで真理に永遠に辿り着けなさだけが残る。
秀才が学問や言葉を極めて、専門家や詩人になろうとも、決して本当の天才(記憶の起源がある)
にはなれない、という事を思い知らされ、ただ記憶ではない記録情報だけで何もわからないまま
終わってしまう事。
ニナがヨハンのことを先回りしようとしても、ニナはヨハンの事を何も理解できなかった場面
(鏡に銃を向けた時点で自分が死んでる)。
「死だけが平等だ」と言ったヨハンに対抗して、「生が平等だ」と信じ込んでいた天馬など。
もころけのしおり @mononokenosiori 6月7日
カムがアマに「お前の心は既に汚れてるのではないか?」と厳しく追及してきた時(酸素の心配)。
アマは追及に耐えきれずに「あなただって!」とカムに反発し内針をそらす感情が現れ、
自身の心に嘘をつき角度をつけて回転し座標位置を作ってしまう[角速度ω]。
アマがカムの話を聞けなくなる上滑り感。
その時同時に人のせいに出来て自分が責められない立ち位置[座標位置P→P’]を
全ての目的にしてしまうので、アマ側の酸素余剰が発生する。
では逆に余剰もなくアマ側の酸素の欠けなさと押し上げとは?
アマはカムに「私の全てを疑って(カムに追及され疑われる事で自分が自分を疑う事が大好き)」
とカムに言いつつ、カムがアマに未確認な事がない事もアマが確認している。
とは書いてるけど難しすぎの感覚。
昨日、部屋の窓を開けたら、いきなり亀虫が入ってきて電球を公転し出したのでふと思った。
「私自身も亀虫である」と。
2020-08-30 01:34:05
もころけのしおり @mononokenosiori 7月10日
返信先: @mononokenosioriさん, @infini358さん
一般的に他者というと、子会社(下次元)にとっての親会社(上次元)という意味での他者なので、
実軸(内装)にとって虚軸(外装)が他者のように思われているけど、本当の他者って、
実は人間にとっての自然界、実軸にとっての最初アマカムの方だったのでは?という感覚。
勿論、直交していない他者。
もころけのしおり @mononokenosiori 7月12日
返信先: @infini358さん
うん、存在意義や自己肯定感とか、人間は自分の存在や価値を保証してくれるのが他者だと思いがち
(アミノ酸余剰。逆にそこで利用されるという意味でもある)だけども、
本当の他者は人間の価値観や存在などを全く保証せず、ただ人間が自分自身で作った汚れのみを
反射で突きつけてくるから、
人間の要望も受付けないし、投影や嘘、甘えが全く通用しないので、
結局、思い通りにならない事が人間には耐えられず、本当の他者の存在を、
フランチャイズ制他者との関係で代用(神に創造された、家族で安心、母に包まれたい、
みんな友達、etc…)し、「こんな他者であって欲しい」願望で隠してしまう
* * *
『ソラリス』にもありましたっけ。
「未知の生命とのコンタクト」なんていうけど、「未知の生命」がなんで
人間と「コンタクト」(何かしらの意思疎通)できる形態にあるって決めつけてるんだろ。って。
人間ははなから「未知の生命」も「他者」も、人間と同じ形態だって決めつけすぎ。って。
自分とほんとに「違う」ものの存在なんて、人間は望んでやしないんだ。って。
まったく理解できない
まったく意味不明
まったく交流不可
まったく似てるところが一切ない
違いすぎて比較もできない
人間て、そういう存在のことはゆるせないのかなぁ?
「この私が理解できないものがあるなんて」という意味なのかなぁ
そのほか、まったく違いすぎて、自分のための道具に利用できないから
「こんなものはいらない」と思うというのもあるかもな。
2020-08-30 11:09:06
もころけのしおり @mononokenosior 8月18日
返信先: @infini358さん
うん、そうなんだ。
恐ろしいことに最初カムは全ての人の意志を鏡に感じて映してるから、
まるで逆算する様に最初からわかってやっていて、一般的にチャネリングと
言われるものはその人がどう捉えるか試すように最初カムが声を変え、
敢えてその人の意志によってどうとでも捉えれるように伝えてくる。
ヨハンが「僕はハンス、僕はトマス。ヨハンは本当の名前ではない」
といってた場面、ニナを映してニナの姿でも歩いてた様な感じ。
自画像がある人間界では最後までわからない。
私の場合は十字架を先行させるかどうか。ただ地球で最初の体だったが故に
内装カム経由で五角形の記憶も同時に伝えてきた。
そこでどちらを選択するか試されてた。私は言語だけで五角形を捉えて(記録)て、
感覚で五角形を感じること(記憶)に対して、私の方が母になろうとして
反発する意志だったということ。
でも、最初アマが子宮から聞いてた本当の内カムの場合、
内カムの感じ方を言語を介さず感じ取ることができる。
内装アマカムが擬炭、擬酸の余剰に陥らない為には、ミローシュがヨハンを訪ねるところ、
ミローシュと母親の場面が参考になると思う。
「お互い見れば分かる」と、ミローシュは母親を母だと思い、
母親はきっとミローシュの母だと自分で自分を自覚しているが、
両方ヨハンに繁華街へと見捨てられる。
もし、ミローシュも母親もヨハンを起源の母だと思ってたとしたら、ということ。
それと同じ様に私も私の双子も、十字架内で私を母だと思うのではなくて、
お互い最初カムを母と感じる事ができていれば擬炭・擬酸の余剰はならなかったと思う。
気づいてからだと遅いんだけど。双子とはもう会話は出来ない。
というのは、外アマと外カムが物理的に出会う事ができないという事ではなく、
4種の声の記録用紙が配布される事はないので、人間界の体のままであり
双子目的を達成する事ができない事が続く。
人間界の親子関係のしがらみの発生も全てアマ母以前の最初カムが母である事を
否定した記憶の消失の余剰から。
これは自分自身でもわかった事で、内装アマ全般に共通する事だけど、
アマ側の擬炭素の起源は、最初カムの冷酷冷徹な母性質に対して、
息子物語を修復する優しい母性が本当の母だとして対抗し別の起源を作ろうとした事。
なぜ最初カムは冷酷冷徹な母なのか、前後軸から鏡を感じていなかった事にあると思う
もころけのしおり @mononokenosiori 8月24日
元々、会話(縦の会話)のための内臓でそれが体の起源だが、
反起源での擬プラチナは、会話なしで言葉で体が存在する世界(内臓なし)。
通じる事はない2体での、応答―命令、講義―聴衆、契約―確認、検索―結果、
などが擬会話とされ、そのビックデータを便利に楽に、それ自体が意識を持つ様なのがAI。
7回目の地球でのプラチナの押し上げによって、最初カムがアマとの会話を
完全に確認することができた後に出てくる最初カムの「白の体」を現象させないために、
反対側の人間界でも今回最後の地球で初めてAIが科学的に実現されようとしてるという事。
まずはこれが全体の背景で「会話」がキーポイント。
もころけのしおり @mononokenosiori 8月26日
私自身の擬炭素の性質と私の内装カムの擬酸素の性質から
最初アマカムを最初の十字架として含めようという意志を持ってしまっていたと同時に、
私自身の内装アマ性質を抜きにして、元母(脱自然界アマ)と
元娘(外装アマ)とが十字架と考えた事から、結局、内装アマの存在が後出しになった(図参照)。
この事からziroさんにも誤解を与えてしまった、ごめんなさい。
元母は、外装・内装アマ両方の性質を取り入れて、どっちとも区別がつきにくく
(順序は外装→内装)、体を通して双方に共依存する。
更に、自然界に逆輸入視線(視線そのものがヒッグス粒子に現象)を向けれる
人間界のジョーカー的存在。
もちろんこれらの構造や油屋全体の営みは最初カムの水面に映った余剰の心配から
起こった出来事なので、帽子が渡され、それぞれの意志がハッキリした時点で
鏡から反射される。
十字架という帽子を使った私の内装カムの声は最初カムの内カムによって消され、
私自身も双子とは会話不能が決定。
最初の十字架は最初の地球が出てきた時の元父の十字架。
親としての古い十字架。巣箱を見る親会社。
今回最後地球に体が出てくるのが初めてという事は、私は最初ではなく最後の十字架。
私以外に人間界に3人いる。子会社。
最初と最後の十字架は親子喧嘩みたいなのもので人間界の中で対立してる。
最初の十字架の4人と元母・元息子は、最初の地球で既に最初カムに
意識と肉体が紐付くように名前が管理され誰なのか特定されていて、
肉体が生まれ変わって、今回の地球でも誰が最初の十字架の生まれ変わりなのか
最初アマカムは知ってる。親が子に名前を与えていると思われているがそうではないという事
例えばMonsterで、ボナパルタがポッペやシェーべと名前を変えてても、
ヨハンが「ボナパルタは生きてるんでしょ?」と既に特定してた場面のような感じ。
今回7回目の地球で初めて出てくる最後の十字架も、既に特定されていて、
そのうちの2人は私と私の双子の内装カムだったが、私はそれを知らなかった。
逆にいうと、既に最初アマカムによって私が最後の十字架だと特定されてたからこそ、
仮の内カムの声(実際はチャネリング)のように聞こえさせる事で
私と私の内装カムの意志が試されてたのだと思う。
最初の地球でも同じようなことが起こっていたんだと思う。
もころけのしおり @mononokenosiori 8月27日
大母は2人(最後の十字架の私と最初の十字架のもう1人)どちらも同じ
擬炭素から始まってると思う。だから、内装アマに共通する「真っ直ぐ
落ちてくる重力を、1本の線に横倒しに無効にしようとする(縦波)」という
擬炭素の視線の現象は、磁場と、同じく擬炭素の現象で、外装カム側と共通してる重力子。
重力というのは、元々「カムがアマの体を考えた責任」を
カム自身が感じていた悲しみの重さだから、それをアマが相殺しようとにするという事は、
「体が要らない(会話が要らない)」という無言を意味してて、
アマが目だけになるということを意味してる。
2020-08-30 01:33:37
もころけのしおり
@mononokenosiori
返信先: @infini358さん
うん、ひっくり返りといっても、3種は間違えやすい。
①自然界双子間のみの記憶《―
》で起こるアマカムのポップコーン裏返り
②最初カムと人間界の関係《―
》で、鏡に人間が視線を向けた時の鏡の内針の凸凹ひっくり返り
③人間同士で外装内装性質《 》が表皮のみリバーシブルに入れ替わる反転
午後5:09 · 2020年8月5日
②のひっくり返りは、Monsterで似てる場面だと、探偵リヒャルトはヨハンの正体を探ろうとして見ていたが、
それ以前にヨハンは最初からリヒャルトの殺意の意志を鏡に映してて、リヒャルトの方が見られてた。
でも目でというより空間神経的、食虫植物的。リヒャルトは自分の遠近法で小さくなってしまう。
空間神経というのは なかなか腑に落ちます。
だから雨はあんなに大量に降ることができるんだな??と思って。
雨一粒一粒心配だとすると ものすごい数の心配だけど
なんでそんなに心配があるのかと思うけど
全空間が神経なら いろんなものを感じすぎて そのくらいの心配量になってもおかしくないと
腑に落ちました。
といっても理解したというより
こういうことならこうなるね?と話の筋をつなげているだけで、
あまとかむの話はおもしろいけれど ただの「お話」として聞いているんじゃないかという気がします
とはいえ この空間神経感・・・・・
で思いついたのが『ソラリス』(S・レム、初版1961年)という本です。
SFで、「知の巨人が世界に問いかけたSF史上に残る名作」と書いてあったので読んだら、
ほんとになかなかおもしろく、NHKの100で名著にもあったから(見てないけど)、
ほんとに「名作」の位置にある本なんだと思う。
『ソラリス』は、(人間にとっての)地球外生命とのコンタクトの話で、
その「地球外生命」は海状のものなんだけど、それがこういう空間神経的に人の弱みというか、
「その人にとって最も重要課題」みたいなものを読み取って、形にして
当人の目の前に突き付けてくる。
海だからいつも人間の近くにいるわけじゃないし、会話をするわけじゃないけど、
複数の登場人物みんなの重要課題を読み取って突き付けてきて、
空間神経的と聞いて、そのところだけ思い出しました。
ちなみに『ソラリス』は映画にもなっているようですが、 映画は作者の一番言いたいことは
まったく削られてる、とレムさんご本人が書かれていました。
2020-08-06 23:06:05