9/6午前3時8分、緊急地震速報が鳴り、慌てて起床。
美瑛は震度3(震度4の所もあったらしい)の揺れで、速報とほぼ同時くらいに揺れ始めました。
美瑛町は地震が少ない地域なので、どこかで巨大な地震が発生していると思い、慌ててテレビを点けました。
胆振地方、安平町や厚真町、苫小牧方面、その時は震度6強と報道されていました。
間も無く停電です。
この日、岩見沢の姉と会う約束をしていました。
でも、それどころではない。
私は、帯広の母が心配で、朝起きた時に帯広に行こうと思っていました。
でも画家やガーデナーに止められ、やめました。
冷静に考えてみると、停電では信号も止まるし、ガソリンも入れられない。
帯広に帰ったら私の食いぶちが増え、かえって迷惑だ。
兄にメールを入れ、母の事を頼みました。
停電は続き、夜になる前に食事の支度。
土鍋でご飯を炊き、お焦げの美味しさが懐かしかったです。
LEDのランタンを点け、暗い中で食事を終わらせ、早めに就寝(と言ってもいつも早く寝るので、普段と変わらない)。
スマホのバッテリーが50%以下になってしまい、PCのUSBに繋げたら充電できました!
新しい発見でした。
暗闇のラジオから「星が綺麗」との情報を得、起き出して外に出ました。
満天の星空!天の川まで綺麗に見える。
美瑛に来てから1番綺麗な星空だったかもしれません。
翌朝の新聞で、初めて被害の大きさを知りました。
胆振地方に住んでいる友人たちの顔が浮かびます。
みんな無事でいて下さい…と祈りました。
地震の前の日、大量に食料を調達していたのはラッキーでした。
ガソリンも半分以上入っています。
無駄な行動は慎み、治るまでじっとしていた方が賢明だと気付きました。
肉、魚などが今無くても、お米や味噌塩などあればしばらく生きて行けます。
インスタント食品も有ったけれど、これは最後の手段と思って食べずにいました。
日中はタライで洗濯です。
止まっていたのは電気だけで、ガス水道は使えました。
幸いお天気も良く、手で絞った洗濯物も太陽光で乾きました。
そろそろ冷蔵庫の食料が危なくなり、色々入れ替えたり、火を通したりして、無駄にならないようにしました。その結果、いつもより豪華な夕食になりました(笑)
ラインやFBで、次々と通電の情報が流れたけれど、9/7の夕食時はまだ停電でした。
早めに寝ようと布団に入り間も無く、電気が来ました。
テレビを点けて、地震の被害状況を見ました。
地震で崩れた厚真の山に、絶句。
災害時のラジオの存在は大きいけれど、目から入る情報量は比べ物になりません。
でも、地震からほぼ2日テレビからの情報が見られなかったので、ライフラインが途切れた時、被災地に1番情報が届かない事を感じました。
母の方ですが、6日の夜に早々と通電して問題無かったと言ってました。
母と電話で話した時は、こちらがまだ停電だったので、逆に心配されました(^^;;
遠くの友人からのお見舞いメール、帯広や札幌からもお互いの無事を確認するメールが届き、嬉しかったです。
突然の自然災害を避ける事は出来ない。
でも、普段の生活の中で、最低限備える事が出来る。
東北の震災で学んだ事なのに、喉元過ぎれば…となってしまった事を反省します。
そう言えば、母の枕元には大きな懐中電灯が置いてあったっけ。
十勝沖地震の教訓から備えて居ました。防災グッズもすぐ分かるところに置いてあったし。
母さん凄いわ。ホント、逆に励まされる。
地震の被害が無かった地方でも、流通、公共交通等まだまだ復旧できていません。
まだまだ時間が掛かりそうですね。
停電の間も、庭仕事してました。
バラが綺麗なんです。
レディオブシャーロット。満開です。
アンジェラも長く咲いて素敵です。
夕焼け空が美しく、時間が経つにつれ濃いピンクに変わる空を見ていました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方の早期復旧、そして日常を早く取り戻されるよう願って止みません。
美瑛は震度3(震度4の所もあったらしい)の揺れで、速報とほぼ同時くらいに揺れ始めました。
美瑛町は地震が少ない地域なので、どこかで巨大な地震が発生していると思い、慌ててテレビを点けました。
胆振地方、安平町や厚真町、苫小牧方面、その時は震度6強と報道されていました。
間も無く停電です。
この日、岩見沢の姉と会う約束をしていました。
でも、それどころではない。
私は、帯広の母が心配で、朝起きた時に帯広に行こうと思っていました。
でも画家やガーデナーに止められ、やめました。
冷静に考えてみると、停電では信号も止まるし、ガソリンも入れられない。
帯広に帰ったら私の食いぶちが増え、かえって迷惑だ。
兄にメールを入れ、母の事を頼みました。
停電は続き、夜になる前に食事の支度。
土鍋でご飯を炊き、お焦げの美味しさが懐かしかったです。
LEDのランタンを点け、暗い中で食事を終わらせ、早めに就寝(と言ってもいつも早く寝るので、普段と変わらない)。
スマホのバッテリーが50%以下になってしまい、PCのUSBに繋げたら充電できました!
新しい発見でした。
暗闇のラジオから「星が綺麗」との情報を得、起き出して外に出ました。
満天の星空!天の川まで綺麗に見える。
美瑛に来てから1番綺麗な星空だったかもしれません。
翌朝の新聞で、初めて被害の大きさを知りました。
胆振地方に住んでいる友人たちの顔が浮かびます。
みんな無事でいて下さい…と祈りました。
地震の前の日、大量に食料を調達していたのはラッキーでした。
ガソリンも半分以上入っています。
無駄な行動は慎み、治るまでじっとしていた方が賢明だと気付きました。
肉、魚などが今無くても、お米や味噌塩などあればしばらく生きて行けます。
インスタント食品も有ったけれど、これは最後の手段と思って食べずにいました。
日中はタライで洗濯です。
止まっていたのは電気だけで、ガス水道は使えました。
幸いお天気も良く、手で絞った洗濯物も太陽光で乾きました。
そろそろ冷蔵庫の食料が危なくなり、色々入れ替えたり、火を通したりして、無駄にならないようにしました。その結果、いつもより豪華な夕食になりました(笑)
ラインやFBで、次々と通電の情報が流れたけれど、9/7の夕食時はまだ停電でした。
早めに寝ようと布団に入り間も無く、電気が来ました。
テレビを点けて、地震の被害状況を見ました。
地震で崩れた厚真の山に、絶句。
災害時のラジオの存在は大きいけれど、目から入る情報量は比べ物になりません。
でも、地震からほぼ2日テレビからの情報が見られなかったので、ライフラインが途切れた時、被災地に1番情報が届かない事を感じました。
母の方ですが、6日の夜に早々と通電して問題無かったと言ってました。
母と電話で話した時は、こちらがまだ停電だったので、逆に心配されました(^^;;
遠くの友人からのお見舞いメール、帯広や札幌からもお互いの無事を確認するメールが届き、嬉しかったです。
突然の自然災害を避ける事は出来ない。
でも、普段の生活の中で、最低限備える事が出来る。
東北の震災で学んだ事なのに、喉元過ぎれば…となってしまった事を反省します。
そう言えば、母の枕元には大きな懐中電灯が置いてあったっけ。
十勝沖地震の教訓から備えて居ました。防災グッズもすぐ分かるところに置いてあったし。
母さん凄いわ。ホント、逆に励まされる。
地震の被害が無かった地方でも、流通、公共交通等まだまだ復旧できていません。
まだまだ時間が掛かりそうですね。
停電の間も、庭仕事してました。
バラが綺麗なんです。
レディオブシャーロット。満開です。
アンジェラも長く咲いて素敵です。
夕焼け空が美しく、時間が経つにつれ濃いピンクに変わる空を見ていました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方の早期復旧、そして日常を早く取り戻されるよう願って止みません。
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