昨日、宝塚初体験した。演目はベルばら。
むかしね~子供の頃見た、漫画の池田理代子原作を採用してるので、漫画のパネルも最初の登場シーンに大きく出て、
愛~それは~かなしくぅ~~~
と歌い上げるメロディーとともに懐かしさがこみあがる感じ。
あの頃、圧倒的に、私だけでなく、みんなオスカルさま~~だったと勝手に記憶してる。
だけど、なんで、実在しないオスカルさまが少女のこころを
とらえたのだろうか。そこは、実在しないからこそ惹かれる対象として、描かれたのだろうと、今は思う。
あのフランス革命のそのものを漫画で描いたら、それはベルサイユのばらというロマンの作品とは別の、まさに革命の歴史実話にせまってしまう。となれば、少女マンガとしては、商業用には難しかっただろう・・・
アントワネットも魅力的に、恋のロマンスも息苦しさも華やかさも取り込まなきゃ少女を夢中にできない。
あの革命は、戦火を恐れない命の血染めで勝ちとった民主主義であり、人権宣言だ。それをロマンにするには、オスカル様は必須というか、さすがに考えられてる、と、今の私はあらためて思えた。
子供の頃は、オスカルさまがなんでいいのかよく解ってなかったんじゃないのかな。革命の民衆の中にはいっていくことで、ヒロインのアントワネットを悪者とも思わないし、革命軍に対しても共感めいた曖昧な思いを抱かせて、背後のロマンスがよきエッセンスとなって、まさに歴史ロマンのバラとして夢中になっていたのだろう。
大人になって、昨年実際のベルサイユ宮殿やアントワネットが過ごした場所を訪れた。
歴史の認識は既にあったうえで、オスカル様~~と思ったし、アントワネットもまた、あの時代に飲み込まれた真のヒロインだったのだともおもう。処刑されたその国で、今なお、彼女は魅了されていた。
そこには、あの革命からはじまった、社会の変遷~成熟がもたらした、人類としての新たな歴史の重層が個々の意思をはぐくんできたからこそのベルサイユ宮殿であり、フランスがあったのだろう。
日本も、そこから、明治憲法へと世界の流れをつまみ、敗戦から現憲法を得た。
平和主義を明確にした、現憲法は押し付けと言われてる一方で、革命との声もある。なにより、我が国の切望でもあったのだとおもう。
その平和主義原理があってこその、この国の美しさ(気高さ)だとおもっていたいのだけど・・・・
ベルばらで描かれたオスカル様~は、今の日本から生まれてくるのかな・・・・
ああオスカル様~~
と、報道をみながらつぶやきたくなる。
昨年行ったベルサイユ宮殿
ベルばら。
アントワネットが眠っていたベット。
時を経て。眠りについたか・・・・・・民主主義の根。の根。