きょう午前、吉田元福島第一原発所長が、食道がんのため58歳で亡くなった。
ニュースでは、事故の対応に当たったが、結果としてメルトダウンを防げなかったというニュアンスで報道されていた。
私はそれは違うと思う。
事故はもっと悲惨な状況になり、東京も人の住めないところになる可能性があった。
某通信社は事故のすぐ後、主力業務を大阪に移すことを考えたという。
放射能が広範囲に拡散する危険があった中、現場に踏みとどまって指揮をとった勇気を讃えたい。
現場のスタッフからは、とても信頼されていた所長だという。
あの危機的な状況の中、時には本社の支持に逆らい自分の信念に基いて行動した彼を、私は技術者として尊敬する。
「事故直後の1週間は、死ぬだろうと思ったことが数度あった。」
この言葉がいかに厳しい状況にあったかを物語っている。
この人がいなければ、東京というか日本はどうなっていたか分からない。
吉田氏の後を継いで所長になったニ見氏は、「命をささげて懸命な作業で事故の収束に当たってくれた。彼がいなければ、もっと惨事が広がっていた可能性もあった」と述べている。
食道がんは、5年生存率が20%とも言われている。
被曝したかも知れないが、それが原因で亡くなった訳ではないようだ。
放射能の影響はそんなにすぐには現れないだろうから。
それでも、私たちをより悲惨な状況に陥ることから救ってくれたという事実は変わらない。
ご冥福をお祈りしたい。