今日は、12月に行われる「秀眉園」という老人ホームでのクリスマスコンサートの練習をした。
参加者ほぼ全員が集まり、予定されている演奏曲をひと通り流した。
今回もピアノの参加がなく、歌やオカリナなどの伴奏はすべてギターでやらなければならない。
いつも伴奏の練習をしているメンバーではないので大変だ。
しかも、今日初めて合わせる曲ばかりで、いったいどうなるのか。
オカリナの曲は、「まゆのテーマ」と「聖女フルート用」。
これは比較的易しい編曲と、いつもの千葉ティオのレパートリーなのでなんとかうまく行きそうだ。
一番心配なのは、「めぐり逢い紡いで」、「過ぎ去りし思い出は」の2曲。
「大塚博堂」という普通の人があまり知らない歌手の曲なので、歌と合わせるのに苦労した。
篠笛との合奏曲「さくら貝の歌」「ママがサンタにキスをした」は、すごくゆっくり弾くことになった。
ゆっくり弾くというのも案外難しいもので、笛とテンポを合わせるのに苦労した。
「猫のモンテス」「街のファルーカ」のフラメンコギター合奏も、一応練習しておいた。
威勢の良い曲なので、案外お年寄りにウケるかも知れない。
もう何度となく演奏している「テネシーワルツ」「津軽のふるさと」の2曲。
だいぶ昔にこのメンバーで、一度だけ演奏したことがある。
ほとんど忘れ去ってしまっていたが、それでも全く初めてよりはマシだった。
みんなで歌う曲は、「追憶」「きよしこの夜」「ジングルベル」の3曲。
歌の方はあまり心配していないが、ちゃんとクリスマスらしく雰囲気を出して伴奏できるのだろうか。
アンコールは、「りんごの歌」。
少々早めに弾かないといけないので、最後まで気が抜けない。
全部合わせて14曲。
こんなにいろんな心配事がある中で本番に突入するのは、久しぶりのような気がする。
我が家の一品料理の一つに、「揚げ出し豆腐」がある。
作るのが簡単な割に、ちょいと懐石料理の雰囲気が味わえるのでお勧めである。
完成品の写真を2種類、提示しておこう。
料理というものは、器で雰囲気が変わるということが良く分かると思う。
作り方は以下の通り。
[揚げだし豆腐]
材料
絹ごし豆腐(豆腐一丁で二人分)、片栗粉、大根(おろし)、桃屋のつゆ
作り方
1.豆腐をまな板の上に置き、上からお皿をのせ、その上に重いものを乗せて水分を出す
2.10分くらいすると水が出てくる。
3.キッチンペーパーで豆腐の水分を拭く。
4.油で揚げる直前に一丁を4つに切り、片栗粉を付ける。
5.油の温度を180度にして、表面が狐色になるまで揚げる。
6.桃屋のだしを同量のお湯で薄めて、だし汁にする。
7.豆腐を器に入れ、大根おろしを乗せて、最後に熱いだし汁をたっぷりかける。
冷えたら美味しくないので、熱いうちに食べよう。
チキンラーメン、私たちの世代には懐かしい食べ物だ。
発売された当時、お湯をかけるだけで食べられるという便利さに驚愕した。
移り変わりの激しい世の中で、今も販売されていることだけでもメーカーを褒めたい。
さて今の時代ではチキンラーメンを主食としてではなく、おやつとして食べると良い。
一つでは多すぎるので、まず半分にする。
大き目のカップにこの半分を入れ、熱湯をカップの半分ぐらいまで注ぐ。
あまり時間を置かず、カップの下の方、お湯につかっている部分から食べ始める。
まだ「ぱりぱり」という感じが残っているうちに食べるとおいしい。
順次上の方もお湯に浸かってくるので、少しだけ柔らかく辛くなくなってから食べるとよい。
スープもお湯のかげんでおいしく飲める。
流行のカップ麺よりシンプルで、より安全なおやつとしてお勧めする。
あまりにも懐かしいので、おじさんたちは涙なしには食べられないかも知れない。
この難問に答えられる人はいない。
完全に死んで、生き返った人はいないからだ。
死にかけて戻って来た人はいる。
そう人たちの話を、「臨死体験」と呼ぶ。
共通して言えるのは、まずベッドに横たわった自分を少し離れた場所から見るという現象。
周りの人達が悲しみにくれている状況が、客観的に見て取れるらしい。
そのあと、上の方の暗い穴に向かって引き込まれて行く。
暗いトンネルの後の世界を見た人はいない。
そこまで行くと、きっと引き返せなくなってしまうのだろう。
4年前に、6時間に及ぶ心臓手術を経験した。
その時心臓は止まって人工心肺装置につながっていた。
脳は全身麻酔で何も感じなくなっていたわけだから、いわば死んでいるのと同等の状態だったが、残念ながら「臨死体験」はなかった。
生前に悪いことをした人は地獄に行き、それほどでもない人は極楽に行って楽しく暮らすのだろうか。
ちょっと出来過ぎていて、「今を正しく生きなさいよ」という教訓めいた感じがする。
もし死後の世界があるとすれば、「別の次元の、より大きな存在の中に帰っていく」、みたいな漠然とした概念の方が信じられる気がする。
病気で亡くなった人たちの状況を調べた学術的調査がある。
500人の人たちを調査した結果、4割の人たちが、最後の時に誰かが迎えに来たと言っているのを、周りの人達が確認しているという。
驚くべきことである。
人が死ぬときには「脳内麻薬」とも言われる「エンドルフィン」という物質が脳内に放出されるそうだ。
これが、死の痛みや恐怖を和らげる働きがあるらしい。
この「お迎え」と呼ばれる現象は、その物質の副作用だと説明されている。
自分の生涯で一番幸せな時を過ごした相手を、最後に思い浮かべるのだろうか。
私の場合は、きっと白い猫か、猫の生まれ変わりの少女がお迎えに来るに違いない。
以前からこのコラムで紹介している「クマさん人形」であるが、今回はプレゼンテーションに進展が見られた。
日本古来の呪術的アイテム「金屏風」の登場である。
何か足りないなとは、前々から思っていたが、「背景」のことまでは気が付かなかった。
実家から、雛人形の陳列に使っていたものを送ってもらった。
金屏風の前なら、少々表情に乏しいクマさんだが、それなりに見えるようになった。
結婚式において、冴えない新婚さんが「金屏風」の前に立てば、注目を浴びるスターに変身する。
同じような感じだろう。
音楽のステージでも、後ろで踊っているダンサーとか、地味に演奏しているオーケストラの人たちがいる。
彼らがいなければ真ん中で歌っている歌手も、ただのカラオケシンガーになってしまうであろう。
メインのヒーローを、後ろから支えている人たちのことを、忘れてはならない。
金色に光り輝いているので、そんな風には見えないかもしれないが、「金屏風」もそんな存在なのだ。
以前、美音の会のコンサートで、金屏風の前で演奏したことがある。
普通は反射板というものを使って、ステージの前方に音が響くようにする。
会場がもともと結婚式場のために作られたものだったので、反射板はなかった。
代わりに金屏風の前で演奏したわけである。
音響の点ではイマイチだったが、見栄えは良かったのかも知れない。
「金屏風」、あなたの家にもひとつ用意しておいてはいかがだろうか。