MacTiger!

Mac、IPOD、音楽、映画、時事問題などについて、疲れたときのストレス発散ブログです。

昭和マンガ史の光と影

2011-05-01 16:57:17 | Weblog
土日は、ひさびさのひたすら寝てました。少し、回復。

きばらしに電子書籍であしたのジョーを購入し熟読。もう40年以上前の作品だが、通して読んだのははじめてだ。
原作者の梶原一騎と作画のちばてつやの共闘の上の作品であり、梶原流のスポ根精神主義とちば流のキャラクターの多様性、青春劇の絶妙な融合。
あの著名なラストはちばてつやの創作であるが、梶原一騎はは自分の作品でありながら、自分の作品ではないこの名作に嫉妬していたともいう。
前半の少年院、力石編は梶原節であるが、後半のながれは、苦闘と破滅へのドラマは、ちば節といってよいのか。
ちばは、力石を死なすことに反対していたらしいが、力石の死こそが、後半のジョーの生き様を規定し、その最後までつきぬけたのではないのか。
この意味で、梶原とちばの二つの個性により、意図しないドラマ、キャラクターの成功、そして時代精神の反映が可能であったのである。
あしたのジョーがおもしろいのは、いろいろな複合的要因があるのである。

しかし、それにつけても梶原一騎のスポ根ストーリーの背後にあるコンプレックス、ルサンチマンは一種のダークパワーなんだが、昭和マンガ史において、ひとつのムーブメントを築いたものであることは間違いない。過度な精神主義、暴力描写について批判も十分ありうる。
しかし、その飢えた精神、渇望心こそが、昭和の少年たちあるいは大人たちの精神の現れ、あるいは社会にたいする鬱屈への解消になったのではないか。夢と冒険心、特にディズニーや映画へのあこがれを基礎とした手塚治虫のマンガが昭和マンガ史の光とすれば、梶原一騎はそのバッシングで終始した破滅的悲劇的晩年と合わさって、昭和マンガ史の闇と把握されるかもしれない。
今からみれば、誇張されたスポ根ストーリーは、ギャグや批判の対象かもしれないが、他方、その背後の精神はよくも悪くも昭和が夢見た破滅型英雄譚である。
この意味で、梶原一騎の再評価があってよいであろう。

問題は、平成の現代、少年たちがあるいは社会が夢見る英雄譚は何であるのか。
昭和への憧憬ではなく、いまのリアルティとパワーをもったもの。生きる糧になるもの。
ぱっと思いうかばないのは、私の目がくもっているか、作家たち、受け手たちが内向きになっているのか。

新しい、わくわくするおもしろい作品に出会いたいものである。

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