町作り研究会(容子の部屋-別室)

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白虎隊員の直筆年賀状・・・

2007-01-21 08:27:54 | 地方新聞

 

 

 幕末の一八六八年(慶応四年)八月、新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争で集団自決した白虎隊隊員唯一の生き残りで、明治末期に札幌で暮らしていた飯沼貞吉(後に貞雄と改名)の年賀状を、札幌市手稲区の郵便史研究家福井卓治さん(83)が発見した。白虎隊の悲劇は飯沼により、後世に伝えられた。関係者によると、飯沼の直筆のはがき、手紙などは大変珍しいという。    

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(北海道新聞)

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最近テレビでも白虎隊をテーマでドラマが放送されましたが、悲劇の会津藩の歴史は今でも会津地方では白虎隊の眠る墓所には花や線香が絶えないと聞きます。

徳川幕府末期に起きたこの戦いによって幕府制度は崩壊し日本は新しい制度に大転換をしましたが、会津藩の多くの人々は津軽の偏狭の地に追いやられ、ある人は北海道に渡り、そこでの新生活をした人もおおいと聞きます・・・
 

     

その中にある人から送られた年賀状の中にあり・・年賀状は一九一四年(大正三年)正月に当時根室在住だった小樽新聞(北海道新聞の前身)編集局の坂牛祐直氏に送られ、あて名は「阪牛」となっているそうです・・・そこには、「謹賀新年」と書かれた脇には、「旧臘(ろう)(昨年十二月)ハ結構ナル御品御恵投被下 萬々難有 拝領仕候」と、年末に贈り物をもらったことへの感謝の言葉が添えられていたそうです・・・・

  白虎隊に関する史料を所蔵する白虎隊記念館(福島県会津若松市)職員の佐藤雄一さんは自署の横には「仙臺(台)」と書かれており、「当時、飯沼は仙台在住だったことから、白虎隊の飯沼に間違いない」と説明してますが・・・ 福井さんは三十年ほど前、札幌市内の書店で坂牛氏ら小樽新聞社の記者にあてられた手紙やはがきを集めたアルバムを購入したとの事です・・・

そのまましまいこんでいたが、昨年末、あらためて調べていて、飯沼の年賀状を見つけた。福井さんは「歴史上の人物のはがきを見つけ、びっくりした」と行ってます・・・

 飯沼は十五歳で白虎隊に加わり、新政府軍と戦ったが、砲煙が上がる鶴ケ城(会津若松市)を見て絶望。仲間の十九人とともに飯盛山で自決を図ったが、地元の人に助けられ一命を取り留めたようです。

 飯沼はその後、逓信省の技師となり、一九○五年(明治三十八年)から五年間、札幌郵便局工務課長として札幌に住んでいたようです・・・同記念館の佐藤さんは「記念館にも飯沼の書があるだけで、直筆のはがきや手紙はないとは大変珍しい」と話しています・・・・

当時は薩長藩の天下で、会津藩のような賊軍は相当な厳しい環境に置かれた事は、私のような会津藩ではないにしろ・・・賊軍派の子孫は子供の頃からご先祖様の苦労を聞かされて育ちました・・・

私たちの藩は取り潰されはしませんでしたが・・・こうした中から日本は新時代を向かえたと思うと・・・今の歴史の中には日本が今日の繁栄された国家になるまで、多くの血が過去は流され、そこには一人一人の歴史があることを、ニート族にも知ってもらいたいものです・・・