岩手日報を見ていたら偶然見つけた、宮沢賢治の童話を見つけその中に一話です・・以下がそのお話しです・・・
何ともやさしい山男である。賢治は人里離れた山中で、ひとりで暮らす山男になりたい願望があったと思う。でも山男もたまには下界に降りてきて、娑婆(しゃば)の風に当たりたくなるときもある。そしたらどうなるのか。1922年の4月に創作した話である。
「ガラス絵の宮沢賢治7 山男の四月」より |
山男は木こりに化けて町へ出かけ、陳という「中国人」にだまされ六神丸の箱にされてしまう。
それでも陳に同情して「おれのからだなどは中国人が60銭まうけて宿屋に行って鰯(いわし)の頭や菜っ葉汁をたべるかはりにくれてやらう」などと思ったりする。
入れられた暗いこうりの中には山男と同じく陳にだまされて六神丸の箱になった人々が泣いている。「おれはとうとう牢(ろう)に入った。それでもやっぱりお日さまは外で照つてゐる」
山男の隣の箱は中国人でこのような最悪の状態の中でも「いま鱸(すずき)が1匹いくらするか」などと山男に聞いてくる。
そして陳のようないやしい中国人もいるが「ほんたうの中国人なら、いくらでもえらいりつぱな人がある。
われわれはみな孔子聖人の末なのだ」というのだ。その人の教えてくれた丸薬を飲んで山男は元通りの体に戻る。
陳はびっくりして大きくなる薬だけ飲み山男よりもっと大きくなって追いかけ、つかみかかられたところで目が覚める。
花壇設計にも力を注いだ賢治の作品
この話は生前出版された唯一の童話集「注文の多い料理店」に入っているそうです・・初期形は六神丸の箱でなく中国反物だったそうですが、反物だったらたたまれているから、絵にするのが困難だったろうという事でこの六神丸の箱に変えたようです・・
この本の広告文で賢治は「4月のかれ草の中にねころんだ山男の夢です。烏(からす)の北斗七星といつしょに一つの小さなこゝろの種を有ちます」と書いているようです・・・
こころの種って何だろう、またなぜ4月なのだろうと原画を描いている間中考えていたとの事です。
冬でもなく桜咲く春でもなく、北国の4月は冷雨や雪もぱらつき、まだ緑もない。枯れ草の中から、やっとカタクリが花をもつ季節です・・・
しかし太陽が出れば、目に痛いほどのまぶしい光にあふれ、灰色の雪雲でないぽっかりした白い雲が漂うんだと思った事でしょう・・・
シカや猫や小鳥が鳴きだし、天地が動き始め、何か新しいことが起こりそうな4月だから山男が浮き雲のように下界に歩みだしたのだ・・・・と思います。
嘆いている六神丸の箱の人たちを描いていて、山男と隣の中国人の並はずれた楽天性と思いやりに気付をさらりと教えているのかも・・・これこそがどんな困難なときも可能性を開くこころの種なのではないか・・・といっているようです。