凶悪事件について、裁判員裁判制が導入されていますが、今の制度ではまったくの無意味だと思う。
そもそも、裁判官だけでは判断しきれないグレーな部分に、民意の判断を反映させる制度であるべきなんです。
しかし、上告すれば裁判官だけの判断になるわけだから、今までとなにも変わりがない。
ただの時間の浪費です。
凶悪事件だからこそ陪審員(裁判員)にゆだねるべきは最終判断でないと。
だから1審だと意味が無い。
慣れない人にそんな責任を押し付けるのは酷だというなら、そんな制度は廃止すればいい。
裁判員に責任を感じさせるようではいけないんです。
裁判員は、弁護人が論点を整理してくれるのだから、それを聴いて素直に判断すればいいだけで、なんら責任を負うべきものではないはず。
すべての責任は裁判員裁判制度を取り入れてる裁判所や法務省にある。
最高裁が裁判員裁判になり世論のジャッジが下されるとなれば、それを恐れて上告せず高等裁判所の裁判官の判決を受け入れるようになるかもしれない。
そもそも、裁判官だけでは判断しきれないグレーな部分に、民意の判断を反映させる制度であるべきなんです。
しかし、上告すれば裁判官だけの判断になるわけだから、今までとなにも変わりがない。
ただの時間の浪費です。
凶悪事件だからこそ陪審員(裁判員)にゆだねるべきは最終判断でないと。
だから1審だと意味が無い。
慣れない人にそんな責任を押し付けるのは酷だというなら、そんな制度は廃止すればいい。
裁判員に責任を感じさせるようではいけないんです。
裁判員は、弁護人が論点を整理してくれるのだから、それを聴いて素直に判断すればいいだけで、なんら責任を負うべきものではないはず。
すべての責任は裁判員裁判制度を取り入れてる裁判所や法務省にある。
最高裁が裁判員裁判になり世論のジャッジが下されるとなれば、それを恐れて上告せず高等裁判所の裁判官の判決を受け入れるようになるかもしれない。