音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

しあわせな時間

2009-03-21 21:56:01 | コンサート

演奏してから何時間も経つのに、まだ、私の頭の中にはゴーベールが鳴っています。

中田百合子さんのピアノが気持ちよかった。近代フランス音楽の音色、リズム。こんなピアニストと組めるなんて本当に幸せ。いつまでも、演奏していたかった。

演奏前に聴くと、「フランス音楽は体で覚えているから、自然で演奏しやすいんです。」と言う言葉も納得の演奏でした。

サロンの響きも気持ちよく、暖かいお客様に囲まれて、幸せな時間でした。

それにしても。ゴーベールって奇跡。よくこんな曲を残していてくれたと思います。

世界中の人に感謝を捧げたい気持ちです。

自分の演奏上の、課題はいろいろとありますが、今夜だけは余韻に浸ってありがとう、おやすみなさい。


野球観戦

2009-03-20 20:20:30 | Weblog

音階練習をしながら、朝から、4時間WBC野球を見てしまいました。野球はあまり興味が無いのですが、男の子二人を持ったせいでついついお付合いしてしまいます。

C-dur C-moll「あ~1点!」 Cdim Cm C Cdim7 Cm7「やったー返した!」 C7 CM7 D-durD-moll…

良い試合でした。見ていて、韓国と日本のチームが良いライバルだなぁってしみじみ。

1戦目の後、韓国に出張していた夫は散々悔しがられ、帰国して、2戦目試合が終わるとすぐ韓国の取引先から、「テレビ見たか?」と電話があり「Congratulation!」なんだか楽しそうでした。「おおさわぎだろうなぁ。向こうは」今回は、勝ったけれど、なんだか決勝は韓国と、日本があたるような気がしてきました。宿命のライバル。花形満と星飛馬・・・古~。他の国とやる時より、熱い。愛し合っているんだって気がします。

韓国と日本にはいろいろな悲しいことがあったし、解決しなければならないこともまだまだたくさんあるけれど、こうやって一人一人がしっかり向き合ってお付合いをしていけば良いんだなぁとおもいます。

私も、十〇〇年前にニースで、いろいろな国の人とフルートを学びました。韓国の人もいて、放課後みんなでキャンパスでワインを飲んでいたら、その頃はやっていた「愛の水中花」を歌ってよといわれて困りました。韓国でも流行っていたらしく私は歌詞をよく知らなかったから…そしたらその子は自分で歌って。楽しかった。音楽やスポーツって言葉がよくわからなくても一緒に楽しめるところがいいんですね。

明日は3時25分頃,
出演します。梅田ドルチェ楽器9階アーティストサロン 曲はゴーベールのソナチネ



ベルタ・ハッペンハイム

2009-03-19 20:40:51 | 本・映画など

森田ゆりさんの著書「子どもへの性的虐待」岩波新書で、ベルタ・バッペンハイムという人をはじめて知りました。1800年代後半のドイツのユダヤ人の社会福祉事業家で、著作も多数あります。

若い母親、乳幼児から10代の少女のための4つのシェルターホームを経営し、何千人もの子ども達の母として、女性達の師としての生涯を送ったそうです。
1935年、経営していた孤児院の子どもがヒトラー批判をしたとして密告をうけ、ゲシュタポに出頭。76歳のベルタ穏やかに、しかししっかりと弁明し、釈放。しかし、それから一度もベッドから起き上がることなく1年後亡くなっりました。
しかし死後、著作はナチスによって焼かれ、42年から44年までの間に、孤児院の子ども達全員と大半の職員、ベルタが人身売買から救った女性達のほぼ全員がアウシュビッツに送られて殺されます。援助していたクラスコーのユダヤ人教員訓練寄宿学校の93人の若い少女達は、ナチスが学校を売春宿にする方針を出した時、全員が体を洗い清める儀式をしてから毒薬で集団自殺したそうです。

ベルタの墓碑にはこう刻まれているそうです。

   わたしの永遠の休息所を訪れる人は
   私のことを覚えていたら

   言葉は消えてしまうから
   花束は消えてしまうから
   小さな石を一つもってきてほしい

   いのちのためには 大胆にひるまず奉仕するという
   女性の役割と女性の喜び
   その思想を生きたしるしとして
   無言の約束として

私はベルタのことは知らなかったです。
頭を殴られたような衝撃を受けました。女性や子どもの地位が低い困難な時代にあって、困難な福祉事業に挑んでいたこと。また、歴史から忘れ去られているということにも。
今日牧野図書館に行ったら、3段はあった女性問題コーナーには、一冊もその関連の本がなくなっていました。各地で、ジェンダー、男女共生のフロアが閉鎖、縮小され、性教育は行えなくなっています。
その一方で、自由の名の下にポルノという人権侵害が放任され、児童女性の売買春が横行しています。
歴史はくりかえすのでしょうか?


本番前最後のレッスン

2009-03-18 20:45:04 | 音楽

梅田でレッスン。大川の柳の新芽が美しい。柳は、70年代小川が暗渠の下に埋められると同時期に激減した植物の一つじゃないかと思います。昔はどこの町にも柳並木の美しい小川があったものです。

ゴーベールのソナチネ、本番前最後のレッスン。
「はじめに出した音を覚えていて、その音に対して他の音を出していくんだよ。」
確かに一音一音の音程にとらわれすぎて、かえって音程がわからなくなっていました。先生の言われたことに気をつけてみると、はるかに音程が取りやすくなりました。

「正しい音程で吹こうとすると、高音は低めに、低音は高めになるけれど、本来枠にはめられれない音を枠にはめるために、そうなったのであって、それが純正調というものだけれど、自然には、高音は高めに、低音は低めが、人の耳には気持ちよくきこえるんだよ。無理矢理枠にはめるために、高音は抑えられた感じの演奏になっている人がたくさんいるよ。」

「♯系は少し暗い目、♭系は明るめに、♭や、♯が多いほど、別の世界、ファンタジーな世界に、行く感じがする。」

「一つ見つけたけれど、これは、コンサートが終わってから言うよ。もう、3日では無理だから。」
「3年位かけて修正しないといけないから、これからの課題だよ。」
先生のなぞの言葉。どうも、このコンサートが終わっても、ぼやぼやしている暇はないみたいです。

「この前にピアノと合わせた時のような演奏は、出来ると思うと、たのしみだねぇ。」
取りあえずは及第点ということかな?
後はヒノキの影響が心配ですが、もうのどに来ています。一体ベストコンディションのコンサートなんて一生にいくつあるのでしょう?今回もだましだまし、乗り切ろう

午後は、まいさんとピアノ合わせ。ひさしぶり
ドボザークのソナチネ、モーツアルトのGdurのコンツェルト。符読みはまだまだだけど、気持ちいい。ここというところに音が来る。私の勝手なテンポ改変も、ものともせず、戻したり、促したり、一緒にゆれたり。
なぜ?こんなにぴったりくるのか?
今日話していてわかったことが一つ。私は、マンドリンオケで指揮を学んだけれど、まいさんも指揮法を大学でとっていたそうです。音楽のテンポはメトロノームではない。ということを体で学んだという共通点、それが合う秘訣かもしれない。
とにかくこんな出会いはめったにない。大切にしたいと思います。


卒会

2009-03-18 01:25:31 | 子ども
今日は、4月に5年生になる子ども達の卒会のお別れ会。
5年生になるとひとりでもお留守番できるからということらしいですが、アメリカでは、13歳までの子どもを一人で家においておくと、虐待通報されます。
シッターをつけないといけないそうです。ここでの、多くの子どもは、4年生を過ぎると、家で自由にすることを求めます。
私も自分の子どもは5年生になると、お留守番をお願いしていました。買い物とかについてきたがらなくなりましたから。

しかし、個人差があるのは事実ですし、障害のある子どもも一律卒会というのはどうなんでしょう?
彼らのなかの多くは、5年生になったからといって、家で一人で置いておいたり、家族だけで向き合って生活するのは物理的に困難な問題をたくさん抱えています。
3年生になると、多動系の子どもは、スタッフでも、駆け出した子どもを一人で安全に連れ帰るのは難しい時があります。それを親一人で見ようとすると、閉じ込めてしまうしかないんじゃないかと思います。

行政や、NPOに支援を受けるのも、ボランティア頼みで、必要な時に必要な支援をうけるのには、まるで親はコーディネーターのような手腕を発揮しなくてはなりません。親は子どもの世話でぎりぎりの生活をしているような場合、本当に過酷な状況に陥ってしまいます。

「お母さんの、お手伝いしてあげてね。今日は夕ごはんの後、自分のお皿を炊事場まで持って行ってね。」というと、「はい。」と真剣な顔でお返事してくれます。
その後の生活が少しでも楽しいものとなるようにイメージして、働きかけながら、祈るような気持ちで送り出すしかありません。

心を残しながらも、卒会おめでとう。

ゆらぎ

2009-03-16 19:32:53 | 名曲

今日はソナチネをSさんに合わせてもらいました。2楽章の第一バリエーションをピアノ符でつき合わせながら演奏してみました。
ちゃんと、譜面とおりに縦をあわせてみると、ずれて、聴こえてくる場所が何箇所かあって、これが不安の原因だったのですが、ゴーベールはそのずれを作為的につくりだし、ゆらぎ感を楽しんでいたのだということがわかってきます。

例えば、32分音符で8個で駆け上がるところを、ピアノが拍の頭から、入り、フルートは32分一個分あけて入り、フルートが駆け上がった頂点を2個ずらしてピアノの頂点がくるという具合。
6連符の旋律に16分音符4つの伴奏とか、フルートの頭抜きの32分音符にシンコペーションの伴奏で入り次の拍はピアノが頭抜きって感じ。

水面に映る木漏れ陽や、自然のゆらぎを再現することにゴーベールは心を寄せていたような気がします。
1938年、ナチス・ドイツがオーストリアを併合し、11月には水晶の夜が起こり、ユダヤ人迫害がはじまりました。この年、ゴーベールは1919年から務めたパリ音楽院管弦楽団を辞し、41年には亡くなっています。
外に向いて、卒研の曲などを書いていたゴーベールが自分の内側を見つめ、自分の本当にやりたかったことをいよいよ洗練されてきた技術と感覚で実現しようとしているような気がします。

もっともっと、この曲を極めたい。


春の海本番

2009-03-15 21:55:27 | コンサート

お琴は竜の姿を現しているといいます。この部分imagesを竜頭、白いラインのように見えているのは象牙で竜角と言います。胴は桐の木で竜甲、反対側の端を竜尾といいます。
images胴にかける布や、竜頭を包むカバーは、日本の伝統文化を感じさせませす。美しい

今日は、母のお琴と私のフルートで「春の海」本番。
市民のお祭りなので、プログラムは抽選、なんと、私達の演奏は子ども達のストリートダンスと太極拳の間にはさまれています。
スピーカーの大音響と30人の子ども達のパワフルな演技のあと、こんな地味な演奏聴いてくれるのかしら?
ふと心配がよぎりましたが、大丈夫自分の音に集中しようと自分に言い。演奏しだすと、会場のお客さんたちは静まり返って聴いてくださいました。須山先生か音楽の神様が助けてくれたのかな?

母は、ステージのかすかな段差の上にお琴が乗って、本体がぐらついて思い通りの演奏ができなかったと、悔しがっていましたが、私は生の音楽の演奏の持つ力について、かいま見えたような気がしました。

拍手の質が、かわッたような気がしました。沸き立った泡のような感じから、しっとりと内側の奥の方からでたような。何かわからないけれど、何か暖かいものが行き交った。

この感覚をいつも覚えていて再現できればいいんだけれど。

茂木さんの本に「演奏家の心づくしの行き届いた音楽」という言葉がありましたが、音楽の技量ではなく、「心づくし」が伝わるのかな。
まだ、はっきりは見えないけれど、うっすらと音楽の光明が見えたという感じです。来週は、ゴーベール、今日つかんだことを、生かせそうです。

 


音楽で遊ぼう!3月アンデスの音楽

2009-03-14 22:54:06 | 音楽で遊ぼう

音楽で遊ぼう!アンデスのフォルクローレ「エスペレ ウン ポコ」
3月の音楽で遊ぼう!は、アンデスのフォルクローレグループ「エスペレ ウン ポコ」さんを招いて、アンデスの音楽を楽しんだり演奏してみよう!ということで、ワークショップをしました。
チャランゴ
imagesボンボimagesABS樹脂のケーナ、imagesサンポーニャはメンバーの手作りです。子どもの演奏体験にはぴったり。

急遽ギターを弾ける人ということで、夫も借り出して、なぜか私もフルートでケーナと一緒に、「花祭り」「コンドルは飛んでいく」を演奏しました。
雨にも関らずたくさんの子ども達が来てくれました。小学生だけでなく、中学生も二人。

ケーナは尺八や、フルートのようにすぐに音がでる楽器ではありません。子どもたちは、「音が出ないよ」言いますが、すぐに投げ出してしまうとおもいきや、口にこうやってあてて、横に引いて息を出して、と持ちながら一人一人見ていくと、小さな音でも「でた!」と大喜び。「OK!でた、でた。」と喜び合い。もっと出るようにがんばり、出ない子は意地になって取り組みます。

簡単に音がでない。ということは子どもの悩む力、取り組み続ける力を引き出すんだなぁと。子ども達の姿を見ていて思いました。小さいからと、簡単に、やりやすくとばかり考えていましたが、ちょっと考えものだと思いました。

高学年の男の子達は、「やらん。」と言って頑としてやらなかったのですが、「いやだったら、出ても良いし、やりたくなるまで、ここにいてもいいよ。でも、口チャックでお願いします。」と声をかけると、出て行くかと思ったけれど、端の方に座って、サンポーニャをする頃には、もぞもぞしだして、やっぱり楽器を口にする子、山羊の爪のマラカスを振ったりしだして、結局一通り楽しんでいました。

最後は「花祭り」をエスペレさんと演奏し、子ども達は打楽器をふって、大合奏
おかげさまで、とても楽しい時を過ごしました。
エスペレ ウン ポコさん、ふれあいスタッフのみなさん、Sさん、夫にもありがとう
また、一緒にやりましょう


最終リハ

2009-03-13 21:09:07 | 音楽

Delosperma nubigenum 実家に植わっていました。母は「サボテンや」と言っていました。サボテンはすごく種類が多くて、愛好家がたくさんいるんですね、ネットで調べてびっくりしました。

今日は、朝読書会に行って、3時から梅田で最後のピアノ合わせ。
ゴーベールのソナチネ、本番は3月21日15時頃です。
今日は、中田百合子さんのピアノは前回よりも、ゆったりと一つ一つの音を味わいながら進んでいきます。本当に中田さんのようなピアニストと組んでいただけるなんて幸せです。
「もう少し早めに」と言ってしまいましたが、こっちの方が気持ち良いかも。もう一回よく考えよう。

S先生から、「フランスに留学した時のことを思い出して演奏したら、もっとよくなるよ。」というお言葉。
フランスの音楽、硬質な水、緯度が高いので、紫外線が強く、でも、日本より涼しく乾いている空気、ラベンダーの香り、くっきりと見える風景。
もっと、明るく乾いた音を使うっていうことかな?

転調、転調で色が変っていくのが、おもしろい曲ですが、私に絶対音感とか無いので、この数週間、チューナーとにらめっこ。基準の音階をしっかりとって、その上、色彩感覚を出すには同じ442Hzの同音でも明るい音、暗い音を使い分けることが必要です。
1楽章はallegretto,tres allant  avec simplicite fraicheur 快活に シンプルな涼やかさを持って
2楽章はフランスの音楽には珍しく、andante quasi adagio avec une expression contenue おさえた表現でとあります。移ろう、光りや、水のきらめきのような、静かな風景や植物の感じがします。そしてシューマンへのオマージュ。
内向的、繊細、精神病を患い自殺未遂をはかり精神病棟で一生を終えた。子どものような純粋さと、卓越した技術。ゴーベールがラベルや、フォーレに師事しながら、晩年になって向かったのは一世代前のロマン派シューマンだったというのは、とても興味深いです。この2楽章からは哲学的な精神性を感じます。

後、1週間。もう少し曲への理解を深めたいと思います。

 


しあわせ

2009-03-12 20:29:23 | 子ども

以前、鬼ごっこが出来ない子ども達の話をしました。鬼ばかりさせられる子ども、ハンディを認めず、力の強い子どもはタッチされても、「今、タイムだった。」とか、「バリアはってた」とルールを変えてしまって、絶対に鬼にならない。

1年生の女の子Aさん、この子がボス。遊びの種類も順番も全て自分が決めていました。もちろん鬼なんか一回もなりません。
いつも一緒にいるBさん、一年生LDで、何でもAさんの言うがまま。
そして、ダウン症のC君。そして、加配おばちゃん先生の私。
何回この4人でおにごっこしたでしょうか? 

いつも最後は、Aさんが鬼になってルールを変えると言い出して、「それはおかしいよ。」というと、「もうやめる。」と言って、終わっていました。

それが、今日、自分が鬼になったら、ダウン症のC君を追いかけて、タッチ寸前まで、いくと「C君はよにげや」とわざと遅く走って、喜ぶCくんと楽しそうに遊びだしました。
いつも、鬼ばかりさせられるBさんにも、ずっと鬼になっていたら手をだして、「Bちゃんタッチや。」とタッチさせておいて、うまく鬼が変るように考えながら、鬼ごっこします。

なんだか、奇跡が起きたみたい。
いえ、数週間前からすこしずつ変化していたのは、感じていました。なんだか、なごんだというか、優しくなったと言うか、今日それが美しい形で表現されたと言う感じ。
なんだか、この仕事が楽しくなってきました。
こんなに美しく優しいものを見せてもらえるようになるとは…。本当に幸せです。感謝