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自由と放任

2010-08-26 21:50:07 | 子ども

鶏頭の花。小学生の頃、毛糸だと思っていました。花がフワフワな、アクリル毛糸かビロードのようにきれいだからかな?と思っていました。鶏の頭だと知った時はショック。鶏には悪いですが、「あんな醜いもの!毛糸の方がきれいなのに。」と勝手に思ってました。

ついに夏休みが終わり、新学期が始まりました。
といっても、子ども達は11時30分には帰って来て、児童会でお弁当を食べました。

明るくて、良い話をいつもしていたいですが、なかなか現実は厳しいです。
私達の中に、無邪気で、無知なことを尊び、愛でる気持ちがあることが、子ども達の成長を妨げ、暴力を容認する結果を招いていることを最近良く感じます。

大勢の子ども達がいる部屋の中で、固い積み木を無邪気に投げて遊んだら、どうなるか?
蛍光灯のある部屋でドッジボールを投げたらどうなるか?

積み木が子どもに当たったり、床の上で遊んでいる大勢の子ども達の上に蛍光灯の破片が落ちてきたら…。

なんてことを考えたり、感じたりするのは、誰か他の人の役割で、自分は考えなくていい。

大人の世界と子どもの世界は、本当に相似形。
自分の飲む安いコーヒーの豆が、インディオの子ども達を貧困に落とし、教育の機会を奪っているのかも?とか、儲かる投資先が、武器輸出をしていて、少年に人殺しをさせているのかも?

なんてことは、知らなくても良いし、考えなくてもいい。

「自由を生きるものは、自律していなくてはいけない。自律とは、自分の欲望を自分でコントロールし、自分のしたことの責任は自分で引き受ける。自分と同じような権利を他の人にも保障するということ。」4年生位の頃、学校の先生から聴いた覚えがあります。

私が大人になる頃には、もっと、自由で、すばらしい世界が広がっているんだろう。と思った覚えがあります。
自由を自分で律することが出来ない人が増えると、規制や、罰則を増やさないといけなくなります。放任は結局、自分たちの自由を狭める結果を招きます。

自分の頭で考えること、どこにいても、誰に見ようと、見られていまいと、守る規律を持つこと。社会が赦しても、自分は自分には赦さないというほど、厳しい規準をそれぞれの個人が持つほど、自由と民主主義は輝く。だから私は、そうありたい。










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